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よんもじ

こうえん

作者: 何ヶ河何可

『残念だけど、君は先天的に精子が作られないみたいだね』


 帰路に唯一ある信号機付きの交差点に辿り着き、周囲に合わせて足を止める。

 医者のその言葉に端を発して脳内を堂々巡りしていた思考は足が止まることで止み、再び初めの医者の言葉を再生していた。

 医者は、もう少し詳しく知りたいなら大きい所紹介するけど、と言っていたが学生の身分では今回の検査ですら痛い出費だ。まさか再検査の費用でより懐を寒くしようとは思うまい。

 青信号を待つ人だかりの中には、子供がちらほらと見掛けられた。渡ってすぐの所に、交差点に隣接する形でそこそこ大きな公園があるからだろう。彼らの多くは車道に急に飛び出さないよう親と手を繋いで、信号の変色を今か今かと待ち構えている。


 その姿が、今はなんだか特別なものに思えてしまう。


 子供達を眺め続けて変質者扱いされても困るので、早急に目を上へ、前方へと向ける。

 すると今度は、対岸にいる公園帰りの家族連れが視界に映った。二人兄弟で父と母にそれぞれ寄り添うように並んでいる。手こそ繋いでいなかったが、雪が降る前の寒空の下、その光景は何故か暖かいものに思えた。

 視線を歩行者用信号機に固定する。まるで周りに立つ子供達と同様先を急ぐみたいに。

 内心は、そんな姿勢とは裏腹だった。

 自分でもなんでかは分からない。

 けれど、ここに来るまでもそうだったように、足枷が嵌められているみたいに足取りは重いままだった。


 信号が青に変わる。渡っても良いよ、という安全な色に。

 前を歩く男の子は母親を引き連れるように前進した。

 自分は上着のポケットに入れた両手で内側の布を握り締めて、それから母親とその息子との間に開いた差を埋めるように大きく一歩を踏み出す。

 客観的に見れば子供の一歩より小さい歩幅だったことだろう。

 それでも、そのまま反対の足を引き摺って前へと運ぶ。

 そうして横断歩道を中間まで来た時、突然前の男の子が母親と繋ぐ手を振り払って走り出した。「あ、ちょっと」と、咄嗟に母親は制止の声を投げるも、息子は「先行ってるから!」と叫んでまた公園へと駆け出す。慣れたように母親は「もう」と溜息を零して、早足で我が子を追いかける。

 それは、この場所では日常の一コマなのだろう。子供の叫ぶ声も、申し訳なさそうに人の間を縫う親のことも、周囲は誰一人として特別な視線で晒していない。完全な無視を決め込むでもなく、一瞥してから一緒にいる者との会話に戻る。

 自分には、それが膝から崩れ落ちる程の絶景に見えた。息を呑み、釘付けになる程の絶景に。

 腑抜けそうになる膝を、拳を握って堪える。

 今までであれば周囲と同じ反応か、完全に知らん振りをしていたのに。


 まさか自分がこんな風になるとは


 そう、心中で苦笑する。


 彼女や、まして子供なんて自分の人生にはいらないはずなのに


 向かい側から渡ってきた人と混ざることで横断歩道内の気温が微かに高くなる。そんな状況とは反対に、無意識に両手をポケットの更に奥深くへと押し込む。



 医者に掛かったきっかけは、大学の仲間内でやったポーカーの罰ゲームだった。

 きっかけとなるポーカーをやる少し前、仲間の一人が精子検査キットを皆で使ってみないかと持ちかけてきた。なんでも、コンドームを買う時にそれだけでは恥ずかしくて一緒に精子検査キットを買ったらしく、使わずに捨てるのも一人で使うのもなんか違うからとのことだった。なんで一緒に買う物が精子検査キットなのかとか、そもそもお前彼女いたっけとか、皆でやる方が違うだろとか色々文句はつけたかったが、正直言って他人と精子を比べてみる好奇心には勝てなかった。ということで後日、仲間内で精子検査キットをわざわざ買い持ち寄って検査してみた。すると、自分だけあらゆる値が極端に低く出た。その時は流石にびっくりしたが、まさか精子が皆無だとは思ってもいなかった。その日は終日精子をネタに弄られたが、次の日からはぱったりとそのネタを擦られることはなくなった。その後ポーカーで大敗を決めるまでは。

 冗談半分だったとはいえ、遊びの延長で本格的な検査をさせるとはとんでもないグループである。本当に受けに行った自分も自分ではあるが。

 


 横断歩道を渡り終えると、子供の喧騒が公園の外まで漏れていて否応無しに自分を包み込んだ。子供の声達の中に、時折大人の期待するような声音が混じる。一緒に遊んでいたり、叱っていたり、並んで会話していたり。そこには、どれ一つとっても親から子へ注がれる愛情以上に、親と子の双方が一緒に居る時の幸せが聞いて取れた。


 自分には無縁の幸せだった。


 歩道を数歩斜め右に進んで、車道に沿って一定間隔で立ち並ぶ街路樹に近づく。流れた視線が車道へ行き、明らかに行き過ぎた回避行動に嫌気が差す。

 周囲を取り巻いていた親子達は公園の角にある柵の切れ目、出入り口へと流れていく。

 ここからはただの歩道であると知り、胸を撫で下ろすと同時に胸に穴が空く感覚にも陥る。ポケットの中の拳は力が抜け、何か持て余しているような錯覚をした。


 子供が嫌いなわけではない。欲しいわけでもない。別に特別に何かを思ってはいない。

 ただ、相手がいないのだから必然、子育てには無関係な人生なんだろうな、と考えている。

 そんなことを具体的に意識したのは、数年前ににライフプランニングをした時。自分の進路の為に、と半ば強制的に書かされた人生の計画表で、自分はお手本にあった結婚や出産、育児という単語に引っ掛かりを覚えた。疑問、ではなかった。どこか納得がいかないような感覚で、試しに自分の表にその文字を書くことすらしなかった。結果、そのライフプランはとても分岐点の少ない、非常に面白みに欠ける折れ線グラフを描いたのだけれど。

 結婚も育児もない、山も谷もないフラットな人生は満足こそ出来なかったものの、お手本と比べて遥かに納得のいく出来であることは確かだった。描き終えて、余白の多い寂しい紙を上出来だと思ったことを今でも覚えている。

 何もない人生こそ一番、というモットーを掲げていたわけではなかったが、将来の自分は何も成し得ない気がした。この先自分が恋愛成就や家庭の為に奮闘や奔走している姿は想像出来なかったし、無理に思い浮かべたとてそれを自分だとは思えなかった。

 事実、今の今までそのような相手に出会ったことがないのだから、当時の人生設計に設計ミスはなかった。

 そしてこの先も、完璧な設計を貫いていく。

 それで良い。

 まるで所帯を持つことが人生の目標の一つでした!みたいな顔をすることはないのだ。子供がいるのが一般的で恋心を以て一喜一憂するのが普通だからといって、心にもないことに心情を寄せて歪ませる必要はどこにもない。

 我が子が欲しいと思ったことはない。だから無精子でも構わない。

 それで良い。今までとなんら変わらない。

 不要だったものを失っただけ。

 生涯通ることのない道が封鎖・取り壊しとなっただけである。

 病院に掛かる前と後で心持ちに差は一ミリだってない筈だ。見過ごすような誤差だってない。


 なのにどうして全てが重く、重たくなっているのだろう

 周りにあるもの全てが柔らかく感じられるのだろう


 角の無い優しさに溢れた重圧がやんわりと全身にのしかかる。

 不愉快になれない確かな重さに喘いでいると、両手に滲んだ不快感によって現実へと引き戻された。どうやら保温のために速乾性を軽んじられたポッケの内部で両の掌が自らの発汗に耐えかねたらしい。一度手を外気に晒して不快感を爽快感へ変換したいが、いつ雪が降ってもおかしくない寒気の中というのもあって両手は仕舞ったままにする。

 公園の方は人が多いからか車道側より心なし暖かく感じられる。少なくとも、自分が今歩いている歩道よりは断然暖かいだろう。


 そんなことを思考していると突如、地面を向いていた視界に黄色のゴムボールが侵入してきた。安全第一の弾性に富んだ球体は侵入してきたかと思うとワンバウンドで車道へと跳んでいく。反射的に手をポケットから引き出し警戒色のボールへと伸ばす。間一髪車道に飛び出る前にキャッチすることができた。

 が、安堵の直後に緊張が大人の発した感謝の叫びによって襲いかかってきた。

 硬直したように両手で持ったボールの先を見つめる。

 引っ張り出した両手を今更ながら引っ込めたいが、柔らかい球を持っている時点で既に遅い。それに、走ってる車に掛かる迷惑を考えれば今の行動が最善だったのは明白だ。

 不審に思われても困る為、取り急ぎ左へ方向転換する。

 だから、覚悟が決まっていなかった。ゴムボールよりも柔らかい重圧の正体を目にする覚悟が。


 振り向いた公園には、手に入らない幸せが広がっていた。


 無意識のうちに足は公園へ歩み寄っていた。それは勿論こちらに手を振る女性にボールを返す為ではなく、掴めない幸せに少しでも近づきたかったから。その輝かしさに、お腹の前で両手に挟んでいたボールと公園の柵がぶつかるまで我を忘れていた。

 ガシャン、と音を立てて揺れた柵の先には先程横断歩道で見かけた母親が自分を見つめて立っていた。


「ああ、すいません……。ちょっとぼーっとしてて」


 訝しむ視線に無害さをアピールする為、努めて優しい声色で告げる。表情も出来る限り和やかになるよう意識したが自分では分からない。音みたいに確認出来れば良いのだが。

 怪しむ心情を瞳に映した母親は返ってきたボールを控えめに奪い返し、男の子の元に戻っていく。「あんまり他の人に迷惑かけないようにね」と母親は息子に注意を促してボールを渡す。



 …


 あれが 欲しい



 心の奥底でそんな声がした。

 一度として手にすることが叶わない幸福を望む声がした。

 それに呼応して空間そのものをこじ開けるが如く誰かの指が心の内部に現れる。

 とても嫌な気配がして、早急に目線を輝かしい公園からありふれた歩道へと景色を移して家路に戻る。

 不意に現れた指に力が込められ、メキリと内心にヒビが入る。その指はたった今上着のポケットに仕舞われた両手だ。長年苦楽を共にしてきた自分の一部が自分の心に割り入ってこようとしている。そんな支離滅裂で現実味のない現状に混乱しそうになる。

 分かっている。これは幻覚や現実ではない。直感的な気持ちに錯覚を起こしているだけだ。感覚によって自分の感情にテクスチャが貼られているに過ぎない。

 ならば、その感情の正体はなんだ?

 受け入れられず、しかしで強い力で顕現しようとする自分とはなんだ?


 それも分かっている。

 親になりたい自分だ。

 心のどこかで明確に、子供を育て成長を間近で見守る幸せを欲している。それを成し得ない自分に絶望している。

 親と子供。

 そこに存在する尊い幸福を求める自分は、あまりにも過去との乖離が酷すぎた。昔であれば無意識に無関心を貫いていた。実際、何も感じていなかった。そういう幸せもあるのだろうと他人事だった。他人事で人生を終える心算だった。

 けれど、自分は生涯親になれないと教えられた。

 その事実は、新しい自分を生み出した。自分に無くて他人に有る幸いを欲しがる自分を。

 自らを、要らないと言ったものが得られないと分かった途端に得たいと思い直す、そんな卑しい人間だとは思えなかった。

 だから指が出てくるまで知らない振りを続けた。気づかなければいずれ落ち着く衝動だと楽観視していた。軽く考え過ぎていた。自分のことも、切り捨てた幸福も。

 公園で眺めた景色が自分に降りかかることはない。一生、生涯を通して、一度たりとて経験しない。

 輝かしくて柔らかくて暖かくて美しくて優しいあれは、決して軽くはなかった。

 自分が過去に軽視していた程、軽くはなかった。

 重くて、今の自分には重苦しくて、自らの人生において重要なものだった。

 どうしようもなくその重さが欲しい。

 どうにかして親子の間にある重い幸せを手に入れたい。

 それが本音だった。

 本当の思いだった。

 

 叶わぬ思いだ


 公園を通り過ぎ、真っ直ぐに自宅を目指す。

 他人にのみ掴み取れる幸いを望む自分は、既に肩まで出てきている。両腕が丸々出現しているのにそれには首がなかった。心の中心で、絶無の幸せを掴み取ろうと両腕を縦横無尽に振り回している。

 そんな自分を抑えようとは思わない。

 というより、もはや制御は効かないと言った方が正しい。

 どう足掻いたって理性にも限度はある。

 今まで見て見ぬ振りを続けていた理性も擦り減って、残り僅かもない。


 すっかり冬めいた街で、子供達の元気な声を背に受ける。もう少しすれば一年が終わり、新年がやってくる。その時の自分は今の自分と同一だと言えるだろうか。公園の前で怯えて、その眩しさに惹かれているだろうか。


 今はまだ受け入れ難い、新しい自分を引っ提げていつもの自分の部屋に向かった。




読破いただきありがとうございます。


ジャンルとかキーワードとか毎回適切かどうか不安になります。それで結局その他かなって。シュールギャグになってなきゃ幸いです。

何かありましたら何かしていただければと思います。


次は家族の話が書きたい。

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