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この綿毛はなんなんだろう。よくよく観察する。
白くてほわほわしていてふよふよ浮かんでいる。僕とつながる糸を引っ張ると一緒についてくるけど、それ以外は風に揺られて浮かんでいるようだ。風が吹けば揺れ動いて、風がなければゆっくりと落下する。ふぅと息を吹きかけても同じ。その繰り返し。
試しにスプーンで突っついてみたらスプーンは綿毛を透過した。触ってみようとしても触れない。立体映像みたいに通り抜ける。
でも、僕とつながる糸はしっかり触れるし引っ張れる。引っ張るとやっぱりその方向に綿毛もつられて動く。
僕と繋がる封印の糸は僕を通って発生したものだから、これまで出会った他の怪異の封印の糸もいつも触れた。けれども怪異の本体に触れないっていうのは初めてだ。
似たようなもので思い浮かんだのはウィル・オー・ウィスプ。日本で言うと鬼火とか人魂。墓場にフヨフヨ浮いてる。実態はリンが燃えてると言うのが一般的だけど、この綿毛はあんまり燃えてる感じもない。温度は感じない。
ウィルオーウィスプの正体は人の魂とか妖精とか言われてるけど、どちらかというと妖精っぽい気がする。
あいかわらず小さな声で話しかけても返事はないから意思はないのかもしれない。
ふよふよ飛んで見失わないよう縁の糸をくるくると三重に手首に巻きつけて部屋に戻ると、オレンジ色の座布団で寝ていたニヤが飛び起きた。
ニヤは黒猫の姿をしているけど、その本質は新谷坂の封印のふたが実体化したもの。長年新谷坂の怪異を見守っていて、怪異に1番詳しい。
僕とニヤは意思疎通ができる。僕が封印を解除したとき、ふたであるニヤと意識が少し混ざったから。
「ニヤ、今日これを拾ったんだけど何だろ」
「それは歌だ。封印するなら早い方が良い」
歌?
僕がパタリと閉じたドアから生じた風に煽られたからか、綿毛がふよふよと風に乗ってニヤに近づいた。ニヤは心なしか急いで窓から外に逃げ出して、結局その日は帰ってこなかった。なにかニヤの挙動がおかしい。これはそんなにヤバいもの? そんな感じは全然しないのだけど。
それに歌って歌うやつ?
耳を近づけても特に何も聞こえなくて、話しかけても反応がない。結局よくわからないけど、明日封印しようと心に決めて眠りについた。
◇◇◇
チチチチチチチチチ
ううん、うるさい。
アラームを止めようと寝ぼけた頭で手を伸ばして、見つからない目覚まし時計を探す。あと5分、とか思いながらうっすら目を開けると、目の前を白い何かが通り過ぎた。ベッドには窓から強い朝の光が差し込んでいる。目の錯覚?
うん?
ああそっか。
昨日の綿毛が時計を探す僕の左手につられてふよふよと僕の上を彷徨っていた。結局これは何だろ? どちらにせよ、今晩封印しよう。
夏の朝。青い空に白い雲。
少し冷房の効いた寮の玄関ドアをくぐり抜けるとそこはもう別世界。ジリジリとした日差しが空高くから僕を照り付け焦がす。
寮と学校の間の遊歩道は5分くらいの距離だけど、地面は日差しで既に熱く熱せられて照り返し、上下から僕を温める。学校に着くまでの短い間にすでに少し汗ばんでいた。
夏は嫌いじゃないんだけど、このだんだん暑くなっていく過渡期の季節はちょっと辛くて早く慣れたい。エアコンが待ってる、と思って教室の扉を開けると、坂崎さんが待っていた。近い。
坂崎さんは僕に話しかけてくれる貴重な3人のうちの1人で、小柄で灰茶色のボブヘアーに蝶の形の髪飾りをつけていて少しタレ目、小動物みたいに可愛い、見た目は。
藤友君が言うには圧倒的に幸運の星のもとに生まれていて、狂っているらしい。
「おはよう、坂崎さん」
「東矢君おはよ、それ何何?」
それ? 坂崎さんが指さしたのは、僕の左手付近を漂っている綿毛。
「わぁかわいい♪」
坂崎さんは綿毛をツンツンつついて、その度に綿毛がふよふよゆれた。あれ? 坂崎さんはこれに触れるの? 試しに僕が触ろうとすると、やっぱり僕の指は綿毛をすり抜けた。
触れる人と触れない人がいるのかな? それとも坂崎さんが特殊なんだろうか。坂崎さんは狂ってるからその可能性は十分ある。
「藤友君、これ触れる?」
「うん? なんだ?」
僕は隣の席の藤友君に綿毛を見せる。けれども藤友君には綿毛が見えないようで、目を細めながら不審な顔で僕をみた。
藤友君も僕に話しかけてくれる貴重な一人で、アップバングに髪を上げてて視線が鋭い。かっこよくてちょっとぶっきらぼうだけど、中身はすごくいい人。でも物凄く不幸体質で呪われているらしい。聞いてる範囲も見てる範囲でも相当で、この間も上から植木鉢が降ってきた。理不尽な不幸なことがたくさん起こってる。
「あれ? 藤友君には見えない? タンポポの綿毛みたいなのがいるんだけど」
「俺には見えない。あと、幽霊なら俺は見えないぞ?」
幽霊ではないような気はするんだけど。あれ? でもウィル・オー・ウィスプなら幽霊なのかな。なんのかんのと話しているうちに、予鈴がなった。
◇◇◇
お昼休み、お昼ごはんはいつも学校の屋上で食べている。新谷坂高校屋上の給水塔上はニヤの定位置で、いつもそこでニヤから怪異の発生情報を確認していた。その日の午前中におかしなことはなかったかとか。けれども今日はいなかった。珍しい。
学校の屋上は日の当たる南側は暑いけど、北側は意外と涼しい。少しだけ標高が高いせいか、階段室と新谷坂山の間の影に隠れるところは結構涼しいんだ。冷たい風も吹き下ろしてくるし。といっても、限界はあるけど。もそもそと、焼きそばパンを食べてると、僕を呼ぶ声がした。
藤友君? と思って振り返ると、八木島君がいた。
「東矢、ちょっと頼まれごといいかな?」
えっ!?
八木島君は同級生。話すのは中原君と同じくやっぱり2ヶ月ちょっとぶりくらい。
「えっと、なにかな」
どきどきしながら答える。昨日の中原君に続く驚き。僕に話しかけられる人、5人目!?
「あー、えっと、100円貸してくんね? 今日財布忘れてよ、昼飯食えない」
えええっと。カツアゲ、でもないよね。
100円ならいっか。僕は財布から100円出して渡す。
「悪いな、明日返すわ。これ利息」
八木島君は、近所のファーストフードのドリンク無料券をポケットからだして僕に渡した。
「あ、ありがとう」
「ん。じゃあ、小さいさんのいいことがありますように」
またあの言葉。僕は思わず立ち去ろうとする八木島君に声をかける。
「あ、あの。小さいさんってなんのこと?」
「小さいさん? なんだそりゃ」
振り返った八木島君は不思議そうに僕に尋ねたあと、階段室を降りていった。
あれ? でも今、八木島君、『小さいさん』って言ってたよね?
わけがわからない。
小さな綿毛は僕と八木島君の間をふよふよ漂っていた。
改めて綿毛を見る。小さいさんってやっぱりこの綿毛のことなのかな?
確かに小さいといえば小さいよね。これが『小さいさん』だとすると、僕には『小さいさんのいいこと』が起こってる。中原くんと八木島くんに話しかけられた。
僕はそもそも友達をたくさん作りたくてこの学校に入学したんだ。最近すっかり忘れてたけど。
綿毛からはかわらず新谷坂の封印の糸がでている。ふわふわした本体は触れないけど、糸で引っ張れるから持ち運べるし、封印自体も簡単にできるとは思う。
このままじゃ、だめかな。これは悪いものなのかな。
新谷坂山が封印していたものの中には、『腕だけ連続殺人事件』のときみたいに絶対封印しないといけないものもあったけど、雨谷さんの時みたいに悪いとは言い切れないものもあって、あの時は結局封印しなくても問題なかった。
これは、封印しないといけないものかな。特に誰も困っていない気はする。どっちかっていうと僕は人助けをしている気がする。うーん。
そんなことを考えていると予鈴が昼休みの終わりを告げた。
◇◇◇
「東矢、まじ悪いな。今度東矢になんか用事あったら代わるからさ」
「大丈夫。気にしないで」
放課後、中原くんに声をかけられた。普通に。なんだか普通の高校生活。僕が求めていたもの。なんだかとても新鮮で、嬉しい。この感じが続いてほしい。
あ、そうか。図書委員を変わったから今日は封印に行けないな……。委員が終わるのが5時。ここから新谷坂山を登って山頂の神社にいくまで2時間はかかる。急いで行って帰っても21時は超えるから寮の晩御飯が終わっちゃう。寮の食堂は21時で閉まるから。
綿毛を見るとふよふよしている。もう1日くらい、大丈夫、だよね?
とりあえず委員に紹介するって言われて図書室で今日の担当の女子に紹介してもらった。3組の坂本さん。知らない人と普通に会話ができる。人の輪が広がっていく。感動。呪いを解いてなかったら普通にこんな高校生活だったのかな。
じんわりしてたら変な目で見られた。
仕事は図書の貸し出しと返本の整理。でも本を返す人はみんな見慣れた坂本さんに行っちゃうので、自動的に坂本さんがチェックした本を棚に返す係になった。
本は好き。でも図書館に来るのも久しぶり。新谷坂の封印を解いてから、本を借りようと思っても借りられないことが続いた。図書委員の人に認識されなくなったから。話しかけても顔を上げてくれないんだ。もの凄く悲しい。本屋さんは商売だから売ってくれるんだけどさ。
正直なところ、図書委員はそんなに忙しくない。5時まで貸し出しの管理をするくらい。だから僕は坂本さんに断って調べ物をすることにした。
『小さいさん』
ファッション雑誌なんかで小柄な人をそう呼ぶこともあるみたいだけどこの綿毛とは違う。怪異や妖怪の辞典を調べた。けれども小さいおじさんはいても『小さいさん』はない。
童話とか、一般書籍を見ても見当たらない。
小さい妖怪。
夜中虫、驚風、かたかい、すいかん、血塊……。
どれも病気とか虫を連想させる。相変わらず目の前をポワポワ浮いている綿毛とはなんだかイメージが随分違う。
やっぱりイメージは植物っぽい。草木の妖怪とするとすだま。魑魅とも書く。山林の気の集まったもの。疫病を運ぶ精霊風、幸運を運ぶケサランパサラン。
形としてはケサランパサランが近いかな。
きっとこの時の僕は、この綿毛がいいものだと思いたくて『幸運を運ぶ』という言葉を信じたかったんだ。