第4話 シオン
「ワールド・ジェネレイト社のシオンです。今回は私のパフォーマンスチューニングをよろしくお願いします海野様」
「こちらこそよろしく。シオン」
シオンは紫髪の細身の女性型ViCだった。怜悧な美貌と表情、右目のモノクルから機械的印象を感じる。
「紹介する。アリスだ。今回のメンテナンスを補佐してくれる」
「助手ということで了解しています、海野様」
アリスと一瞬だけ目を合わせた後、シオンが答えたのは俺だった。アリスもそれを気にする様子はない。あくまで人間の相手というスタンスだ。これはアリスにもみられるパターンではある。
鳴滝の言っていたViC同士の接触の制限で、アリスはあくまで俺の助手という形になっている。つまり、俺がシオンを取材して、アリスは俺を補佐する形だ。ただし、後のことは俺のやり方次第だと言われている。
奴は「マクロマネージメントです」と言っていた。俺は横文字で誤魔化されない。マクロマネージメントいうのは目的を上司が決めて実行手段は部下に委ねる手法だ。今回の目的を決めたのは誰だ? こういうのを日本語では『丸投げ』っていうんだ。
「まず客観的にシオンの仕事を見たい」
「分かりました。では実際に見ていただきましょう」
シオンの言葉と同時にバーチャルルームの風景が一変した。
円形の城塞都市を背景に平原が広がる。ファンタジー世界に背広の男と女子大生が立っているのはまるで異世界転移だ。詳しくないが。
一方シオンは冒険者風のファンタジー衣装に変わっていた。下調べした時に見たゲームのプレイヤーの格好だ。太ももやおへそなど少し目のやり場に困る露出度だ。
「複写原典」
シオンの言葉と共にバーチャル空間にハードカバーが現れた。革表紙のような質感の表面には浮彫のような蛍光色の模様が刻まれ、四隅が鋲で止められている。博物館で見た中世の古本を新品にしたような造形だ。これがプレイヤーが一人一冊与えられる魔術辞書だな。
魔術辞書を閉じている留め金にメダルのようなものがついている。シオンがメダルに掌を押し当てると、表面の浮き彫りに紫の光が走り、本が開いた。一ページ目に書かれたイラストから三等身のシオンが空中に現れた。魔術辞書に付随する精霊だ。名称は精霊のジンとジェネレイトを掛けているのだろう。
「【大地】と【大気】の交わりをもって【雷鳴】を纏いし【一振り】を発現せよ」
呪文と共に魔術書からいくつもの記号が空中に飛び出した。それが魔法陣を構成すると、電流を纏った西洋剣に変化した。同時に前方の地面が盛り上がり、もぐらと牛を合わせたような巨大モンスターが出現した。
螺子くれた三本の角を構えた巨大モンスターはこちらに突っ込んでくる。CGとわかっていても逃げ出したくなるような迫力だ。だが、巨獣に相対した冒険者シオンは臆することなく、次の呪文を唱える。
「【一振り】の力をもって雷光の【一撃】を成し【敵】を切り裂け」
言葉と共に剣から雷鳴のような一閃が発生し、モンスターに向かって飛ぶ。稲妻の魔法は振り下ろす鉤爪の剛腕を切り飛ばすと同時に、その巨体全体を雷撃で感電させる。モンスターは倒れ、地面に吸い込まれるように消えた。残ったのはシオンが最初に魔術書から出したのと同じような記号だ。
「今の魔法? あらかじめ決められたものじゃないんだよな。自然言語で即興だって話だけど。どうやってそんな自由度を実現しているんだ?」
「実際には最低限の枠組みがあります。魔法にはクラスとエレメントが設定されており、クラスは錬金術、熱、運動、空間で、エレメントはいわゆる地水風火の四種類です。例えば剣は錬金術クラスの土エレメントです」
「魔法の中では剣を【一振り】って表現していたよな」
「はい。プレイヤーが魔法を使いこなすと共に、ジェンもプレイヤーの意図を学んでいきます。結果としてプレイヤーごとのオリジナルの魔法が創成されていくわけです」
「なるほど。面白いな」
ある意味ワープロソフトのIME機能に近い。
「プレイヤーの入力した呪文は魔術ライブラリーの四×四の十六次元を基本に、自然言語のベクトル空間に変換します。個々の魔法はその一点なのですが、その一点は多次元のベクトル空間を内包しています」
空中に十六本の軸と、それによって作られる空間内に配置されるウニの様な球形が配置される。
「最新の『入れ子状ベクトル空間』の応用って感じか」
「そういうことになります」
自然言語の自由さと魔法システムの整合性というわけだ。言語による人間とのコミュニケーション能力をその基幹とするViCの役割として分かりやすい。ただ、どちらかと言えば翻訳に近いか……。
「ありがとう。このゲームの特色である魔法システムについては分かった。次はゲーム世界の全体像を見たい」
「了解しました」
シオンの案内で街から山岳地帯、海中、そしてダンジョンまで案内してもらう。流石人気タイトルだけあって、多彩な舞台がそろっていた。また、街の位置やインフラからダンジョンの生成の仕組みまで、すべてに最初に説明された魔法システムが関わっていた。
一通りの説明を受けた俺たちは最初のポイントにもどった。
「魔法システムが中心に全てが出来ている舞台っていうのはこういうことか。自然言語に密接につながった魔法はそういう意味でも使い勝手がいいんだな。おかげでよくわかったよ」
「ありがとうございます」
短時間で理解できたのはシオンの説明能力の高さあってのことだ。流石はシリーズに寄り添ってきたViCだけのことはある。
「アリスはどう思った。今の説明について」
「はい。この魔術辞書はプログラムにおけるライブラリーのようなものだということでしょうか。プレイヤーはこのライブラリーを自然言語でプログラムをしているように感じました」
「なるほど。しっくりくる例えだな。そうするといくつかのキーワードはプログラム言語の予約語みたいに固定されているのかな。ジェンはいわばコンパイラだ」
魔法をプログラムに例えるのは定番だが、この魔法システムは自然言語によるプログラムを独自の舞台設定にフルに生かしている。世界自体も設定上は同様の魔法なのだから、文字通り魔法で作られた世界の中の魔法を操って遊ぶゲームだ。
「シオン、今の質問はどうなる?」
「はい。海野様の予約語の解釈は正しいです。コンパイラとの対比も適切だと考えます」
「あっ、いやアリスの質問だ。この魔術書とプログラミングの関数ライブラリーに例えることの」
「申し訳ありませんが、そのような危険なことはできません」
「危険?」
思わず聞き返した。ViCが人間の言葉をはっきり拒否するのはいわば緊急事態だ。鳴滝じゃあるまいし、人類滅亡につながるようなことを言った覚えはないんだが。いや、そうだあまりにしっかりしているから忘れかけていたが、シオンは問題を抱えているんだった。
「すまない。シオンにとって悪影響があるってことだな」
俺の言葉にシオンは小さく首を振った。
「そうではありません。C3-093245:アリスにとっての危険です。私とアリスでは情報の密度が違います。特にC3-093245は学習モードのようです。私とのやり取りは負荷となるでしょう」
一瞬、生徒を馬鹿にされた気になった。だが、シオンは必要なことを言ったといった顔だ。そこに悪意や侮蔑の色はかけらもない。アリスもまったく気にした様子はない。
落ち着こう。人間の感覚を押し付けるのはそれこそ危険だ。シオンの言葉がマウントに聞こえるのは俺が進化しきれないサルである証明かもしれない。
もしかして鳴滝が言っていた禁止の理由か。奴が怪しすぎるせいでSF的人類の危機を想像していたんだが。っていうか、後は俺の手腕次第ってまさかそういうことなのか。アリスの危険なんて聞いていないぞ。
「午後からはアリスに聞き取りをしてもらうつもりだったんだ。その情報密度に配慮したらアリスの質問に直接応じてもらうことが出来るか?」
「海野様の方で調整されるというのなら、最大限対応したいと思います」
「わかった。アリスと相談してみる。ええっと、アリスはそれでいいか」
「問題ありません。ここまでで得られたデータで私も先生にいくつか質問があります」
「わかった。シオン、教えてくれて助かったよ。じゃあ午後またよろしく頼む」
「…………了解しました。それではお食事後にまたお待ちしております」
シオンは一瞬だけ驚きの表情をしたあと、礼儀正しく言った。
俺はアリスと一緒に部屋を出た。まさかの事態だ。アリスにちゃんと危険性のことを聞いて取材方針を立てなければいけない。廊下に出た瞬間に消えてしまったアリスのことを考えながら社員食堂に向かう。
そう言えばシオンのどこに問題があるのかは全く分からなかったな。もちろん俺に分かるはずがないし、それは鳴滝の仕事だ。俺は俺の仕事に集中しなければ。




