22話
全ての処理が終わり、元シリウス帝国領も落ち着いてきた頃。
私は練兵場で、兵たちの訓練の相手をしていた。
ラディカル国はシリウス帝国の領地も治めたことで、ほぼその領土を倍に広げた。
それはつまるところ、それだけ守る場所が増えたということ。
混乱を避けるため、歴戦の兵士の半分が元シリウス帝国領へと出向。
そのため、新たに兵を雇用する流れに。
もちろん、元シリウス帝国領内でも兵の募集と調練をおこなっているけれど、そうすんなりとはいかない。
あまりに突然の、シリウス帝国の滅亡。
そんな状況下で、すんなり元敵国のラディカル国の兵士になろうという者はそういなかった。
なので、ラディカル国内での募集がメインとなり、それを鍛えるための相手も必要ということで、私が練兵場で日々新人兵士の相手をしていた。
「はっ!」
手にした木剣で切りかかってきた兵士を打ち払う。
今の私は、兜と鎧を身にまとい、ぱっと見は誰だか分からないようにしている。
さすがに新人兵士では、王妃相手に本気で立ち向かえるわけがないので、一応正体を隠すために。
知っているのは教練を施す指導官と、一部の先輩兵士だけ。
そして今は、私一人に10人の新人兵士が相手をしている。
強敵相手に、数の利を生かす戦法の勉強中というわけね。
「お行儀よく一人ずつかかってきてはダメよ。一斉にこないと」
そう言っても、新人同士の連携が取れていない。
結局、同時にはできず、誰かが飛び出せば一拍遅れて次が…という感じで、丁寧に一人ずつ迎撃できてしまう。
「ふぅ…」
日が傾き始めていた。
今日の教練を終え、練兵場を後にする。
後宮に戻ると鎧を脱ぎ、かいた汗をお風呂で洗い流した。
「精が出るね」
私室に戻ると、そこにはアルディがいた。
ソファーに座り、優雅に紅茶を飲んでいる。
革新派貴族の掃討、シリウス帝国の領土吸収と多忙続きだったけれど、最近は落ち着いたのかこうして姿を見せるようになった。
…相変わらず、夜はそれぞれ寝ているけれど。
「ええ、誰かさんのおかげで人手不足だもの」
「そうだね。でも、その誰かさんのおかげで充実した日々になっているんじゃないかい?」
「…それで、何の用かしら?」
アルディの隣に腰を下ろすと、私の前にも紅茶が置かれる。
一口飲み、隣に目を向けると満面の笑みのアルディ。
「やっと全ての処理が終わったんだ。これでようやく、君を手に入れた」
「…?」
言っている意味が分からないわね。
処理が終わったから、私を手に入れた?
アルディが合図をすると、控えていた侍女たちが退出していく。
どうやら聞かせたくない話をするようだ。
「…どういう意味かしら?」
「言葉の通りさ。私は君の全てを手に入れた。やっと、君は私のものだ」
そう言い、私の腰に手を回してくる。
その言葉の意味がわからないと言っているんだけれど。
「もう結婚してるじゃない」
「それだけじゃ足りない。だって、もし君が私を殺せば、母国に帰ってしまうかもしれないじゃないか」
「……まさか、そのためだけにシリウス帝国を侵略した、と?」
ありえない可能性が口を突いて出た。
そんなことありえるわけがないのに、目の前の男はそれが正解とでもいうかのように笑みを浮かべている。
「君の帰る国も、場所も、すべて私のものだ。君という存在は、もう私から逃れられない」
狂気。
この男を表すとすれば、その一言しかないだろう。
一体どこの世界に、女一人手に入れるために国を手に入れようなんて考えるかしら。
ただただ、呆れるしかない。
いや、ちょっと待って。だとしたら…
「…まさか、オルランティス国を侵略『させた』のは、あなたの仕業?」
「正解。さすがはリリスだ」
「呆れるわ、あなた…」
「お褒めにあずかり、光栄だね」
「皮肉よ」
信じられない。あの一件が、完全にアルディの手の上だったなんて。
この男は、いったいどれだけ先を読んでいるというの?
「直接攻めたら、私がリリスに殺されるからね。だから、よそに攻めさせてその救援という形で王都に近づいた。あとは御覧の通りさ」
そこまで織り込み済みとはね。
全く…呆れて物も言えないわ。
「どうする、リリス?シリウス帝国を滅ぼした私を殺すかい?」
そう言って私の手を取ると、自分の首元へと持っていく。
本当に、ふざけた男だわ。
殺されないと、そう分かっていてこんなことするんだもの。
「言ったはずよ。私にとって大事なのは民。国ではないわ」
「そう。君はそういう人だ」
「…でもね、今回の侵略で全く民が死ななかったわけじゃない」
民だけじゃない。国を守ろうとしたシリウス帝国の兵たちもいる。
どんな事情であれ、彼らがアルディの策略の元、死んだというのは事実。
だから…
「っ!」
「これはお仕置き」
アルディの首に添えられた私の手。その手に、ちょっと力を込める。
それだけで私の手は気道を圧迫し、アルディの呼吸が止まる。
数秒後には力を緩めた。
「げほっ!…ふふ、残念だ。君の手で殺してもらえるなら、本望だというのに」
「…本気で言ってるの?」
「本気だとも」
そう言い切るアルディの目は、本気だった。
「君が私を殺せば、私と君の名は未来永劫語り継がれることになる。王を殺した王妃と、王妃に殺された王。これほどに名誉なことがあるかい?ああ、安心していい。君が私を殺しても、君の一族が罪に問われることは無いと、ちゃんと遺してあるから」
ご丁寧にそんなことまで言ってくる。
ああ、本当にこの男は狂ってるわ。どこまでも。
改めてそう感じる。
アルディの言葉はどこまでも本気だ。
初めてこの国に来た時から、本気で私に殺されていいと思っている。
そんな頭のおかしい男を前に、私の口からは笑みがこぼれる。
「ふふっ、本当におかしい人だわ。あなたは」
「君にふさわしい男だろう?」
「ええ、その通り。私以上にあなたにふさわしい女はいないわね」
一体どこに、自分に殺されてもいいと思うような男と付き合える女がいるだろうか。
それはきっと、相手もまともな女じゃない。
常軌を逸した膂力と、そしてありえぬ前世を持つ私。
そんな私だから、こんな男じゃないと満足できないかもしれない。
ろくな力ももたないのに、頭一つで王となり、国を獲り、国を操る。
それほどのことをして得たかったのが、私一人という事実。
こんな狂った男、誰かに任せたくない。
殺す?そんなつまらないことをするなんて、もったいないわ。
ただ一つ気になることがある。
それは、この狂気の男がどうして私にそこまで執着するのか。
自分で言うのもなんだけど、私にそこまでの価値があるとは思えないわ。
…いえ、一人で災害級を討伐できるなら国一つの価値はあるかもしれないけど、少なくともそこに『女』としての価値はない。
だから、それだけはアルディの口から聞きたい。
「ねぇアルディ」
「なんだい?」
「あなたがそこまで私にこだわる理由は何かしら?」
そう聞いた時、彼は天井を見上げた。
「…女神さ」
「…はっ?」
「あの日、初めて君を見たとき、ぼくの前に女神が現れた。そう確信したんだ。鮮血に濡れた、黄金の女神。万の軍勢をものともせず薙ぎ払ってきた女神。その女神に、私は声を掛けられた。『逃げなさい』と。ああ、なんと甘美で美しく、清らかな声だったか。当時、恐怖で染まっていた私の心は、あっという間に別の色に塗り替えられたんだ」
「………」
まさかの女神宣言に、私の開いた口がふさがらない。
「ああ、その時ぼくは女神に恋をした。そして誓ったんだ。必ずこの女神を手に入れて見せると。いかなる手段を用いてでも、何年かかろうと必ず。血濡れた女神にふさわしい王となって迎え入れる。そのためには、父を引きずり下ろし、他国を操り、女神の生まれ故郷すらも飲み込んで、我がものとする。ああ、我が願望はここに成ったんだ」
そう言って恍惚の表情を浮かべるアルディに、私はなんともいえない表情を浮かべるしかなかった。
よりにもよって、あれで?
巨躯の馬に跨って、身の丈を超えるハルバードを手に持ち、血濡れに染まった姿を見て恋をした?
…ほんと、狂ってるわ、この男。
「愛していますよ、リリス」
いえ、もしかしたら狂わせたのは私かもしれない。
そんな姿を目前で、年端もいかない少年が目にすれば精神を病んでもおかしくない。
だとすれば、アルディがこうなったのは私に責任がある。
だって、本当のアルディは…
「ねぇアルディ」
「なんだい、リリ…っ!」
アルディを押し倒し、ソファに寝かせる。
その上に覆いかぶさると、じっとアルディの瞳を見つめる。
「ど、どうしたんだい、リリス?」
ほら、この程度で動揺してる。
女性に乗られただけで落ち着きが無くなるなんて、そんな純情さを持ちながら、一方で顔色一つ変えずに国一つ落とす。
こんな危うい人を、放ってはおけないから。
「アルディ」
「う、うん」
「あなたは、私が守るわ」
そう言って、アルディの唇にキスを落とす。
それだけで顔を真っ赤にさせるアルディが、愛おしくてたまらない。
「……あら。また気絶してるわ」
(ふふっ、本当に面白いわ)
アルディの上から体をどけると、ソファに座り直し、膝にアルディの頭を乗せる。
「私も…愛してるわよ、アルディ」
あんな熱烈な告白を受けたんですもの。
私からの返事も必要よね。聞こえてないでしょうけど。
気絶したままのアルディだけど、その顔は穏やかだ。
「ふふっ」
アルディのサラリとした前髪をなでる。
(あなたといっしょなら、ずっと面白い人生になりそうね)
ふと前世を思い返す。
不正を許さず、愚かを見逃さず、行き過ぎた清廉潔白を求めたかつての私。そんな私が、一度でも人生を面白い…なんて考えたことがあっただろうか。きっと無かったわ。
そんな私が、今ではこんなに腹黒な男を愛している。別に不正をしているわけでも、愚かでもない。けど、こんな回りくどく策を張り巡らせることは、卑怯者のすることと罵っただろう。
けれど、そんな彼の治世こそが、人民の求めるもの。安心で、安全で、法に則った裁きのみを行う。
革新派貴族の掃討も、関係者以外は無暗に罰しない。元シリウス帝国も、愚かな皇帝とそんな皇帝を正そうとしなかった者たち以外はそのまま重用している。
オルランティス国も命綱こそ握っているけれど、結果的にオルランティス国民の食を保障するに至っている。
そして何より、そんな人の隣にいること。そのことに他ならない私自身が一番安心している。
狂っていようと、純情すぎようと、それでも安心できるこの人の隣。
だから、アルディにとっても、私の隣が安心だと思ってほしい。
それからしばらくして目を覚ましたアルディは、何事もなかったかのように振る舞っている。
そんなところも可愛らしいわ。
「ねぇアルディ」
「なんですか、リリス」
「あなたは私が殺すわ」
そう言うと、アルディは満面の笑みを浮かべる。
「ええ、お待ちしていますよ」
間髪入れずにそんなことを言ってくる。
それに私も笑みを返す。
「だから、あなたは誰にも殺させない。私が殺すまで、私が守るから」
私の言葉にアルディはきょとんとした表情になる。
ふふっ、やっぱり驚いてるわね。
「ええ、もちろんです。リリス、あなた以外に絶対に殺されないと誓いましょう」
「約束よ?」
「ええ、約束です」
2人で微笑み合う。
常軌を逸した女と、狂った男の、奇妙な愛の誓いは、今ここに。




