1話
(さて、どうでるかしら)
不敵な笑みを馬上で浮かべた私―リリス・フィールド―は、そのままにまっすぐ前を見据える。
場所は『元』敵国ラディカル国の王都にして、王城の門をくぐった場所。荘厳なる王城は目の前で、後ろには本来ならくぐることは叶わない、重厚な門がある。そこで、愛用の武器‐ハルバード‐を手に、馬上からも下りずに入城した私を、出迎えた城の関係者一同‐兵士や騎士、侍女侍従‐が警戒と緊張を隠しもしない。その出迎えの中で、私の真正面にいるのが……この国の王、アルディ・ラディカル。
ラディカル国に幾度となく侵略されてきたシリウス帝国。そのシリウス帝国の辺境伯家令嬢にして、最前線で敵国ラディカルの兵士を何人も屠ってきた『英雄』リリスことこの私。馬にまたがり、ドレスではなく戦闘服‐文字通り戦場で着る服‐に身を包み、ハルバードという戦場用の武器を手にしたままの私を、『王妃』に迎えた変じ…変わり者の王。
本来王城に武器を携えたまま入城することなどあり得ない。そんな私の前に、アルディ王は、一切護衛を連れることなく歩み寄る。彼は、腰に剣を帯びてすらいない。周囲の緊張が徐々に高まる。
そして、すでにハルバードの間合いに入り、その首を飛ばすことも可能になっても、彼の歩みは止まらない。彼は、私の真横まで来るとその手を差し出した。
「どうぞ姫。わが手をお取りください」
何の警戒も見せず、誰もが見とれるような微笑みを私に向けて差し向けてくる。黒髪が風にさらりと揺れ、海を思わせる深い青の瞳がじっとこちらを見つめる。その肝の座り具合に、挑発したはずのこちら側が驚いてしまった。
(…なるほど。これは一筋縄じゃいかないわね)
手にしたハルバートを無造作に石畳へと突き刺す。その重量から石畳を貫通し、地面に突き刺さる形でハルバートを固定して手を放す。石畳を破壊した音に、周囲でざわめきが起きた。そしてその手で、アルディ王の差し出した手を取った。
ぐっと引き寄せられ、馬上から降りると同時にその腕の中に抱きしめられる。見た目は細身に見えたけれど、その服の下は確かに鍛えられていた。
(…とはいえ、この程度で遅れはとらないわ)
豪胆だ。令嬢一人軽々と抱き上げる程度の筋力もある。が、並の兵士3人でも担ぎ上げられない超重量のハルバードを、片腕で持ち上げられる私からすれば脅威ではない。いつでも寝首を掻ける。そう確信した。
「なんて可愛らしい……ずっとあなたをこの腕の中で抱きしめていたいですね」
少し低めの声が、歯の浮くような誉め言葉に苦笑してしまう。どこが可愛らしいというのか。たった今、男の筋肉の付き具合を確認し、いつでも仕留められる…そんなことを考えていた令嬢のどこが。
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
とはいえ、賛辞は素直に受け取っておく。なにせ、今日からこの目の前の男…アルディ王は私の夫となるのだから。抱きしめられたまま、その首にそっと手を添える。そして、周りには聞こえないよう、その耳元に顔を寄せる。
「でも……『何か』あれば、この首とさよならしてしまうかもしれませんわよ?」
この言葉の意味が分からないほど愚鈍ではないだろう。読み通り、私の意図を受け取ったアルディ王は、それでも微笑みを崩さない。
「ええ、ご心配には及びません。リリス…あなたを悲しませるようなことは絶対にしないと誓いましょう」
どの口がいうのか。元敵国の令嬢にして、最も自国の兵士を殺戮してきた私を悲しませない。愚鈍ではない……だけど、まともでもない。
(面白いわ)
素直に、そう思った。王妃ともなってしまえば、そう簡単に戦場に赴くことはできない。だけど、新たな戦場と新たな相手が見つかった。ずいぶんと退屈せずに済みそうだ。
「その誓い、いつまで守れるのか…見せてもらいますわ」
「ええ、いつまでも、ずっと見ていてください」
周囲が『万が一の事態』に戦々恐々としながらも、当の二人はそんなことを呑気に語り合っていた。
リリス・フィールド。15歳。
シリウス帝国のフィールド辺境伯家の令嬢。碧眼と緩やかなカールを帯びた長い金髪は、馬にまたがり勢いよく駆けることで『陽の下の流星』と称された。
しかし一方で、それが戦場で煌めく様は敵国から『黄金の死神の鎌』と仇名された。金色が靡くたびに兵士の首が飛ぶ……そんな光景から付けられた名だ。
そもそもただの令嬢であるはずの私が、何故戦場に赴くのか……それはリリスとして生まれる前……前世の頃からさかのぼる。
私の前世、それは…『グランディア・シリウス』。シリウス帝国の第6代目皇帝。現皇帝が7代目であることから、現皇帝の父が私の前世だ。
『グランディア・シリウス』。歴代最強最悪と称された……まさに悪夢の歴史を紡いだ皇帝だった。とはいっても、不正や浪費に浸り、酒池肉林を築いた…わけではない。むしろその真逆。一切の不正や違反を許さない、度の過ぎた潔癖症。不正の程度を一切鑑みることなく、全てを処刑として処理する、最も人を殺してきた皇帝だ。その悪政は、一切の不正を生まない環境を作るどころか、気に入らない奴を王に進言することで、代わりに処理させて自らが成りあがる……結果的に不正の温床となってしまった。また、互いの行動を互いに監視し合う…何かしくじればすぐに皇帝の耳に入り、処刑される…そんな恐怖から中央から徐々に人が離れ、いつしか政治は荒れに荒れた。
そんな悪夢の歴史は、グランディア皇帝が病死することで幕を閉じる。そしてその死にざまも、まさしく悪夢。医者が診断するも、手の施しようがないという診断結果に、皇帝は即座にその医者の首を刎ねた。しかし、その診断結果を耳にした側近たちは、王の看病の一切を放棄。それどころか、皇帝の寝室には誰も近づかなかった。皇帝の味方は…どこにもいなかった。
外から施錠され、病気による苦しみ・衰弱でやつれた体は自力で外に出ることすらできなかった。戦場にでれば常勝を誇る頑強かつ鍛え上げられた肉体は見る影もない。水の一滴を得ることすら許されない。飢えと渇きと病気の苦しみが如何に壮絶であったかは、皇帝の死後その部屋を清掃した掃除夫が口を噤むほど。
その苦しみを唯一知る人物……その前世を持って生まれたのが私、『リリス・フィールド』。その憎悪がどれほどのものだったか、思い出しただけで身震いするほどに凄まじい。
赤子なのに、その目はこの世の全てを憎んでいた。あれほどまでに正義に拘り、不正を許さない王に対する仕打ち。絶対に許せないと。
転生という、何の生産性も無いガラクタのような宗教観をあざ笑っていたが、自身の身で体験すればもう笑えない。だが一方で感謝もしていた。
神は…復讐の機会を与えた。病に苦しむ皇帝を見殺しにした愚かな臣民どもを皆殺しにする機会を。自由に動く体になれば、誰もかれもを皆殺しにしてくれる。そんな憎悪を抱えていたのが、当時の赤子の私だ。
幸い、生まれ落ちたのが唯一戦場において皇帝の横に立てるほどの武勇を誇るフィールド家の娘として生まれたことだった。女の身体には不満があったが、父親があれほどの武勇を持つのだから娘にも引き継がれるはず。それを期待していた。
しかし、その復讐劇が果たされることは無かった。徐々に自由に動ける範囲を獲得し、自室から屋敷内、屋敷の外、そして街へと出歩くようになる。そして……かつての皇帝は現実を知る。
正義と信じ、正しさを追い求めた皇帝の姿勢は、ただただ民を追い詰めていたことを。自身の死が祝日となり、解放の日と呼ばれ、そのことを心から祝う国民たち。貴族の娘として他家の貴族との会合の場に出向くこともあれば、嘆かれるはかつての自分の政治。何の不正もしていない無実の者が、自らの欲望に忠実な愚者のせいで陥れられ、その剣を振り下ろしたのは間違いなく自分。
正義と信じ、不正を許さなかった自分がしたのはなんだったのか……復讐を果たそうと思っていた憎悪が、その身を焦がす苦悩の炎と化すのに時間はかからなかった。
その苦悩の炎が、ついに心のみならず身体を蝕んだ。苦悩で食事もままならなくなった私は三日三晩高熱にうなされ、当時わずか4歳だった身体は死を覚悟した。その時のわたしの状態は、王の最後の記憶に酷似していた。
しかし皇帝とは違うのは、そこで私は献身的な看病を受けた。使用人が代わる代わる看病に訪れ、母はおろか執務に忙しい父も、遠征先から駆け付けて傍で見守ってくれた。
私に向けられる純粋な『愛』……その『愛』が苦悩の炎をかき消していく。
しかし、苦悩の炎が消えたからと言ってそれですべてが解決したわけではなかった。生まれ落ちた時点でもっていた目的が消えたのだ。何故私は生きるのか…それを考えなければならなかった。
目的も無く、ただフィールド家の令嬢として生まれた以上こなすべき令嬢としての教育を受けるだけの日々。驚くべきは、前世が男だった割には、令嬢としての教育を受けることに抵抗がなかったことか。令嬢として必要な知識・教養は皇帝として覚えていたことに重なるのでさほど苦労も無かったが、令嬢としての振る舞いには多少てこずることもあった。
そんな私の転機が訪れたのは8歳の時だった。
隣国ラディカル国の侵略。100年を超える敵国としてあり続けるラディカル国の10年ぶりの侵略だった。そう、100年以上小競り合いを続けている国だ。
ここ10年はラディカル国での王位の引継ぎや跡継ぎの誕生などで混乱していたこともあり、侵略行為はなかったがそれが落ち着いたと見える。そしてその侵略の矛先は、ラディカル国と唯一国境を持つフィールド辺境伯家の有する領地だ。
自領に侵略の手が迫ったとして、フィールド家は慌ただしくなる。もちろん、それ自体はかつての皇帝として知っていたことだ。そして、フィールド家はその血筋に異能を有することで知られ、その異能によってラディカル国の侵略のことごとくを退けてきた。
その異能とは、全身の異常なまでの膂力。足先から指先にいたるまで、筋力という筋力が常人の数倍から数十倍ほどの力を発揮する。そんなフィールド家の人間が直接指揮を執る訓練によって鍛えられた兵士は国が有する軍よりもはるかに精鋭ぞろいであり、まして戦場ともなれば、そのフィールド家の人間が前線に出れば士気は嫌が応にも上がる。
今回の侵略も、10年ぶりではあってもフィールド家は健在だ。侵略の心配は無い。けれど…私が今できることがここにある。それに気づいたのだ。
「お父様!」
私は戦争の準備に追われるお父様の下へと駆け寄った。
「リリス、どうした?」
「お父様。お父様が戦場に行かれると聞きました」
「そうだ。だが何、心配することは無い。すぐに戻ってこよう」
お父様は、私がお父様の身を案じ、心配で来たと思っている。だがそれは半分その通り、半分は違う。
「お父様、私もお連れください」
「…リリス、私の聞き間違いか。連れていってくれ…そう言ったのか?」
「その通りです」
私の言葉を復唱したお父様は、怪訝な顔で私を見た。当然の反応だと思う。まだ8歳の娘が、戦場に連れていけだの前代未聞だ。それは十分承知している。承知したうえで、私はお父様に言ったのだ。
「連れていけるわけがなかろう!リリスは屋敷で大人しく待っていなさい」
「嫌です。私も参ります」
「戦場は遊び場ではない!」
「分かっております」
戦場が遊び場ではないことは百も承知。かつて皇帝の頃、今回のような侵略がまったくなかったわけではない。ひとたび戦争が起きれば、かつての私は自ら戦場に赴き、指揮を執った。時には戦場で自ら敵将の首を取ったこともある。
「分かっておらん!戦場で自らの身を守れぬものを連れていくことなどできん!」
「自分の身は自分で守ります」
「…一体その自信はどこから来るというのだ…」
一歩も引かない私に、ついにお父様は呆れ始めた。自分でもありえないのは分かっている。けれど、これしかないと私は直感していた。
「領主であるお父様が、領民を、国を守るために出撃なさるならば、その娘である私も同じ責を負います。どうか、私も戦場に」
「………ダメだ。何と言おうと連れてはいかん」
そう言われると、邪魔だと追い出されてしまった。もちろんこれであきらめる私ではない。すぐさま部屋に戻り、数日分の着替えと食料をバックに詰め込むとこっそり荷物用の馬車に忍び込んだ。
そして戦場にて。
「…どうされます?」
顔をひくつかせ、こちらを見下ろすのはお父様が来るまで先遣隊として指揮をしていた隊長だ。前線に着いたのを確認し、こっそり馬車から出てきたのを見つかってしまった。
「…絶対に天幕から出すな。何かあれば私は…生きていけん」
悲壮な表情でそこまで言われると、本気で申し訳ないことをしたと思いつつ、私にも引き下がれないものがあった。やっとここまできたのだ。それなのに天幕で待つだけなんてことはできない。
「私も戦場に向かいます」
「リリス!!」
ついにお父様が切れた。しかし、私とてその覚悟あってここまで来た。これで怯みはしない。
「お父様のハルバードと馬をお貸しください。それで戦場に向かいます」
「っ…!!…っ!!!」
もはや言葉にできない言葉で空気を吐くだけになったお父様。だが、そこで何か思いついたのか、途端にその表情を変えた。
「…いいだろう。だが、ハルバードを持ち、馬を乗りこなせなかったらその時は天幕で大人しくしてもらうぞ」
「はい、わかりました」
どうやらお父様は、私にはハルバードを持つのも、馬を乗りこなすのも無理だとみているようだ。だけど、残念ながらそれはお父様の思惑通りにはならない。
「では、よろしいですわね、お父様?」
「……………」
にっこりと微笑みながら馬上から二人を見下ろす私。
口をパクパクとさせ、言葉も紡げないお父様。隣の隊長もまたあり得ないモノを見ている顔つきをしている。
お父様用の特注のハルバード。常人の背丈の倍の長さに、肝心の斧の部分はそれだけで成人男性二人分の体重を超える重さ。並の人間がそれを扱えるわけがなく、フィールド家という特殊な血筋の異能があるお父様だからこそ扱える武器だ。
そんな武器をお父様同様に軽々と振り回す私。女の身ながら、フィールド家の異能はしっかりと私にもある。ぱっと見私の身長の3倍の長さ。体重だけなら10倍は越える。そしてそれを、お父様の愛馬にまたがった状態で振り回す。
「セクト……何故そんなあっさり乗せるのだ…」
セクトとはお父様の愛馬の名前。つまり今私がまたがっている馬のことだ。このセクト、この超重量ハルバードをもってまたがれるほどの異常な筋力と体格を有する、これまた他の馬とは一線を画する馬なのだが、その気性は暴れ馬を通り越してもはや暴君。お父様以外はまたがったことがないと言われるほどの馬だ。その馬の背に、わずか8歳の幼女がまたがり、肝心のセクトが暴れもしないのだからお父様には目の前の光景が現実に見えていないかもしれない。
「セクトはいい子ですわ。ね、セクト?」
鬣を撫でれば、くすぐったいとばかりに首を振られる。まったく素直じゃないと苦笑すれば、ぷいっとそっぽを向かれた。
(あ、この子結構可愛いかも)
気位は高く、その背に乗せるものを選ぶ豪胆さがあるけれど、一度認めれば態度はともかく中身は従順。
「ありえん……私だって乗りこなすのに半年かかったというのに…」
どうやらお父様はあっさり乗せてはもらえなかった様子。ご愁傷様。
「ふっ!」
身体慣らしとばかりにハルバードを少し本気で振り回す。轟音と豪風が響き、充分に距離を取っていたはずのお父様と隊長がそれに驚きさらに距離をとった。
今更ながら、このフィールド家の血筋…その異能の凄さに感心する。このハルバードはかつての皇帝の身体でも、もつことはできてもここまで振り回すことはできなかっただろう。
ここまでくればもうお父様も拒否することはできず、むしろ将としての顔になり、私を部隊に編制させることで諦めた。しかし、この武器で、セクトにまたがった私が、隊として動くのは宝の持ち腐れだ。
「お父様、私は単騎で突撃しますわ」
「…もう勝手にしなさい」
お父様は反論することを諦めた。もうこの娘には何を言っても無駄だと理解していただけたみたい。話が早くて助かる。
「私が敵軍の出鼻をくじきます。あとは各個撃破でお願いしますわ」
「…そうしなさい。まったく、誰に似たんだか…」
「間違いなくお父上の影響かと。いつもそうじゃないですか」
「………」
隊長の指摘に黙り込むお父様。そう、共に戦場に立った時、このお父様は隊の動きを無視して力任せにハルバードを振り回して敵軍を混乱攪乱。結果勝利は収めたものの、規則を無視したことに大激怒したことを覚えている。さすがに処刑はしなかった。勝利の立役者だったから。つまり、あの時の仕返しである。
太鼓の音がきこえる。敵軍進軍の知らせだ。
「さぁ行きますわよ、セクト!」
声を掛ければ鼓膜を揺るがすような嘶き。気合十分だというセクトの腹を足で叩き、一気に駆ける。
同時に防衛のために出撃した兵士がいるも、セクトの脚にはついてこれない。結果、文字通り単騎で敵軍に突撃することとなった。けれどそれでいい。
遠目から見ても、敵軍は明らかに動揺していた。遠くからは馬だけが突撃するように見え、近づけばその背に乗るのは明らかに子供。靡く長い髪がそれを女の子だと教えてくれている。その上で、その手には不釣り合いなハルバード。さぞかり混乱しているだろう。
「はああぁぁ!」
気合一閃とばかりに敵軍に肉薄、ハルバード一閃。
身体に似合わない膂力から生み出される閃光のごときハルバードの一撃は、兵士の首や腕、胴体を剣や防具など無いとばかりに切り飛ばす。
巨躯の馬にまたがる幼女が、戦斧を振り回して兵士を虐殺。
その異様さが、敵軍を恐怖に陥れるのに時間はかからなかった。
たかが幼女と侮ったものから首と胴がお別れし、その光景に恐怖したものは我先にと逃げ出した。あっという間に瓦解した敵軍が敗走を始めるのに時間はかからなかった。
そして、セクトにまたがる私は立ちはだかる敵兵を紙きれのように切り飛ばし、そのまま指揮官と思しき者の元までたどり着く。
しかし、そこでやたらと豪奢な衣服を身に纏った馬にまたがる少年を見つけた。私の接近に兵士が逃げる中、その少年だけは守ろうと兵士や騎士と思しきものたちは離れない。
(貴族……いや王族?)
こんな侵略戦争に王族が来るだろうか?それも、まだ幼い王子だろうと思われる。さすがに歳は私より上に見えるが、その表情は明らかに恐怖に怯えている。
それは確かにそうで、散々敵兵を切り飛ばしてきた私とセクトは、返り血でべったりと汚れている。ハルバードからは血がしたたり落ち、セクトに至っては肉食馬みたいだ。
指揮官なら仕留めればそれで終わる。だが、王族…それも王子となると話が変わる。もしこれが王であれば、戦争の最高責任者なのだから仕留めるのもありだ。だけど、王子では勝手が違う。勝手に討ち取ると逆に後々面倒になりかねない。
気づけば敵兵のほとんどが逃げ出し、場にいるのは私と、王子と思しき少年とそれを守る護衛のものだけ。後ろからは味方の兵が押し寄せてくる。このままいれば間違いなくこの王子は捕虜として捕らえられるだろう。
「逃げなさい」
それだけ言って、私は踵を返して戻っていった。
私がしたいのは虐殺じゃない。自国の領土を、民を守ること。それが、戦争が起きた時に私が感じたしたいことだった。散々この手に掛けてきた民たちを、今度こそ守ること。
その目的は十分に果たした。わざわざ面倒事になる王子の捕虜なんていらない。
敵軍を撃退し、帰還した私をお父様は熱い抱擁と正座付きの説教というプレゼントをくれた。それが心配の裏返しなのはわかるけれど、血まみれのまま説教はやめてほしかった。そのせいか、戦場にあっては味方のはずの私に恐れ戦いていた味方兵士も、父に説教される娘という構図にほっとしていたようだった…と後で聞いた。それは父の策略の一つだったかもしれないけど、とにかく次は勘弁してほしい。
この戦争後、私の武勇は敵国自国双方で伝わり、私は戦争のたびに戦場に駆け付けては敵兵を倒し、自国を守る。
その結果、ラディカル国では私の名は無く子を黙らせるほどにまで轟き、自国では辺境伯家の令嬢なのに婚姻の話が一件も無いままにデビュタントを迎えることとなった。