9話
「わかった。しかし、俺以外の暗殺者の始末はいいのか?」
私の前に跪いたままのジュードは、端正な顔を上げ、そう問いかけた。
ジュードの疑問はもっともね。影を雇うとなれば、調査させるのももちろんだけど、一番は身辺警護。普通はそう。
だけど、あいにく私は普通じゃない。
私はにっこり微笑みを浮かべた。
「そっちは気が向いたらでいいわ。暗殺者『ごとき』に殺される私じゃないから」
「…大した自信だ」
「ええ、褒めてもいいのよ?」
「…………」
そこ、目をそらさない。
まぁいいわ。
「それじゃあお願いね。くれぐれも、アルディの『影』にやられるなんて無様な死に方はしないでちょうだい」
「当然だ」
真顔のままだったジュードが、一瞬笑みを浮かべた。
いい自信だわ。
ジュードが部屋を出ていくと、部屋が静まり返る。
さきほどの会話を全て聞いていたメリッサは、顔をうつむかせたまま微動だにしない。
「安心しなさい、メリッサ」
「…………はい」
返ってきた返事は、到底安心している返事とはいいがたい。
そりゃあそうよね。
彼女はあくまでもラディカル国の人間。それも貴族。
最悪、自国の王が殺されようとしている…そんな会話を耳にして平然といられたら、それはそれですごいけどね。
****
この国にきて、今日で4日目。
婚礼の儀まであと10日。
暇潰しがてら私は、自室で椅子に腰掛ながら、ラディカル国の貴族名鑑を眺めていた。
この国の王妃になるなら、貴族くらいは把握しておく必要もあるしね。
今日も部屋にはメリッサがいる。
ジュードにアルディの動向を探らせて以来、彼女の態度はめっきりおとなしくなった。
余計なことは言わず、私とジュードが一緒にいる光景を見ても、何も言わなくなった。
まぁいいけどね。
そのとき、ふと外が騒がしいのに気づいた。
ここは後宮だ。城の奥にある以上、騒ぎがここまで聞こえるというのはまれなはず。
…ちょっと気になるわね。
「ジュード、いるでしょ?」
「ああ」
柱の影から姿を現したジュード。
アルディの動向を探らせてはいるけれど、基本は自由にさせているから、たまたま今はそこにいた。
たまに私のそばにいるのは、暗殺者が仕掛けてきたら、自分で始末したいかららしい。
仕事熱心ね。
「探ってきて」
「分かった」
言うや否や、ジュードはテラスから飛び出していった。
ここ、確か3階なんだけどね。
しばらしくて戻ってきたジュードの報告に、私は口元に笑みを浮かべた。
****
「絶対ダメです!!!」
「どうしても?」
「どうしてもです!」
出陣を控えた兵士たちの前で、私とブリア将軍は言い争いを繰り広げていた。
もう、頑固ね。
「暇なのよ。ちょっとくらいいじゃない?」
「いけません!御身は王妃となる方!万が一にでもお怪我などなされたら…!」
鬼の形相で、私の申し出をかたくなに拒否し続けるブリア将軍。
その顔を前に、私はふてくされてみた。
「いけず」
「いけずで結構です!」
「一体何を騒いでいるのかな?」
言い争う私たちに割り込む声。
2人でそちらを向くと、いつもの胡散臭い笑みを浮かべたアルディがそこにいた。
「はっ、陛下!その…リリス様が魔獣討伐に同行されると…」
「……リリス?」
アルディの目がスッと細められる。
あら、いい顔してるわ。ゾクッとしちゃう。
「だって面白そうじゃない。災害級だなんてめったにお目にかかれるものじゃないわ」
魔獣。
災害級。
普通の動物の中で突然変異を起こし、きわめて狂暴かつ凶悪化した動物を、魔獣と呼んでいた。
その中でも、特に脅威が高いものを災害級と呼称する。
魔獣は別にラディカル国だけの問題じゃない。
シリウス帝国においても発生していた。
ただ、災害級の魔獣の報告は、『リリス』としても、そして前世の皇帝時代にも聞いたことがない。
そんな面白そうなのがあるなら、首を突っ込みたくなるに決まってるじゃない♪
だからもう恰好は戦闘準備万端。きっちり動きやすいパンツスタイルに、ハルバードも持ち出している。
愛馬のシエルも待機させているわ。私の雰囲気から、久しぶりの戦場に気を高ぶらせているみたい。
「それに…どれほど強いのかしら、ね」
口元の笑みが強くなる。
手にしたハルバードを握る力が強まる。
鉄製の柄がきしむ音が聞こえる。その音に何人かの兵士たちから短い悲鳴が上がった。
そんな私を前に、アルディは変わらない。
「リリス、あなたは魔獣の討伐経験は?」
「もちろんあるわ。でも、災害級は未知よ」
魔獣の脅威は、明確な境界があるわけじゃないけど、おおよそ4段階。
下から警戒級、部隊級、師団級、そして災害級。
格付けの目安は対処に必要な戦力。
師団級までは討伐したことがある。
全長20mはあろうかという赤い大蛇だったわね。
体長とは裏腹に高い俊敏性と、全身筋肉から繰り出される尾の一撃は岩すら軽々吹き飛ばす。
そのときはシエルにまたがり、巻き付いて絞め殺そうとする大蛇をよけ、顔面に何度もハルバードを振りおろして倒したのよね。
しかし今回は災害級。
報告では、身の丈15mを超える超大型の狼型の魔獣。
既に村が3つ、城塞都市が1つ破壊されている。
報告では恐ろしいほどの力を発揮し、堅牢な城壁を正面からぶち破ったとか。
その脅威から、災害級と認定したみたい。
既に被害者は千人を超える。
これ以上放っておけば更なる被害が出る。
いや、下手をすれば並の戦を超える被害が出るかもしれない。
災害級はおろか、師団級ですら並の兵士は肉壁にもならない。
ただ数を頼りにぶつかっても、城壁を破壊する魔獣には何の脅威にもならない。
だからこそ必要なのは、最強の一手。
「アルディ、わかるでしょ?私が出ないと話にならないわよ?」
「…………」
「陛下!」
私の言葉に黙ってしまったアルディに、ブリア将軍の悲鳴のような声がかかる。
アルディの沈黙は、答えのようなもの。
今、討伐隊として編成されたおよそ2000人。はっきり言って、災害級の魔獣を前にすれば…おそらく全滅。
それはブリア将軍だってわかっている。
分かっているからこそ、私の同行を絶対に拒否している。
アルディの沈黙は、どれほどだっただろう。
数十秒か、それとも数分か。
「リリス」
私の前に歩み寄ってきたアルディ。
見下ろすその瞳は揺れていた。
「なぁに?」
「…………行って、くれますか?」
「陛下!!」
アルディの言葉に、ブリア将軍の悲痛な叫びが重なる。
「陛下、何をおっしゃっているのか分かっているのですか!?やっと…やっと陛下のご婚礼が決まったというのに!」
「ブリア将軍」
「…はっ!」
感情を無くした冷徹とも思えるアルディの声が、ブリア将軍を正気に戻した。
アルディはまっすぐにブリア将軍を見据えた。
「命令だ。リリスを討伐対象の元へ。全力で援護しろ。魔獣討伐、そしてリリスの無事の帰還。分かったな?」
「……ギリッ……はっ!」
命を受けたブリア将軍は、すぐさま部隊の編成を再開した。
一方、アルディは再び私のほうへと向き直る。
「…すみません」
「何を謝るのかしら?行きたいと言ったのは私よ?」
「それでも、です」
アルディが私を抱きしめた。
でもそれは、恋人の抱擁…じゃない。
まるで、死に別れの親子のような…悲しい抱擁。
背中に回されたアルディの腕は、二度と離したくないと言わんばかりに強く抱きしめてくる。
私も、ハルバードを置くとアルディの背中に腕を回す。
なんだろう、まるで私が母親のようね。
なんだかそのさまがおかしくて、つい笑みがこぼれる。
「クスッ、苦しいわよ、アルディ」
「…必ず、帰ってきてください」
「もちろんよ」
アルディの悲痛な言葉と真逆の、私の明るさを失わないままの言葉。
「……あなたが魔獣を討伐してくれれば、誰もがあなたをこの国の英雄と認めるでしょう」
あら、そんなことを考えていたのね。
抱擁がほどかれる。
アルディの顔を見上げれば、そんなセリフを言ったとは思えないほど、その表情は悲しさに満ちていた。
(ダメな子ね、言葉と感情が合ってないわ)
打算はある。国王なのだから当然。
いいわ。その打算乗ってあげる。