記憶喪失?
二人は急いでクリスティーナの部屋へ向かった。
3日ぶりに目覚めたクリスティーナはベッドで背中にクッションを宛がって座っていた。見たところやつれてはいるが意識ははっきりしているようだ。
ベッドサイドの椅子に王宮医師長が座っていた。王太子の到着に気付き、席を立って場所を譲りながら症状の説明を始める。
「妃殿下は奇跡的に目覚められましたが、3日間熱にうなされておいででしたので体が大変弱っておられます。
毒のせいなのか熱のせいなのか、記憶も失っているようです……一時的な物なのかずっと続くのかは……正直分かりかねます。
とりあえず体調の方は山場を越えました。ゆっくりと胃に優しいものからお召し上がりになれば、もう大丈夫でしょう。」
「記憶を失っているとは、どの程度のものなのだ?」
「……全てです。ご自身のお名前もこの国の名前も殿下のお名前も……自分が何者であるのか……お子様の存在もです。
生活面においては覚えているようですが、まだ今後生活する上でわからないことが出てくるかもしれません。」
王太子はぎょっとした。まさか溺愛していた息子の名前だけで無く存在まで忘れているとは……
気を引くための罠かもしれないと思い直し、自分を不思議そうに見つめるクリスティーナに話しかけた。
「何も思い出せないと言うのは本当なのか?自分の名も分からぬのか?セリナの事は?」
「名前?……ヒデンカ?
セリナ?子供の名前ですか?」
病でやつれてなお美しい銀髪に透き通る様な青い瞳、子を生んでさらに大きくなった胸……黙っていれば月の女神の様だな等と考えていた王太子も、さすがにこの返答には驚いた。
「いや、妃殿下は名前じゃない!尊称だ。王太子である私の妻だから妃殿下だ。お前の名前はクリスティーナだ。
セリナは子ではなく私の妾だ。」
「ツマ……?クリスティーナ……クリスティーナ?メカケ?メカケ?」
クリスティーナは王太子の言葉を一つ一つ繰り返しながらも、どの言葉も思い出せないでいるようだ。
「レオンの事はどうだ?お前と私の息子だ!」
「レオン……?息子?貴方と私の?ツマ……あ、妻!夫婦ってこと?え?貴方と?息子……私の?私が産んだの?」
クリスティーナは自分の腹部に手を当てた。子を生んで3ヶ月……さすがに何も感じない様で首をかしげている。
それから何を思ったのか自分の髪を一房取り、しげしげと見つめ、引っ張り、また首をかしげた。
「あの、ここは何処なんでしょうか?私は病気だったんですか?」
「ここは王宮の君の部屋だ。病気では無く……私の妾に毒を飲まされたんだ。」
「毒……?メカケ……あ、妾!愛人ってことですね!なるほど、大奥的な感じなのかな?
え?王宮?何でそんなところに私の部屋が?そもそも何で私は毒を飲まされたんですか?」
王太子は大奥とやらが何かはわからなかったが、妾はセリナだけで、そのセリナもすでに追放された事と、これまでの経緯をかいつまんで説明した。
自分達は幼い頃からの婚約者であった事。あまり仲のいい方ではなく、学生時代には自分にはセリナと言う恋人がいたこと。
クリスティーナはその事に憤慨して嫌がらせをしていたこと。政略的な結婚なので正妻はクリスティーナでセリナは身分も低いため妾になったこと。
クリスティーナは初夜の一度だけで息子を懐妊し、無事3ヶ月前に出産したこと。その息子を溺愛していたこと……
「私……まるで恋人達を引き裂く悪役みたいですね。死んだ方がよかったのかな……?」
王太子はクリスティーナの言葉にぎょっとした。もしかしたら死ぬ気なんじゃないかと目を離せずにいた。
高慢でセリナに嫌がらせばかりしていた様な女だ。政略で結婚しはしたが何の情も無いはずなのに、今の彼女はどうしても気になって仕方が無い……
死なないように侍女か護衛騎士にでも見張らせればいいだけだと頭では理解しているのだが……この場を離れる気になれなかった。
王太子の葛藤など知るよしもなく、クリスティーナはこんな事を考えていた。
(そうか、だからクリスティーナは消えたのね。私は誰だったっけ?クリスティーナでないことは確かなんだけど……
それに住んでた世界とずいぶん違うみたい……そもそも住んでた世界って?
うー、よく思い出せないけど、こんな世界じゃなかったことだけは確かだわ。
こんなカラフルな人達いなかったし……外人さんだってこんな髪や瞳の色じゃなかったよね……緑とか紫とか、地毛なのかな?
それにこのお医者さん……波平さんみたいな髪型なのにピンクって……やばい、吹き出しそう。ああ、我慢してたら涙出てきた。
あら、そう言えば波平さんって誰だったっけ?
それにしても……婚約者がいながら恋人を作って愛人にするなんて……それが普通の世界なのかな?
それとも目の前のイケメンが酷い男なのか……どっちみち夫と言っても近寄りたくない人種だわ。いくらイケメンでも浮気夫はごめんだしね。幸い仲良く無いみたいだし、今後も関わらない方向で……
はぁ……クリスティーナはどこに行ってしまったのかな~?私が体を乗っ取っちゃったとか?これからどうすればいいんだろう……)
「あの、殿下……差し出がましいようですが、あまりにも別人のようでしたので、念のため妃殿下の魂を調べさせていただきました。その結果、間違いなく妃殿下の魂でした。
いつものような覇気が無いのは、記憶を無くされたので不安なのでしょうなぁ……」
ピンクの波平ヘアーの王宮医師長が王太子に告げる。
「魂を調べる……?」
(何それ!魔法?魔法なのかな?特に何もされてないと思うんだけど、いつの間に調べたんだろう?
え、待って。私はクリスティーナなの?じゃぁこの記憶は何なの?黒髪に黒い瞳の人達が住む世界にいたはずなんだけど……全部夢?うー、わからない……)