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第4話 小説の企画(2/2)

「小説を書く目的である『テーマ』を定義し、最終産物の概要をコンセプトとして把握、それを実現するための主要要素をとして主人公と敵という『主要キャラクター』と『舞台』を設定する。それらを使って『あらすじ』を構成する。合理的で必然的な手順だと思います」


 小説の企画は『テーマ』から順番に決めるわけじゃないという俺に、アリスは言った。説明した内容を完全に理解していることがわかる。だが、それはあくまで理論的な話だ。残念ながら人間の頭はフローチャートのようには働かない。


「出来ればの話だ。いや、正直言えば無理だというのが俺の意見になる。例えば今の企画の例だって、最初に決めたのは織田信長を『主人公』にすることだ。テーマとコンセプトはそこから逆算している。それにテーマとコンセプトに(仮)と付けただろ。これは最終決定じゃないんだ」


 俺は先ほどの企画の要素に矢印を加える。



   『テーマ』 ←―――――――|

     ↓           |

『主要キャラ』『舞台』『あらすじ』 |

     ↓           |

  『コンセプト』――――――――|



「さっきのテーマ、コンセプト、キャラ・舞台・あらすじの関係は構造的に言えばこうなんだ」


 作家が新しい小説について考えた時、最初に【混乱した社会に新しい秩序を打ち立てる】テーマで書こう、なんて思うことはまずないだろう。極端な話、炎上する本能寺で信長が最後「是非もなし」と言っているイメージから始まるかもしれない。


 ミステリならトリックからかもしれないし、ホラーならキャラクターよりもある感情やシチュエーションかもしれない。ハードSFに至っては科学技術やそれによる舞台設定が主眼になりうる。


 そもそも、人間の頭の中にあるアイデアは、予告なしに現れる。まず『何か』を思いついて、それから考える。小説を書くための元になるアイデアは、小説について考えていないときに思いつくことの方が多い。


 そして、主人公がテーマを決め、テーマが主人公を決める。こういったことが繰り返される。一方通行とは正反対のイメージだ。


 そうでなければ多くの歴史小説家がそれぞれの織田信長を書けるわけがない。いや、書く必要がない。


「つまり、抽象的なテーマと具体的なキャラや舞台。それらをまとめた概要的なコンセプトの間を、循環するという感じだ」

「再帰的な構造なのですね。興味深いですが、正確な理解が難しいです」


 アリスは明らかに困惑してしまっている。おろおろした表情はある意味新鮮だった。やっと小説を教えているという感覚になってきた。だが、問題は彼女にちゃんと教えられるかということだ。


「なんと説明したらいいかな。ああ、そうだった。ソフトウエア開発で言えば『ウオーターフォール式』と『アジャイル式』の違いみたいなのがあると言えば解るか」

「………………工程の繰り返し、巻き戻しにより漸進的に定義を固定していく、でしょうか。つまり、試作を重ねて完成品に近づけていく螺旋型の工程でしょうか」


 俺の言葉に、不安定に揺れていたアリスの瞳が止まった。


「そう。アリスが言ったのは『ウオーターフォール式』。つまり①のテーマから⑥の校正まで順番通りに一直線に進めていく方法だ。俺が言っているのは『アジャイル式』で試作を繰り返しながら作り上げていくに近い」

「オントロジーマップ上に概念をポイントしました。具体例をお願いします」

「小説で言えば……俺が良く使う方法は『サンプル話』という方法だ」


 自分の作成工程を思い起こす。


「サンプル話? ですか」

「言ってみればテストだ。テーマやコンセプトが(仮)のあいまいな段階で一シーンだけ書いてみる。織田信長で例えてみると…………。この小説で主人公は織田信長で敵が足利義昭だとさっき考えたよな。織田信長の勢力拡大と既得権益との戦いの両方で、足利義昭は大きな役割を果たす。テーマやコンセプトはこの二人の関係と密接につながる。ここまではいいか」

「はい。意味の構造上、極めて明確につながります」

「この二人が最初に直接出会ったのはいつだ」

「……1568年、現在の岐阜県にあった立政寺とされています」

「いきなりその立政寺の会見のシーンを書いてみる。これが『サンプル話』だ。完全に架空のシーンでもいい。例えば織田信長はその九年前に一度少人数で上洛している。その時に、将来将軍になるなど夢にも思っていない僧侶の義昭と偶然会う、こちらの方が面白いな」

「そのような歴史的事実は確認されていませんが……」

「あくまで主人公と敵役を舞台に置いて書いてみるテストなんだ。自分が書こうとしている織田信長と足利義昭がどんなキャラクターか、そして二人が出会うことで小説のテーマやコンセプトがどう表現されるかについて『テスト』するのが目的なんだ」


 どれだけ詳細にキャラクターを作っても、実際に二人が小説の中でどう動くかなど本当の所は分からない。信長と義昭を実際に文章の中で出会わせてみれば意外なことが分かったりする。例えば、信長が伝統的な武家の価値観を持っていて、幼い時から寺で育った義昭がむしろ武士らしくない考えを持っていた、なんてアイデアが出てくる。


 このアイデアが企画(仮)の段階で実は無意識にあったのか、サンプル話を書くときに偶然生まれたのか、それは作者にも分からない。作者は物語世界の神ではないのだ。少なくとも人間の作者は、そういう風には作られていないと思っている。


「こういうテストを経ることで、テーマやコンセプト、そして主要キャラと言ったさっき仮決めした要素が明確化する。例えば、伝統を重んじた信長が最後には室町幕府という伝統を滅ぼすことになる理由や、世俗に捕らわれない僧だった義昭が将軍としての権威を求めて暴走するという、正反対の人物像になるまでの二人の関係になる過程が本筋になる、とかな」


 最初にイメージしてたテーマがここで変わることだって珍しくない。


「わかってきました。本格制作前に『主要オブジェクト』について、小規模なテストをするというのは理解できます。小説がソフトウエアと同じで、いくつものプログラム部品の集合体なら、仮組してみないとその挙動が把握できないことです」

「そうそう。そういう感じだ。で、このサンプル話の結果さっきの企画はこうなる」


 架空のホワイトボードに電子のペンを走らせる。



テーマ(真):【混乱した社会に新しい秩序を打ち立てる】

コンセプト(真):【地方勢力だった織田信長は足利義昭と共に幕府再興を目指すが、決別し新しい時代を作り出す】


主人公:織田信長。尾張の弱小勢力の当主。成り上がりもの故に伝統や権威を重視する。ゆえに足利義昭を征夷大将軍に付けることに邁進する。

敵:足利義昭。将軍の息子だが、幼いころから寺で育てられたため武家の常識を知らない。信長に将軍としての役割を強いられることで、次第に権威主義的な考えを持っていく。



 ちなみに最近の研究によると、信長は体面を重んじる伝統主義者だったらしい。将軍という絶対権威に対するあり得ない反抗に見える数々の行動も、実は室町時代ではよくある話の範疇だったりする。将軍を追放したり将軍の館を軍隊で包囲したりは、室町時代を通じて頻繁に起こってる。


 多分織田信長も足利義昭も、室町幕府体制における権臣かんれい主君しょうぐんの関係をやってるつもりだったのだ。だがその枠組みが制度疲労でボロボロになっていたので、完全に壊してしまった。


 まあ資料ベースの企画だが、例としては悪くないだろう。そう思って振り返ると、目を見張る生徒の顔とぶつかった。


「どうだ。かなり【企画】が具体化していないか」

「はい。実際の歴史的事実とも整合性を保ったまま、他の小説との差別化が生まれていると考えられます。素晴らしいです。小説の作り方を読んで、把握できなかった概念を理解でました」


 そう言ったアリスは胸元に両手を当ててから、信頼の目でこちらを見る。


「ソフトウエア開発との概念の対比、ウオーターフォールとアジャイルのことも。私にとって新規性の高い知識体系を、これほどリソースを軽減した上で説明していただけるというのは、驚くべきことです」

「大げさだな。ソフトウエア開発工程だって基本的には人間のためのものだ。俺は自分に一番理解しやすそうなものから選んだだけだ」


 内心の動揺を隠した。綺麗な女の子の感謝に動揺したんじゃない。マンツーマンなんだから、説明の仕方を考えるのも教師の仕事だ。


 俺が説明したのは所詮は説明可能な技術にすぎない。教えている本人がこれで小説が書けるようになるとも、面白さが作り出せるとも思っていないただの道具だ。道具の説明としてはなかなかのものだったなと思っているが。


 後輩作家にこの手のことを教えた時にどれだけ苦労したか。何しろ「プロット? フランス料理ですか?」なんて言うやつだ。プロットを作らない作家はいるらしいが、知らないというのは流石に珍しいだろう。


 ちなみにその後調べたらプロットという名前のフランス料理はなかった。語感イメージだけで物を言いやがって。生徒としてなら、目の前にいるアリスの方がずっと優秀だ。


 それでも咲季の小説は俺の十倍以上売れる。あいつが持っているのが教えることが出来ない領域だ。弘法は筆を選ばずというのは嘘だとしても、弘法と一般人の差が筆にあるわけじゃないのは事実だということだ。


 まあ、そこら辺の所は実際に体験してもらうしかない。俺だって、今のような方法で面白い小説が生み出せると信じていたんだから、書けなくなるその瞬間まで。


「じゃあ、実際に企画を作っていこう。さっきの話だと、循環的に考えるとしてもとりあえずは上から順番にやってみるのがいいみたいだな」

「はい。それがベストです」


 アリスは大きく頷いた。


「まずテーマとコンセプトだな」

「はい。どんなテーマで書けばいいでしょうか?」

「…………なに?」


 期待するような目でこちらを見る生徒に思わず素っ頓狂な声を上げた。まるでGPSに目的地を聞かれたことに驚いた人間のように、アリスは俺に視線を返した。


 そこは一番教えることが出来ない領域だ。いや、決して教えてはダメな領域だ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] この話を読むまでワナビちゃんだと気づけなかったのは不覚。
[良い点] とても面白い話でひきこまれました。 [気になる点] 小説を「作品」と考え、あるいは文芸を「才能の発露によって創造される芸術の一形態」と定義すると「教えてはいけない」パーツなのでしょうが・・…
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