三十四話 市民ロードレース3
三十四話 市民ロードレース3
伊織と並走している睦美の元に月夜と忍が追い付いて来た。彼らは2周目であるが、表面上は1周目である。
「ゴールしたんじゃないんですか、チーフ? 」
睦美が疑わしげに呟くが月夜はシッと口に指を当てる。
「伊織くんに聞いたのか 一応僕らはまだ1周目という事で口外しないようよろしく 」
並んで走る伊織を見ながら睦美に念を押す月夜に、その伊織が提案する。
「私は”疾風の伊織”と呼ばれているんですよ 今度は私と勝負しませんか 」
「私は”迅雷の忍”と呼ばれてました 望むところです 」
なぜか忍が対抗意識を燃やして勝負を受ける気でいる。そこへもう1人参加を表明する者がいた。
「私は”幽玄のカトリーヌ” 私も混ぜて下さい 」
カトリーヌの参加に二人はぎょっとする。
「いや、それは少し規格外でしょう 」
忍と伊織は難色を示すが、カトリーヌは自分も参加したいようでハンディキャップを付けますよと言う。
「忍さんたちが1周する間に私は2周します それでどうですか? 」
カトリーヌにそう言われて、カチンときた二人はメラメラと対抗心を燃やす。
「そんなハンディキャップを付けた事を後悔しますよ 」
「いくらカトリーヌさんでも私を舐めてもらっては困ります 」
すぐにも勝負を開始しようとする三人に月夜が割ってはいる。
「こらこら、なに三人で盛り上がっているんだ 僕だって”月光の月夜”と噂されているんだ 売られた勝負から逃げるわけにはいかない 」
睦美は大人げない四人の争いに呆れていたが、コイツらはこのレースの勝敗には興味がないという事を認識し内心ガッツポーズをしていた。
飛び出した四人はあっという間に睦美の視界から消えていく。
・・・あいつら除けば私が女子でトップ このまま逃げ切ってゴール出来るかも ・・・
睦美は後ろを振り返ってドキリとする。1人の女性が大きなストライドで迫ってきていた。しっかりとした眼差しで真っ直ぐ前を見つめて走っている。睦美もストライドを大きくとりペースを上げていくが、背後の女性がどんどん迫ってくる。その女性を何処かで見たことあると思っていた睦美は、唐突に思い出した。
・・・金田さんの奥さん、明子さんだ そういえば伊織さんがグループで参加してると言ってた 旦那さんはヘナチョコみたいだけど奥さんは多分あの走り方を見ると経験者 ストライド走法が様になっているよ ・・・
睦美もストライドを大きくしスピードを上げるが、その分上下動が大きくなり足に負担がかかる。その時、給水所が近付いてきた。
・・・どうしよう? 明子さんは給水するのかな ・・・
睦美は悩んだが、そのまま通り過ぎる事にした。明子はしっかりと給水所に立ち寄り水分を補給している。この後、最後の給水所があり、それを過ぎればゴールだ。
・・・リンゴはゴールしてから食べればいいか このまま一直線にゴール目指す ・・・
睦美は自分を信じて突き進む道を選んだ。と、そこへもう脱落したと思われていた寅之助とトビが追い付いて来た。
「あんたたち、意外とやるじゃない 」
「当たり前だ お前とアベックゴールすると言っただろう 」
「へっ? そんなこと初めて聞いたけど 」
睦美は目を丸くしていたが思わぬ援軍にまた力が湧いてきた。
「睦美さん 僕らが追い付いたんじゃなくて睦美さんのペースが落ちているんですよ ここから盛り返しますよ 」
トビの力強い言葉に睦美も力を貰えた。
・・・やっぱり、なんでもそうだけどメンタルって大事 コイツら意外に頼りになるのかも ・・・
1人で辛いときに仲間の言葉が身に染みて睦美はいつになく感傷的になっていた。
「おお、最後の給水所 リンゴちゃんだ 俺はやっぱり黄色の”王林”ちゃんがいいなぁ 」
「いや、酸味がある”ジョナゴールド”も捨てがたいですよ それに、僕は王道の”ふじ”もいいなぁ 」
「睦美は何食べるんだ? 」
急にバカ騒ぎする二人を見て睦美は多少でも尊敬した自分を後悔していた。
* * *
ロードレースから抜けて、その様子を遠くから偵察している者がいた。
「こんなレースに堂々と参加しているとは舐められたものだな どうだ、走ってみて 」
「取り敢えず挨拶はしてきたわ 向こうも私に気が付いたと思うわよ 」
「そうか、奴には相応の罰を与えないと気が済まないからな 」
「もう突き止められたのかと内心慌てているんじゃないかしら 」
「我らからは逃げられないと思い知っただろうな ふふふ、恐怖に震えるといい 」
レースを見つめていた二人は影のように消えていった。
* * *
レースも大詰めに入り最後の給水所には黒山のような人だかりが出来ていた。もう既にレースそっちのけでリンゴを食べまくっているランナーも多い。寅之助とトビもリンゴを食べるつもりでいたが、睦美が給水所をスルーしていったので泣く泣く二人も通り過ぎていった。しかし、その給水所のリンゴに群がる中に月夜たちの姿があった。2周走るというハンディキャップを付けられても負けてしまった月夜、忍、伊織がやけ食いに転じていた。その様子をカトリーヌはつぶらな瞳で見つめ、楽しそうに笑っていた。
「いいか、睦美 ゴールしたらリンゴ食い放題に一直線だぞ もう俺の頭は王林ちゃんで一杯だ 」
「そうそう、ジュースもあるみたいですよ 当然100%果汁です ジョナゴールドのジュースは最高ですよ 」
「もう、アンタたち五月蝿い ラストスパートかけるわよ 」
睦美はラスト百メートルをダッシュで走り抜けた。寅之助、トビも続く。睦美は無事女子でトップの成績でゴールすることができた。そのすぐ後に明子がゴールする。睦美は寅之助たち二人の援軍がなければ勝てなかったかもと、素直にお礼を言おうとしたが男二人はリンゴ食べ放題のテントに走っていってしまい、もうその姿はなかった。
「ほんと、馬鹿な奴ら 」
ポツンと残された睦美に人混みの中から声をかけてきた者がいた。
「師匠っ! 凄いです 流石です 」
「あれ、牡丹ちゃん 来てたんだ 」
・・・これだけ大勢の人がいるのはかえって好都合 しかも、あの厄介な忍者たちも近くにいない ・・・
大勢の人混みの中から睦美に向けられた悪意が増幅されてくる。しかし、睦美はそんな自分に向けられた悪意に気が付かず、牡丹と話していた。
「牡丹ちゃんもリンゴ食べる 」
「えっ、でも私、レースに参加してないですよ 」
「レース中の給水所は参加者だけだけど、このテントのは大丈夫よ 」
「そうなんですか それじゃあ、いただきます 」
牡丹は嬉しそうに睦美について歩きだした。そこへ小さな影が近付いて来た。
「月夜さんたちは私に負けてやけ食いしてるので置いて来ました トビ様は? 」
カトリーヌの姿に、人混みの中で膨らんでいた悪意は消えていった。




