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AIのための小説講座 ~書けなくなった小説家、小説を書きたいAI少女の先生になる~  作者: のらふくろう
第二章 人間&AI

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第7話 物語の誕生日

 液晶に浮かぶ数字と化学式、普段なら難なく認知できるそれらを私の頭脳は拒否する。キーボードの上に浮いた指は先ほどから思い出したように空中を掻くだけだ。


 画面の隅に小さく表示された時刻を確認する。


17:13


 さっき確認した時は『17:11』だった。その前は『17:08』。では次は『17:14』だろうか。約束の時間が近づくにつれて心の余裕が失われていることを示す客観的な指標。


 落ち着く必要がある。ただし己が意志の力にそれを求めてはならない。意志力というものには、それが一番必要な時に枯渇するという性質を持つのだから。そうでなければ生活習慣病の関連薬があれほどの売り上げを得るはずがないのだ。


 意志で体を制御するのではなく、体の動きで意思を制御する。


 小さく息を整え、ゆっくりと周りを見る。


 木目調のインテリアによってデザインされた洗練された店内。商業区の喫茶店らしくビジネスマンが多い。私のようにノートパソコンを広げている人間も見られる。あんなことがあっても世界は何も変わらない。ならば私もいつも通りでいるべきだ。


 再び時刻を確認しようとした時、ベルが金属音を立てた。店内に入ってきた黒髪の美人が奥の私を見つけた。さりげなくノートパソコンを閉じた。最後に映った時刻は『17:15』。


「すいません山岸さん。お待たせしてしまいました」

「きっちり約束の五分前じゃないか。それに私もついさっき着いたところだよ。大体、私は隣だからね」


 笑顔を作って向かいの席を勧め、彼女が座るのを待って手首を返した。窓の外には百市製薬の立派な本社ビルがある。私の勤め先だ。


「それに女の子は準備に時間がかかるからね。月並みな言葉で申し訳ないが良く似合っているよ」

「ありがとうございます」


 彼女の春らしい装いを褒めた。明るい茶色のキュロットスカートと七分丈の白いセーターが若い肢体を決して下品にならないように演出している。あの女のように下品ではない。


「山岸さんも素敵です。芽衣子もいつも自慢の彼だと私に…………。その、ごめんなさい」

「いや、芽衣子は君にとっても友人だった。辛いのは一緒だよ」


 内心の動揺を隠し微笑を取り繕う。元々私に目の前の彼女、真理亜を引き合わせたのは恋人だった芽衣子だ。友人が製薬会社への就職を目指しているから話を聞かせてあげてと言われたのがきっかけだった。最初にここで三人で会った時には、芽衣子とはずいぶんタイプが違うことに驚いたものだ。


 あの時はまさかこんなことになるとは思いもしなかった。


 正直言えば、今のタイミングで真理亜と会うのは危険な行為だ。私は恋人であった芽衣子を死に追いやったばかりであり、芽衣子は彼女の親しい友人だったのだから。


 …………


「……というのが仕事のあらましだ。生化学的な知識は前提として、一番大事なのは統計的な感覚だね。これに関しては専門家も誤解している場合があって、特にP値の扱いについては要注意だ」

「ありがとうございます。とても勉強になりました。大学で学んだことでも、実際に山岸さんから聞くと実感がわきます。ええっと、たしかこういうのってAIとかの研究で……」

「シンボルグラウディング問題かな」

「はい、それです」


 几帳面にノートを取っていた真理亜、その聡明さに改めて驚く。


「君は優秀だ。就職ではなく海外留学とかは考えなかったのかい」

「私なんかじゃ無理ですよ。研究室に入ってからはついていくのも精一杯ですから」

「話を聞いているととてもそうは見えないけどね。ラボではどんな課題を?」

「イオンチャネル関係です」

「……そう、なんだね」

「最近AIを用いた立体構造の予想が進んだので、それをもとに既存の薬物の作用機構についての見直しが出来るんじゃないかって」

「……既存の。ああ、なるほど。本宮先生にとっては論文量産のチャンスってわけだ」


 何とか取り繕った。本題に入る前に地雷を踏むところだった。


「そう言えば芽衣子のことで警察に話を聞かれたって言っていたよね。少し心配していたんだ」


 細心の注意を払って話題を変えた。真理亜はその表情にはっきりとした憂いを浮かべた。


「彼女があんなことになった前の日、彼女の家に遊びに行っていたんです。それで話を聞かれました」

「しかし、芽衣子はあくまで病死、いやそう私は聞いていたんだが。それじゃまるで君が疑われているみたいじゃないか」

「いえ、そうじゃないんです。私が帰った後に彼女はコンビニエンスストアで買い物をしていて。それが監視カメラに映っていたみたいです」


 深夜、芽衣子の心臓が止まった時、彼女は一人だった。死因は心臓麻痺と判断されたはずだ。事件性などないと判断されなければいけない。


「ただ、警察が言うには検死結果に説明が出来ないことがある、と。もちろん、詳しくは教えてもらえませんでしたけど、話しぶりだと多分血液の検査だと思います」

「そうなのか。いや、私はそれは聞いていないな。しかし、それではまるで……」

「はい。芽衣子が殺された可能性があるということでしょう」

「そんな、馬鹿……。いや、警察がその可能性を考えているなら、むげに否定はできない。何しろ最近の科学捜査は極めて高性能だ」

「そう、ですよね」


 何を焦っている。警察の科学捜査の水準など重々承知だ。私が用いた薬物は極めて特殊なものだ。本人ですら私の贈ったコーヒーに混入したアレにより心臓を止められたとは夢にも思わなかったはずだ。



 辛うじて冷静さを取り戻した私は、向かいの真理亜の決意の籠った目に気が付いた。


「それでも私、やはり気になるんです。芽衣子の死の原因について考えてみようと思うんです。私なんかよりもずっと元気だった彼女が突然あんなことになったなんて、信じられない思いですから」


 思わずカップを持つ手が震えた。


「気持ちは分かるけどね。だが君は就職活動の大事な時期だ。前を向くことを芽衣子も望んでいるんじゃないかな。引きずるのは私だけでいいと思うが」

「山岸さんは優しいですね。でも、こういうことを気にしていたらそれこそ就職活動どころじゃありませんから。せめて自分が納得するまで調べてみたいんです」


 真意を探ろうと真理亜の目を見る。そこには真実を突き止めようとする純粋な意思しか見つからなかった。皮肉にもその気質は確かに研究向きだ。


「分かった。私に出来ることなら相談に乗るよ。それで君の気が晴れるなら」

「ありがとうございます」


 真理亜は私の言葉に嬉しそうに微笑んだ。



 店を出た真理亜が、ガラス越しに律儀に頭を下げるのに、小さく手を振った後、私は閉じたままのノートパソコンの天板を見ながら考える。


 真理亜の杞憂に付き合う程度は問題ないだろう。なぜなら計画は完璧だった。私は今もそれを確信している。私が芽衣子に用いた薬物『SCL-7832』、あれが哺乳類の細胞に与える影響を知っているのは世界中でほんの数人だろう。


 一度学会発表の端に乗せた程度、論文にもしていない。研究というと特別なものに思えるかもしれないが、実際の研究結果の99.9パーセントは誰にも注目されないまま忘れられるものなのだから。







「海野さんらしい隙のない文章ですね」


 原稿を読み終えた九重女史はそういうと、プリントアウトした紙に目を落としたまま黙ってしまった。隣のアリスは高評価と取ったようだが、俺は不安になった。編集者が文章を褒めるのは大半が面白くないのと同義語だ。


「……探偵役の真理亜の前で犯人である山岸の内心の独白による殺人の自白。ちょっと特殊な倒叙ですね」

「ええ、普通は私、じゃなかった山岸が被害者の芽衣子を殺害するシーンを置く。俗にいう冒頭に死体を転がすところです。ただこの企画は犯人vs探偵を徹底的に中心に置くつもりなので敢てこの形にしました。伝わりにくかったですか」

「いえ、冒頭で何かあるなって雰囲気は伝わります。被害者を間に置いた犯人と探偵の捻じれた関係の緊張感が出ていると思います。ただ……」


 九重女史はちらっとアリスを見た。アリスは少し緊張した顔になる。


「気になることがあるとしたら、真理亜の山岸に対する態度ですね。好意が表に出すぎているように見えます」


 実は俺もそれは少し気になってはいた。ただこの段階の真理亜は山岸が犯人だなどとみじんも疑っていない。


「……なるほど、今後の展開で真理亜のこの好意がひっくり返って犯人である山岸を追い詰めていく。そう考えるとギャップになりますね」

「そういうことです」

「そうですね。はい。これが第一話でいいんじゃないでしょうか」


 九重女史の評価に内心胸をなでおろす。まさに犯人おれ探偵役アリスの隠れた緊張感がポイントだからだ。山岸が恋人を未知の薬物で殺害したこと、そして今後対決していく探偵役の真理亜との関係が現時点では友好的であること、それが伝われば冒頭の役目は果たせる。


「でも、アリスがこんな風な台詞を作れるなら、チャンネルでも生かしていけるかも」

「ちなみに舞台であるカフェはアリスに選んでもらいました。最初に被害者も含め会った時は、真理亜が場所を選んだという設定なので」

「海野“先生”は本当にアリスの力を引き出すのが上手いです。企画もアリスの説明能力や論理的思考力を上手くミステリの文脈に乗せていますし」

「そこはまあ、そういう仕事なので。アリスも頑張ってくれました」


 俺がそういうと、アリスはくすぐったそうに微笑した。純真な女子大生真理亜を想起されて、一瞬どきっとした。


「チャンネルの企画についてもアリスにもっと主体的に考えてもらってもいいかもしれません」


 九重女史はアリスを褒めた。そして「鳴滝に提出しておきますね」といってプリントアウトを持ってオフィスにもどっていった。俺とアリスは顔を見合わせて、ホッと一息ついた。


「何とか間に合いそうだなアリス」

「はい」

「どうした。何か気になることが?」

「あの、今の話でしたらあの原稿がそのままコンペに応募されるのでしょうか。『サンプル話』はあくまで企画を固めるための手法であると認識していました」

「ああ、思った以上にいい感じに進んだからな。別に珍しいことじゃない」

「そうなんですね。理解しました。ただ、結末がどうなるか私は認識していません。結末との整合性が取れているのか、不安なのですが」


 そう言えば肝心なことを言っていなかったな。


「結末の形は決めてない」

「えっ!? あの、私の質問に問題があったでしょうか。私がお尋ねしたいのはこの小説がどのような結末を迎えるか。つまり真理亜が山岸をどうやって追い詰めて真相を暴くかの、フローチャートです」

「ちゃんと伝わっている。もちろん真理亜にはこれから探偵役として山岸を追い詰めてもらう。でも、その過程はこれから書きながら二人の間で作られていくんだ」


 「最初に人を殺してから考えるといっただろ」と補足する。アリスは信じられないものを見る顔になった。


「本格ミステリの性質に反するきわめてリスクの大きな方法に思えます。せめて『薬物X』つまりSCL-7832がどのようなものか詳細を教えてください」

「それは無理だな。なぜなら俺も知らない。多分イオンチャネル絡みだ」

「先生!?」

「大丈夫だ。山岸は知っているから」

「先生が山岸さんです。今の発言は完全に矛盾しています。人間はコンピュータのように特定の記憶を一時的かつ選択的に隔離することはできないはずです」


 アリスにもそれが出来ない、少なくとも重要なことに関しては、それで前回は肝が冷えたことを思い出す。ただ、彼女の言葉は正しい。強いて言えば未来の俺は知っているはずだというべきかな。


「俺は知らないからアリスに話せない。だけど山岸は知っているから真理亜が何とか暴き出してくれ。それがこの小説のミステリを作り出す」


 実は倒叙形式を用いることにした最大の理由がこれだ。推理の課程はあくまで俺とアリス、いや山岸と真理亜のやり取りの結果として生み出される。もちろんアリスの言っているリスクは分かる。無理な引き延ばしや、最後に強引な結論になる危険、最悪の場合は本格ミステリとして破綻するかもしれない。


「あまりにも危険です。台本無しでチャンネルに臨む以上のリスクです」

「完全に指標もないわけじゃない。……そうだな今は七月の終わりだ。仮に今日生まれた赤ん坊が小学校に入学するのは?」

「質問の意味がよくわかりませんが……法律で定められた義務教育の開始は満六歳の四月です。七年後の四月です」

「成人するのは?」

「…………成人年齢は十八歳ですから、十九年後です」

「正解だ。じゃあ、その赤ん坊は十九年後どんな大人になっている?」

「えっ、いえそれは分かりません。あまりに不確定要素が多すぎます」

「そういうことだな。小説家は自分の作品がいつ小学校に入学するか、いつ成人するかの目安は付けられる。その間の教育もできる。ただ、どんな人間しょうせつにどう育つのかはわからない」

「…………」

「最初にアリスがいったよな。答えを持たない小説家が、どうして小説を完成させられるのかわからなくなったって。今回の実戦練習コンペではアリスにそれを体験してもらうつもりだ。あくまで一人のキャラクターに絞っての話だが」

「しかし、このコンペは先生の名前が出ます。もしも私が上手くできなかったら……」

「残念だが、そのリスクを完全に回避する方法は最初からない。それが小説を書く、いや生み出すということだからな」


 これにひるむなど甘えだ。少なくとも親が子供を育てる時に負うリスクや不安はこんなものじゃない。そもそも、小説家はたった数ヶ月で一作を成人させる。ダメなら次という選択をできる。


 そして、これはアリスに必要なことで、かつ俺には教えられないことだ。体験してもらうしかない。


「タイトルは決めておかないといけないな。『毒と薬』でどうだろうか」

「…………妥当だと思います。本格ミステリらしい題名だとおもいます」


 おそらくまだ納得がいっていないアリス。まあ、今のはあくまで小説の話だからな。どういう理由を付けようとこれは本格ミステリの作り方としては危険極まりない。


 それでも、小説は生き物だということをアリスが理解出来さえすれば、それが彼女が将来書こうとする小説のために意味がある、そのはずだ。

2022年12月31日:

ここまで読んでいただきありがとうございました。

おかげさまで『AIのための小説講座』今年最後の投稿を終えることが出来ました。

新年の投稿開始は一週間後の1/7(土)です。短い閑話になる予定です。


それでは来年もよろしくお願いします。よいお年を。

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― 新着の感想 ―
[一言] 来年もよろしくお願いします。 ミステリは脳死で最後まで読む派だから今から結末にドキドキしてます
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