17話
アルディからの手紙を受け取ってから1週間。
相変わらずステラ夫人からの茶会の誘いを受け、屋敷を訪れていた。
挨拶もそこそこに、ステラ夫人から本題が切り出された。
「王妃様、ついに動くと決めたようです」
動くとはもちろん、革新派貴族たちのこと。つまり、現王アルディの排除を決めたということね。ついにこの時が来たと思うと、少し昂るものがあるわ。
「詳細はこちらに」
そういってステラ夫人から折り畳まれた紙を受け取る。
見ると、王宮を襲撃する日時、そして私が当日どう動くのかが詳細に書かれていた。
襲撃は1週間後。革新派貴族が私兵を引き連れて王宮へと迫る。当然王宮は閉じられるから、そこを私が内側から開けさせる。そして私が先頭に立って立ちはだかるであろう兵や騎士たちを薙ぎ払い、一気にアルディのもとへと襲撃を掛ける。それでアルディの首を獲り、クーデターは終わりだと。
(分かってはいたけど、完全に私頼りな作戦ね)
いくら王宮といえ、何人も同時に戦えるほどの場所ではない。だから、私一人がハルバードを振り回すだけで簡単に制圧できる。理にかなっている…けれど、やはりこの作戦を立案した人間の姑息さがにじみ出ているわね。
「この作戦はギルバート公爵が?」
「ええ、そうです。あの人らしい、卑怯で、姑息で、臆病な作戦でしょう?」
そう口にするステラ夫人の表情は嫌悪に染まっていた。思えばこれまで何度もお茶会を重ねてきたけれど、ステラ夫人からギルバート公爵についてはほとんど語られていなかったわね。
見た目だけなら歴戦の強者を滲ませていたけれど、そうではない…ということかしら?
「あの人は、決して戦場には出ません。全て安全な場所から指示を飛ばすだけ。それなのに、兵には平然と無謀な作戦を出す。兵たちは上官の命令には逆らえませんから、それでも戦場に出なくてはならない。まるでゲームのように弄び…何人もの命を戦場に置いて来たのです」
「そうなの?ずいぶんと好戦的に見えたけれど」
以前見たときには、自ら戦場に出るようなタイプに見えたけれど。…いえ、そんなことないわね。戦場に出てるんなら私が見てるはずだもの。つまり、そういうことなのね。
「あれは見た目だけです。臆病だから体を鍛えていますが、それで弱者を威圧してあざ笑ってるだけ。本当の強者を前にすればすくみ上り、権力を誇示して相手を叩き潰す…本当に情けない男なんです。今回だってそう。王妃様が先陣に立つからこそ、確実に勝つと確信して珍しくあの人はクーデターに参加するんです。そして、きっと自分の手で国を正しい姿に戻したと高らかに宣言するつもりでしょう」
「……そうなのね」
ステラ夫人の積もり積もった恨みはずいぶんなよう。手は汚さず、安全でなければ表に出ず、手柄だけは自分の物。見た目と立場とは裏腹に、ずいぶんな小物。
それだけに、ずいぶんと楽しみになってきたわ。
(勝ちを確信した小物が、実は騙されていたと知ったとき、どんな表情をしてくれるかしら?)
こんなくだらない茶番劇に付き合わされてるんだもの。そういう役得くらいあってもいいわよね。
***
それからあっという間に6日が過ぎた。明日はいよいよクーデターが起きる日。城内は相変わらず私とアルディの不仲に不穏な空気のまま、夜を迎えた。
クーデターが起きることはもちろんアルディに流してある。
こうして一人で眠る夜も、今夜で終わり。今日の役目を終えた侍女が退室した部屋の中で、椅子に腰かけた私の目はふと共有の寝室へと続くドアに向かっていた。
(…はぁ。どうしちゃったというのかしらね、私は)
手には先日のアルディの手紙が握られている。眠る前にはこれを眺めることが日課になっていた。
”あなたを信じています”
ただそれしか書かれていない手紙を、何度も何度も眺めている。
祖国シリウス帝国に牙を向けるなら、いつでもその首を飛ばす抹殺対象。それを知りながらも、彼は決して私の間合いから逃げようとはしなかった。常に彼は自ら私に近づいてくる。黄金の死神の鎌の懐に歩み寄ってくる。
私を国のために利用するという腹黒さを持ちながら、その一方で本気で私を心配するような素振りすら見せる。大胆不敵であり、自らの命を顧みない危うさもあり、それでいて私を本気で愛している…かもしれない人。あと、ちょっと…いや、かなり女性に免疫がないのも。
そんな人に、私はずいぶんと絆されてしまったみたい。
幾たびの戦場で、誰よりも敵の首を撥ねてきた私に、男女の意味で好意的な人間はシリウス帝国にはいなかった。
誰よりも強く、誰よりも人を殺してきた女。そんな人間を、愛するなどという奇特な男がいるはずもない。そう思っていた私に降って湧いて来た縁談。それも散々侵略を繰り返し続けてきた国の国王がお相手。
ありえない…そう言ってしまえばそれまでだけど、そもそも私自身がありえない存在だ。前世の記憶が残っているんだもの。
(さて、そろそろ眠るとしましょうか)
私が遅刻をしてしまっては、せっかくの『茶番劇』が台無しだもの。
***
翌朝。いつも通りに目覚めた私は朝食を済ませた後、早速着替えることにした。
「王妃様、なぜ今日はこちらを…?」
メリッサの疑問は尤もね。私が指示したのはドレスではなく、パンツスタイル。
「今日は遠掛けしたい気分なのよ」
「はぁ……」
納得しきれていないようだけど、メリッサ含め侍女たちは準備していく。
最後に髪のセットが終わると、私は壁に掛けられていたハルバードを手に取った。
「王妃様、それは…」
「あなたたちはここで待機していなさい」
メリッサから声がかかるけれど、それを流し待機を命じる。
これから荒事が始まるんですもの。彼女らは邪魔。万が一巻き込まれても面倒だわ。
一人後宮を出ると、そのまま厩舎へと向かう。
ハルバードを手にして一人歩く私を見ても、誰も咎めはしない。この城に初めて来たときもそうだったから、今更ね。
厩舎に着くと、そのまま勝手知ったるなんとやら。相棒の元へと向かった。
「シエル」
「………」
久しぶりの相棒は、少しご機嫌斜めだった。たまには走り回りたいって顔してるわ。そうね、今日は無理だけれど明日は本当に遠掛けしてあげましょう。
厩舎からシエルを出すと、早速鞍に飛び乗る。そしてハルバードを持ち直し、城門へと向かった。
(そろそろね…)
城門が見えてきたころ、門番が慌てているのが見えた。
予定通り、城の外に来ているみたいね。
耳にも軍靴の音が聞こえてくる。ただ、実際に暴れるのは私一人だと考えているようで、その数はさほど多くない。
さぁ、そろそろ動きましょうか。
慌てた門番たちが、不穏な空気を感じて急ぎ門を閉める。
閉めたタイミングで丁度着いた私は、門番たちに問いかける。
「城の外に出たいのだけれど、門はどうして閉めたのかしら?」
「お、王妃様!そ、それが、何やら多くの兵は王宮に迫っておりまして…何の報告も連絡もないので、私たちも何が何やら分からず…」
だから閉めたということね。ここまでは予定通りだわ。
「大丈夫よ。門を開けて頂戴」
「で、ですが……」
「彼らは私が招いたお客様よ。私のお客様を、あなた、待たせる気?」
そう言って私はハルバードを一振りした。うなる風切り音に門番はすくみ上り、すぐに門の開閉装置へと駆け寄った。
「す、すすすすぐ開けます!」
怖がらせ過ぎたかしら?まぁいいわ。
再び開き始める門の向こう側に、ギルバート公爵以下革新派貴族の当主たちは馬に跨り、それに私兵が続いている。
「お待ちしてましたわ、ギルバート公爵」
「感謝しますぞ、王妃様」
ギルバート公爵たちが門をくぐる。そこに周囲から場内を守る兵や騎士たちが続々と駆け付けてきた。
「では王妃様、手筈どおりに」
それはつまり、駆けつけてきた兵たちを私だけで叩きのめせということ。ここまでしておいて全然自分たちが働く気が無いのだから、ほんと笑えてくるわ。
笑いをかみ殺しつつ、私は兵たちに向けて声を張り上げた。
「止まりなさい!」
その一言に、兵も騎士も全員がその場に縫い付けられたかのように止まった。
「私は無益な殺生は好まないわ。死にたくないなら、それ以上動かないことね」
そう言ってハルバードを振り回す。振り回したハルバードは地面を抉り、土を辺りにまき散らす。その光景に兵たちのつばを飲み込む音が聞こえる。
しかしそれでもひるまない者はいた。
「王妃様、これはどういうことですか!?それにギルバート公爵も、その武装したいでたちは何ゆえか!」
そこにいたのはブリア将軍だった。なるほど、彼なら私の脅しにもひるまないわね。
「ブリア将軍、我々はこれからこの国を本当の姿に戻すための聖戦を始めるのだ。邪魔をしないでいたただきたい」
ギルバート公爵がそう言い放つと、ブリア将軍の纏う雰囲気が一気に険悪なものへと変化した。まぁ当然よね。
「…まさか、陛下を手に掛けるつもりか」
「真なる国へと戻るための犠牲だ。何も気にすることは無い」
ブリア将軍の問いに、ギルバート公爵は憮然と言い放つ。
当然そんな言い分を受け入れられるはずもなく、ブリア将軍は剣を抜いた。
「王妃様…なにゆえそのような輩に付いたのです?あの魔獣を討伐したときのあなたはどこに行った!?」
今度は私に向けて言葉が放たれた。
まだ言うには早いのよね。今のままでは、ギルバート公爵が言い逃れできてしまう余地がある。例えばそう…私にたぶらかされたとか、ね。
だから、その言い逃れができない、彼自身の言葉が出るまでは。
「それは…」
「そこまでだ、皆の者」
なんと言おうか逡巡していたところに届く、懐かしい声。
その場にいた全員が声の主へと振り向けば、そこには陽光にきらめく黒髪をなびかせ、護衛の騎士を引き連れたアルディが王宮から歩いてきた。
アルディは一歩、また一歩と近づいてくる。
護衛の騎士たちには言い聞かせてあるのか、その歩みを止めるものは無く、いつの間にかアルディは私のハルバードの間合いに入っていた。
そのことは、私だけでなくギルバート公爵も気づいていた。彼の顔に、勝利を確信した笑みが浮かんでいる。
彼の前でわざわざ振り回して、間合いを見せてあげた甲斐があったわね。
「ウェイン…いや、ギルバート公爵、これは何の真似かな?」
そう問いかけたアルディは笑みを浮かべている。それをどう受け取ったのか、ギルバート公爵は自ら前に進み出ると、アルディと向かい合う。しかも馬上にて。
勝ちを確信し、ギルバート公爵はもうアルディに対し敬意を見せない。でも、それではまだ足りない。
「陛下、我々にはあなたのような腑抜けたトップは要らないのですよ。我々に…いや、このラディカル国に必要なのは武力を、力こそが全てだと示す武王なのです」
「おや、ぼくを腑抜けとは言ってくれるね」
「腑抜けといわず、何と言うのです?武力を捨て、そのよく回る口だけで王位を簒奪したときは驚きましたが、それもここまで。今、どんな状況なのか、頭だけは良いあなたなら分かるはずだ」
「いや、分からないな。一体何なのか、教えてくれるかい?」
両手を上げて肩をすくめるアルディ。分からないはずなんかない。けど、これもアルディのパフォーマンス。勝ちを確信した人間ほど、要らぬことまでベラベラ喋ってくれるものだからね。
それはもちろんギルバート公爵とて例外じゃない。
「ならば教えてあげましょう。我々はあなたの首を獲り、そして先代国王を復権させる。あなたはここで死ぬのです」
「へぇ。それで?」
「喜んでください、あなたの首はあなたが連れてきた王妃の手によって獲られるのですから。これ以上の喜びは無いでしょう?」
「確かに。リリスに殺してもらえるなら、それは本望だね」
そう言ってアルディは私に微笑みを向けた。それに私も微笑みを返す。もう不仲の演技も必要ないんだし。
「そうでしょう。私が自らあなたの首を獲ってもいいのですが、せめてもの慈悲ですよ。はっはっはっはっは」
「あっはっはっはっは」
2人が笑う。首を獲ると宣言した男と、獲ると言われた男が笑い合う異様な光景。
しかし、次の瞬間には私のハルバードがうなりを上げた。
「……これは、いったい何の真似ですか?」
ハルバードの刃はギルバート公爵の首に突き付けられる。さながら、今にも振り下ろされるギロチンのよう。
かろうじて平静を保っているけど、その首に流れる冷汗が焦りを物語っているわよ?
「ギルバート公爵、国家反逆罪であなたを捕らえます」
「なっ……!王妃様、あなたは我らの…」
「同士、とでも?あいにく、そんなものになった覚えはありませんわ」
「あれほど贈り物を…!」
「贈り物ごときで懐柔できると思われてたのは大変に不本意ですわ」
ニヤリと公爵を見据える。
ギルバート公爵だけでなく、他の革新派貴族たち、その兵もざわつき始める。当然でしょうね、ここにきてまさかの裏切り。それも、暴力の一切を任せようとした私の裏切りなんですもの。
「ぐっ…!」
するとギルバート公爵は今度はアルディに向き直った。
「へ、陛下!これは誤解です。私はこの隣の国から来た侵略者にたぶらかされて…」
「公爵、それはもう通用しない。君自身が私の首を獲ると言ったのだからね」
「っ……!」
そう、待っていたのはギルバート公爵自身が何をするか、それをはっきりと口にすること。
どんな言い訳をしようが、自分がアルディの首を獲ってもいいと言ったのだから。もうそれは覆ることはない。
「ええい!お前たち、私を助けろ!この女もろともこの男も殺してしまえ!」
ギルバート公爵が叫んだ。けれどそれで動ける私兵はいない。まして、ただ指示するしか能がない貴族たちはなおさら。誰も彼が慌てふためき、けれど動けない。
首謀者であるギルバート公爵は動けず、その周囲はすでに兵や騎士たちが取り囲んでいる。これを打破するための戦力を私だけに絞ったのが仇になったわね。
「私を、アルディを殺す?寝言は寝て…いえ、墓の中で言ってもらいましょうか」
そう言ってハルバードを下げる。私の殺気に当てられたギルバート公爵は身動きできず、磨き上げられたハルバードの刃は公爵の薄皮1枚を切り裂いて、その首筋から血が流れた。
「ひ、ひぃ!」
「リリス、まだ殺すのは早い。少し待ってくれるかな?」
「わかっていますわ」
アルディにそう言われても殺気は抑えない。他の連中の抑止も兼ねているからね。
アルディが合図を出すと、兵たちが反逆者たちを取り押さえていく。私の殺気に圧された反逆者たちは抵抗する素振りもなく、次々と掴まっていった。
「ええい、離せ!貴様ら分かっているのか!?この男がいるせいで、我がラディカル国は腑抜けてしまった!このような国になって民を守れると思うのか!?」
ハルバードの刃から離れて取り押さえられたギルバート公爵がまたわめきだした。呆れた、まだ騒ぐ元気はあったようね。
「ええい、黙れ!」
公爵を取り押さえていた騎士の一人が、暴れる公爵を抑え込むために地面にたたきつけた。その状態から、公爵はアルディをにらみつける。
「貴様が、貴様こそが反逆者だ!先代を…」
「ちょっと黙ろうか」
「ぐげっ!」
まだ叫び足りないギルバート公爵の頭を、アルディは遠慮なく踏みつけた。その光景に、私も周囲の騎士たちも驚いていた。
アルディが自ら暴力を振るうところなんて、初めて見たもの。
「民を守る?あなたが?勝ち目のない戦を何度も起こし、そのたびに兵たちの命を戦場で散らしてきたあなたに、そんな言葉を吐いていい権利など無いんですよ」
「私のせいではない!弱い兵が悪いのだ!」
「………アルディ」
ギシ。公爵のたった一言が、私の逆鱗に触れる。
ハルバードの柄を握る手に力がこもる。シエルの背から飛び降りると、そのままアルディと公爵の元へと歩み寄る。
私の異様な気配に圧され、兵も騎士も自然と道を開けた。
「そのまま抑えつけてくれるかしら?」
「ダメだって言ったよねリリス。まだ聞きたいことがあるんだから」
だから殺すなって?上に立つ者としての責任を負わず、兵の死を兵自身の責任にする。こんな愚か者をまだ生かさなければならないですって?
「とりあえず『これ』は地下牢に運んで。殺されないうちにね」
「は、はっ!」
逃がしはしない。こんなやつを、生かしておくなんて私の矜持が許さない。
「ふん!こんな愚かな女を娶るなど、やはり」
「黙れ」
まだ何か言おうとしたギルバート公爵の頭を、アルディは容赦なく蹴り飛ばした。その顔はいつも浮かべている胡散臭い笑みとはまるで違う、一切の表情が抜け落ちた無の表情。青い瞳は、どこも見ていないかのように空ろだった。
「リリスの侮辱を、誰が許した?もういい、やっぱり殺す」
そう言ってアルディは腰に履いていた剣を抜いた。それに今度は近衛騎士たちが慌てる。
力がそれほどあるわけでもないアルディはあっという間に近衛騎士たちに囲まれ、抑えられた。
それを見て、私の溜飲は少し下がっていく。
(不思議な感覚ね…私以外の誰かが怒ってくれたことに、気持ちが落ち着くなんて)




