後編
僕の物置部屋が不思議な空間と繋がってからというもの、僕はその部屋に鍵をかけ万が一でも他の人間が入らないようにしておいた。
そもそも僕はまたあの空間に行けるのか、ミンさんはこっちに来れるのか、とか細かい仕組みなんてまだ分かっていないのだけれど。
ある日、僕はミンさんに会うために再び物置部屋の前に立った。果たしてもう一度あの空間に繋がっているか確かめるため、僕は大きめな音をたてるように強めにノックをした。
…コンコン。すると女性らしいなんともおしとやかな音が帰ってきた。やった!成功のようだ。僕はおよそ二週間ぶりくらいにこの曰く付きの扉を開けた。すると、目前には以前と同様本棚だらけの空間と目の前には相変わらず固い表情のミンさんが立っていた。
「…あら、再びこうして会えるとは奇遇ですね。グレイさん」
僕はこの奇妙な空間に足を踏み入れると、どかっと椅子に座り彼女と向き合った。
「実はね。今とある案件が実に興味深い展開になったんだよ。ところでミンさん、君はここから出ることはできるのかい?」
「試したことないから、分からないですけど…どうして? 」
「なら、試してみようか」
僕は半ば強引に彼女の手を掴むと僕の店へ繋がるドアへ向けて走り出した
「ちょ、ちょっと! 」
「悪いね、ミンさん。言いたいことはわかるけど、実はあまり時間が残されてないんだ」
僕は勢いよく扉を開け、自分の店の中へ飛び込むように駆け込んだ。ふと後ろを向くと、ミンさんはしっかりとそこに居た。どうやらこちら側の世界?に来ることができるみたいだった。
「良かった良かった。あの部屋を出た瞬間に君が消えたりでもしたら、さすがの僕も後悔の念に悩まされる所だったよ」
「こ、ここはどこなの…? 見たことない場所…見たことない景色…」
僕はミンさんが大丈夫であることを確認すると、再び強く手を繋ぎ、今度は店の外へ飛び出した。店のすぐ外には、あらかじめ呼んでおいた馬車が待機していた。
「これは…馬車! 本で見たことあるわ。まさか今目の前にあるなんて…」
「悪いけど、感動に浸っている場合じゃないよ、ミンさん。さっさと乗り込むんだ」
そう言うと僕はミンさんを先に馬車に乗せて、その後僕も乗り込んだ。騎手に行き先と急いでいることを伝えると、馬のいななきとともに、馬車は勢いよく出発した。
「ね、ねぇ! 私を何処に連れていくつもりなの? 」
「実はね、ミンさん。以前から僕が取り扱っていた依頼が非常に興味深い展開になったんだ」
どういうこと?と言いたげな顔をしているミンさんに僕は一方的に説明を始めた。
「これは、とある出版社の記者からの依頼だった。彼は名をリッツ・カーリーという。リッツさんはある暴行事件の容疑者に関する特集を書くことになったんだけど、今までまともに記事を書くことができなかった彼は困り果てて僕に助言を求めて来たんだ。どのような記事を書けば読者に受けるのかってね」
「それで、グレイさんはどういう助言をされたのですか?」
「僕は、容疑にかけられている人間が世間から憎まれるようにある事ない事を書けば良いじゃないかって言ったんだ。リッツさんは、そんな非常識なことはできないって頭を抱えてしまった。リッツさんは自分は記者として、平等に情報を取り扱わなければいけないって言っていたよ」
「グレイさんって……」
ミンさんは眉をひそめながら、俺の顔を見て言った。
「わりと、最低ですよね」
相変わらず彼女は冷たい表情のままさらりと言い放ったので、思わず僕は苦笑いを浮かべた。
「おいおい、僕は依頼主に後悔させないように最善な案を考えただけだよ? それに、こんな提案をしたのにはちゃんとした理由があるのさ」
「いったいどんな理由なのですか? 」
僕は、いつも以上に真剣な表情で言った。
「彼を、真犯人の魔の手から守るためさ」
馬車は安全ギリギリのスピードで飛ばしながらクーレム帝国の帝都の離れを走り続けている。道が今一つ整備が行き届いていないのか、馬車の中は思っていた以上にガタガタと激しく揺れている。
「真犯人から守るため…? どういうことですか? 」
「実は、リッツさんが扱っていたこの事件、かなりヤバめの裏組織がバックに居てね。要するに、この暴行事件の本当の犯人はその組織の幹部の息子がやらかしたのさ。で、巷で容疑者として扱われてる人はまったくの無実で単に隠蔽のため仕立てあげられたってわけ」
彼女は相変わらず表情を変えることはなかったが、その目付きの鋭い瞳の奥には驚きが込められているように感じた。
「…それで、リッツさんという方はどうされたのですか? 」
「結局、僕の気の利かせた提案をリッツさんは受け入れることはなかったみたい。後日、リッツさんはやけに機嫌の良い様子で僕の元に訪れた。直感的に嫌な予感がしたよ。その予感は当たってしまった」
「リッツさんは、しぶとく容疑者以外の情報を探していたみたいで、ある時、事件について詳しく話したいという人物から手紙が届いたらしいんだ。リッツさんは、今度その人と会って事件の新たな情報を得るんだとやる気を出していたけれど…」
俺が続きを話す前に意外にもミンさんは話を割り込んできた。
「それは…組織の人間の罠の可能性が高い…ということですか?」
「その通り。リッツさんはいよいよ記者としてどころか、命の危機に陥ってしまった。だが、まだ僕は彼を助けることができる」
僕はポケットに入れてある懐中時計を取り出し、時刻を確認しながら言った。
「幸いにもリッツさんは手紙の内容を見せてくれた。場所は帝都の離れの一軒家。そして、会う日は…」
「今日の夕方7時。今から30分後さ」
道は予想外にも荒れた獣道になっており、そのせいで馬車の移動は僕の想定より明らかに遅れていた。しまった、誤算だ。
僕は苦虫を潰すような表情で、到着を待った。ようやく一軒家に着いた頃には腕時計の針は7時20分を指していた。
僕とミンさんは大急ぎで馬車を降りた。一軒家は2階建てだったが、一階の応接間と思われる部屋にだけ明かりが灯っていた。
「こうなりゃ、強硬手段と行こうかな」
「…え?」
僕は応接間と思われる部屋の窓に向かって一目散に走り出すと両手で顔面を守るようにしながら部屋に飛び込んだ。
窓が割れる激しい音とともに部屋に飛び込むと、僕はすぐさま辺りを見渡した。
すると、目の前には組織の幹部、グレオリー・ザウルと何人かの組織の構成員と思われる黒服の姿、そして彼らに囲まれてこの世の終わりのような表情で怯えているリッツさんがそこに居た。
「どうやら、ショーには間に合ったようだ」
「大丈夫ですか? グレイさん……!」
後ろからミンさんが遅れてやってきたようだ。彼女には刺激的過ぎる場面だったかな。どうやら、言葉を失っているみたいだった。
「何者だ、貴様! さては警察の回し者か! 」
「我が帝国随一の反社会組織、レオンファミリー幹部のグレオリーさんですね。お会いできて嬉しいです。私はグレイ・ハントと申します」
僕はわざとらしく丁寧に振る舞った。グレオリーは今にも頭から湯気が出そうなくらい、激昂しているようだ。
「グレイ? 聞いたこともないな。貴様、私が何者か分かっていながら、何しに来たのだ? 」
「罪のない一般市民に息子の容疑を被せた次は、しがない雑誌の記者を葬ろうというのですか? レオンファミリーの幹部は実にお行儀が良いみたいですね」
僕はニヤリと笑いながら、わざと皮肉を込めて言ってやった。グレオリーは鬼のような形相でこちらを睨み付けている。
「ほう、成る程な。そこまで知っておいてわざわざここに来るとは、貴様もこの記者と同じただの死にたがりのようだな。」
そう言うとグレオリーは周りの黒服に手で合図を送った。
「ご機嫌よう、グレイ・ハント。そして、さようなら。なぁに、これだけの人数に撃たれれば銃弾の痛みなんぞ一瞬であろう」
「……!」
一斉に銃を取り出す黒服達。さすがのメイさんも恐怖の表情を浮かべ思わず目を瞑った。そして…
「死ね!」
……。しばらく時は流れたが、部屋には一つとも音は鳴り響かなかった。
「……な、何をしているお前達! さっさとこのゴミ虫どもを始末しろ! 」
「……クク」
「アッハハハハハハハ!! 」
僕は思わず可笑しくなって、腹の底から笑い声を響かせた。グレオリーは、呆然とした表情でこちらを見ている。ミンさんとリッツさんも同様に、ぽかんとした表情を浮かべていた。
「な、何が可笑しい! 」
「アハハ……グレオリーさん。まさか、僕が何も考えずこの危険な場所に飛び込んできたと思いましたか?」
僕はグレオリーを真似て手で合図を送った。黒服達は一斉に銃をグレオリーに向けて構えた。
「な、何だ!? これは悪い夢か? 何が起こったと言うんだ! 」
「グレオリーさん。あなた、自分の息子が可愛いのは分かりますが、少々度が過ぎていると思いますよ」
僕は何枚かの写真を取り出した。そこには高級な宝石を手にしていたり、数々の美女に囲まれていたりしている強欲なグレオリーの息子の写真がしっかりと写っていた。
「あなた、病弱な息子の治療費のためという名目で組織のお金に手をつけていますよね。それも一度ならず何度も何度も! 」
「ど、どうしてそれを……」
「実は、ついこの前なんですけど。このあまりにも目に余る不正、さすがになーと思い、あなたのボスに包み隠さず全部伝えたんですよ」
グレオリーはみるみると真っ青な顔になっていき、立っていられるだけで精一杯のようだった。
「そしたら、さすがのボスも堪忍袋の緒が切れたみたいでして。もうあなたのことは同じファミリーとは思わないって声を震わせながら言っていましたよ…まぁ、要するに…」
「今この場において、あなたを守ってくれる人間なんて一人も居ないんですよ? だってあなたは、組織から見放されたのですから」
グレオリーとは対照的にリッツさんとミンさんは明るい表情を浮かべてこちらを見ていた。そう、罠にかかったのは僕達でなくグレオリーだったのだ。決着は着いたも同然だ。
「…………お前だけは…」
「…はい?」
「お前だけは、殺してやる!! グレイ・ハントーーー!!」
グレオリーは拳銃を取り出し僕に向けた。次の瞬間、何発も銃声が鳴り響き、部屋は弾煙に包まれた。
「グ、グレイさん!! 」
煙が晴れると、グレオリーは体の至るとこから血を吹き出しながら地面に崩れた。そう、すでにグレオリーに銃を向けていた黒服達が一斉に発砲したのだ。
「大丈夫。僕は無事だよ……ミンさん! 」
安堵からか、それともあまりにもショックだったのか、ミンさんは気を失ったように目を瞑り、ふらっと地面に倒れこみそうになったので、僕は慌てて彼女の体を支えた。
「やっぱり刺激が強すぎたみたいだね。ごめんよ、ミンさん」
「あ、ありがとうございます。グレイさん! あなたが居なければ今頃私は…」
リッツさんは今にも泣き出しそうな安堵の表情を浮かべて僕に駆け寄ってきた。僕は、あくまで営業用の笑みを浮かべて答えた。
「いえいえ、依頼主の助けになるのが私の仕事ですので。…ただ、もうこのような危ない橋は渡らないようにして下さいね、リッツさん」
その後、組織の後ろ楯が無くなったグレオリーの息子はお縄にかかり、容疑者に仕立て上げられた男は無事に解放された。リッツさんは、真実を暴いた英雄として一躍有名人となり、日夜仕事の依頼に追われて忙しい日々を過ごしているらしい。
後日、僕は再びミンさんを尋ねた。ミンさんは手に筆を取り何かを書いているようだった。
「おや、ミンさん。珍しく何か書き物をしてるみたいだけど、何を書いてるの?」
「今回経験したことを書いています。あなたに連れ回されて感じたこと、考えたことを…今はメモ書き程度ですが、いつかはちゃんと清書するつもりです」
「ほら、自分探しの役に立つでしょ? 良かったじゃないか」
「ええ…それに、少しだけですけど……楽しかったです」
ミンさんはこちらには顔を向けず、小さく呟くように言った。素直じゃないなぁ、ミンさんは。僕はヘラヘラと笑いながら、彼女と次はどんな事をしようかと物思いにふけった。