第10話 大作家
「他の女の金でお酒を飲んでも仕事と言い張れるんだから、作家っていうのはいいですよね」
「一応言っておくが、これは仕事じゃないからな」
中ジョッキを飲み干した咲季に呆れながら言った。確かに作家は経験を金に換える仕事であり、ゆえにかなり広い範囲の経費が認められている。だが、今日の飲み代を経費として計上するつもりはない。
「まあ、店はちょっとあれですけど」
「お前が今日は鳥の気分だって言ったんだが?」
「まさかのハンロン!? いいですか、私は『鶏料理の気分』っていいました。これはなんですかセンパイ」
咲季が付きだしたのは肉が串刺しになった料理だ。一つ目を彼女が食いちぎったため、突き出た竹串の先が俺を向く。ビール一杯で、いつもは決して崩さない作法を吹き飛ばしたらしい。
「だから焼き鳥だろ。ここのは美味いぞ」
「この作家、読解力なさすぎ」
「読解力だけはまだ死んでないわ。大体、お前の皿にある空串はなんだ」
「あっ、大将、バラ追加で!」
「もはや鳥ですらないだと!?」
炭と油の匂いの漂う店内は盛況だった。俺はカウンターに近い二人席に座り、向かいの咲季の酩言を聞いていた。咲季へのお礼なのだから当然俺の金でだ。たとえそれが彼女にかかると「別の女の金」ということになろうと。
というか、咲季の中ではメタグラフはA.I.に支配されていることになっているのだろうか。人類危うし?
冗談はさておき。前回の教訓にかんがみて、咲季には事前に場所を言ってある。彼女も白のTシャツに紺のジーンズという会場に相応しいラフな格好だ。ジーンズを足首の所で丸く折り返しているのがやっぱり女子だなと思うが。
「オトコとオンナが一対一でいる以上、男は女を喜ばせることに命を懸ける。これが常識ですよ」
「そりゃお前の“ジャンル”の常識だろう。だいたい、お前の作品では朝子は焼き鳥屋に誘われて喜んでいたじゃないか」
「あれはイケメン竹宮だから許されるんです。顔が良ければいいんですよダイタイは」
「おま、それは竹宮にも失礼だろ」
ちなみに竹宮は『お品書き』二巻からのキャラだ。イケメンなだけではなく、ちゃんと心遣いもできる好青年だ。いいやつすぎて男の目からは不自然に見えることもあるが、女性向け作品の範疇内、男性向けのヒロインが女性にとっては受け付けられないキャラになるようなものだ。
ちなみにこの二つの条件から男性に受けるヒロインや、女性に受けるヒーローを出すと潜在読者が半分に減る。昨今の大ヒットはそういう要素を抑えたりしたものが多い。
「とにかくだ、咲季のおかげで仕事が上手く行ったわけだからな。今日は遠慮なく……遠慮してないみたいだが、食って飲んでくれ」
「隙さえあれば私のおかげで別の女と上手く行った自慢話ですよ。ねえタイショーどう思います?」
咲季がカウンターの向こうにいきなり話を振った。
「そりゃ先生がわるいでしょうねえ」
「大将。間接的にこの店もディスられてるんだぞ」
スキンヘッドに手ぬぐいの鉢巻きの店主に抗議した。この店主、一見すると黙々と肉を串にさし焼いているだけに見えて、客の様子は完全に把握している。突然話しかけられても当意即妙の返しを何度も見ている。
その台詞、いつ下書き推敲したの? ってくらいに。
なんでも昔は大きな料亭の料理人だったって話だ。今俺が食べているのはレバ塩だが、丁寧な下処理と焼き加減で味も歯触りも抜群。あと味噌汁が抜群に美味かったりする。
「先生。男っていうのはね、女の味方をするもんですよ」
「ほらみたことか。これが男ってものですよセンパイ」
「いや、お前が言っているのは女性読者にとっての……」
「ああでも、これで先輩もお役御免になっちゃうかもですね。うーん、ちょっと悩ましいですね」
「なんでお前が悩ましいのかは知らんが、お役御免というのはどういうことだ?」
今日の原資は『特別報酬』であって『成功報酬』ではなかったはずだ。
「だってですよ。そのアリスって女が小説を書きたいのは小説の面白さを理解するためなんですよね」
「なるほど。確かにそうだな」
まるで作家のように鋭い指摘だ。酔ってるくせに。いや、こいつは作家だったな。それも俺の何倍も。アリスが小説の面白さを知り、それでチャンネルViCとしてのパフォーマンスが上がれば、彼女が小説を書く必要はない。それは確かに道理だった。
もちろん今回のことでアリスが「小説の面白さを完全に理解できるようになった」とは言わないが、この調子ならあるいは遠からず……。
「うわ、未練たらたらの顔だ」
「報酬のいい仕事が無くなったらアレだなって考えていただけだ。あ、やっぱり今日の勘定はちょっと遠慮してくれるか」
「そんな殺生な。師匠だけに」
「そのギャグ全然面白くない。さっきの作家らしさを取り戻せ。もちろん冗談だよ。今日は好きに食ってくれ。ほら、次はなんだ? ハツなんておすすめだぞ高いが……、ってちょっとすまん」
ポケットの振動に気が付いた俺は着信名を確認した。「にげるにゃあ」という咲季の声を背に表に出た。通話をオンにする。急な連絡への謝罪もそこそこに至急来てほしいという九重女史の声には焦りが滲んでいた。
数分後、俺は咲季の白い眼と大将のため息を背中に受けてから、夜の駅へ向かった。
「契約によれば作者による監修が可能であるとなっている」
「その条項はあくまでチャンネルでの公開を前提としています。沖岳さんの言いようは公開を停止しろと言っているように聞こえます」
「人間の著作物をA.I.を活用して二次利用する場合、元作品の制作者には広範な権利が認められているはずだが」
「その通りですが、紹介を二次利用というかは議論のある所でしょうね」
東京の夜景を背に、二人の男がソファーで対峙していた。
メタグラフについた俺はそのままCEOルームに通された。部屋では二人の男が向かい合って座っていた。手前はCEOの鳴滝、奥に腰掛けるのは謹厳そうな初老の男だ。二人とも体にあった高級スーツを纏っている。
若手起業家と銀行の重役が資金調達について議論しているような光景だった。
もちろん業界の人間がこの男を銀行員と見間違ったりはしない。
沖岳幸基。
銀行員から五十歳近くで作家業に転身した。年功序列の一番おいしいところで作家になるなど、転職ではなく道楽のため早期退職したに近い。
だがその転身は見事に成功する。萩焼の小さな陶工房を世界的ブランドに飛躍させるという『極東の窯』でデビュー。縮小一辺倒の文芸分野で十年間売れ続けるというのはそれだけで偉業と言っていいのに、毎年発表される作品すべてヒット作という怪物だ。
そして、その最新作が『債券崩壊』。つまり、この大作家はアリスの次の紹介作品の作者だ。
大作家がプロモーションの監修に乗り込んでくるなど違和感しかない。ただでさえ沖岳はインタビューや対談等に一切応じないことで知られていたはずだ。
デビュー作を書いてから銀行を辞めたのではなく、銀行を辞めてから小説を書き始めたというファンが飛びつきそうな伝説も編集者から作家界隈に伝わる程度なくらいだ。
ちなみにそんな法螺話ならぬホラー話を聞かされた作家はいろいろな意味で口を閉じるしかないので、この伝説がファンには広がっていないのだろうと思ってる。
「やはりこの台本を見る限り、紹介の話はなかったことにしていただくしかない」
「当社としても出版に合わせての紹介という特例に応じたわけです。本来『アリス読書会』は出版後の作品しか紹介しないのですよ」
鳴滝が沖岳の背後に目を向けた。
「誠に申し訳ありません。この度のことはすべて私の不手際でございます。沖岳さんに事前に了解をいただかずに事を進めました」
ソファーの後ろで立っていた小太りの男が大きく頭を下げた。彼にも見覚えがある、確か御三家と言われる大手出版社の文芸部門の副編集長だ。業界では大物といっていい立場の男が、一人立たされたまま青い顔をしている。
『債券崩壊』のプロモーションをメタグラフに依頼したのはこの副編集長であり、作者の沖岳は承知していなかったらしい。意味が分からない。プロモーションは編集者の領域だ。だが、出版社と沖岳の間にそういう契約があるらしい。これが大人気作家の力というものか。作者に得があるようには見えないから余計に不思議だ。
それはともかく、この問題は沖岳と出版社の間にあるように見える。どうしてアリスのチャンネルが割を食わなければいけないのか。あと、なんで俺が呼び出される。
「これ以上は平行線ですね。さて、どうしたものか…………。ああ、海野先生来ていただけましたか」
状況の構成の不自然さについて考えていた時、鳴滝が俺を見ていった。いやな予感がした。
「どうでしょう沖岳さん。ここはプロの作家同士で話していただくというのは。海野先生はアリスの小説指導役で、今回の台本は先生の指導が大きい。そうですね、もし海野先生があなたを納得させられなかったら、今回のお話はそちらの希望通りにしましょう」
「ほう。そこまでいうなら」
沖岳幸基の目が初めて俺に向いた。大作家の眼光に俺はこわばった。
俺と沖岳幸基がプロの作家“同士”だと? やはり鳴滝は技術者だ。出版業界についてはとんと疎いのだ。ほんの少しでもこちらを知っていたら虎と猫、いや虎とネズミが違うくらいのことは分かりそうなものだ。