10話
「狼型の魔獣の場合、厄介なのは体毛ね。伸縮性に優れているから並の刃が歯が立たない。突きが一番有効よ」
「…楽しそうですね」
討伐へと向かう道すがら、私はブリア将軍と魔獣討伐について意見を交わしていた。馬上にて。
「そりゃあもうね。本気で戦ってもいい相手ですもの」
「…そうですか」
人間相手の戦場で本気で戦っていなかった?当り前よ。
私の力と、通常の倍以上のサイズのハルバードを振り回せば、それだけで人の体はちぎれ飛ぶ。
さらにシエルでの突進も加われば、文句なし。
それはさておき。
狼型の魔獣の特徴は刃を通しづらい体毛だ。
その上、皮が分厚いし筋肉も硬いしで、余計に切れない。
だから一番有効なのは刺突。
過去には部隊級の狼型の魔獣と戦ったことがある。
部隊級となると、体高は人と同じくらいになる。
とはいえ、そのくらいのサイズなら体毛も皮もそれほどじゃない。
ハルバードで一撃でちぎり飛ばしたけどね。
けれど今回は災害級。身の丈15m越えの正真正銘化け物だ。
私の膂力と、ハルバードがどこまで通用するか分からない。
万全の状態で挑まないといけない。
道程は、監視隊の報告によれば馬車で2日。
今回は2000人の大部隊の移動だ。
その歩みはどうしたって遅くなってしまう。
まぁしょうがないことだわ。
出発してまだ半日。
急ぎたい気持ちはある。
だけど、災害級は私も未経験の相手。
生半可に焦って、疲れた状態で相手はしたくないわ。
しかし、そんな気持ちを裏切るかのように、前方から馬が駆けてくるのが見えた。
「報告ー!報告ー!」
「なんだ、どうした!」
隊列の先頭にいる隊長と思われる人物が、その報告にきた人の話を聞いている。
まぁ声が大きいから、少し離れてるけど聞こえるけどね。
「さ、災害級の魔獣は猛然と侵攻!現在、この先の村を破壊しはじめています!」
「なんだと!?」
その情報に部隊が一斉にざわめき立つ。
こちらが1日かけて進む距離を、ほんのわずかな時間で詰めてきたってことね。
「ブリア将軍」
「リリス様、急いで陣形を…」
「先行ってるわ」
「敷…く…はっ?」
「シエル!」
呼びかければ、私の意図を察したシエルは特大のいななきを上げ、一気に駆けていく。
「り、リリス様!おまち…!」
ブリア将軍の声が遠くなる。
シエルは並の軍馬とは比較にならないほどの体格を持つ。その体格に見合った力強さも持ち合わせている。
あっという間に部隊を置き去りにし、私は単身村へと突撃した。
(まぁ、これが最善の手だしね)
はっきり言って、雑兵は何人いたって雑兵だ。
師団級と対峙したときも、私が駆けつける前に100人を超える部隊で囲み、そして全滅していた。
つまようじを何本刺したって意味がない。
確実な刃を、その体に突き刺さなければならないのだから。
徐々に村に近づくにつれ、何かが壊れる音が響いてくる。
遠目に村が見えてきたとき、その中にはっきりと異質な存在が目に入ってきた。
それは最初、真っ白な丘に見えた。
しかしその丘は動いていた。
万物をかみ砕くであろう強大な顎。生える牙は、太く、そして鋭い。
体躯はまさに聞いていた通り、15mはある。その足元には潰された家々がある。
そのがれきからは何か赤いものがしみだしていた。
「っ」
それが何なのか。
分かる。
民の血だ。
守るべき、民の血だ。
わが国民の、守るべき民の血が、流れている。
――許さない。
シエルの駆ける勢いが止まらない。
その体躯から奏でる蹄鉄の地面を蹴る音は、魔獣にも届いていた。
その顔が、こちらを向く。
双眸は金色に輝いていた。
牙のすき間からはぼたぼたとよだれが垂れ流しになっている。
「殺す」
頭が急激に冷えていく。
感情が消えていく。
極限にまで高まった殺意は、私の殺意以外のすべてを塗りつぶしていく。
この、魔獣、殺す。
それだけが今の私のやること。
やるべきこと。
それ以外、知らない。
「オオオオォォォオオオオーーン!!」
私の殺気を感じた魔獣が、雄たけびを上げる。
雄たけびが、まるで地鳴りのように響き渡る。
その程度で臆するものか。
楽に死ねると思うな畜生風情が。
我が民を傷つけたその報い、死んで償え。
魔獣が駆ける。
シエルも止まらない。身を切り裂く風は豪風の勢い。
シエルも軍馬として大きいけれど、魔獣はその比じゃない。
わずか一足飛びの距離が、瞬く間にお互いの距離を縮める。
すでに魔獣の間合いに入った。
巨大な咢が開かれる。
シエルすら丸のみにできる大きさのそれは、その牙一本が人間の子供と同じ高さがある。
真っ赤に染まる口中が開かれた様は、並の人間なら絶望しか感じない。
向かってくる。
必殺の赤い咢が迫る。
だけど、シエルは逃げない。
幾たびの戦場をともに駆け抜けたシエルは、この程度で臆しない。
咢が閉じる寸前、横に飛ぶ。
耳元で響く牙と牙がぶつかる音。
そのまま魔獣の顔に沿って横を走る。
そして、魔獣の目と私の目が合った瞬間。
「はああぁ!!」
本気にして全力。
一切の惜しみない膂力でもって、ハルバードをふるう。
狙いは…眼球。
「ギャウン!!」
目の攻撃と察した魔獣はとっさに瞼を閉じた。
しかし、私のハルバードはその瞼ごと眼球を切り裂いた。
(重い…!)
瞼一枚が、とてつもなく硬い。
そのうえで弾力もある。
全力の膂力と、最速だと思う振りでなかったら瞼に食い込んで止められたかもしれない。
だけど振り切った。
シエルはそのまま駆ける。
目玉を抉られた魔獣はその場でのたうちまわり始めた。
こうなっては攻撃する手立てがない。
すぐさまその場を離脱。
魔獣がのたうち回るたびに、地面が抉れ、木がへし折れ、岩が吹っ飛ぶ。
抉った眼球からとめどなく血が流れている。
時折こちらに吹き飛んでくる石をハルバードで薙ぎ払い、次の機をうかがう。
1分かそこらか。
のたうちまわっていた魔獣が、ゆっくり起き上がり始めた。
(この機は逃さない)
再びシエルとともに駆ける。
駆ける音に気付いた魔獣は、こちらを残った目でにらみつけてくる。
恐ろしいまでの憤怒の表情。
(奇遇ね、私も同じ気持ちよ)
全てが殺意に塗り替えられた、その下に埋まる憤怒。
私も、あなたを殺したくて殺したくてたまらないの。
あなたも、私を殺したくて殺したくてたまらないのでしょう。
だから逃げない。
私も、逃がさない。
再び開かれた咢。
そこに突っ込む私とシエル。
さっきと同じ。
咢を横にかわし、残った目を狙う。
しかし、魔獣もそれは学習済みか、瞼を閉じるのではなく、顔ごとそらした。
如何に長尺のハルバードといえど、間合いには限界がある。
目を狙うことはできず、そのまま通り過ぎる。
(所詮獣)
そんなわけがない。いやむしろ絶好の好機。
魔獣は顔ごとそらしたせいで、完全にこちらの姿を見失った。
その隙に無防備な前足へとハルバードの一撃を放つ。
「ギャウン!!」
ハルバードは魔獣の前足の肉を抉る。
並の獣なら足ごと切り飛ばすけれど、災害級のサイズでは私の膂力をもってしても可能かどうか分からない。
なにせ前足は大木のように太い。
その足を支える骨の硬さを想像を超えるだろう。
下手に食い込めば致命的な隙が生まれる。
骨には食い込まないよう、皮と肉だけを切った。
切られたことで力が入らなくなったのか、前足が膝をついた。
その勢いのままシエルは駆け、私は後ろ足の皮と肉を抉る。
「ギャウッ!」
足では致命部位には遠い。
出血も決して多くない。
確実にしとめるためにはやはり内臓を損傷させるしかない。
しかし、あまりにも魔獣の足は長い。高さがある。
ならば、近づけさせればいい。
切りつけられた足を確認しようと魔獣の頭がこちらを向くが、もう遅い。
そのまま魔獣の尾の下で旋回し、今度は逆側の足を切りつける。
後ろ足、前足とシエルのトップスピードのまま肉を抉る。
そのまま駆けぬけ、一旦間合いを取った。
魔獣はすべての足から血を流している。
膝をついたかと思われたが、今はまっすぐに立っていた。
だけど、痛みのせいかその足は震えている。
手傷は負わせた。
けど、まだまだ危険。
敏捷性は失っても、その巨大な体躯が暴れるだけで被害が生まれる。
手負いの獣は、より凶暴さを増す。
こちらは私もシエルもダメージは無い。だけど、余裕というわけじゃない。
シエルの息が荒い。
荒野を3時間駆けても余裕があるのに、さすがのシエルもこの巨大な魔獣との闘いにおいて、極度の緊張を強いられている。
体力の消耗は激しい。
「フー……」
私はまだ大丈夫。
けれど、シエルの様子からして突撃はあと2回が限度。
それ以上は致命のリスクを伴う。
(次で決める)
長期戦はこちらもできない。
2000の部隊?
手ごたえで分かる。
並の剣で、あの皮は切り裂けない。
超重量のハルバードと、私の膂力があってやっと可能な芸当だ。
2000の部隊など、仕留めるどころか被害を増やすだけだ。
今のうちに仕留めなくちゃいけない。
「シエル、止まらず駆け抜けるのよ」
分かっているとばかりに頭を振られる。
ほんと、いい子なんだから。
手綱を握り、再度突撃。
魔獣はまたしても咢を開けている。
なんとしてでも私たちを噛み殺したいんだろう。
しかも、その嚙み殺す勢いはこれまでで最も速い。
だけど、それは同時にかわされたときの隙の大きさも生む。
「っ!」
咢をかわすと同時に、私はシエルの背を蹴り、宙へと飛んだ。
シエルを魔獣の目が残っているほうへ。
私は魔獣の目を抉ったほうへ、逆へと飛んだ。
魔獣の目はシエルしか映っていない。
シエルを追って首がそちらに向く。
私は魔獣の頭を飛び越え、視界を失った顔の側に降り立つ。
つまり、私の側の首が無防備にさらされることとなる。
しかも、噛みつこうとして頭を下げた状態。
そこは、私の間合い。
無防備な首めがけて、ハルバードを振り下ろす。
「はあああぁぁぁああ!!」
不安定な馬上とは違い、しっかりと地面を踏みしめたうえでの、十分な速さと重さを込めた一撃。
まっすぐ振り下ろしたハルバードは、魔獣の首を切り裂いた。
傷口からはおびただしい血が噴き出す。
「ギャウン!!」
うまく動脈を切り裂けたようだ。
しかし、その血をもろにかぶってしまった。
このままここにいては、またのたうち回りはじめて、巻き込まれかねない。
(すぐに離れなきゃ…!)
そう思ったところで思いっきり転んでしまった。
見れば一面血の海。
魔獣の血は私の全身を濡らし、靴はもはや泥にハマったように滑って進めなかった。
(まずい!)
とっさに私はハルバードを地面に斜めに突き立てた。
ハルバードの柄を魔獣とは反対側に向け、柄の先端を思いっきり押す!
押した力の反動で私の体を飛ばし、かろうじて魔獣の傍から離れることができた。
同時に、ハルバードに魔獣の巨体がのしかかる。
(間一髪ね)
そして華麗に着地を決め…ようとしたけど、血まみれの靴は全然ブレーキがかからず、私は地面の上をすべる羽目になってしまった。
「あいたたたた…しまらないわぁ」
擦って痛む部分を抑えながら起き上がり、魔獣を見やる。
首からの血の噴出は収まらず、立ち上がる力もなくなったか、魔獣はのたうち回るだけだった。
すると、後ろから軍馬の駆ける音が聞こえてきた。
「リリス様!遅れて申し訳…え」
ようやく到着したブリア将軍は、目の前でのたうちまわる巨大な魔獣に目を奪われていた。
そのブリア将軍に追いつくように続々と兵士が到着する。
「うそ…まじかよ」
「ありえないだろ…」
「まさ…か、これを…一人で…?」
血まみれでのたうち回る魔獣の姿に、ブリア将軍も兵士たちも唖然としていた。
カッポカッポと聞こえる音に顔を向けると、そこにはシエルがいた。
どこにも傷はなさそう。よかったわ。
「シエル、お疲れ様」
お前もな、と言わんばかりに鼻先がこすりつけられる。
そのせいで、シエルの鼻先にべっとりと血が付いてしまった。
「あらら、後で拭きましょうね」
全身血まみれ、ハンカチも血まみれ。
あ~、全身血で臭い。
「はっ!り、リリス様!そのけがは!」
ブリア将軍は、血まみれの私を見て大けがをしたと思い込んだみたい。
「けがは無いわ。ちょっと擦りむいただけ。これは返り血よ」
「ケガはな…い?」
「疲れたわ。後処理はお願い。あ、ハルバードはちゃんと回収しておいてね」
そういって私はシエルにまたがった。鞍も血濡れになるけどもう気にしない。
馬上から魔獣を見ると、もう魔獣はのたうちまわるのをやめていた。
今はかろうじて少し動いているくらい。
あれなら絶命するまで時間はそうかからないでしょう。
…少しは、犠牲になった民の想いも晴れたかしら。