第5話 トリックと企画(1/2)
「最初の授業で小説の企画について説明したことを覚えているか?」
「もちろんです。その小説を書く目的である『テーマ』。その小説の概観を示す『コンセプト』を基本とします。そして、そのテーマとコンセプトを表現する主要要素として『主要人物』と『舞台設定』があります」
綺麗な黒髪の生徒の答えは完璧だった。これから俺たちが書くのが普通の小説ならだが。
バーチャルルームで向かい合ったアリスに、俺は本格ミステリの企画についてまず説明する。
「『本格ミステリ』では一つ大きな違いがある。本格ミステリの中心はテーマじゃなくて謎とその答えなんだ。これをまとめて『トリック』と呼ぶことにする。テーマとトリックはどちらも小説の中心だが、テーマが小説本文中に明示されないのに対し、トリックは作中に明確に示されなければいけない」
「前回の授業で先生に教わった『フェア』とつながるのでしょうか」
「そう考えてほしい。コンセプト、主要人物、舞台の役割は基本的に共通だが、トリックのこの性質によりトリックとの結びつきはより直接的な物になる。例えば登場人物は被害者、犯人、探偵役といった役割が明確になるんだ」
この小説は世界観が素晴らしい、と言われることはあってもこの本格ミステリは世界観が素晴らしいと言われることはまずないだろう。テーマが小説の“目に見えない”柱だとしたら、トリックは“目に見える”柱だ。
「論理的なトリックが明示されるというのは、わかりやすいですね。普通の小説よりも企画が明確です」
「半分は正解だ。本格ミステリの設計は通常の小説よりも設計図に近くなる。以前の説明を使うとウオーターフォール式だな。だけどトリックは明確なだけではダメなんだ。実際に例を挙げて説明する」
俺はホワイトボードに架空の小説タイトルを書いた。
『織田信長殺人事件』
「被害者は『織田信長』。主要登場人物は『明智光秀』『羽柴秀吉』『徳川家康』とする。探偵役は京都の名門寺の僧侶だ。知識人で身分もあるから推理や調査が出来るという設定だな」
ちなみに一休さんと同じ条件だ。そうじゃなければあんなに好き勝手には出来ない。どれだけ頓智が優れていても権力に勝てるわけがない。
「物語はこんな風に始まる。僧侶が朝ふすまを開けると近くから煙が立ち上っているのが見えた。慌てふためく小坊主を捕まえて話を聞くと、本能寺が燃えて織田信長が死んだという。僧侶は浅からぬ縁のあった信長の死の真相を探り始める」
「主人公と導入について理解しました」
「まずは史実通り明智光秀が犯人のパターンを考えてみよう。物語の進行とともに僧侶の元に事件に関する情報が集まってくる。「明智光秀が信長に領地を取り上げられそうだった」とか「母親を見殺しにされた」とか「前将軍の足利義昭と連絡を取っていた」といった情報だ。最後に本能寺を囲んでいた軍隊が『水色桔梗紋の旗』を使っていたという決定的な証拠にたどり着く。僧侶は明智光秀が織田信長を殺したと判定を下す。事件解決だ」
「論理的で明確な結論です」
「そうだな、だけどこれには一番大切なものがない。だからトリックにはならない」
俺は今説明した企画に大きくバツを付けた。頷きながら聞いていたアリスが目をぱちくりさせた。
「それは意外性だ。意外性が無ければ小説ではなく“説明”になってしまう。これは本格ミステリじゃなくても最悪だ」
「なるほど。では、どうすればいいのでしょうか?」
「謎と答えの間の『情報』をひねるんだ。明智光秀を犯人にするなら提示される情報は「明智光秀は信長からとても評価されていた」とか「多くの領地を与えてくれた信長に感謝していた」とか「新しく大役を与えられるはずだった」といった情報でなくてはいけない。一方、他の容疑者である『羽柴秀吉』や『徳川家康』には信長を恨んでいたり、恐怖していたりという情報を与える。どう考えても信長を殺しそうにない明智光秀が、信長を殺すからこそ意外性が生まれる」
「それでは明智光秀が織田信長を殺したことに納得が得られないのでは?」
「そのギャップをどうやって解消するかがトリックの本質だ。例えばこういうアイデアはどうだ?」
【明智光秀は信長にとても評価され、多くの領地と高い地位を与えてくれた信長に感謝していたのだが、最近は引退を考えていた】
「新しい条件で情報を再構成してみます。…………引退したいと思っていた明智光秀が、逆に新しく大役を与えられたストレスで犯行に及ぶのですね。本能寺の変時の明智光秀の年齢を考えればあり得る話です」
「そういうことだ。元々明智光秀は名門土岐氏の一門とされていたり、いち早く将軍足利義昭に近づいたり、いまでいうブランド志向が強い。実は信長もそう言う傾向があるという研究がされているが、二人には十五歳くらいの年齢差がある。激動する時代の流れに対する適応力や激務に対する疲れみたいなものを情報として出せば、評価されればされるほど追い詰められる明智光秀を作り上げられるわけだ」
「なるほど。明智光秀の動機が謎の中心ですから分類で言えばホワイダニット《Why?》でしょうか」
「そうだ。出世という基本的にポジティブと思われている現象の二面性を使って、意外な犯人を仕立て上げる構造だ」
「明智光秀が犯人ではないという情報がそのまま、明智光秀が犯人であるという情報に変換されるのですね。その変換こそがトリックの要諦ですね」
「そういうことだ。ただ、今の例はまだ不十分なんだ。ホワイダニットは動機が謎だ。犯人が最初に分かっていても問題ないから歴史ミステリには使いやすいが、人間の心の奥底を探る展開は普通の小説に一番近くなる。今の例だと、歴史小説になってしまう。つまり、謎とその答えよりも『明智光秀』と『織田信長』という登場人物の心情を描くことが中心になるということだ」
「そうですね、目的としてのミステリではなく、手段としてのミステリですね」
本当に理解力が高い。前回の授業でやったミステリの基本的な説明や抽象的な概念と具体的な事例の関係をしっかり理解している。
「本格ミステリとしては『謎』自体に重点を置かなければいけない。どうすればいいと思う?」
「…………明智光秀の心情をより深く描写することで謎の魅力を高めることが出来るのではないでしょうか。そのために情景描写を用いれば……。否定。それではやはりミステリが手段になります。………………困りました。どうしたらいいのでしょう」
「明智光秀個人ではなく心理そのものを扱うことで謎を中心に置く。例えば精神医学の知識を用いる。探偵役の僧侶はこの時代のカウンセラーだ。「明智殿には気鬱の病の傾向がみられる」なんて言わせるわけだな」
「科学による客観的視点を用いることで特定の人物ではなく人間心理として抽象化するのですね」
困惑していたアリスは俺の説明に感心したようにうなずく。
「次は同じ条件で『フーダニット』を考えてみよう。織田信長を殺したのは誰か?」
「困難な問題ですね。本能寺の変は明智光秀が引き起こしたというのは史実ですから、犯人は本来固定されているはずです。フィクションとして史実を曲げるとすると、ミステリとしての説得力とのトレードオフが生じます」
「実行犯ではなく『黒幕』を問うんだ。ミステリ的に言えば明智光秀は凶器で、その凶器を用いたのは誰かという構造だな。これなら史実を動かさずにフーダニットにすることができるだろ」
「なるほど、それなら史実に反しない形でフーダニットを作れます。素晴らしい解法です」
俺の答えに顔を輝かせて、両手を小さく打ったアリス。説明している側としては素直な反応は嬉しい。ただ……、いや今は説明の時間だ。
「最後はハウダニットだ。物や手段に焦点を当てるから歴史とは馴染みにくいんだが、こんな形にするのはどうだ」
ホワイトボードに長方形を書き、その長方形の中に正方形を加えた。長方形が本能寺の境内全体、正方形が本堂だ。本能寺の外壁と本堂に矢印を引き、二枚の旗を書き込んだ。
「僧侶が本能寺を調べると二枚の旗の断片が見つかる。両方とも明智軍の“水色の桔梗紋”が染められているが、本堂にあった旗は新しく、外堀に残った旗は使い古されたものだった。染料の水色も微妙に違うことが分かる。さて、ここから合理的に導かれる結論は?」
俺はアリスに推理を求めた。
『織田信長殺人事件』の現場である本能寺で見つかった二つの物証をもとにアリスに推理を求めた。アリスは細い顎に指を当てる上品な仕草で少しだけ考えた。
「状況から考えて軍事用語で言う『偽旗作戦』だと推測します。実際に織田信長を殺害した集団は明智光秀の集団ではない。そして明智光秀は殺害後に本能寺に来たのではないでしょうか」
「正解だ。明智光秀は織田信長の暗殺計画を知り、主君を守るために駆け付けたところを偽旗作戦で犯人に仕立て上げられたということになる。ハウダニットとしてトリックにするには偽旗を謎の中心にする。まず染色の技術や材料に地理的な違いがあるとする。例えば西日本と東日本で違うという感じだな」
「主要登場人物が限定されているフェアな条件であるなら、偽旗の染色技術が西日本のものなら当時中国地方に駐屯していた『羽柴秀吉』、東日本なら東海地方を本拠地にする『徳川家康』が犯人になるということでしょうか」
「文句なしの正解だな。付け加えれば京都には後に西陣織に繋がるような高い染色技術があった。明智光秀は京都付近に領地を持ち文化にも明るい。キャラクターや舞台で中心であるトリックを上手く補佐することで、推理に説得力を持たせることができる」
アリスの答えを受けて、ホワイトボードの二枚の旗を中心に登場人物と舞台設定の関係を結んだ。
「トリックを中心にした企画の考え方についてはこんな感じだ」
「よく理解できました。やはり小説を作る側から説明していただくのは素晴らしいです。チャンネルに本格ミステリの紹介の依頼が来たら、挑戦したいと思えるほどです」
新しい知識を得た喜びに目を輝かせているアリス。以前にテーマ中心に説明をした時よりも反応がいい。論理的な構造はやはり理解しやすいのだろう。そういう意味ではアリスの教育の役に立っているのかもしれない。
「よし、実際に今回のコンペで使うトリックを考えて行こう。ここからは授業じゃなくて実習だ。アリスもどんどんアイデアを出してくれ」
「わかりました。教えて頂いたことを活かして見せます」




