5話
それからアルディが目を覚ましたのはほんの数分後。目を覚まし、一瞬で状況を確認し、今度は捕まえる隙も見せずに逃げられてしまった。
8年にも及ぶ恋煩い。本人の口から語られなかったが、どうやら真実で間違いないようだ。もしあの動揺ぶりが演技なら、今すぐ国王などやめて劇団の主役にも推すところだけど。
アルディが逃げ…政務に戻り、静かになった部屋。これからどうするかと言えば、もちろん婚姻のための準備だ。本来であれば婚儀のためのドレスなどは持参するものだが、『必要なモノは全てこちらで準備する』というアルディの申し出により、ほとんど持ってきていない。……まぁ、そのおかげで身一つで国を越えてくるという所業もできたわけだったりする。
「王妃様、こちらへ」
そんなわけで、私のこの国最初の任務(?)は、採寸だった。
「……ありえない」
その呟きは果たして何度目か。採寸を続ける侍女たちのその呟きを、私はにっこり微笑みを浮かべて流した。
彼女らは、間近で私があのハルバードを持ち上げる様を見ている。その現実の一方で、それを持ち上げた腕が自分となんら変わらない細腕であるということ。筋骨隆々の、腕周りが女性の胴と同じくらいの男でも無理な代物を、何故こんな細腕で持ち上げ、戦場で振り回せるのか。彼女らにはきっと理解できないだろう。
侍女らの困惑がありつつも、採寸は無事に終了した。……あとはもう私にできることは無い。ドレスはあらかじめ生地は用意されており、あとは裁断・縫製。婚儀のための必要な書類も私がすることはない。
つまり…暇だわ。
そこでメリッサに、王城の案内を頼んだ。ちなみに今は戦闘服ではなく、こちらで用意してもらった簡易ドレスを着ている。
石材の廊下は綺麗に磨き上げられ、壁には歴代の王と思われる肖像画も並んでいる。
しかし、やはり国の規模の差からか、シリウス帝国と比べると少しこじんまりとした印象がある。戦費に圧されたからか、城としての規模は小さめ。
一通りの案内を受け、さてどうしようかとなった。王妃として来たけれど、まだ正式な婚儀を行っていないので私はまだ王妃未満。今は客人という扱いだ。さすがにどこに行ってもいいということはない。事前にアルディの許可が必要そうなところに行くのは面倒そうだし…
そう思ったところで、あるところがふと目に入った。あそこなら別に許可もいらないわよね?
「メリッサ、練兵場に案内してちょうだい」
「はい」
メリッサの案内に従い、練兵場へ。近づくにつれ剣戟の奏でる響きが大きくなっていく。
到着すると、刃を潰したと思われる剣で打ち合う兵士の姿が見えた。その表情は真剣そのもので、真面目に訓練しているように見える。
剣戟の音の大きさ、表情の真剣さ、体捌き…それを見る限り、なかなかに優秀な兵はそろっているようね。
(ふむ……まぁでも、フィールド家の兵の方が上ね)
フィールド家の兵はその立場上、防衛が主が任務だ。敵を迎え撃つ。守る。民を、家族を、妻を、子供を、年老いた親を。そんな守るべき人が明確になっているフィールド家の兵。彼らには一歩も引けない、守るべき存在がいる。
それに対し、これまで侵略することが主だったラディカル国の兵。それは王の欲望を叶えるための、自らの意思など問わないもの。その兵の士気は、さほど高くなりはしないだろう。
(でも…違うわね)
しかしそれを考慮しても、彼らラディカル国の兵の表情は私の思うそれは違った。何度か対峙したことがあるからこそ分かる。戦場に出ていた彼らの士気は決して高くなかった。それは私という存在ゆえか、それとも先に思った通り侵略という自らの意思を伴わないからか。いずれにせよ、彼らの腰が引けていたのは事実だ。
それに比べ、今目の前にいる兵たちの顔はどうだ。戦場ではない、訓練という場でありながらその表情は戦場で見た彼らよりも真剣だ。違う兵だから?そんなことはない。皆が皆、同じ表情をしている。ということは、これが今のラディカル国の兵ということ。
(負けはしない…。けど、苦戦は必至ね)
彼らを眺めながらそんな分析をしていると、徐々に私に向く視線が増えてきた。その視線は明らかに困惑している。それは、ただの見知らぬ令嬢がいるからか、それとも『私』という存在に気づいたからか。
その視線に応えるようににっこり微笑んであげたら、ものすごい勢いで顔を逸らされた。……ねぇ、ちょっとショックなんだけど。
すると、私の方へと歩み寄る男が一人。身なりからして一兵卒ではない。おそらくはここの隊長かしら。
「失礼、王妃様へとお見受けする」
「王妃『予定』よ。あなたは?」
「ブリア・ヘインツ。将軍を務めております」
将軍。その言葉に私は目を瞠った。
髪は赤い短髪。それも整えたわけではなく、ハサミでざっくり切ったような大雑把な仕上がり。髪と同じ深紅の瞳はけだるげな感じで眉尻は下がり気味。口ひげを生やし、年齢は40そこそこといったところかしら。鎧を身に着けているけれど、装飾性というものをそぎ落とし、実用性一辺倒の鉄板のような鎧。それもあちこちに傷が付いている。しかしその鎧を身に着けている体躯は素晴らしいの一言に尽きる。見た目からしてかなりの重量感を感じさせるその鎧を、苦も無く身に着け、ここへ歩み寄るまでの足取りにわずかな揺らぎも無い。日常から身に着け、自らの身体の一部と化している証拠だ。見上げるほどの背丈、丸太のような腕と脚、太い首は、将軍として指揮を執るよりも、特攻兵の方がお似合いじゃないかしら?
…ちょっと立ち合ってみたいわね。
でも、こんなに目立つような男なら今まで戦場で見たことがあれば覚えていそうなものだけれど。ちょっと聞いてみようかしら。
「ブリア将軍。あなたほどの方なら戦場で出会えば忘れそうにないのだけれど、出会ったことはなかったかしら?」
「……『鎌』に自ら近づく愚行は犯しません」
ああなるほど、そういうことね。だから出会わなかった、と。
「そうね。だから、今ここで出会えたんですものね」
戦場で出会えば生かしはしない。そう暗に告げると、見た目と違いずいぶん聡いようだ。心の声はしっかり届いたようで、顔を引きつらせていた。
「…ところで、本日は何故このようなところへ?」
「特に意味は無いわ。暇だから立ち寄っただけよ」
「そうですか…。兵たちも喜ぶでしょう」
(それは仇、という意味かしら?)
この中にはきっと、私が戦場で散らせた命の親族もいるでしょう。その方たちからすれば私は立派な仇。でも、むざむざやられる気はないわよ?
「では、もう少しここで見学させていただいてもよろしいかしら?」
「どうぞ。兵たちの励みになるでしょう」
そう言ってブリア将軍は兵たちの下へ下がっていった。そして一声。……いえ、一吠えね。
「お前らぁ!王妃様が自ら我らの鍛錬を見に来ておられる!気合入れろぉ!」
「「「「はっ!」」」」
だからまだ王妃じゃないってば。
ブリア将軍の一吠えに、応えた兵たちの返事も頼もしい。
兵たちの奏でる武器の唸り声をBGMに、呼ばれるまで私は訓練を眺めていた。
その日の晩餐。
広くない会場。出席者はアルディと私…だけ。本来なら私の歓迎会を開催するところを、王宮へと到着した初日の晩餐は、是非とも二人っきりでとりたいというアルディ陛下の強い要望で二人だけとなった。重鎮貴族を招いた晩餐会は、明日。
そんなわけで、会場にはアルディと私と、給仕役が数名のみ。
「貴女との初めての晩餐は、どうしても二人っきりになりたくてね」
「まぁ…光栄ですわ」
ハハハフフフと穏やかな、それでいて何ともちょっと白々しさもあるような。
8年も想われ続けていた…というのは悪い気はしないけど、だからといって私の方がそういう気持ちがあるわけじゃない。…思えば、前世の皇帝時代も誰かを好いた、愛したなんて記憶はほとんどないし、今世でも家族や友人としての愛はあれど、異性としての好意を持たれたことも、持ったことも無い。
むず痒いような、ちょっと面倒なような……なんとも複雑な感覚。面白くはあるでしょうけどね。
「お酒はいけますか?」
「ええ、もちろん」
用意されたグラスに赤黒い液体が注がれる。給仕役が下がり、互いにグラスを手にしたアルディと私。
「それでは……リリスがこの国に来てくれたことを祝して、乾杯」
「乾杯」
口に含んだ液体は、芳醇な葡萄の香りを立ち上らせつつも、予想以上に強いアルコールの刺激を伴わせた。明らかにここに来るまでの道中で口にしたワインより、ずっと度数が高い。食前酒として出された酒にしては妙。これはどういうつもりかしら?
ちらりとアルディに目を向ければ、それを待っていたかのような笑みを浮かべている。なるほど、分かっていてこの酒を出したわけね。
私はさほどお酒には強くない。それはお父様も同じで、血筋かもしれない。口にする量は精々場の雰囲気に馴染む程度。酒豪と呼ぶには到底及ばず、だからといって一口程度で倒れるほど弱くも無い。
しかし、今出されている酒を飲み続ければいずれは潰れてしまうだろう。人前で酒をたしなむ際、自分の許容量を知っておくことは当然。それも何かあれば醜聞どころでは済まない令嬢ならば尚更。
アルディがこの酒をどんな意図で出してきたのかは分からない。私を酔いつぶれさせるつもりか、それとも別の意図か、分からない。分からない以上、下手にこのまま潰れるわけにはいかない。
「いかがです?お口に合いましたか?」
「ええ、こんなに美味しいお酒は初めてですわ。一度に味わうにはもったいないですわね」
「大丈夫ですよ、貴女のために今夜は大量に仕入れましたので。いくらでも味わってください」
そうきたわね。これは酔いつぶれさせようという意図で間違いないかしら?でも生憎そうはいかないわ。
「今夜はお酒を味わうより、アルディとの語らいを楽しみたいですわ」
もうこれ以上飲むつもりはない。その意図を滲ませれば、アルディは上出来とも読めるような笑みを浮かべた。
「そうですね。では、ここからは別のを」
そう言って別の瓶を給仕に用意させる。新たに出された瓶からはアルコールの香りがせず、代わりに新鮮な果物の甘い香りがした。
一口含めば、予想通りアルコールは含まれておらず、高級な果物ジュースだ。ほどよく割ってあり、ささやかな甘さと酸味が先ほどまでの強いアルコールを薄れさせてくれる。
それからの晩餐は表面上は穏やかな、それでいて何か意図を含むような会話ばかり。……はっきり言って疲れたわ。
料理は美味しかったし、出される飲み物も以降はアルコールを含まないものだけ。
晩餐が終わった後部屋に戻ると、侍女たちを下がらせる。部屋には私一人。
(つくづく、食えない男だわ)
さっきの晩餐を思い出す。どこまでいっても本心を匂わせない腹黒っぷりに、少しうんざりするところもある。だが、退屈しそうには無い。現時点では、彼の意図がさっぱり読めない。本当に私が欲しくて王妃にしたの?あの動揺ぶりからそれもありそうだけれど、それにしてはその本心(?)をひた隠しにしている。
(…まぁ、好きだったとしてそれをペラペラしゃべる口の軽い男は好きではないけれど)
それとも、それ以外の理由?人質か、もしくは…暗殺。仮に私が殺されればお父様は激昂するだろうけど、シリウス帝国自体がどう動くかといえば分からない。まぁ動かないだろうというのがおおよその予測だけど。
「さて、と…」
私は手持ちのバッグに手を掛けると、ナイフを一本取り出し、枕の下に忍ばせる。まさか敵国にいて何も武器も持たずにグーグー寝るほど無神経じゃない。暗殺を警戒するのは当然のこと。
ハルバードは向かいの部屋だし、室内で振り回せる武器じゃない。暗殺者の数人くらいならナイフ一本でどうにかできる自信くらいはある。
侍女を呼びなおすのも面倒になって、そのまま自分で夜着に着替える。
(おやすみ…)