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第2話 もっと彼のことを知りたい

 わずかばかりの私物を持ってアベラルド様の屋敷に居を移すと、そこに用意されていた夫婦の寝室は、間が鍵で隔てられただけの二間(ふたま)続きの部屋だった。私の部屋は二室の奥の方にあたり、廊下に出るには前室にあたる夫の部屋を抜ける必要がある。


 こんな間取りになっている理由は、なんでも使用人たちにすら、特に信頼できる者にだけしか白い結婚であることを知らせていないかららしい。帰国してから雇ったばかりの使用人たちには何度か夜這(よば)いの手引きをされたとのことで、用心を重ねているようだった。


「貴方のような立派な殿方に夜這い……でございますか!?」


 寝室の片隅に置かれた応接セットで向かい合いながら、私が驚きの声を上げると。彼はいつもの鉄面皮を少しだけ崩し、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


()(てい)に言えば、既成事実を作って強引に婚姻に持ち込もうという魂胆だ。実はそれが、今回君に契約結婚を申し入れた一番の理由なのだが……俺は少々複雑な生まれでな。先日顔合わせをしてもらった俺の戸籍上の母……あの人は、血筋の上では祖母にあたる」


「あのお義母さまが……」


 突然現れた私にも優しい言葉をくれた義母は、そういえばアベラルド様のご年齢からすると、少々ご高齢といえる方だった。しかし四十を過ぎて子を産む方の話も聞くし、あり得ないことではないと思っていたのだが……。


「では、本当のお母様は?」


「……俺を産んだ人の事を、俺は姉と呼んでいる。姉は十六の時に未婚のまま俺を産み、同時に心を壊して療養を名目に地方へと送られた。そして血筋の上で俺の父親にあたると推定される人は、現王陛下だ」


「なっ……!」


 これは確かに、契約を結ぶまでは理由を明かせないほどの事情だろう。


「しかしながら……それでなぜ、貴方に白い結婚が必要なのですか?」


「俺は物心つく前から、周囲の大人たちの思惑に翻弄されて生きてきた。公に認められた存在ではないとはいえ王が息子と認識している俺を、血族に取り込みたいと考える者達がいる。だがもし俺に子が産まれたら、きっとこの難しい立場まで受け継ぐことになるだろう。俺は自分の子供に、産まれてきたことを呪わせたくはないんだ」


 それはつまり彼自身が、自分が産まれてきたことを呪いながら生きて来たということだろうか。その表情に刻まれた苦悩の陰は深く、私は胸が締め付けられるかのようだった。


「アベラルド様……」


「だからイヴェッタ、安心してくれ。喪服の未亡令嬢と呼ばれるほどに高潔な君を、結婚を笠に着て(けが)すつもりは全くないからな」


 ――そう言って初めて見せてくれた笑みは、自嘲の滲むものだった。


 ずっと私が社交の場に誘われてもお断りを続けていたのは、悲しみに暮れていたこともあるけれど、そのような経済的余裕がなかったということも理由のうちである。だが欠席を続けているうちに、そんな風に呼ばれていたなんて。ため息が出そうになるけれど、彼の口ぶりから不名誉な印象ではなさそうなのは、幸いだったのだろうか。


 だが今は自分の評判なんかより、この人を守りたいと心底願うようになっていた。私には何の力もないけれど、『妻』として守れることはきっとあるはずだ。この人が『夫』として、私を守ってくれようとしているように。



  ◇ ◇ ◇



 アベラルド様と夫婦になってから、早一年が過ぎた。私の妻としての主な役割は、社交の場で彼を襲う悪意、そして意に沿わぬ好意からの防波堤となることだった。


 その分私に向けられる悪意や嫉妬は増えたけど、ちっとも苦にはならなかった。悪意を上手にいなせた時、かわせた時、自分は彼のお役に立てているのだと実感できたからである。彼への恩を少しでも返せるのなら、これ以上のことはない。


 そんな暮らしを続けていた、ある夜。ガラスが割れるような大きな音が響いて、私は飛び起きた。辺りにさっと目を走らせるが、この室内には異常なし。ではこの音は、隣から!?


 私は急いで寝台から抜け出すと、上着も羽織らず隣室へと繋がるドアを叩いた。


「どうかなさったのですか!?」


 間もなくドアが開かれたかと思うと、そこに立っていた夫は、まるで叱られた小さな子どものような顔をしていた。


「夜中に起こしてしまってすまない。寝惚けて鏡にぶつかって、割ってしまったんだ……」


 あのいつ見ても堅苦しく引き締められている眉が、こんなに力なく下がることがあるなんて。


「まあ! ふふっ」


 私が思わず小さくふき出すと、彼はポツリと呟いた。


「……初めて、笑ってくれたな」


「ご、ごめんなさい! その、完璧なあなたでも寝ぼけることなんてあるんだなって、つい……」


 失言を恥じる私に彼は怒ることなく苦笑して、心配はいらないと、優しく部屋に戻るよう促してくれたのだった。




 ――白い仲とはいえせっかく家族となったのだから、もっと彼のことを知りたい。


 そんな思いが日々膨らみ続けていた頃。私の友人だと名乗る女性が、突然屋敷を訪れた。事前の約束はなかったけれど、私はその名と用件を執事から聞かされて、思わず彼女を来客用の応接室へと招き入れた。


 客人は、確かに以前によく見覚えのある顔だった。同じような階級の家に、同じ年の生まれである彼女――ダニエラとは、かつてはよく社交の場で顔を合わせたものである。でもお互いにそれほど趣味の合う相手ではなくて、当時はあまり交流の無い方だったはずだけど……私なんかのか細い伝手(つて)を頼らねばならないほどに、彼女は苦労してきたのだろうか。


 痩せた身体をくたびれたドレスで包み、どこか顔色の悪い姿は、あの頃の私と同じ……。私と同じように遺族年金で暮らしていた彼女は困窮を極め、女中でよいから働き口を探しているのだという。


「でも莫大な賠償金が科せられたせいで、どのお家も貧しい暮らしを強いられているでしょう? そのせいで、なかなか雇ってもらえないのよ……」


 ダニエラは全てに疲れ切った様子で、ため息をついた。

 これはあの時アベラルド様に救っていただかなかった場合の、私自身の姿では――。


 何とか力になりたくて、私はアベラルド様に彼女を雇いたいと頼み込んだ。すると彼は、君の友人ならばと快諾してくれたのだった。


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