パラレル
眼を開くとそこには新しい世界が広がっていた。
それはとても変な世界だった。その世界には空がなく、地面から上を見上げると、そこにも地面があった。ちょうど大きな鏡でこの下の大地を映したかのように地面が頭上のはるか上に広がっていた。
この二つの地面は建築物や自然物による多少の凹凸はあれど、ずっと平行に地面が続いていた。
私が来たのはそんな世界で、人間と思われる生き物が歩いていた。
「あの...」
私は一人に話しかけた。
「ん?なんでしょうか?」
彼は立ち止ってくれた。
「なんで上にも地面があるんですか?」
「は?」
男はかなり戸惑っていた。
「だから、なんでここから見上げると上に地面があるんですか?」
男はしばらく考え込んでから、おもむろに口を開いた。
「えっと、それは哲学か何かかい?そんな当たり前のことは考えたこともなかったなー。いや、面白いことを考えるものだ。悪いが私は用事があるからそろそろいいかな?」
そう言うと男は人混みの中に紛れていった。
私はハッとした。それはそうなのだ。この世界にとってはこれが当たり前なのだ。世界がどうしてこんな形になったのか。それはこんな形に作られてしまったからとしか言いようがない。たしかにその通りだ。全くの愚問だ。
「あの、そこの君。」
背後から声がした。
振り返ると僕と同じくらいの年齢だろうか。一人の青年が立っていた。
「君、上の世界について興味があるの?」
藪から棒になんだ?上の世界とは見上げると見えるこの世界だろうか。
「さっきなぜ上に地面があるのかと聞いていただろ。」
たしかにそうだが...
「僕も上の世界に興味があるんだ。一緒に来てくれないか?」
なんだか怪しい奴だな。これは関わらないほうがいい奴かもしれない。
そんなことを考えていると、そいつは私の腕を引っ張っていった。
「おい、ちょっと!私はまだ一言もしゃべってないぞ!」
そんな言葉を無視し、男は小さな建物まで私を引っ張ってきた。
「ここが僕の家だ。まあ上がってくれ。」
まあ、ここまで来たんだ。話くらいなら聞いてやろう。いざとなったら簡単に逃げられるし。私はそう考えて、誘いに乗ることにした。
リビングらしき場所にはテーブルを囲むようにいすが置いてあり、そこに私は座った。
「こんなものしかないが、まあ、食べてくれ。」
そう言って男はよくわからない青色の液体が入ったコップと、小皿に乗った赤い5cmほどの塊を出してきた。
「で...」
男は話し始めた。私は食っても大丈夫かわからないこれらには手を付けず、男の話を聞くことにした。
「君はどうして上に世界があることなんて聞いたんだい?」
今思えば、ここは適当にごまかすべきだったのかもしれない。ただ、私はいざとなれば過去に戻れるし、最悪他の世界に逃げればいいと思っていたので、不用心にも正直に答えた。
「実は私は全く違う世界から来たんだ。」
男は驚いていた。いや、私が何を言っているのかがわからないといったような顔だった。
「私は、自分の存在する様々な次元を操ることができる。だから様々な世界を渡ることができる。私がもともといた世界は、地面から上を見上げれば空が見えた。12時間ごとに明るくなったり暗くなったりして、明るいときは太陽が、暗いときは星が空で輝いていたんだ。」
男の目は見開かれたままだった。しかしそれは驚きによるものから好奇心によるものへとすでに変化していた。
「そうか!ぜひ君のいた世界についてもっと教えてくれないか?」
私たちはお互いに互いの世界のことを語り合った。
私が語ったことと言えばもといた世界のこと、例えばこの世界では見なかった自動車などの機械についてや、私の大好きな猫という生き物について、ついでに私の世界で出てくるお茶とお茶菓子についても語った。
彼は目を輝かせながら、時には驚き、時には喜び、時には悲しんだりと、本当にせわしなく私の話を聞いていた。この彼の態度は、実は私が紀行文にして旅をまとめようと思ったきっかけでもあるのだ。
気づけばだいぶ時間がたっていた。しかしこの世界は空がないせいか明るさに全く変化がないな。本当なら少し文学的に『気が付くと外は暮れなずむ夕日に赤く染まっていた。』なんて書きたいが、嘘はよくない。またいつか書く機会があると信じよう。
彼は私の話を一通り聞くと、少しもじもじしながら聞いてきた。
「どうやら君は本当に違う世界からやってきたみたいだ。僕が考えたことすらない突拍子もないことがたくさんあって、まだ少し興奮しているよ。それで、その、一つお願いしたいことがあるんだけれどもいいかな?」
何だろうか?まさか違う世界に連れてってくれなんて言わないだろうな。
「僕を上の世界に連れて行ってくれないか?」
まあ、それぐらいならできるだろうか?私はそんなことを考えた。
「でもいったいなぜ上の世界に?」
彼はしばらく考えて、少しずつ、慎重に話した。
「僕には好きな人がいるんだ。ずっと好きな人がいるんだ。彼女はとてもかわいらしくて、きれいな花を育てたり、髪にリボンをつけたりして、本当にかわいらしいんだ。」
考えた割には特段凝った表現ではないな。
「でも、その女の子は上の世界に住んでいるんだ。だからまだ一言も話せていない。名前もわからない。どんな色が好きなのかも、好きな食べ物も何もわからない。」
でも、彼の思いはこんな言葉だからこそ私に真に迫る形で伝わった来たのかもしれない。
「一度でいい。僕はあの子と話がしたいんだ。だからお願いだ。僕を上の世界に連れて行ってくれないか?」
そのぐらいなんてことはなかった。第一、彼との時間は楽しかったので、私は彼の願いを聞き入れることにした。
「ほ、本当かい?じゃあ急いで準備をするから待っててくれないか?」
彼は急にあわただしく動き出した。
髪型をいじり、服を決め、奥の部屋で様々な準備をしていたようだ。私の前に出てくるころには、さっきまではしなかった、不思議な甘い香りを彼は漂わせていた。彼曰く、今流行の香水らしい。全く、私の世界でも一時期ドルチェアンドガッパーナとかいうブランドの香水が流行っていたが、それはどんな香りだったのだろうか。
「それじゃあ、僕を上の世界に連れて行ってくれ。目を閉じたり、君にしがみついたりしたほうがいいのかい?」
「冗談、かわいい女の子にならまだしも男に抱き着かれる趣味は私にはないよ。そうだな、私の手を握ってくれれば大丈夫。目はべつに閉じなくてもいい。まあ、雰囲気を出したいのならお好きにどうぞ。」
私たちはこんな軽口をたたきながら笑いあった。
彼が私の手を握り、私は上の世界に移動した。
「うおー!本当に上の世界に来た!君、マジですごいな!」
彼は上を見上げながら叫んだ。私が移動したので、確かに上の世界についたとは思うのだが、彼が見上げる先を見ても、私はどっちの世界にいるのか見分けがつかなかった。
結局鏡写しのように似た世界が上に広がっているだけで、何の違いもなかった。
「どうして上の世界に移動できたってわかるんだい?」
「あの建物、あれは俺の家だが、屋上に赤い旗を立てたんだ。目印になるように。さっき上の世界を見たときにはどこにもそんなものは立ってなかったからな。」
たしかに彼の指さす方向を見ると、屋上に赤い旗が立っているのが見えた。
急に彼が私の手を強く握った。彼は何の言葉も発しない。
視線の先には一人の白いリボンで髪を結った女の子が立っていた。
彼は動けなくなった。息をするのも忘れたかのように、少しも動かない。
きっとあの白いリボンの子に彼はぞっこんなのだろう。
「おい、早く話しかけろよ!あの子が行っちゃうぞ!」
私がそういうと、彼はハッとしたような表情をした。
そして、彼女に向かって声をかけようとした
「ねえ、そこの君...」
そう言って彼が私の手を離したとき、ふいに彼は上にジャンプした。
いや、ジャンプしたんじゃない。上に落ちたのだ。彼がもといた世界に吸い込まれていった。そしてしばらくすると、私から見て上の世界では彼が落ちた場所に血だまりが広がっていた。何も聞こえなかった。上では人だかりを作っているが、私が今いる世界では何事もないように世界が動いていた。白いリボンの女の子は、素知らぬ顔で行ってしまった。
この二つの世界は、見えているだけで、互いに干渉し得なかったのだ。試しに私が上の世界から石を拾って持ち帰ると、石は上の世界へと落ちていった。
彼は上の世界に行ったのではない。この世界のはるか上空に行ったに過ぎなかったのだ。
だから、彼の言葉が届くはずなんてなかったのだ。彼らは絶対に交わることはできない平行線の上にいたのだから。