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AIのための小説講座 ~書けなくなった小説家、小説を書きたいAI少女の先生になる~  作者: のらふくろう
第二章 人間&AI

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第9話 第一幕(2/2)

「宮本胡狼とリリーの『死のフローチャート』。これは序盤のお手本といっていい構成だよ」


 俺が敵? に対する評価を告げるとアリスは小さく首をかしげて見せた。


「ここまでの範囲で分析すればですが、私には人が次々と死んでいくだけの単調な内容だと感じていました。それに、被害者が一カ所に集まり安全を確保するという妥当な行動を、自動運航装置に故障がおきて分散を強いたのは物語のために必要でしょうが、同時に唐突に感じました」


 俺は頷いた。アリスの冷静な分析は探偵さながらだ。だが読者は探偵ではない。


「確かに意味もなく人が死んでいくし、自動運航装置の件は明らかにご都合主義だ。ただ単調とは言えない。この死んだだけの三人はちゃんと役割を果たしているんだ」


 ホワイトボードに『死のフローチャート』のキャラクターを書く。そして第一、第二の被害者にバツを付けた。


「この二人は作中でほとんど情報が出ないまま殺されている。本来退屈になりがちな舞台とルールの説明を、次々と人が死んでいくというエキサイティングな展開により、雰囲気を盛り上げながら実施している。そして三人目の被害者だが」


 俺は三人目に大きめのバツを付けながら続ける。


「この赤井は最初に探偵に突っかかったキャラクターだ。こいつの死にはもう少し大きな意味がある。まず、状況が探偵の不利に大きく傾いたことを象徴する節目の殺人だ。さらに探偵が自分を怒鳴りつけた相手すら、ゲームの駒としか見ていないことを示して、改めて探偵のサイコパスを強調する。被害を防ぐために推理するのではなく、推理のために被害者を望むというのはこの作品の根幹だ」

「…………なるほど。いわば舞台と主役、そしてコンセプトの紹介のためなのですね」


 アリスは「理解不足でした」といって、頷いた。彼女の小説の読み方は、まず全体を把握してそののちに部分の意味を全体から理解するという順番だ。連載形式だとどうしても分析が浅くなる。


「今のお話でしたら、先生は『死のフローチャート』の今後の展開も予測できているのでしょうか」

「出来てもあまり意味はないんだが。そうだな、まず三人が死んだことで登場人物の数が扱いやすくなっただろ。ここからキャラクターの個別シーンや、キャラクター同士の関係などを描きやすい。ここからしばらくそういうシーンが続いて、そして探偵の推理により最初の一人が有罪になる。おそらく殺人者の方だ。これが真ん中までのプロットかな」

「ルール的には殺人者が主犯ですよね。先に断罪される理由があるのでしょうか」


 アリスは俺の推理に目を輝かせて聞いてくる。これ外れてたら赤っ恥だな。授業でもあるのだから構成のイロハを説明しておこう。


「まず、第一幕を抜けたところで現在は探偵不利だ。そこから中間点ミッドポイントに向けて鮮やかな逆転を演出する。その為には協力者ではなく殺人者を倒す方がいい。そして、そして従犯だったはずの共犯者が真の殺人者として覚醒する。逆転したと思わせてさらに逆転、そして最後の探偵の勝利だ」


 俺はホワイトボードに二つの山と谷を描いた。典型的な三幕構成だ。誰が書いてもそれなりに面白くなる。


「もしかして先生は犯人二人がもうわかっているのですか?」

「現時点の情報だと白矢と青田だな」


 サイコパスの探偵とは対照的な誠実で責任感のあるリーダーの白矢が殺人者、推理を妨害している青田が共犯者だ。俺の説明にアリスは感心したように「流石先生です」とほめてくれる。俺は首を振る。


「これはあくまで教科書的な展開だったらだ。作家なら予想できる典型的な展開なんだ。逆に、予想できるような展開を使って盛り上げることが出来ている『死のフローチャート』に力があるということだ。その理由は何よりも探偵しゅやくが斬新な特徴を持っているからだ」


 サイコパス探偵が斬新だからこそ展開は典型的でいい。いや多人数の連続殺人ものという意味では典型的な方がいい。一方、俺の予想は知識さえあれば誰でもできる。この手の技術がどれだけ巧みでもそれ自体に小説としての価値はない。


 技術というのは才能のためにある。才能があれば通り一遍の技術で面白い小説が出来るし、才能がなければ達人的な技術でつまらない小説が出来る。本格ミステリはその例外に最も近いところに位置するが、それでもだ。


 そして、それに関して俺と胡狼は……。


「何度聞いても作り出す側からの視点は素晴らしいです。作品要素の裏にあるメタデータが明確に理解できます。しかし私の評価では第一幕の要素の提示という意味で『毒と薬』が劣っているようには思えません。実際、九重さんは現時点での読者の反応は五作品の中で『毒と薬』と『死のフローチャート』が抜けているとのことです」

「…………俺もここに来る前に聞いた。現時点では互角って話だった。俺たちの小説も出来ているからな」


 派手な展開が一切ない分、ちゃんとした構成じゃないと小説はなしにならない。逆に言えば構成的には『毒と薬』の方が精緻だということだ。アリスの言う通り、向こうは人が死んでいるだけ。それにデスゲーム的なあからさまさも目立つ。


 思った以上に強敵なのは確かだが、インパクトが薄れた時どうなるかまだ分からない。これが現時点での俺の分析だ。


「小説コンペで相手に対して何かできるわけじゃないからな。自分たちの小説に集中しよう」

「はい。私はちゃんと真理亜をできているでしょうか。私の思考は読者に不自然に感じられるのではないでしょうか。それがやはり心配です」

「いや、探偵役としては問題ない。というか、むしろそれがいい方向に繋がっている。『債券崩壊』で文章の中に人間を感じ取った経験が生きてるんじゃないか」

「はい。まるで内側から小説を見ているみたいです。とても興味深い学習です」


 心配そうに俺を見ていたアリスは、きゅっと両手を握りしめて嬉しそうに言った。アリスが作り出す真理亜の思考が探偵らしいキャラを演出できている。これに関しては狙い通り、いやそれ以上だ。


「そうだな、強いて言えば二話と三話で両方天気が雨だったのは変化が足りなかったな。雰囲気が単調になってしまう。三話目の真理亜のシーンは梅雨明けだからな」

「友人の死について考えるシーンですから、天気で悲しみを表現しようと思ったのです」

「ああ、情景描写として機能している。俺も納得して文章化した。今続けて読んだら引っかかっただけだ。むしろ俺の責任が大きい」


 連載ペースに必死で細部への気が回らなかった。この程度は許容範囲だ。読者が離れるとしたら天気が変わらなかったからではなく、その天気の下にある探偵vs犯人に魅力がない場合だ。


 だからこそここからの展開が大事だ。ここからいよいよ本格的に犯人と探偵の頭脳戦、心理戦が始まる。


「第二幕は芽衣子ひがいしゃを殺した毒物に真理亜たんていが迫っていく。その間の節目節目に山岸と会うパターンだな。倒叙もので刑事が犯人の前に繰り返し表れて、ぼろを出させようと質問を繰り返すのと同じ流れだ」

「真理亜が自分の仮説を山岸にぶつけて、その反応が新たなヒントになってという連鎖ですね」

「ただ『毒と薬』は探偵役と犯人の人間関係の変化がポイントだ。山岸はだんだん真実に迫ってくる真理亜に脅威を感じ始める。これを表現する必要がある」


 俺は考えていたパターンを説明する。構成というのは技術で済むから本当に簡単でいい。


「山岸は高慢な反面小心なエリートだ。真理亜に脅威を感じるからこそ虚勢を張る。次は自分から誘うだろう、有名イタリアンレストランのランチあたりが相場だな」

「今の条件ならディナーの方がインパクトが大きいように思えます、どうしてランチなのでしょうか」

「その次をディナーにするためだ。星の付くような高級フレンチだ。つまり山岸が真理亜に追い詰められていく様を対決場所のランクで象徴していく」


 相手が怖ければ怖いほど、自分を大きく見せようとする哀れな犯人。読者にも山岸が追い詰められていくことが伝わるはずだ。


「私……真理亜の役目なら、むしろ山岸に対する不信感をもつ、という流れですね」

「そうそう、そういう感じだ」


 アリスは期待通りの答えを返してきた。これで二幕から本格的に始まる探偵vs犯人の対決を盛り上げる構成は固まった。


 肝心のトリック本体だが、これは製薬会社の研究者と薬学部学生の皮を被ってはいても、警察の科学捜査ものだ。基本的に丁寧に説明していけば成立する。


「明確なプロットです。私もこれに合わせて頑張ります」

「ああ、期待している……」


 俺の計画にアリスは頷いた。俺の計画は順調に進んでいる。彼女きょうはんしゃもしっかり仕事をしてくれている。




 地下鉄は最も人工的な交通機関といえるだろう。コンクリートで囲まれた経路をスケジュール通りに次の駅、その次の駅、また次の駅、そして目的地へと進む。俺はその恩恵をいつも受けている。


 ただ、もしこれが小説ならこれほどつまらない作品もないだろう。

 だが、もしその小説が『本格ミステリ』なら、他に方法があるだろうか?


 一定のリズムで揺られる俺の中に相反する思考が揺れる。


 『毒と薬』を順調に書き進めながら、同時に離れない感覚がある。これではいけないという不条理な感覚だ。もしこの列車の運転手が同じことを考えているなら、俺は次の駅で列車から飛びだすだろう。間違いなくそうする。


 だが小説家としての俺はこの順調さが恐ろしい。まるで『奈落の上の輪舞』を書いていた時のような……。


 この列車しょうせつは一体どこに行く? それを俺は知っている?


 列車の振動に負けずと首を振った。これは本格ミステリだ。答えに向かって綿密に破綻なく書き進めることが必要とされる特殊な分野だ。そもそも、犯人と探偵の対決をアドリブにすることで、リスクを取っているといってもいい。



 俺は最善に近い執筆を行っている。

 アリスも頑張っている。さっきも最良の答えを返してくれた。



 だが、執筆というのは最良とか最善に価値を求める行為だったか? 最良とか最善程度で足りる行為だったか?


 …………果たして俺はこの小説を面白いと思って書いているのか?


 気が付いたら立ち上がった俺はドアの前にいた。列車がゆっくりと停止した。開いたドアからホームの駅名が見える。俺は首を振り、いつもの駅で降りた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 作者さんの筆力に尊敬の念を深めながら読んでいます。主人公の執筆への向き合い方が彼をすごく魅力的にしていると感じます。 [一言] 体調にお気をつけて、執筆を続けてくださると嬉しいです!
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