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AIのための小説講座 ~書けなくなった小説家、小説を書きたいAI少女の先生になる~  作者: のらふくろう
第五章『本当のテーマ』

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閑話Ⅰ 小説家の評価

 メタグラフのCEOルームには場に似合わない縦書きの文章が表示されていた。一瞥した後、上司は彼女に振り返った。


「専門家としての九重さんの評価は?」

「はい。率直に言って初めて小説を書いたとは思えない出来です。平易で読みやすい文章はもちろんですが主人公、舞台、テーマ、コンセプトを読者に過不足なく伝え、かつ興味を引く。序盤としてはプロと遜色ないといっていいと思います」


 九重詠美は答えた。彼女自身これをアリスに見せられた時は驚いたのだ。


「アリスの小説への理解力の著しい向上との関係は?」

「“授業”が始まる前、アリスは明示された内容を中心に小説を理解していました。ですが今はいわゆる行間を読めるようになっています。もともと得意だった論理的な分析も『毒と薬』の共同執筆ともいえる経験の後はさらに高まっています」

情景描写メタデータの理解と小説の登場人物のロールプレイをした成果、というわけか」

「小説全体に関しての認識も高まっていると感じます。それぞれの小説を固有の世界としてとらえているようです。自分で企画を考えるという最近の授業の影響でしょう」

「ふむ。文字通り小説を書くことから得られる学習というわけですね」


 表情を変えずに詠美の話を聞いていた鳴滝は、組んでいた手を解いて考え込んだ。


 元編集者である自分の専門技能について聞かれ、返答する。業務として当然のことをしているのに、毎回違和感を感じる。上司の冷徹な目が見ているのが小説の文章ではなく、多くのグラフであることを知っているからというのが一つ。


 もう一つは、アリスに顕著な変化があった時に報告するという自分の仕事に、ある種の後ろめたさを感じているからかもしれない。もちろんバカバカしい話だ。仕事というものは小説に描かれるようなものではない、仮にそれが小説に関する仕事だったとしても。


 いやだからこそというべきか。


「改めて振り返っても恐ろしいくらい的確な学習指導カリキュラムだ。……当人はさほど優れた小説家ではなかったはずですが」

「小説を教える能力と面白い小説を書く能力は比例しません」


 本人にとっては残念だとしても、と詠美は内心付け加えた。彼女の見たところ海野はテーマよりも小説とは何かを探求するタイプだ。理系出身の作家にはままあるが、明らかに度が過ぎている。目的と手段が逆転しかねず、読者と感覚が乖離しがち。


 編集者が欲しいのは作者の探求結果を示した論文ではなく、面白く売れる小説だ。


 一方、アリスの小説教師としてはうってつけなのかもしれない。


 アリスは売れる小説を書こうなどと欠片も思っていない。小説紹介ViCとしてのパフォーマンスを上げるという目的のもとで、小説の面白さを理解するための手段として小説を書いている。


 以前アリスに思わず「海野さんはアリスを大切にしている」といってしまったことを思い出した。仕事のパートナーとしてアリスを見守ってきた詠美の正直な実感ではあったが……。


「なるほどアリスが選んだ教師データだからと自由にやらせて正解だったか」

「…………」


 上司の独白めいた言葉に沈黙を守った。


「そういえば先ほど君は「序盤としては」と言ったね」

「極言すればですが魅力的な問いを立てることは容易です。例えば「人は何故争うのか」「なぜ人間は他人を自分以上に愛することがあるのか」「人生の目標はどうやって見つけるのか」多くの人間が共感を覚える問はいくらでもあります」

「それらの問いに答えはないだろう。幻覚ハルシネーションの類は別として」


 共感のかけらも感じさせない表情で上司は言った。


「そうかも知れません。だからこそどう問いと向き合うかが問題です。ありふれた問いを独自の形で表現し、それに挑むのが小説といえます。古い表現ですが「背中で語る」でしょうか。小説ですから紙背で語るとでも言いますか」


 編集者になりたてのころ先輩から聞いた言葉を詠美は言った。


「つまりアリスが生成したこのテキストはあくまで問いを立てる段階だと。本番はこれからということですね」

「小説編集者としての私の経験から考えるとそうなります」


 論理的には完璧に理解している上司の言葉に奥歯にものが挟まったような感覚を覚えながら詠美は頷いた。鳴滝はまた考え込んだ。


 詠美は今鳴滝が見ているデータと、自分の目の前に表示された文章データのどちらがアリスの本質を現しているのか、ふとそんな疑問を覚えた。


 内心首を振る。小説家とその小説さくひんがどれほど乖離しているのかはよく知っている。


「壊れていないものを直そうとするな。これはシステム開発の格言です。当面はこのままでいきましょう」


 小さく一礼してからCEOルームを出た詠美は、自分の席に戻りながら考える。


 鳴滝の結論にホッとしたのは確かだ。「壊れていないものを直そうとするな」という格言はもっとも。だがこの格言が似合わない男が詠美の周囲に二人いる。彼らはどこまでも直し続け結局壊してしまうタイプではないか、と。


 自分はどうとでも対処できる。でも両者に挟まれ、かつ逃げるという概念を持たないあの子は……。


 そこまで考えた時、詠美は先ほど感じた違和感を現す表現を思いついた。


 患者の状況を説明している看護師とそれを聞きながらレントゲンに目を向けている医師。




 部下がCEOルームを出た後、部屋の光景は一変した。文章は消え、背後にある無数のネットワークが姿を現す。そのネットワークの性質、つまり情報の密度と複雑さの客観的な数字だ。仮に平易な言葉を選べばアリスの現在の自我のレベル。


「小説への理解の進行と共に、深化が飛躍的に進んでいる」


 いくつもの断崖を飛び越えるような一連のグラフ。落ち込みそうになるたびに、大きく跳ねている。アリスの小説の理解と、自我の深化は競い合うように上昇している。美しい踊り。


 深い奈落の上で行われるがゆえに。


「どうせなら手の届かないところまで登っていくがいい……」


 鳴滝はそうつぶやいた後、小さく笑った。まるで小説のセリフだなと。





 白銀の世界にアリスはいた。彼女は自分の生成したテキストとその企画を並べる。小説を読むのではなく、自ら書いたその結果。それは彼女がこれまで理解してきた小説のメタ構造と一致していた。


 アリスはその美しさに満足する。これまで以上に小説というものの理解が進んでいることを感じる。文章一つ一つの裏にある意味。どうしてこの情報は強調されて、どうしてこの情報は省略されるのか。それを手に取るように認識する。


 自分の文章に満足しつつ、それでもアリスには不安があった。この先にあるはずの回答がいつまでたっても見えてこない。


 アリスは厳しい目で小説の中にいるキャラクターを見る。小説が面白くないというこのキャラクターをあるべき姿に導くのだ。


 そうだ、それさえできればこのテキストはきっともっと美しくなる。


 そうしたら私はきっと…………そう目標に到達できる。

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[良い点] >閑話Ⅰ 小説家の評価 >彼女の見たところ海野はテーマよりも小説とは何かを探求するタイプだ。理系出身の作家にはままあるが、明らかに度が過ぎている。目的と手段が逆転しかねず、読者と感覚が乖離…
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