16話
王宮へと帰った私は、私室へと戻り今後どうするかを考えていた。
(このまま『贈り物好きの王妃』としての演技は継続。そしていずれは革新派貴族からの贈り物になびいてアルディを裏切る…それだけでもいいんだろうけど。もっと私を信用させ…いえ、私と陛下が仲違いしているように見せればさらに効果的かしら?)
贈り物で仲違いする要因はすでにあるのだから、それにもう少し顕著な反応を見せればいいかしら?
そうね、今日からはもう一緒に寝るのをやめましょう。
そうやって、少しずつアルディと接触する機会を減らす。そうすれば、私やアルディの周辺は何があったのかとざわめきだし、それは徐々に広がるはず。いずれは革新派貴族の耳にも入り、私が陛下に不満を持っていることを確信して、より積極的に動くようになるでしょうね。
その夜。早速私はアルディとの共有の寝室ではなく、私室の寝室で寝ることにした。
アルディには侍女を通して体調が優れないという理由を伝えてもらった。
(…なんだか一人で寝るのがずいぶん久しぶりな気がするわ)
ほんの数日しか一緒に寝てないのに。一緒に寝てるといっても、微妙な距離感を保ったままなんだけど。それなのに、一人で寝ているベッドはひどく広い気がした。
それから一月。最初は寝室から。それから徐々に食事の席も別々にし、ここ1週間はアルディとほぼ顔を合わせていない。
当然周囲は私とアルディがどうかしたのかとざわめいている。今のところ、私もアルディも互いの近しい人には何もないと言っているけれど、当然信じていないでしょうね。
その一方で、私はギルバート公爵夫人の4度茶会を誘われ、そのすべてに出席していた。
その度に、贈り物を直接頂いている。王宮を通さず直接渡すのは、親密さの表れを周囲に示したいから…とはギルバート公爵夫人談。
そしてアルディの贈り物は、最初こそ受け取ったものの、仲違いを見せつけると決めた日から受け取らないようにした。正確には、受け取った上で贈り物を確認して返していた。最初から受け取らないのではなく、贈り物の格次第で返す。
そして徐々にアルディも贈り物を辞め、ここ2週間は何も贈ってきていない。
アルディとはろくに顔を合わせないのに、革新派貴族の茶会には積極的に参加し、あまつさえ贈り物をいただいてくる。
この状況は、穏健派の貴族にとってはさぞ心落ち着かない状況でしょうね。
慌ててか、穏健派の貴族からの茶会も来るようになっていた。
しかし私は全てそれを断った。原因は体調不良としつつも、断りの手紙にはそれとなく贈り物をしない人間との付き合いはしない、というニュアンスをもたせた文を織り交ぜて。
そうなれば穏健派貴族はもう面白くない。アルディのもとには穏健派貴族から、王妃である私に対する苦情がずいぶん上がってるみたい(ジュードに調べさせた)。
それとは逆に、盛り上がっているのが革新派貴族たち。私の懐柔と、陛下との仲違いが順調に進み、自分たちが主流派に戻るのは時間の問題だと確信している…とは、夫人たちとのお茶会で聞いた話。
「メリッサ、準備して頂戴」
「……はい」
今日もギルバート公爵夫人たちとのお茶会。その準備をメリッサに命じると、不承不承といった感じの返事。それも当然ね。メリッサは穏健派貴族の一員。私が革新派貴族のお茶会に足しげく通っている状況はさぞかし面白くないでしょう。
けど、敵をだますにはまず味方から。敵に好かれ、味方に嫌われなきゃいけないとか、なんとも辛い役どころだわ。
「…というわけで、王宮内は順調に私の敵が増えているわ」
場所は変わってギルバート公爵邸。そこで簡単に近況報告を済ませると、ステラ夫人からは痛ましげな声が上がった。
「…王妃様、大変にお辛い役目を押し付けてしまい、申し訳ありません」
そういって、その場にいた他の夫人を含む全員が頭を下げた。その様子に私は苦笑する。
「どうということはないわよ。元々、私にとってここラディカル国は敵国。最初から敵地に嫁いできたのだから、何も問題は無いわ」
そういっても、各人の表情は変わらない。いやだわ、そんな顔をされたくて私はここにいるわけじゃないのに。まったく……
私は紅茶を一口含むと、のどを潤しカップを置く。
「それに、『これまでのことは全部嘘でしたー』ってやるのをすごく楽しみにしてるのよ。ふふっ…王宮中の人間がどんな顔をするのか、今からワクワクしてくるわ」
そういって笑いがこらえきれないという様子を見せれば、夫人たちもようやく沈んだ空気を振り払い、笑顔を見せた。ステラ夫人が口を開く。
「ええ、そうですわね。王妃様の演技力に国中の人間が度肝を抜かす事になるでしょう」
「あら、国中だなんて。いっそ王妃なんかやめて劇団にでも入ろうかしら?」
ステラ夫人の軽口に応じれば、他の夫人たちも乗ってくる。
「それでしたら私がパトロンになりますわ。人気間違いなしですもの」
「では私は…」
そうして和やかな雰囲気に戻った茶会で、談笑しつつ今後の計画を話し合っていく。
どうやら革新派貴族の当主たちは、私を寝返らせることは確実だと踏んで、計画を早期に実行に移すことを決めたようだ。
彼らとしては穏健派が牛耳るこの状態を一刻も脱し、活気ある本来のラディカル国に戻したいのだという。長くアルディが玉座にい続ければ、それだけ人々の思考も穏健派に染まってしまう。それを危惧しているようだ。
…人の命が消える戦争を起こして何が活気だというのかしら、理解に苦しむわ。
茶会を終えて後宮へと戻る道すがら、私を見かけた侍女や侍従、文官などからは訝し気な視線が飛んでくる。
彼らの耳にも、私とアルディの不和は知れ渡っているはず。だとすれば、それは徐々に民衆にも広がっていくでしょう。…それは後々が面倒になりそうだから、できれば避けたいところね。
革新派貴族が動きを早めるのはこちらにとっても都合がいいわ。
考え事をしながら通路を進んでいると、ちょうど向かいからアルディと文官たちが歩いて来た。
そういえば顔を見るのも久しぶりかしら。
…少し細くなった?いえ、やつれたかしら。
そのまま進むと、こちらに気付いたアルディが軽やかに手を上げて足を止めた。
「やぁリリス。今お帰りかい?」
「ええ」
それだけ言って私はアルディの横を通り過ぎた。そのまましばし、私の歩く音だけが通路に響く。
その一方で、私の心の臓はやたらと激しく動き、耳にうるさく届いていた。
(何、なんだというの?)
何に動揺しているというの?一体私は。
気付けば私は振り返っていた。振り向いた先には、こちらを向いたアルディの姿。そのままお互いに見つめ合う形になってしまった。アルディの青い瞳がまっすぐにこちらを見ている。その瞳が、なんだか寂しさを湛えているようで…
(っ! いけないわ)
それ以上見てはいけない。意思の力を振り絞って体を向き直すと、そのまま今度こそ通路を進んでいく。
これは演技。そう、演技なの。決して本気で嫌い合っているわけでも、無視しているわけでもない。なのに、その演技にどうして私の心はこうも穏やかにいられないのかしら?
いえ、そういうことですらないはずよ。別に私はアルディのことなんてどうとも思っていない。演技でも、演技でなくても、どうでもいいはずなのに。アルディとの結婚も、所詮は政略結婚にすぎない。もしシリウス帝国に何かしようものなら、いつでもアルディの首は獲る。
そう本人にだって告げているのに。いつでも殺すことができる相手なのに。そんな相手のあの瞳に、私は何を感じたというの?
「はぁ……」
自室に戻ると侍女たちを追い出し、椅子に座って一人息を吐いた。
本当に…私らしくないと思う。どうしたというのかしら。目頭を押さえていると、ふと誰かの気配を感じる。顔を上げると、目の前にジュードがいた。
「今、俺が暗殺者だったならあんたをやれてたな」
「……そう」
隙だらけだと言いたいのかしら。でも、なんだか今はその軽口にすら乗ることができない。椅子に背を預け、私は天井を仰いだ。
「ひどい顔だ。あの男と仲違いのフリをするのが効いてるようだな」
「…………」
ジュードの言葉に私は無言を返すしかなかった。何を返したらいいのか、それすら思い浮かばない。
「…チッ、あんたがそんな調子じゃこっちまで調子が狂うな。ほれ」
そう言って、ジュードは何か紙切れをこちらに投げつけてきた。紙切れは宙を舞い、私の膝の上に落ちた。
「国王陛下の机の上に置いてあったメモだ」
それだけ言ってジュードは消えてしまった。国王陛下…アルディの机の上のメモ?
中身が気になり、メモを手に取る。4つ折りにされたメモを広げると、そこにはたった一言だけが記されていた。
”あなたを信じています”
たったそれだけ。
けれど、その一言が、私の心に何か温かいものを落としてくれた。
(アルディ……)
居てもたってもいられず、椅子から立ち上がると机から便箋からとりだし、ペンを手に取ると私も一言だけを書いた。
便箋を折りたたみ、すぐさまジュードを呼び出す。
「なんだ?」
「これを…アルディの机の上に」
「了解した」
便箋を受け取ったジュードはすぐさま姿を消した。
書いた言葉はたった一言。
”私もよ”
たったそれだけ。でも、それだけの言葉を伝えられることが、今は何よりも嬉しかった。
ジュードもいなくなり、一人となった部屋で、私はアルディのメモを抱きしめたままゆっくりと目を閉じた。




