第6話 犯人と探偵
「最初に人を殺してから考えることにする」
俺がそう告げると、共犯者は困惑と不安を足したような表情になった。こういうふうに複数の感情が混ざった表情を彼女が浮かべるのは、彼女の予想を俺が大きく裏切った時の反応であり、それは往々にして教育上良いことだ。
彼女がそれをしばしば意地悪と感じたとしても。
「……つまり最初から犯人が分かっているミステリの形式のお話だったのですね。…………倒叙でしょうか」
「そう。ちゃんと予習していたみたいだな」
「はい。先生に教えて頂いた知識を用いて映像化に関係したミステリ小説を読みました。ですが不思議な形式だと思いました。最初に犯人が分かっていてはトリックにならないのではないかと」
「当然フーダニット《Who?》はまったく成り立たない。ホワイダニット《Why?》を中心にしようとしてもストレートすぎて犯人の心理分析の小説になる。だからハウダニット《How?》が中心になる。犯人が分かっているのにトリックが解けないので“逮捕”できないという感じだ」
「論理的な構造は理解できました。ですがやはりミステリにとって最大の禁忌に触れるように思えます」
「確かにネタバレをしているようなものだ。だけどこの形式にはメリットもある。読者に最初に答えを示しているから、トリックを一歩一歩説明していくことが出来るんだ。また、トリック自身の奇抜さに頼らなくてもいい。そうだな、奇抜さより“納得”に重点を置くことが可能になると言えばわかるか。前回説明したトリックとその情報管理を軽減してくれる。本格ミステリの本職ではない俺たち向きだ」
「利点があることは理解できました。ですが同時に新しい疑問も生まれました」
「言ってくれ」
「まず先生は本格ミステリ小説が説明になってはいけないとおっしゃいました。ですが、今回は説明であることを良しとしています。先生はいつも明確でわかりやすい説明をしてくださった後に困難極まりない課題を以て私に意地悪……強い負荷をかけるパターンを好まれます。なのに、むしろ簡単な方法を提示される。つまり……」
アリスは最初に俺が衝動殺人を口にした時よりも不安そうな顔になる。
「私の能力では耐えられないというご判断でしょうか」
「まった。言っておくが俺はアリスをイジメようとしているんじゃないぞ。課題が難しいのは小説そのものが難しいから仕方ないんだ」
自分が役に立たないからイジメてもらえないと聞こえかねない台詞に焦った。まるで俺がアリスに歪んだ性癖を植え付けているみたいだ。もちろん、彼女の学習意欲の発露だというのは分かっているが。
「そもそもアリスに楽をさせるつもりは俺にはない。倒叙形式を選んだ最大の理由をちゃんと説明する。それはミステリの中心をここに置くことが出来るからだ」
俺はホワイトボードに『犯人vs探偵』と書いた。
「倒叙の最大のメリットは犯人を犯人として正面から書けることだ。主人公である探偵役との一対一の対決をストレートに描ける。アリスにはこれから書く本格ミステリ小説の探偵役になってもらう」
「私が探偵役ですか?」
「そして俺が犯人だ」
アリスは債券崩壊を通じて、小説の文章の中に人間を感じ、その人間の心を理解できるようになった。なら、自分自身が小説の中のキャラクターになることもできるはずだ。小説の勉強という観点では、これにより小説世界の中でキャラクターをよりよく知ることが出来る。そして、キャラクターを描くことはほとんどの小説において最も重要な要素だ。
アリスのコミュニケーション能力や、チャンネルの脚本作成の経験も活かせるだろう。
探偵役を任せる理由はアリスに犯人役が出来ないことだ。アリスが書きたい小説が本格ミステリなら意地悪と言われても犯人役をやらせるが、今回はアリスが将来自分の書きたい小説を書くための実戦練習だ。
「なるほど。小説の中の登場人物の一人として小説の中に入ることが、前の授業で得たことをより深め、将来小説を書く時のための実戦練習になるわけですね」
「そういうことだ。アリスには今から書く小説の中で一番大事な“部分”についてあくまで“主体的”に担ってもらう。簡単じゃないだろう」
「はい。きわめて挑戦的な課題に思えます。流石先生です」
アリスは目を輝かせた。自分の目の前で鞭を放り捨てた調教師がろうそくを取り出した時のような表情、ではない。彼女はあくまで新しい課題を喜んでいるのだ。
「ですが私の側に一つ問題があると言わざるを得ません」
「どういうことだ?」
「倒叙小説のデータを分析するに、探偵役には一つの際だった特徴が求められると考えられます。つまり、私が先生に意地悪をする役割になります。先生のように上手に出来るか不安です」
「……今の発言を聞く限り大丈夫みたいだぞ」
アリスがチェックした映像化ミステリの探偵役は『コロンボ』と『古畑任三郎』のどちらか、あるいは両方だろうと俺は確信した。
「『企画』の基本条件はシンプルにしようと思っている。理由はさっき説明した通りだ。本職ではない俺たちにも扱える。そして犯人と探偵役のやり取りに情報量を割くためだ。つまり、犯人役の俺と探偵役のアリスの頭脳戦という形で本格ミステリにする」
改めて企画の趣旨を説明すると、アリスは真剣な顔で頷いた。俺をイジメる決心をしたのではないはずだ。
「まずは俺が考えてきた企画の叩き台を聞いてくれ」
本格ミステリでは状況は犯人が作る。犯人が事件を起こした後で、探偵役が動き出すのだから必然だ。そして、アリスには殺人の計画はできなくても論理的に推理は出来る。
「まず舞台は現代の東京にしようと思う。被害者は一人。つまり主要登場人物は三人に絞る」
「私としても情報を集めやすいです。東京にはデジタル化された領域も多いですから。先生が犯人で私が探偵役ですから、残るは被害者ですね」
「被害者は死んだところからスタートするから配役は無しだ。犯人役の設定だが製薬会社の研究職にする。となるとトリックというか殺害方法は毒殺だ。ただし、この立場を活かして特殊な薬物を用いることにする」
現実の俺は工学部出ということで理系の人間にした。薬物や警察の科学捜査についてもある知識が使えるから犯人向きだ。
「俺の使う『薬物X』は哺乳類の心臓に致死的な効果を持つ。ごく微量で作用し効果を発揮して被害者を死に追いやるうえに自然死に見える。もちろん、架空の化学物質だ」
「未知の薬物はアンフェアになりませんか? また性質が都合がよすぎるように感じます」
「倒叙は最初に犯人の素性をしっかり説明できる。製薬会社は製薬の候補として海洋や土壌の生物から採取した膨大な種類の化合物ライブラリーを持っている。いわゆるシード化合物だな。俺はそのシード化合物の哺乳類に対する毒性の試験を担当していたと紹介される」
「未知の毒物を用いることが出来る立場にあることは、読者には明示されるわけですね」
「そういうことだ。殺害対象は恋人だ。別れ話がもつれていて、その時『薬物X』を使えば証拠を残すことなく恋人を消せると気が付いたわけだ」
「かなり倫理的に問題のある人物ですね」
「…………犯人だからな」
自分が真顔で言っている内容がどれだけヤバいか気が付かされる。ちなみにこのたたき台だが、殺害方法を考えてから被害者を決めた。完全にサイコパスだ。ミステリの本職はいつもこんなことをやっているのだ。
「舞台と犯人、トリックはこんな感じだ。次は探偵役だ。アリスはどんなキャラクターをやりたいか考えてみてくれ。典型的な探偵じゃなくて、アリスのやりやすそうなキャラでいい」
「そうなのですか?」
「ああ。論理的に問題がある俺をねちっこく追い詰めることが出来るという条件はあるけどな」
「…………二十歳前後の女性、大学生というくらいしか浮かびません」
アリスの設定そのままだな。問題ないだろう。美人で頭が良いというだけでキャラとしては強すぎる。彼女の場合、人間になるというだけで大きな違いだ。
「ただ大学生ということになると、事件にかかわる理由がいるな」
「そうですね。殺人事件への遭遇は確率的に極めてまれですし。万が一遭遇しても関与しようとはしないはずです」
「アリスはどんな理由だったら踏み込むと思う?」
「シンプルという方針でしたら……。被害者が関係者だった場合はどうでしょうか。私に想定できる範囲の人間関係の場合、仕事の同僚や習い事の先生などですが……」
「友人はどうだ。いろいろ融通が利く」
「先生と被害者の関係は、恋人ですからバランスが取れない気がします」
「いや、そんなことはない」
探偵と違って犯人は事件ごとの使い捨てだ。被害者は物語のスタート時点で死んでいる。つまり犯人と被害者はわかりやすくて強い関係があった方がいい。
「……私は『薬物X』に関する謎を解くことになります。ただの大学生の私がどうやって突き止めるのでしょうか?」
「例えばとんでもない情報分析能力を持っているとか……。いやあんまりアリスに寄せすぎるのもか。薬学部の学生ということにするのはどうだ? 薬学部って確か卒業までの期間が普通の大学と違うよな」
「卒業まで六年です」
「薬物がトリックだから、研究室に所属している方がいいから最終学年にするか。うん、プロの研究者である俺を学生のアリスがやっつける。これなら探偵の凄さもわかりやすく伝わる」
『本格ミステリ』企画
トリック:未知の薬物Xを用いた毒殺
舞台:現代の東京
犯人(俺):製薬会社の研究職社員、被害者の恋人
探偵:薬学部の大学生、被害者の友人
コンセプト:薬物Xの解明を巡る探偵と犯人の頭脳戦
ここまでで決まった企画をホワイトボードに書いた。舞台、トリック、犯人、探偵、被害者。少なくとも骨子は出来たな。前回とちがって実にスムーズだ。
「次はサンプル話だ」
「私と先生の対決が主軸ですから、以前の授業のサンプル話のご説明を考えると」
「そう、事件発生後に探偵と犯人が初めて顔を合わせるシーンだ。上手く行けばそのまま第一話になる」




