第2話 業務外命令
CEOルームのソファーは座り心地が最高だ。だが居心地は最悪だった。
ここに連れ込まれて十分以上、俺は小説家にとって敵である英語の会話を聞かされていた。外国人を出すたびにそれらしい会話をでっちあげるのは大変だ。大抵の場合“プリティー”を付ければそれっぽくなると気が付いてから多少楽になったが。
海の向こうの連中はみんな女子高生なのか?
「お待たせしました海野先生」
電話を終えた鳴滝が向かいに座った。フリーランス如きに約束をすっぽかされた雇い主らしくない柔和な笑顔に寒気がした。
「先生のおかげでアリスのチャンネルの人気は上昇中です。私としてもこの成果にはとても満足しているのですよ」
「悪いんだが本題に入ってくれないか」
目的に真っすぐ全速力という男が、おそらく切迫した状況で、書けない作家如きを褒める。怪しすぎる。そもそも、電話中から警戒信号が脳裏に鳴りっぱなしだった。
小説家としては残念な事実だが、声音というのは文章よりもずっと共通性が高い。鳴滝とどこかの外国人らしき電話からは深刻そうな雰囲気だけがガンガン伝わってきていたのだ。
「話が早くて助かります」
鳴滝は流れるような動作で壁のライトフィールドディスプレイに指を向けた。光を取り戻した平面には、俺も知っている有名企業のロゴが写し出された。アルファベットの『T』と『F』の下に『X』が配された逆三角形のロゴは、TimeFreeXという映像配信プラットフォームのものだ。
海外企業だが、日本のアニメなども買いあさっているという話を聞いたことがある。そのロゴの下には全米を沸騰させる映画のタイトルの如き文字が並んでいる。
『タイムフリークス主催、原作小説コンテスト ~人とAIの共同創作へ~』
「どう考えても俺には関係なさそうな話だな」
予防線を張った。小説でこれをやるとフラグと呼ばれ、今後の窮地が確定するが現実では多少は機能する。鳴滝は一体何を言ってるのかわかりませんね? という顔で俺を見た。現実世界には権力というものがあって、伏線とかフラグとか丁寧な説明とか、そういうものをスキップして状況を押し付けることが可能だ。
説明を読んだ。人間と創作支援AIが共同で作った小説をTFXのサイトで連載する。その小説への挑戦者を募集するというものだ。応募作から選抜された小説は、同じくサイトに連載される。そして人気投票で一位を取った小説がTFXによって映像化される。
「漫画化を前提としたコンテストはweb小説の世界では珍しくもないと聞いている。小説はもはや映像メディアの原作扱いだからな。ただ挑戦者形式というのは珍しいな」
内容は理解した上で、やはり俺の仕事には関係ない話だと判断したと、視線で主張する。鳴滝は無言のまま表情を動かさない。
「TFXの将来のオリジナルコンテンツの話題作りだろ。最近は何でもかんでもAIを付ける」
「TFXにとってはそうでしょうね。我々が問題にすべきなのはもう一つのスポンサーです」
鳴滝の視線の先にはTFXと並んでもう一つのロゴがあった。VIAという三文字のシンプルなそれはコンペの協賛企業となっている。そしてアイコン男の隣に立つ金髪アバターの胸に同じマークが刻まれていた。つまりこのアバターはVIAという企業のAIということだろう。
「ちなみにVIAはバーチャル・インフォメーション・アシスタントの略です。アルファベットでViCよりも前に来るように決めたのでしょう。VIAの創業者はViCの元技術者ですよ」
「ViCというのはアリスの開発元だったよな。つまり、ここと一緒というわけだ」
「我々はあくまでViCの活用。一方、VIAはAIOS自体を手掛ける。この意味が分かりますよね」
「同業種への転職を禁じるみたいな規定はないのか?」
「まさに係争中です。はっきり言いましょう。VIAはViCのコードを盗んでいる。ViCはVIA創業者個人を規約違反で、VIA社を特許侵害で告訴している。それに対してVIAもViCに対抗訴訟を起こしています」
鳴滝の表情が珍しく嫌悪感に歪んだ、それは電話の時にこの男が浮かべていたのと同じだった。
超先端企業同士で昼ドラも真っ青のどろどろの関係だ。きっと弁護士費用だけで小説が何本も映像化できるに違いない。何度でもいう、俺には関係ない。口には出せないけど。
「VIAの主張は自社のAIOSはViCよりもはるかに優れているため、コードの盗用などあり得ないというものです。そして複数の企業にパイロット版の提供を開始していたのですが、こういう方向にも来たわけです」
「つまり、このコンペはVIAのプロモーションというわけだ。裁判に何億ドルがかかっているのか知らないが。もうViCの社員じゃないんだろ。なんで古巣の争いにかかわるんだ」
人間とAIが一緒に小説を書く、どこかで聞いたような話ではあるが。だが、俺の仕事はあくまで小説の書き方を教えることだ。
「私はViCの外部技術顧問という立場です。ウチにとっての先生と同じですね」
「その顧問料を聞きたい。俺とは全く違う立場だとわかりそうだ」
「アリスのリソースについてViCから特別待遇を受けているのは、まさにこの立場のためなんです。今回の要請を断れば、アリスのリソースを減らす必要がある。おそらく半分になります。さて、先生の授業に用いることが可能なリソースをどうやって確保したものか」
全く関係ないはずの争いがダイレクトに関係してきた。俺の収入が数分の一、下手したら消える。
「……負けたら藪蛇だろう」
「VIAのAIOSは確かに優れた自然言語能力を持ちますが、あくまで人間の命令に従うだけの存在です。アリスの優秀さはあなたには説明不要でしょう。十分すぎるほど勝機はあるというのが私の判断です」
なるほど、アリスのコミュニケーション能力や小説に対する理解を俺はよく知っている。そこまでは認めよう。だが、問題の根本が違う。
「残念ながらパートナーの方が適任じゃない」
「どういうことでしょう。あなたは小説家だ。少なくともVIAのエージェントより」
鳴滝は動物アイコンで顔を隠した男を指さした。アイコンの下には男の実績が書いてあるが、著作は一冊もない。なるほど、このコンペのレギュレーションについて説明してやる必要があるようだ。小説の技術顧問とやらの一貫だ。
「これは純粋な小説のコンペじゃない。まず、映像化を前提にしていること。次に、連載形式で提供されること。そして最後に『本格ミステリ』であることだ」
コンペの概要から要素を並べた。鳴滝が眉をひそめた。
「ああそうだ。これら一つ一つの要素はまごうことなき小説だ。だが、そのすべてがそろうと……ゲームとかマンガのシナリオに近い感じになると言えばわかるか。その上でこの男の説明をもう一度見てくれ」
鳴滝の目がアイコン男の略歴を読み取っている。こいつの能力を測ることについては、鳴滝の方が適しているかもしれない。あるいは九重女史か。
「つまりこのコンペはVIAのエージェントとって極めて有利な形に仕組まれているというわけですか。なるほど、そこにVIAの能力を組み合わせると」
「多分そういうことだ。理解してくれてよかった」
「ええ、理解できました」
大きく頷いた鳴滝はこちらに身を乗り出した。
「技術の世界にはこんな言葉があります。「問題さえ正確に把握できれば、それは解決したようなものだ」と」
「知らない言葉だな」
「海野先生は確か工学部の出身ですよね」
その言葉を信じて小説を書いて失敗したんだよ。答えがない問題にその格言は適用できないんだ。
「そもそも、アリスの置かれた状況は変わらないのですが?」
「アリスのリソースの確保は、そちらの仕事だと思うが」
「ええ、コンペに参加するならViCから必要なリソースの追加を引きだします。少なくともコンペの開催中、アリスのリソースの不安はなくなる。コンペに勝てばあなたは映像作品の原作小説の著者。どう転んでもあなたに損はない。違いますか?」
そこには大事な前提が欠けている。そもそも俺が小説を書けるかどうかだ。いや、可能か不可能かで言えばおそらく不可能ではない。このジャンルなら俺の“技術と知識”で形には出来るだろう。だが、それは出来上がったものが“小説”かどうかとは別問題だ。
それはアリスの教育にも関係する。だが、そもそもこのままではその教育も出来なくなる。もちろん、それに伴って俺の収入が途絶えるわけだ。
「少し考えさせてくれ。アリスとも相談する必要がある」
「次の授業はなるべく早めに調整しましょう」
鳴滝はそういうと「明後日ですね」と早くも確定させてしまった。
俺は今回のことをアリスにどう説明すればいいか考えながら、今度こそメタグラフを出た。




