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あなたの前世はみりんです

作者: 村崎羯諦

『あなたは前世の記憶を信じますか?』


 友達に勧められてやってきた前世診断所の待合室には、こんなキャッチコピーが書かれたポスターが貼られていた。友達に勧められ、冷やかし半分に来ただけで、別に前世の記憶なんて信じてないしな。ラックに入れられた胡散臭い雑誌をパラパラとめくりながら、私はそんな感想を抱く。


 しばらくして、自分の名前が呼ばれる。私は立ち上がり、紫色の分厚いカーテンで区切られた部屋の中へ入っていく。部屋は6畳くらいの広さで、真ん中には大きな水晶玉が置かれたテーブルが置いてある。そして、テーブルの向こう側にはこざっぱりとした服装の中年女性が座っていて、部屋に入ってきた私に軽く会釈をした。


「友達に勧められて来ただけなんですが……本当に前世がわかるんですか?」


 一通り料金の説明を聞いた後で、私はずっと胸に抱えていた疑問をぶつけてみる。私の質問に対し、前世診断士と名乗った女性はにこにこと品よく微笑みながら「ええ、本当ですよ」と答えてくれる。


「私は特殊な修行を積んでいて、人の前世を診断することができるんです。でもですね、その結果をもとに何か胡散臭い壺を売りつけたりということはありません。何なら、私がこうですと言ったことを全部信じていただかなくても大丈夫です」

「えっと、どういうことですか?」


 診断士が丁寧な口調で言葉を続ける。


「前世と今のあなたの間には深い結びつきが存在しています。前世の記憶や特性が、あなたの性格の一部を形作っているのです。例えば、前世が冒険家だった人が、現世では精力的なベンチャー企業の社長だったりする、そんな感じです。あなたがこういう性格なのは、前世がこういう人だったからという理由づけをする。逆に、前世がこういう人だったのであれば、今まで気がつかなかっただけで今のあなたにはこんな素質が眠っているのかもしれない。つまりですね、前世を知るということは今の自分を知るということなのです。私の言っていることが正しいかどうかは別にして、この診断がそういったことを考えるきっかけになればと思います」


 なるほどと私は相槌を打つ。もっと胡散臭い人だと勝手に警戒していたけれど、彼女の説明にはすごく好感を持てた。私の納得した表情を見て、彼女がもう一度にこりと微笑む。それでは早速岡本様の前世を診断してみますね。診断士はそう言うと、ぎゅっと目を瞑り、目の前の水晶玉に手をかざした。


 その状態のまま数分間沈黙が続き、それから診断士はそっと目を開けた。しかし、彼女の顔には、自信ありげな表情は無くなっていて、代わりにどこか困惑した表情が浮かんでいた。どうでした? 私が恐る恐る尋ねてみると、診断士はうーんと顎に手を置き、深く考え込む。


「申し訳ありません。私の実力不足のせいもあるんですが、なかなかすんなりとイメージが浮かび上がって来ませんね……」

「イメージですか?」

「はい。よくある前世の場合だと、すぐにイメージが浮かんでくるんです。例えば登山家だったら山に登っている人の姿だったり、武士だったら屋敷の中で袴姿で座っている姿とか、そんなイメージです。なのですが、岡本様の場合、そういったはっきりしたイメージが浮かび上がってこないんです。何というかその、半透明の薄い金色のイメージが広がるだけで、具体的な形をしたものが湧いてこないんですよね……。ひょっとしたら、今まであまり診断したことのないような珍しい前世なのかもしれません」


 はあ。そういう風に前世が見えるのかと意外に思いつつも、診断士がとりあえず適当な職業を言っているわけではないということを知り、少しだけ驚いた。それと同時に、自分の前世がひょっとするとすごく珍しいものなのかもしれないと言われ、ちょっとだけ興味が湧いてくる。


「うーん。仕方ないですね。ちょっと今の岡本様の性格とかご職業からヒントをもらう形にして大丈夫ですか? さきほどご説明したように、前世と現世は深く結びついているので、今の岡本様から前世を推測するみたいなこともできるんです」

「わかりました。とりあえず何を話せば良いんですか?」

「そうですね……。例えば、人にはあまり理解されないようなこだわりとかってありませんか? そういうのって、生まれや育ちとは別に前世の記憶とかが影響してたりするんです」


 診断士の質問に対し、私は自分のこだわりについて考えてみる。自分はどこにでもいる普通の成人女性だと思うし、変な癖と言われても心当たりはない。それでも、根気強く友達と遊んだ時や子供の頃の記憶を遡ってみると、普段は意識していない自分のこだわりに気がついた。


「珍しいことでもないとは思うんですが、私すごく舌が敏感で、和食とかの繊細な味の違いがめちゃくちゃわかるんです。なので、食事も洋食よりも和食が多いですし、自炊する時なんかも調味料とかにはめちゃくちゃ拘ってるんです」

「いいですね! そういう情報はありがたいです。なるほど、繊細な味の違いがわかって、そして和食とかが好きなんですね。となると……」

「となると?」

「前世も日本人だったという可能性が高いですし、料理人だったとかそういう可能性がありますね。いや、料理人だったら以前にも経験したことがあるんで、パッと出てくるはずですね。それとは別の特殊なご職業なのかも。とりあえず、もう一回見てみますね」


 そう言って診断士が再び水晶玉に手をかざす。初めはそこまで乗り気ではなかった私も、だんだん気分が乗り始めていた。早く自分の前世を知りたい。そんな焦ったい気持ちのまま診断士の言葉を待ち続ける。しばらくすると診断士が眉間に皺を浮かべながら、もごもごと独り言を呟き始める。


「さっきよりも見えてきました。流し台に調理器具が見えます。これは……調理場ですね。ですが、人の姿はない……?」


 診断士が再び目を開ける。額に浮かんだ汗を拭いながら、「少しは近づけたような気がしますが、まだまだ決め手にかけますね」と無念そうな表情で答えてくれる。


「これまで何百人もの人の前世を診断してきたんですが、こんなに苦労するのは岡本様が初めてです。ひょっとすると、本当にとんでもない前世なのかもしないですよ。私もちょっと興奮してきました」


 診断士からそう言われて私は思わず照れてしまう。今の自分を褒められたわけでもないのに、まるで自分自身が特別な存在であるかのような心地よさを感じてしまう。


「一番の謎は具体的な姿が見えないことですね。どこかに隠れてるんですかね……。岡本様は性格的に大人しいんですか?」

「そうですね、大人しめだと思います。あんまり自分を主張したりはせずに、みんなをまとめたりして裏から支えるのが好きです。影は薄いのですごい必要とされることはないんですが、いないといないで困るんだよねってよく友達から言われます」

「うーん、難しいですね」

「あの、さっきから気になってたんですが、この水晶玉に手をかざしたら前世が見えるんですよね? これってやっぱり厳しい修行が必要なんですか?」


 雑談混じりの質問に診断士が顔をあげる。才能は必要ですが、できる人はできちゃいますよとあっけらかんとした口調で応える。


「他人の前世を見るのはかなり大変なんですが、それと比べれば自分の前世を見るのは簡単です。素質がある人であればすぐにできる人もいるんですよ。そうですね、岡本様もダメもとでやってみますか?」


 少しだけ迷いつつも、私は頷く。診断士に両手を握られ、引っ張られるまま自分の手を水晶玉の真上に持っていく。雑念をなくして、自分の呼吸に集中してください。一瞬で息を吸って、時間をかけて息を吐き出してください。診断士に言われる通り、私は雑念を振り払って、自分の呼吸に集中した。しばらくすると、私は深い瞑想状態に入っていき、そしてそのまま浮遊間に包まれていくのがわかった。自分の意識が空間の中に溶け出していき、自我というものが薄れていく。そして、ふと意識の遠くから何かがやってくるような気配がした。その何かはゆっくりと、そして私を包み込むようにして私の方へと近づいていく。そして、私の意識が透明な薄い金色の背景に包まれたその瞬間、私の口から言葉が漏れる。


「……み」

「み?」


 その瞬間、個室の外から物音が聞こえてきて、私は我に帰る。目の前には診断士の顔があって、彼女がもう一度「み?」って何ですかと尋ねてくる。


「ごめんなさい。何か、その言葉だけが浮かんだんですが、その瞬間我に帰っちゃって」

「いえいえ、最初でここまでできる人はなかなかいませんよ。素質がありますね。でも、『み』って何でしょう」

「頭文字ですかね。でも、『み』から始まる職業とかってないし」

「あ! そういえば、岡本様が前世を見るにあたって、何かイメージみたいなものが見えませんでした?」

「うーん、何も見えませんでした。ただ、透明で薄い金色のぼやーとしたものがあたりに広がってるってだけでした」


 私の答えに診断士が真剣な表情で考え込む。そして、長い沈黙が流れた後で、彼女がぽつりと呟く。


「ひょっとして……人間じゃない?」


 診断士が何かを閃いたのか、再び水晶玉に手をかざし、強く目を瞑った。その姿に私も何かを察して、思わず唾を飲み込んだ。興奮で呼吸が浅くなり、心なしか部屋全体の温度が上がっているかのように思える。そして、しばらくしてゆっくりと診断士が目を開ける。しかし、彼女の表情は晴れやかではなく、思い詰めたような深刻な表情だった。やっぱりわからなかったんですか。私が恐る恐る尋ねると、彼女は躊躇いつつも、わかりましたと返事を返す。


「最初にもお話ししましたが、一番大事なことは前世を知るということではなくて、今の自分について考えるきっかけを得られるということなんです。このことはきちんと頭に入れておいてください」


 診断士の嗜めるような言葉に頷きながら、私は彼女の真意を感じ取った。そして、小さくため息をつき、肩を落とす。しかし、落ち込むということはなかった。十分楽しませてもらったし、前世を当てるためとはいえ、自分のことを真剣に考えることができたのだから。


「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。前世がミミズだろうとミドリガメだろうと、私は私ですから。生き物として生をまっとうして、そして今の自分に生まれ変わったのであれば、それだけで素敵なことですもん。さ、早く教えてください」


 診断士がおずおずと頷く。自分の言葉に嘘偽りはない。大事なのは前世じゃなくて、今の自分なのだから。私は優しく微笑んで、彼女の言葉を待つ。そして診断士は、小さく咳払いをした後で、ゆっくりと口を開いた。


「怒らないで、聞いてくださいね。岡本様……あなたの前世はみりんです」

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