18話
ギルバート公爵以下反逆者となった貴族たちと私兵たちは残らず地下牢へと連行された。
表にいたときは私の殺気に恐れをなして黙りこくっていた貴族たちも、地下牢であることに逆に安心したのか騒ぎだしたようだ。自分は関係ないの一点張りらしい。
もちろん、そんなたわごとに耳を貸すアルディじゃない。
粛々と彼ら自身の処刑と、その家の処罰を検討している。
ただそこに、私はとある名前をつづったメモ書きをアルディに渡した。
「これは…?」
「とてもご協力的だった夫人方よ。いえ、そろそろ未亡人になるかしら?」
そう言うと、それだけで悟ってくれたようね。いつものさわやかな笑みを浮かべ、メモを懐に仕舞った。
「そうですか。リリスにもいいご友人ができたようで何よりです」
「…まぁそうね」
ご友人…どの夫人よりもそのご子息やご令嬢と年が近いから、友人というにはあまりに歳が離れていると思うけれど、気にすることでもないわね。
私を懐柔するという名目で開かれていたお茶会でも、楽しく過ごせていたのは事実だもの。
それからおよそ2か月。
アルディとは結局、夜一緒に寝る事すらできない日々が続いた。
なにせ公爵家を含む、多くの貴族家が当主交代を余儀なくされ、その後処理に多大な労力が必要だったから。もちろん国王たるアルディの負荷は一番重く、一緒に過ごすことができたのは稀に設けられる休憩のためのお茶会のみ。それも、わずか10分ほどで解散するほどに。
一方、私といえば……暇の一言。
この国に来たばかりの私にできることもなく、せっかくとばかりにこれまで放置していた穏健派の夫人方やご令嬢とのお茶会に積極的に参加していた。メリッサに頼んで夫人方との連絡を取り持ってもらってね。陛下との不仲説は、クーデターがあった後に全て暴露。穏健派のメリッサは胸をなでおろしていた。
今回の一件ですべての革新派貴族が当主を処刑され、一部領地没収や降格させられた。当主も跡継ぎとされていた者たちが、アルディの前で直々に今後の方針を書かされ、それがアルディのお眼鏡にかなわなかった場合、家は取り潰された。今後の反逆の意思が無いかのチェックね。
まぁ当主がやらかしたことを考えれば、一族郎党処刑でもおかしくないのだから、かなり温情の処置と言えるでしょう。数が多いから、下手に全部取り潰すわけにもいかないという実情もあるのでしょうけどね。
そして今日は、たまに行うシエルとの遠掛け。こうしてあげないと拗ねちゃうんだもの。かわいいものだわ。
「いい風ね、シエル」
シエルはそうだなと言っているかのようにいななきを上げる。
簡素なパンツスタイルに身を包み、王都近くの草原をシエルに任せるがまま走り抜ける。吹き抜ける風が髪をなびかせた。
風が気持ちいい。シエルの駆ける振動、普段よりも高い視界が楽しい。
一応後方には護衛のはずの騎士たちがいるのだけれど、シエルの速度についてこれず、すっかり遠くになってしまっている。
「あそこで休むわよ」
草原の中、ひと際太く、枝ぶりのいい大木を指さす。
分かったとシエルはそこに走ると、あっという間にたどり着いてしまった。
シエルから下りると手綱を手放し、その背を軽くたたく。あとは自由にしていいわよという合図。
といっても、どこかに行ってしまうわけでもなく、近くの草を食み始めた。
シエルの巨体は遠くからでも目立つ。いずれ護衛の騎士たちも追いつくでしょうね。
「ふぅ…」
大木の根元に腰を下ろし、日陰で涼む。柔らかな草の感触が心地いい。
気持ちのいい風が草原を揺らした。徐々に馬の蹄の音が近づいてくる。
やっと護衛も追いついて来たわね。そう思い、顔を上げるとそこには思いもよらない人物がいた。
「やぁ、リリス」
「……おかしいわね、アルディの幻が見えるわ。本物は執務室に閉じ込められているはずだけど」
怪訝な顔を向けると、アルディはどこ吹く風といった感じで笑みを浮かべる。まぁ本物なんでしょうけど。
「そう、本物はまだ執務室です。でも、リリスに会いたいという気持ちが、ぼくの心だけをこうしてリリスの元に届けたんですよ」
そう言いながら、アルディは隣に腰を下ろした。
それでいいのかと護衛の騎士に目を向けると、首を横に振った。どうやら騎士たちのほうが根負けしたようね。
「いい風ですね」
「ええ、本当にいい風」
草原を揺らす風が私の髪を、そしてアルディの髪もなびかせる。
ふと隣を見ると、アルディとバッチリ目が合う。
「何を見ていたのかしら?」
「美しい人の横顔ですよ」
「なによそれ、もう…」
サラリとそんなことを言うものだから、なんともおかしくて笑ってしまうわ。
それに、アルディに言われると少しだけ、気恥ずかしさを感じてしまう。
視線を正面に戻すと、太ももに重さを覚える。見れば、アルディが頭を私の太ももに乗せていた。
「お昼寝の時間かしら?」
「…いいえ、少しだけ休憩を取らせていただけますか?」
「ふふっ、どうぞご自由に」
「では、お言葉に甘えて」
そう言って、ゆっくりとアルディの瞼が落ちていく。
膝枕…と言ったかしら?そんなことをするなんて、夢にも思わなかったわ。
その黒髪に指を通すと、上質な絹のように滑らか。毎日疲れているだろうに、身だしなみは欠かさないようね。
それも当然と言えば当然。王がくたびれた格好を晒しては、下に示しが付かないもの。
どんな時でも常に王である。それをアルディは見事にこなしている。自分自身は武勇を持たずとも、相手に踏み込む知恵と勇気は誰にも劣らない。生まれたときから武勇を持つ私では決して持ちえないものを、アルディは持っている。
規則正しい呼吸音が聞こえる。
やっぱり眠ってしまったようね。予想通りの結果につい笑みがこぼれる。
護衛の騎士たちに寝たことを指で合図すると、予想通りだったのか心得たとばかりにうなずく。
草を食んでいたシエルも、隣に静かに腰を下ろしていた。
「…お疲れさま、アルディ」
それから1時間ほど経つと、アルディは目を覚ました。
「…ここは天国かな。女神さまが私の目の前にいる」
「起き抜けにずいぶんなご冗談ね。死神の間違いでは?」
にっこり微笑めば、アルディも負けない笑みを向けてくる。起き抜けなら少しくらいは寝ぼける様でも見せてほしいものだわ。
「ん……」
アルディは体を起こし、ぐっと伸びをすると立ち上がった。
「いい休憩になったかしら?」
「それはもう。天国にも昇る気持ちでした」
「やだわ、私の膝の上で亡くなるなんてイヤよ?」
「ああ、それもいいですね。私の死に場所として実にふさわしいです」
「私、誰かを殺すなら戦場でって決めてるのよ。だからそれはダメね」
「つまり、戦場でリリスの膝の上が私の死に場所ということだと。ああ、想像するだけで思い残すことが無くなってしまいそうです」
勝手に一人で盛り上がり、恍惚な表情を浮かべるアルディ。
ああ言えばこう言う。まったく減らず口をたたいて…呆れてしまうわ。
でも、そんなやりとりがなんだか楽しい。そう思えてくるなんて、アルディに毒され過ぎたかしら?
「ふふっ」
「おや、どうされました?」
「何でもないわ。それで、これからどうされるの?」
「そろそろ戻ります。文官たちの首が馬になってしまう前にね」
「それは大変ね。面白そうだから、もっと待たせようかしら?」
そう言って、アルディの足をつかむ。
「いけませんよ、リリス。これ以上彼らの首が伸びては、書類を書くのが大変になってしまいます」
「いいじゃない。いい機会だから、あなたには聞きたいことが色々あるの。今回のことでね」
「……仕方ありませんね。少しだけですよ?」
そう言ってアルディはもう一度腰を下ろした。やれやれといった感じだけど、どことなく楽しそう。
せっかくだもの。今回の件については、色々と問いただしたり聞きたいことがあるんだから。
「リリス、顔がすごく可愛らしくなってますよ?ぼくにはまぶしすぎて直視できませんね」
「ありがとう。ほら、顔をそらさないこと」
私の表情に嫌な予感を感じ取ったのか、顔をそむけたアルディ。その顎を掴んでこちらに向き直す。
「まず一つ目」
「一つで終わってくれませんか?」
「ダメに決まってるじゃない。で、今回の茶番に巻き込んでくれた弁明を聞こうかしら」
今回の革新派貴族を排除するための一連の動き。私に何も言わず、断りもせず巻き込んでくれたこと、許したわけじゃないんだから。
「茶番?はて、なんのことやら」
「ア・ル・ディ」
顎を掴んでいた手をそのまま首に回す。それだけでアルディは観念したよう。やれやれと言った感じで息を吐いた。
「…ギルバート公爵が接触してきたのが、あまりにもいいタイミングすぎましてね。本当は、もっとゆっくりあなたと革新派貴族を接触させるつもりだったんです。ただ、魔獣討伐であなたに褒美を出す口実が付きましたし、まだあなたという人物像が相手に知られていないほうが得策かと思いましてね」
「それで私を、贈り物ごときで国を裏切る愚かな女に仕立て上げたと?」
そう言うとアルディはニヤリと笑った。
(やれやれだわ)
それに私も苦笑を返しつつ、アルディの首から手を離した。
「あなたの演技は素晴らしいものでしたよ。誰もがあなたが私を裏切ったと信じて疑わなかったんですから」
「あら、それなら王妃なんかやめて劇団に入ろうかしら。こんな脚本家の描く脚本なんて、売れ行きが悪そうだもの」
「そうでしょうか?反応は上々でしたよ。あなたにも称賛の声が届いたはずです」
確かに、革新派貴族を排除するために一計を案じたことは、穏健派貴族との茶会では必ず話題に上る。
そして、私が王妃という立場もあるため、誰もがそれを褒め称える。
でも……
「その脚本に、夫人方との楽しい楽しいお茶会は含まれていたのかしら?」
そう言うとアルディの表情は固まった。この腹黒でも、そこまでは読めていなかったようね。
「…妙だとは思ったんです。あなたが懐柔されたという情報が出回るのが早すぎると。彼らとて愚かではあっても莫迦ではない。そんなあっさりと寝返る相手では逆に警戒してもおかしくない」
「にもかかわらず、私が寝返ったと信じた。それがどうしてなのかは、分からなかったようね」
ニィと笑えば、アルディの顔がほんの少しだけ屈辱を滲ませた。
アルディにそんな顔をさせられたと思うと、少し楽しくなってきちゃうわ。
「まさか身内が反対の考えを持ち、しかもそれを夫人たちの間で共有していた…なんて私には想像もできませんよ」
「彼女たちのおかげでとてもスムーズにいったのよ。ちゃんとお返しはしてくれたのよね?」
「それはもちろん。ですから、取り潰しは避けたでしょう?」
「そうね」
どうやらお家取り潰しが少なかったのは、それも含めて情状酌量してくれた結果のよう。
まぁ十分な報酬ね。
「大変だったんですよ?穏健派の貴族たちがここぞとばかりに騒ぎ立てるものですから、それをなだめるのにどれだけ苦労したことか…」
泣き崩れる…フリをするアルディ。
「はいはい、頑張りましたね」
そんなアルディの頭を軽く撫でる。
ほんと、茶番が好きな男だわ。
「そういえばリリス。贈り物のほとんどは各家に返却されたと聞きましたが」
「ああ、それね」
元革新派貴族からの贈り物。そのほとんどは返却した。ギルバート元公爵から送られたネックレスももちろんね。
私には興味がない代物だし、今回の件で信用を失い、資金繰りが大変なことになった家が多い。そのことへのささやかな支援みたいなもの。
「ちょっとした慈善事業みたいなものだわ。それに…」
「それに…?」
ちょっとだけかがむと、覗き込むようにアルディを見上げる。
我ながらあざといポーズをしているという自覚はある。
「ちゃんともらいたい人からもらう贈り物が、私は欲しいわ」
「っ!」
そう言うと、アルディは顔をそむけてしまった。でも、その耳が真っ赤になっていることから、どんな表情をしているのかは察しが付く。
(ふふっ、ほんとこういうことには弱いんだから)
こんな風に他人をからかうなんて、かつての自分なら信じられないことだ。
そんな変化も、目の前にいる顔を真っ赤にしている男のせいだと思うと、なんだか心が温かくなってくる気がする。




