第4話 敵の正体
「本格ミステリ小説の特殊性は理解できました。ですが説明を聞くとやはりこの方には書けないと考えざるを得ません。先生の方が能力的に優れているはずです」
アイコン男、宮本胡狼を見てアリスはいった。なるほど、俺が外科手術をやらされる内科医だとしたら、この胡狼は医者ですらない。妥当な判断に見える。だが、それは本格ミステリで言うミスリードだ。
「この男の方が優位性を持つ可能性は十分ある」
「優位性ですか。それは一体どういう要素を指しているのでしょうか」
優位性というビジネス寄りの単語を使っただけで、文脈を理解して言葉を返す。相変わらずのコミュニケーション力だ。鳴滝はViCとVIAの根幹は同じといっていた。向こうのAIはアリスとはタイプが違うということだが、やはり侮れないだろうな。
だが、まずは人間の話だ。
「この男は本格ミステリのパズル部分に精通しているんだ。いや、ある分野においては本職以上といっていい」
紹介にある胡狼の代表作をクリックした。大手出版社『書読』が運営する動画配信サイトが画面に出た。動画のサムネイルが並んでいる。すべて『クローズド・ダンジョン』というゲームの実況だ。動画の再生回数は一つ当たり十数万回。大人気ゲーム実況者だ。
「このクローズド・ダンジョンはいわゆる人狼系ゲームなんだ。元々人狼はミステリの要素がとても強い。いや、ミステリそのものといっていいゲームだ」
舞台はファンタジー世界のダンジョンだ。そのダンジョンに冒険者十人が入ったところで入り口の扉が閉じてしまう。冒険者たちが脱出するためにはダンジョンを攻略するしかない。ただし、十人の中に魔王の手先である裏切り者が二人潜んでいる。冒険者はダンジョン攻略をしながら裏切り者を見つけることを、裏切り者はダンジョンを攻略される前に冒険者の全滅を目指す。
つまり、冒険者が村人で、魔王の手先が狼という人狼ゲームだ。
言うまでもなく、これは密閉空間における連続殺人を巡る推理合戦だ。本格ミステリの定番だ。
ゲームだからシステム的にフェアが保証され、MAP場を動き回るからアリバイ要素、誰が裏切り者かわからない疑心暗鬼などの多人数の駆け引き。そういったゲームを犯人と探偵をランダムに繰り返しながら経験する。動画になっているだけで数十回、おそらく実際には何百回を超えるだろう。
俺は昨日必死に調べたこのゲームのことを説明した。
「人狼ゲームの性質についての情報を取得……。概念MAPにおける同一性の判定。相関性……0.6以上。理解しました。この方は本格ミステリを書くために有効な技能の一つを有しているのですね」
「おそらくだがこれこそがVIAに選ばれた理由だろう。あえて本職を選ばないことで自分の所の創作支援AIの力をアピールするという目的だな」
「プロモーション的に妥当な推測だと思います。ですが、それはやはり弱点ではないでしょうか? 小説はあくまで文章媒体です」
「そうなんだが、小説的な意味でもこの男の経歴は侮れないところがあるんだ。ゲーム実況というのはゲームのプレイを元に台本を作る。しかも、この男はボイスロボ、略してボイロという人工合成音声を使っている。自分とは違うキャラに扮し、本来なら難しい多人数の掛け合いもお手の物だろう。この男が一緒にプレイしているメンバーは全員が人気実況者なんだ」
俺は一番再生数が多い動画をクリックする。ゲーム画面を背景に、ボイスロボの立ち絵が表情や仕草を変えながら面白おかしい掛け合いと、真剣な推理を繰り返している。ゲームの解説でも、プレイの披露でもない、完全にストーリー性のあるエンターテインメントだ。
「ゲームという本格ミステリに通じる舞台、そこでの個性的なキャラクターのサンプル、その複数のキャラクターを用いた掛け合いの脚本。少なくともこういったことはできる。もちろん、これを直接小説にはできないだろうが、キャラクターと舞台という、本格ミステリでも主要要素を抑えている」
「…………確かに小説ではありませんが、演劇、いえコントのようなものに通じます。私の読書会よりも小説に近いということは理解できます」
「俺の予想では、この男はクローズドサークルでの連続殺人ものを書くはずだ。このコンペのレギュレーションは映像化を前提にした本格ミステリだ。しかも連載形式だ。これは完全にはまる」
「…………脅威度について認識を大きく改めました」
目まぐるしく変わる画面に目をくぎ付けにされていたアリスが、深刻な表情で頷いた。
これが先日鳴滝にコンサルしたことだ。いや、この男の動画を実際に見た結果、あの時よりもずっと大きな危機感を持っている。俺の想像したよりも、ずっと小説寄りだったのだ。
もちろん、脚本と小説は違う。本格ミステリ小説には小説としての異常性と同時に、その異常性から生じる小説としての独特の難しさもある。それこそ、小説家としての技術の極限を求められる類の。俺にも作家としてそういう部分では負けないという自負はある。
整合性のある舞台設定、論理的なストーリー構成、そういったものは得意分野だ。それこそ、そういった側だけで小説を書けてしまえるほどに。
ただ、俺が一番問題にしているのは別のことだ。俺は、いまだ画面に見入っているアリスに問う。
「ここまでの説明を参考に答えてほしい。アリスは『本格ミステリ』を書いてみたいと思うか?」
「それはどういうことでしょうか? 今回のコンペの条件は固定されていますが」
「あくまでアリスの気持ち、考えでもいい。それを聞いておきたい」
アリスはもの問いたげな顔で俺を見た。俺は沈黙を守る。教えるべきことは教えた。残っているのは教えるべきではない、いや教えることが出来ないことだ。
「確かに、情報や論理性が重視される小説という意味では私の能力的に適合するものを感じます」
しばらく考えた後でアリスは口を開いた。俺は内心の緊張を表に出さないようにする。アリスはもう一度俺をちらっと見た後で、続ける。
「ですが、私が求める欠失データの獲得という意味では適切とは思えません。私が書きたいのは『債券崩壊』や『お品書き』そして『奈落の上の輪舞』のような小説です。そのことは今の説明でも変わりませんでした」
最後の一冊が無ければ満点の答えだ。真意を問うようにこちらを見るアリスに答える。
「よし、今回のコンペはアリスの学習の一環としてやっていくという方針にする。そうだな、小説の実戦練習と思えばいい。アリスが将来自分が書きたい小説を書く時のために」
「あの、それでいいのでしょうか。コンペなのですから勝利しなくてはいけないのではないですか?」
驚きに目を見開いたアリス。俺は頷いた。
「何を言っているんだ。俺が請け負った仕事はアリスの教育だ。コンペの勝利じゃない」
俺がやるべきことはこのコンペにかこつけて鳴滝がViCから獲得したリソースを、アリスの小説の教育という請け負った仕事のために有効活用することだ。コンペ後にViCが“メタグラフ”に不満を持ったら、それは鳴滝が対応すべき仕事だ。
鳴滝の言った通り、損はないやり方なのだから文句を言われる筋合いはない。
「もちろん、書く以上は面白い本格ミステリを目指す。まずは企画からだな。コンペの締め切りまでに二週間しかない。次の授業から早速取り掛かるぞ」
「わかりました。あの、はい。よろしくお願いします」
まだ戸惑っていたアリスだが、具体的な方針を告げるとそういって頷いた。
地下鉄を経て、自宅に戻った俺は玄関から仕事部屋に入った。出る前に広げたままだったノートを見る。書いた本人にしか判別できない汚い文字が白地に散らかっている。テーマ、コンセプト、キャラ、舞台、あるいは思いついたシーンの断片。新しい小説のための企画、いやその残骸だ。
「どれも駄目だな」
三色ボールペンを赤に変えてアイデアに大きくバツを付けていく。
必要なのは一冊の小説を満たせるような力強いテーマだ。そう簡単に浮かぶものではないのは分かっている。同時に焦りもある。テーマの真価は書いてみないとわからないのだ。
ノートを閉じて背もたれに体重をかけた。目の前でボールペンを回転させる。ふと、伊豆での光景がよみがえる。沖岳幸基は黒一色のボールペンで書いていたことを思い出す。天才の真似などしても仕方がない。
椅子がきしむ音を立てた。
「本格ミステリの執筆か……」
テーマを失った俺が、テーマを生み出せないアリスと一緒に、テーマが必要ない本格ミステリを書く。あまりにエスプリが効いている。
実際、アリスの教育にとって危険だという気持ちはぬぐえない。本格ミステリは書きたい小説じゃないというアリスの答えに内心安堵したのはそのためだ。
アリスに実際に書かせてみるという考えは俺の中にもあったから、実戦練習と割り切る形にしたのだ。それは間違っていないとは思う。だが、肝心のコーチがこのざまだ。
確かに、本格ミステリにはテーマはない。代わりに論理的な謎とその答え、つまりトリックがその中心になる。これは技術と知識の要素が大きく論理的だ。俺にとって最後の小説を書き終わるその瞬間までできていたことだ。
技術の強みはそう簡単に失われないことだ。小さいころに覚えた自転車の乗り方を忘れないように。
そしてそれは同時に大きな問題でもある。才能を失っても技術だけで書けることの怖さだ。目的地もないのに軽快に自転車をこいでいるようなものだ。必要なのは這ってでもたどり着きたい目的地だというのに。
思わず天井を見た。物語の神様はよくよく意地が悪い。アリスは俺が意地悪だと言うが、本物はそんなものじゃないんだぞ。
「まあ、その技術もずいぶんさび付いているしな。リハビリとでも思うか」
苦笑が漏れた。アリスの実戦練習と俺のリハビリ、不謹慎な話だがそう考えると少しだけ気が楽になった。とはいえ、それをどうやって実現するか明確な答えは浮かばない。
「向こうはどうするつもりなんだろうな」
思わずそんな疑問がわいた。背もたれを最大限傾けた。俺を照らす人工の光が床に頼りない影を作った。




