36 蜘蛛の糸
―――走った。沢山走った。
どのくらいの距離を移動したのかはよくわからない。
ただ、どれだけ走っても疲れが出てこなかった。
だからまだ走る。
きっと、もっと遠くへ行かないといけない。
もっと。
もっと。
…でもどこまで走ればいいんだろう。
喉から鉄の味がした。口で激しく呼吸をしているせいで、舌は水分が一切なくなるほど乾燥している。
目がチカチカする。
耳鳴りで音が聞こえない。
突然、足が動かなくなった。
勢いよく前に転ぶ。
その衝撃と共に、俺は意識を手放した。
◆◆◆◆◆
―――どうしてこの子を乗せたの!?道の真ん中からどけるだけって言ったじゃない!!」
甲高い声が聞こえてゆっくりと瞼を開けた。
どこだここ。
……いや、車の中…か。
「…やっぱり、見捨てるなんてできないよ」
「気持ちはわかるわ…!でも、今はそんな状況じゃないでしょう!?」
俺は…どうやら車の後部座席に座っているみたいだ。シートベルトもついている。
「他人に構っている暇があるの!?私達でさえ死ぬかもしれないのよ!?」
「わかってる。わかってるから…」
「わかってたらこの子を乗せたりなんてしないわよ!!」
この人達が拾ってくれたのだろうか。優しい人…という感じでもないが。
「私たち二人だけなら、まだよかった…!でも、今は子供もいるのよ!?あなたが、あそこで先を急がなかったせいで!私達の子が死んだらどうするの!?」
「大丈夫、そんなことない」
「あるかもしれないでしょ!!もう何が起こるかわからない!!」
窓の外は以前暗いものの、少しずつ明るくなってきている。ふと左の座席を見ると、そこに座っていた幼稚園児くらいの男の子と目が合って、急いで窓の方に視線を戻した。
「どうして…どうしてこの子を乗せたの…?家族のことを大切に思っていないの…?」
「…思ってない訳ないだろ。俺はいつだって、お前たちが一番だと本気で…」
「ならなんで…!!」
「…仕方ないだろ…!!俺だって、見捨てるつもりだった!!あの時も人間じゃなくて物をどけるような気持でいたさ!!でも…!!」
目を閉じる。
「見てしまった…。見えてしまったんだ…泣きはらした跡と、衰弱しきった顔が…。それで俺は…もう…」
「それは…でも…!私達には…!」
「もしものことがあったら、もちろん俺は家族を優先する。これは絶対だ。…ただ、もしもの時までは…俺のわがままを許してくれ…」
「…」
瞼の裏に、いつのものかもわからない、ユウの笑顔が写っていた。




