2話
「はぁ……」
デビュタント当日。初めての社交界デビューということで着飾った私を前に母は盛大なため息をついた。
ため息の理由は想像がつく。私の結婚相手が見つからないだろうという懸念からだ。
デビュタントは初めて社交界に飛び込むということであまり派手には着飾らない。貞淑を示す白のドレスに、黄金のティアラ。それだけ。私の場合、髪色に被るからあまりティアラが目立たない。
「…こんなに可愛らしいのに……なんで戦場になんか…」
自分で言うのもなんだが、私はそれなりに見目は整っているほうだと思っている。戦場で動き回るので体型に余分な肉は無く、それでいて女性らしい膨らみは備えている。
目はぱっちりとしており瞼は二重。唇は淡い紅で、ほとんど化粧は要らない。血管が透けて見えるほどの色白ということはないが、日焼けしにくい体質で肌艶も年相応だと思う。戦場を駆け回るたびに血濡れになる髪は、侍女たちの涙ぐましい努力のおかげで艶を保っている。…一部では血の脂で艶が出ていると揶揄されたこともあるけど無視。
それでいて国内では最も敵国に攻められて退け、その恩賞で都度領地が拡張され、結果最も広い領地を抱える辺境伯家の令嬢。領土も資産も豊富、経済という面でも有力侯爵家に全く引けを取らない。
弟がいるので跡継ぎにはなれないけれど、縁続きになるだけで相当な利益は得られる。自分で言うのもなんだけど、国内でもっとも『優良物件』な令嬢だと思う。それを、自ら戦場に出て『事故物件』に変えているのも私なのだから何とも言えない。
「では行ってまいります」
嘆く母を放置してデビュタントのために王城に向かう。遅い馬車ではなく、馬にまたがって駆けたいのだけれど、絶対にダメだとお父様に阻止された。これ以上事故内容を増やすなと懇願された。さすがに親不孝になりたいわけじゃないので大人しく馬車に乗った。遅すぎてイライラした。
華やかな王城の舞踏会場には私と同じデビュタントを迎えた令嬢や、その親、令嬢との婚約を狙う令息などが大勢いる。豪奢なシャンデリアに照らされた会場で、あちこちで談笑が交わされている。明らかに初心な反応を見せる娘もいれば、既に婚約が決まっているのか、既に男と堂々と腕を組んでいる者もいる。父親の背に隠れたままの娘と、様々だ。もちろん既にデビュタントを済ませた令嬢もおり、そういった者たちは数人で集まり、デビュタントを迎えた令嬢一人一人を見据えては何かささやき合っている。華やかな見た目とは裏腹に、腹の中は真っ黒そうだ。
馬車のイライラを抱えたまま王城に到着したせいで、いくら表情を誤魔化しても漂う雰囲気はごまかせない。陛下への挨拶後早々に完全に壁の華と化した私。
幾たびも戦場に出て最も敵兵を屠ってきた私を『英雄』と呼ぶ者もいるけれど、このような社交界の場でそれを口にするものはいない。お母様に連れられて他家の茶会に出席したことは何度かあるけれど、下手なことを口にして首をもぎ取られてはかなわないとどこにいっても腫物扱い。戦場でもないのに無益な殺生などしないのに…
そもそも、私を毛嫌いする筆頭がかつての息子…皇帝だ。かつての皇帝…父親が正義と断罪を繰り返してきたせいで、強引な解決方法を望まない性格になってしまった。武力も含めて、だ。これまでのラディカル国の侵略行為でも、その度に使者を派遣して話し合いでの解決を望んできた。…実際に話し合いで解決したことは無いけれど。
そうして、皇帝も毛嫌いする私を、望んで嫁として迎え入れようとする者はいない。もっとも、私自身嫁に行きたいという願望はさほど無い。必要性を感じていないから。最悪腕一本で食べていける。
(暇だわ…)
誰からも声を掛けられず、声を掛けたい相手もいない。むしろ私に声を掛けられたら迷惑と感じる相手もいるだろう。
そのまま中庭へと出た。舞踏会が開始して間もないために、もう中庭に出るような物好きはいない。熱気に当てられて涼みに来る者もいないし、デビュタントを迎えたばかりの令嬢がいきなり一人で中庭に来ることもない。
かつての居住でもあった王城。15年しか経っていないのもあって、内装に大きな変化は無い。あえて言えば、少し豪華になった…というところか。
(…まぁ、このくらいはいいでしょう)
もう我が物でもないのに、そんな感想を抱いてしまう。一体何様なのかと苦笑していると、後ろから足音が聞こえてきた。
くるりと振り返ると、そこには男が立っていた。年のころは30に近いか。赤い髪にこれまた赤い瞳。目つきは本来は鋭いのだろうが、今は穏やかな目つきをしている。顔立ちは整っており、そこいらの令嬢なら放っておかないほど美麗だ。顔に…見覚えは無い。
連れがいるわけでもなく、あちらも一人。しかも、その目はどこを向くことも無く、しっかりとこちらを見据えている。気まぐれに中庭に来た…わけではなさそうだ。
「舞踏会は始まったばかり…もうおひとりとは寂しくございませんか?」
なるほど、相手をしてくれるというわけなのね。声色から、はぐれて一人になった令嬢を狙う狩人のような雰囲気は感じられない。純粋な、紳士としての気遣いが感じられるわ。
「いえ、ご心配には及びませんわ」
にっこり微笑み、気遣いは無用だと暗に伝える。この年になるまでまったく婚姻の話が無かった私だ。デビュタントを迎えたからといって早々に声を掛けられるとも思っていない。そういった意味では、声を掛けられたこと自体意外だ。それだけに、別の思惑があるのではないかと疑ってしまう。
「そうですか。ですが実は私、誰も相手にされておらず……慰めと思ってお相手をしていただけますか?」
今度はそう来たのね。寂しく、優しい令嬢ならそれならと行ってしまうだろう。だけど、この見た目で誰にも相手をされない?あり得ないわね。どう見ても女性受けする顔よ。そんな偽りを口にされれば、なおさら疑心暗鬼になるというものよ。
「すみません。私、人の集まるところは好きではなくて…」
少しだけ目を伏せるような仕草を付け加え、戻りたくないという意思表示。さて、これでどうでる?と思えば、男はつかつかと歩み寄り、私の隣に立つ。
「私も同じです。でしたら、ここでゆっくり語り合いませんか?」
そう言って、まるで警戒を抱かせない穏やかな笑みを向けてくる。
(どうしたものかしら)
胡散臭い。率直にいってそれが感想。全く警戒を抱かせないような言動だからこそ、逆に怪しい。それに、この男……さっきから一切名乗ろうとしない。
「リリス・フィールドですわ」
名乗らないなら先に名乗ればいい。男の方を向き、にこやかにほほ笑んで。
ただ名乗っただけ。しかし、男の雰囲気は明らかに変わった。名乗った私の意図を察したにちがいない。
『お前は誰だ』
穏やかな笑みがわずかに曇る。そして、今更気づいたとばかりに言葉を紡ぎ始めた。
「これは失礼。私はスターズ家の次男、『ウェッケン・スターズ』です」
そう言って私の手を取り、手袋越しにキスをしてくる。が、そのキスが手袋に触れることは無く、取った手を振りほどき、近づいた男の顔面を口をふさぐように掴む。
「!?」
慌てる男の声を塞ぐように『少しだけ』力を籠める。けれど、あいにく私はフィールド家の人間。『少しだけ』が、常人の少しだけとはレベルが違う。
「妙なことをすれば、このまま握り潰すわ」
顔を寄せ、耳元でそっと囁く。冗談でも脅しでもなく、実行する。その意思が伝わったのか、男はそれ以上余計な動きは止めた。
「残念ね。引きこもり男ウェッケンとは数日前に会ったばかりなの。調べが足りなかったわね」
ウェッケン・スターズ。スターズ伯爵家の次男だが、薬学にのめり込んで領地内に作った施設に引きこもる変わり者だ。それだけに、夜会にも人前にも滅多に姿を見せない。たまたま、数日前に軍の医療関係者の付き添いで彼の施設を訪れ、その際に面会したがどうみても目の前の男とは似ても似つかない風貌だ。
おそらく、人前に滅多に出ないからと成り代わったんだろうけども、非常にタイミングが悪い。もし彼と既に出会っていなければ騙されていたかもしれないわね。
実在する人物に成り代わった目の前の男。それも国内の有力貴族の子息に。…となれば、目の前の男がどういう人物か、自ずと推測されるというもの。
「さて……」
口をふさぐ手とは別に、喉をそっと別の手で掴む。
「質問に答えて頂戴。黙ったり嘘と分かる答えなら…」
喉を掴む手にそっと力を込める。それだけで男の目が変わった。なにせ、気道を圧迫し血流も止めかねないからだ。もっとも、それで終わる気も無い。
「わかるでしょう?」
にっこりと微笑めば、男は目配せで頷く。この舞踏会の場にあって、ただの令嬢のつもりなどさらさらない。今の私は戦場を駆け、幾多の敵兵を屠ってきた『英雄』。目の前の怪しい男を、黙って帰すような…国益に反する行為はしない。
口を塞いでいた手を放す。少し喉を締めたせいか、唇は血色悪く青くなりかけていた。
「最初の質問。あなたはだぁれ?」
「…ラディカル国親衛隊バーツだ」
「……へぇ」
驚き半分、納得半分、といったところかしら。
100年以上戦争状態が続く敵国ラディカル。休戦や停戦はあれど、終戦にいたることはなかった。その国の親衛隊が、陛下もそろう舞踏会の場にもぐりこんでいる。……今更ながらに、この国の警備状況に正気を疑ってしまうわ。
「じゃあバーツ、二つ目の質問。あなたの目的は?」
「………」
この質問には口を噤まれた。こうなると、最初の質問の答えも事実だったのか怪しいと感じてしまうところだけど、今はそちらは保留。答えにくいということは、それだけ重大な任務を帯びてきたと見るところね。
そこで、彼の行動を思い出す。仮に、彼の任務が皇帝の暗殺だとしたら?だとすれば、私に声を掛けてくる理由が無い。むしろただのリスクでしかないわ。そうなるとつまり…
「目的は私、かしら?」
「……」
答えは無いまま。だけど、明らかに目を逸らされた。図星、ということね。潜入し、貴族の身分を偽り、私をリリス・フィールドだと知って近づいてきた。それが敵国の親衛隊ともなれば…結論は一つ。
「残念ね。大人しく暗殺されてあげるほど腑抜けじゃないのよ?」
戦況を左右するほどの者を、敵国が暗殺しにくるのは常套手段。そんなことは私自身百も承知。そう思ったのに……
「っ!っ!」
首を掴んでいるのに、彼は思い切り頭を横に振った。しかもやたら必死に。
(これはどういうことかしら?)
暗殺対象に暗殺することがバレて動揺している?だけど、敵国の間者である時点でそう思われることくらいこのバーツという男とて理解しているはず。
「………」
「………」
首を掴んだ手はそのまま、空いている片方の手で私は彼の身体をまさぐり始めた。
「っ!」
「動かない喋らない。いいかしら?」
声を上げようとした彼を制する。服のポケットやズボン、暗器を仕込めそうな場所をひたすらまさぐる。首を掴みながらだから手が届かない場所もある。私の手が、彼の股間に近づくと途端に動揺し始めた。面倒なのでちょっと首を絞める。
「っ……」
大人しくなったので遠慮なく。
これでも元男。男性の陰部の知識も経験も引き継がれている。…まぁだからといって他人のモノを触ることに一切抵抗が無いとは言わないけれど。
そうして手の届く範囲全てを探り、出した結論。
(どこにも暗器は無い。……完全に丸腰ね。どういうことかしら?)
私を暗殺しに来たのなら、武器の一つや二つは携行していてもおかしくは無い。というか、武器無しで私を仕留めるつもりなら無謀もいいところね。
「目的は私。だけど、暗殺することじゃない。合ってるかしら?」
「っ!っ!」
その通りだと言わんばかりに首が縦に振られる。見るとちょっと顔色が青くなってるわ。少し緩めてあげましょ。
「っ…ふー……」
緩んだ喉で細く呼吸をしている。ちょっと加減を誤ったかしら?
暗殺じゃないなら誘拐?まぁ無理でしょうけど。でもその線も薄そう。何か薬品を持ってるわけでもない。本当に丸腰。こうなると本当にバーツの目的は分からなくなってくる。
「…聞くのは最後よ。あなたの目的は?」
最後、の意味は理解してもらえたはず。視線をあちこち彷徨わせた彼は、観念したとばかりに口を開いた。
「…あなたに、想い人がいるのかを確認しに来た」
「…………」
(あらやだ、口をポカーンと開けて間抜け面を晒してしまったわ)
でもそうなってしまってもおかしくない。わざわざ敵国の親衛隊が、間者というリスクを冒してまで成そうとした任務が私の想い人確認?
「………」
「………」
言って腹が据わったのか、こちらをまっすぐ見据えてくる。その様子に、偽りの心は見えない。
「…あなたたちの国王は何を考えているの?」
貴重な人材である親衛隊を使ってやることがこんなこと?本気で呆れてしまう。しかし、バーツからそれを否定する言葉が出てきた。
「違う。殿下の意思だ」
「……あらそう」
国王かと思ったら王子だった。そうなのね。でもそんなことどうでも……
「…私に想い人がいなかったら……どうするのかしら?」
「それは………分からな」
「う・そ」
一瞬の逡巡が見て分かった。嘘は聞かない。指を一本絞め、さっさと吐けと促す。
「それは……言えない。同じ男として……」
「………」
確か、ラディカル国の王子はまだ未婚だったわね。それで、女性である私の想い人がいないかの確認……
(ありえないわね)
出ようとした結論は否定する。誰がこんな事故物件を欲しがるというのか、それもよりにもよって敵国の王子が。
(もう面倒ね)
皇帝、もしくは誰かの暗殺ではない。間者の存在は許しがたいけど、なんだか急に毒気が抜けてしまった。というか、そんな王子の我儘に付き合わされた目の前の男が急に不憫に思えてきた。
女一人に想い人の有無を確認するためだけに生死を懸ける…というか命の危機。
「哀れだわ……」
心からそう思った。それが声にも滲んだものだから、本気で哀れまれていると思ったバーツは、必死の形相で訴えてきた。
「違う!殿下は…」
「し・ず・か・に」
首をキュッと。それだけで大人しくなった。というか一瞬気を飛ばした。動脈をちょっとだけ締めてあげたから。
「あまり騒ぐと面倒だから突き出すわよ?」
「……わかった」
さて、どうしたものか。バーツの目的は……まぁおおよそ知れた。じゃあはいサヨナラ…というわけにはもちろんいかない。たとえその目的がどんなに下らなくても目の前の男は不法入国、身分詐称、重大な国家間の問題事案。そして、そんな彼の命運は私が握っている。文字通り、この手が握っているけれど。
「…それで?これからあなたはどうするの?」
「……あなたの答えを聞いてから、だ」
「想い人はいない、これでいいかしら?」
想い人はいない、それは真実。これまでに戦場で出陣し、男との出会いは腐るほどある。他領や国軍からの援軍でいろんな男と顔を合わせる機会は山ほどあった。半分近くは皇帝時代の見知った顔で、もう半分は知らない顔。私と同年代か少し上。でも、興味惹かれる男はいなかった。
「…ここから逃げて、殿下に報告する」
「逃げられると?」
にっこりと微笑んだのに男の顔は青ざめたまま。
「失礼ね、美少女が微笑んであげたのにそんな顔をするなんて」
くすりと笑っても、バーツの顔色は変わらない。まぁ、死神の鎌を当てられたままでそんな余裕が生まれるわけもないわね。
「ある約束をすればこのまま逃がしてあげるわ」
私の言葉にバーツは信じられないとでもいうような顔をする。なんだか失礼ね、この男。
「…あなた、もしかして私が喜んで戦場で人殺しをしているとでも思ってるの?これでも、戦場以外で人を殺したことは無いわ」
前世は除いて、と心の中で付け足しておく。お前たちが侵略しに来なければ私は人殺しをしなくて済んでいるのに、と暗に付け足しておく。
私の言うことを素直に受け取ったのかそうでないのか、悩む素振りを見せるバーツ。まぁどちらでもいいのだけれど。
「それで…約束とは?」
ああ、そちらを確認しにきたわね。一応は私の言うことを信じたということかしら。
「このまま私と暇つぶしにおしゃべりをしましょう。それが終わったらまっすぐラディカル国に帰りなさい。『余計な事』をせずに」
「それだけ…か?」
「ええ、それだけよ」
本当はこのまま見逃してもいいのだけれど、ただ単に今暇だから。その暇つぶしの相手になってもらえればそれでいい。ついでに、『余計な事』をするなと念押しも。
「わかった、約束しよう」
「ええ、約束」
そう言い、首からようやく手を放す。バーツの首には私の手の跡がくっきりを刻まれていた。跡を確認するように、ほぐすように喉をさするバーツ。
こっそり私から距離を取ろうとしたので、すぐさま手首をつかむ。
「ダメよ、そんな距離を空けちゃ。逃亡の意思ありとみて約束破棄よ?」
「…離れるつもりじゃなかったが…わかった」
離れたのは恐怖心からかしら?本能じゃしょうがないわね。
「しかし、本当に私とのおしゃべりをしてよろしいのか?今日はデビュタントなんだろう?」
最初の対面と打って変わり、丁寧なようでぶっきらぼうなバーツ。おそらくこちらが本性なんでしょう。そちらのほうが私もやりやすいわ。
「ええ。『黄金の死神の鎌』に話しかけるチャレンジャーなんていないわ」
『黄金の死神の鎌』。シリウス帝国ではなく、ラディカル国では私はそう呼ばれている…らしい。戦場でセクトにまたがり駆ける私は、その長い金髪が戦場で靡く。その形が鎌を連想し、そしてその度にラディカル国兵士の首が飛ぶ光景からそう呼ばれるようになっていた。
「…意外だな。見た目はこんなに可愛らしいのに」
「ありがとう。見た目は、でしょ?」
戦場に出て7年。私の名と姿は知れ渡っており、もう見た目だけで寄ってくる男はいない。おかげで、どんなに着飾ったとしても、男に声を掛けられることだけはもう絶対にないと言える。バーツみたいな特殊な任務を抱えている人間でもなければ。
「バレれば殺される。そう覚悟して来た。生きて帰れると考えたことも無かった」
「…じゃあついでに私の評判も変えておきなさい。戦場に来なければ殺されない、ってね」
もはやラディカル国では私は無差別殺戮者扱いだわ。まぁ確かに本来他国の間者を生かして帰す…なんてことはありえないし、帰すにしても偽の情報を掴ませて…なんて策略として使うかだ。
「私からも質問させてもらおうかしら。あなたの主はどんな人?」
最もラディカル国にとって忌避すべき存在である私。その私に、想い人がいるのかなんて確認させる馬鹿……いえ、理解できない王子。どんな人物なのか、ちょっとだけ興味があるわ。
「殿下はとても素晴らしいお方だ。今の状況を大変嘆いておられる。何故隣国に侵略を続けるのかと、これからは融和の時代であるとしきりに唱えておられる」
「へぇ……」
その言葉を鵜呑みにするつもりはないけれど、どうやら歴代の王とは少し違う考えを持っているようだと想像はつく。
「…確かにラディカル国は決して裕福ではない。だが、その裕福が失われているのは何も国土のせいだけではない。度重なる戦費が財務を圧迫している。余計な戦争をやめるだけでも、国民に負担をかけずにすむ。そう働きかけている」
「そう」
「それだけではない。殿下は自ら街に足を運び…」
…少し聞いただけなのに、どうやらバーツはその王子をやたら心酔しているようだ。さっきから王子賞賛が止まらない。というかバーツは気づいていないのか、その内容に国家機密がちょくちょく混ざっているのだけれど…
幸い聞いているのが私だけで、未だに誰も中庭に足を運ぶ様子は無さそう。
しかしさっきから段々声も大きくなっている。このまま放置するとさすがに気づく人も出てくるかもしれない。……人選ミスってるわよ、ラディカル国王子?
「…であるからして、アルディ殿下は」
「ちょっと」
これはまずい。ついに王子の名前まで口にしだした。仮にもここは敵国の領土でしょうに、それを忘れてしまうほど王子賛美に酔いしれている。…仮にこいつが敵国間者だとばれても私に非は無いけど、見逃すといった手前、それはなんだか後味が悪い。
「むっ、なん…」
「さ・わ・ぎ・す・ぎ」
お顔にっこり。心…ぷんすか。そのくらいの気持ちだったのに、バーツは一転青ざめた。それどころか脂汗までかき始めた。ようやく自分の醜態に気付いたかしら?それとも……私のにこやかな殺気のおかげかしら?
「…す、すまない」
「わかればよろしいわ」
これ以上ここに…というかバーツといるのは良くなさそうだわ。舞踏会はまだまだこれからという感じだったけれど、私は早々に退散することを決めた。
すると、退散する私にぴったりくっつくようにバーツが付いてくる。そのせいで、やたらと衆目を集めた気がするけれど、まぁいいわ。どうせ彼は国に帰るんだし。
フィールド家の馬車の手前、周囲に誰もおらず、話声は誰にも聞かれることは無い。そんな位置で別れとなった。
「それじゃあバーツ。戦場ではないどこかで会いましょう」
「…ああ。あなたも、お気をつけて」
「ふふっ。私が心配されるなんていつ以来かしら」
愉快な男ね。そんな彼が心酔しているラディカル国王子…アルディ。少しだけ興味が湧いたわ。とはいえ、敵国同士の王子と辺境伯家令嬢。もう二度と接点を持つことはないでしょうけれど。
馬車に乗り込み、バーツに見送られながら屋敷に帰った。後日、両親に舞踏会にて見知らぬ美貌の男性と共にいたという噂が耳に届いたせいで、相手は誰だのあなたにも婚期のチャンスがだのしばらくうるさい日が続いた。
暇を持て余した同士で軽くおしゃべりをしただけということ、本当に軽くだったせいでお互いに名乗りをもしなかったこと、相手は普段は引きこもっているということと、それらしく且つ相手の素性は探れないというニュアンスを含めながら両親はごまかした。
(想い人がいるか…か)
そんなことを聞く時点で、相手が私をどう想っているのか答えているようなもの。何故そんなことになったのかは疑問だけれど、ただ一つ分かることは、それが叶うことはないという真実。
最もラディカル国の兵士を殺し、英雄とも死神とも称される私が、その道を歩むことはない。それだけは確信している。
(残念だけれど……諦めて頂戴、アルディ王子)
しかし、その翌年。そのラディカル国から和睦の使者がおとずれたという、衝撃的なニュースが飛び込んで来るのだった。