第3話 『行動指針』
ロンに案内をされながら、ゼウスは自身の置かれた状況の把握を始める。
「お前たち、腹は減るのか?」
二列に並んで後ろについていた天使たちの内、アスラウグが答える。
「空気中の魔素を取り込めれば、我らワルキューレに食事は必要ございません。また、睡眠も同様です。御身によって作られた破壊されるまで活動の止まらない『完成された生命』ですので」
(ワルキューレたちは俺とは違う法則で生きている……)
神力。
それが神を神たらしめている、生命活動に必要なエネルギーだ。
単純に言うと神力を消費すればゼウスの力は強くなり、三大欲求や外的要因の影響を受けなくなる。
神力は人間に信仰されることによって得られるらしい。らしいというのは、例外を除いて神しか存在しない天界に閉じ込められていたゼウスが、オーディンから聞いた知識に過ぎないからだ。
神力を得るプロセスは、
人間に奇跡を起こす→信仰を得る→神力に変換。という形になる。
現状ゼウスは神力の補給路がない。体内に貯め込んだ分を消費するだけ。力を使わずとも存在するだけで神力は消費されていくので、プールに穴が空いている状態のようなものだ。
そして神力が無くなれば神は死ぬ。
となればゼウスの直近の目的は信仰を得ることになる。
(奇跡ってこれまたあやふやなんだよなぁ……)
「何かお悩みですか……? 我が主よ」
「……オーディンの言う奇跡とは何を指すのかと考えていた」
何を持って『奇跡』というのか。
人間に成し得ないことをすれば何者かがそれを判定し、それに応じた信仰が得られるのか。それとも奇跡というのは建前であり、ゼウスという神を人間に信奉させることにより信仰が得られるのか、判断がつかない。
(この辺は適宜試していかなくちゃな。今のところ神力はまだまだあるし、焦る必要はない)
「お前たちはどうすれば信仰を得られるかわかるか? 1人ずつ意見が聞きたい」
「御身のご威光を矮小なる人間に示せば、自然と得られるものかと愚考いたします」とは、白髪を腰まで伸ばしたワルキューレのリーダー、アスラウグ・アルファ。
「そうですねぇ……私もアスラウグと同意見ですが、まずは少人数の信者をつくってみてはいかがかと思いますわ」とは、大きな杖を持った桜色の髪を伸ばすウリルリッタ・ベータ。
「罪なき弱者を救済するのはどうでしょう。わたしの癒しの力がお役に立てるかと思います!」とは、翡翠色のセミロングを揺らして意気込むユミル・ガンマ。
「悪人を粉砕しましょう! 粉砕! 粉砕! 大喝采!」とは、大槌をブンブン振り回しながらガハハと笑う、金色の長髪を伸ばすリゼ・デルタ。周りに人がいるからやめよう。
「リゼ姉さまのアホは放っておいて……ゼウス様を信奉すればどのようなメリットがあるのかを提示するのはいかがかと。一度取り込みさえすれば、やがてゼウス様の魅力に心酔しましょう」とは、外に跳ねた橙色の髪の毛を直すメガネをかけた少女、エニトラ・イプシロン。
「私はそういうのよくわからないので、他の姉妹の言うことに同意です」とは、無表情を貫くショートカットの黒髪、イヴリール・ゼータ。
「……『世界再生』を成されるのは、いかがでしょう」とは思案気な顔をつくる、薄い灰色の髪を伸ばしたマシュルール・イータ。
「世界再生?」
大体の意見は似通っている。それらはおおよそゼウスの予想の範疇に過ぎなかったが、最後のマシュルールの意見が気になった。
「今この瞬間にも、悲哀が世界に溢れております。それらを御身のお力で消し去り——世界に幸福のみを溢れさせる……」
「それが世界再生、か。また曖昧だな、何が不幸か幸せかなど、他人の物差しで測れるものでもなし」
「それを唯一裁定できるのが御身かと愚考いたします」
「ふむ……覚えておこう」
ワルキューレを生み出した瞬間に、彼女らの能力は把握している。どういう仕組みかは不明だが、脳内に知識として流れ込んできたのだ。
ソレによるとマシュルールの能力は『共感』。下界に降りてから様々な人間の思考が流れ込んで来るが故の言葉なのかもしれない。
だが世界再生などは現時点で考えることではない。そも、ゼウスにはこの世界をあまねく人間たち全員を救済することなど毛頭考えていない。
「何はともあれ情報だな。ワルキューレは全員で世界中へ散り、情報を集めろ。まずはこの世界の地理、情勢、他の神たちの所在……ああ、あとオーディンに頼まれた『救いの塔』の場所だな」
救いの塔の攻略。天界から出る直前にオーディンから頼まれた。
救いの塔が何なのか詳しく聞く時間は与えられなかったので、それがどこにあるのかすら不明だ。
「指揮はアスラウグ、お前に任せる。担当した場所の収集が終わり次第帰ってこい」
「ですがゼウス様、全員と言われますと御身の護衛が……」
(げっ……、まあそうなるよなぁ。でも護衛とか居たら気が休まらないし……)
ゼウスは一党のトップである。一番立場の高い者を放置するなど、組織の在りかたとしてマズイのは当然だった。
「…………。……俺が誰に害されると? 真実ならば許すが、偽りは許さん」
自分で言っておいてだが、ゼウスは先ほどの指示との矛盾に眉間の皺が深くなった。
そも、そういった手合いの情報を収集するためにもワルキューレを派遣するのである。
しかし、一万年の修練の果てに単騎でオーディンを倒したのも事実。ゼウスは簡単に負けるつもりはないので、気を置かずに行動がしたかった。
「まさか、御身を傷つけられる人間がいるなど夢にも思っておりません。しかしわたくしどもが離れたスキに下郎に御身を害されたとあっては、慙愧の念に堪えません。何卒……!」
「……あの~~家、ついたんだけど」
言い辛そうに、ロンが振り返る。
どうやら、到着したらしい。ロンがちょっと申し訳なさそうに目的地を指差している。
それを見て、先ほど『粉砕!』と意気軒高だったリゼ・デルタが一言。
「…………家?」
やけに通った声にハッとしたアスラウグにポカッと頭を殴られている。
しかし、リゼの指摘もあながち間違いではない。
いくつかのつっかえ棒に、襤褸を被せただけ。一目でこれを家と判断できる人間は、そう多くはないのではないだろうか。なるほどこれでは2人入るのが精一杯のはずだ。
「なんだよぅ……文句あんのなら、宿屋泊まれって言ったじゃん……」
全員の顔に刻まれていた言葉を読み取ったロンが、若干口を尖らせる。
「部下が失礼した。俺は何も気にしない」
スラム街が不愉快ならそもそもロンの家に上がり込むような提案はしていない。すこし驚いただけだ。
「んじゃ、ちょっと待ってて。妹に話通すから」
最初に比べて何だか気安くなってきたロンだった。
入り口の布を手でめくって家の中に入っていく。すると後ろからおずおずとアスラウグが話しかけてきた。
「あの……本当にここに泊まられるので? 金銭ならばわたくし共がどうにか……」
「そんなに悪いか? 趣が……うん、趣があるじゃないか」
「御身が身を休ませるにも、相応の格というものがございます。ここではあまりにも……」
「アスラウグ、今は俺たちが願い出ている立場だぞ」
「それはその……はい、失礼いたしました」
それはさておき、と護衛の話を蒸し返されていると、ロンが家の中から顔を出した。
「兄ちゃんたちお待たせ。入ってきていいよ。あ~……全員はムリだけど」
入り口の布をめくると、そこには粗末なベッドの上に1人の幼い少女が横になっていた。
「他に家族はいないのか?」
「親は戦争で死んだよ、今は2人だけ。ミーシャ、さっき言ったゼウス……様?」
「ゼウスだ、よろしく頼む」
上体を起こした少女は目が合うとニコッと笑った。
「よろしくお願いします、ミーシャって言います——ゴホッ! ごめん、なさ……ゲホッ! ゴホッ!」
急に口許を押さえて咳き込むミーシャ。ロンが慌てて駆け寄る。ミーシャの顔色と痩せた身体を見るに、およそ健康とは思えなかった。
「妹は生まれてからずっと病気なんだ。でも人に移るようなもんじゃないから大丈夫」
「病気……」
辛そうに咳き込むミーシャを見て、ゼウスは家の外に待機しているワルキューレに振り返った。
「前言撤回だ。護衛の件——1人残ってほしい」
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