ネゴシエーション
「あれ、君はいつもはあの黒真珠のネックレスを身に付けてないんだ?」
そうアンドレ少年は聞く。ちなみにこの世界の一般市民は姓を持っていない。もっているには貴族のような特権階級だ。大商人の中には金を積んで姓をもらうものもいるが、普通は私のように『ミコト』だけだ。
「あのネックレスはメルセデス姉さまのです」
私はそう答えた。打ちこわしでは上手に頭に巻いたが、さすがに大人用だから8歳の体には合わない。
「ふ~ん。で、今日、君に会いに来たのは他でもない」
(ほらほら、来ましたよ~。どうせ、私のことが気に入ったからガールフレンドにするとかいう貴族のおぼっちゃまの気まぐれだろう。分かっているわよ、このぼんくら!)
心の中で悪態をつく。これをどう切り返し、あわゆくば、あのネックレスを高値で売り飛ばす計算をする。
「ボクが今日来たのは、君が身に付けていたあの黒真珠のネックレスのことなんだ」
「ミコト、お前、やっぱりあの騒動に関わっていたんじゃ……」
ニギニギモードから、一挙に地獄に突き落とされたかのようなエンリエッタの表情。気の毒だが、私を高値で売り払う夢が崩れたのだから、同情はできない。
それにしても、変なことを聞くお坊ちゃまだ。どうやら、この少年の目的は美しい私ではなく、黒真珠のネックレスらしい。私は拍子抜けぢて思わず間抜けな返答をした。
「はあ?」
「だから、今日、君に会いに来たのは黒真珠のネックレスを見たいと思ったからなんだ」
「黒真珠?」
「そう。君が頭に巻いていたから、貴族の間では今、評判になりつつあるんだよ。それを見せておくれよ」
「あの……お坊ちゃま。ミコトがあの事件に絡んでいたことは……どうか内密に……」
エンリエッタがそう懇願するが、少年はそんなことは気にしていないようだ。純粋に黒真珠のネックレスにしか興味がないようだ。それはそれで何だか腹が立つ。
「それは心配しないで。警備当局には手を回してるから、ミコトにはお咎めなしだよ。それより、早く、見せておくれよ」
(しょうがないわね)
桜蘭亭の侍女が私に荷物から、あの黒真珠を運んできた。箱を開けるとアンドレ少年は感嘆の声を上げる。
「うん。これだよ、この輝き。緑がかった光沢は滅多にないんだ。それにこの丸さ。真珠は丸ければ丸いほど価値があるんだ。このネックレスは相当な希少品だよ」
「そうですか……」
少年の食いつきを見て、私は既に心が切り替わっている。この少年にどう買わせるかである。10万ガル以上で買わせれば、メルセデスのクエストは完了である。
「でも、この黒真珠も君が身に付けると美しさもかすんでしまう。君の黒い髪はこのネックレスをダメにする」
(なに、この子。私をけなすのか褒めているのか分からないわ)
少々、複雑な思いの私を無視してアンドレ少年は、私の両手を握った。
(な、なに!)
ちょっと、キモくないかと思った。子供だから意識なくやっているとは思うが、急に見知らぬ男に手を握られたらセクハラだ。
「このネックレスと君は貴族社会では評判なんだ。あとは、この黒真珠ネックレスに伝説を与えるだけ」
「伝説?」
「そう伝説。元々、黒真珠は希少価値が高いんだ。これだけの代物はまず市場では流通していない。知名度もないから、生産があまりされてないんだ。きっと、このネックレスは客が持ってきた地元の特産品だろうね」
それはメルセデスが話していた。この黒真珠のネックレスをくれた男は常連の貴族で、自分の領地で採れたものを加工してもってきたのだ。宝石や高級な装飾品を贈られているメルセデスに素朴な贈り物で気を引こうとしたのだろう。
「つまり、この黒真珠。ボクが高値で買ったら伝説に花を添えると思わないかい?」
「意味がわからないわ」
私は率直にそう答えた。確かに評判になりつつある黒真珠のネックレスが破格の値段で売れたとなると話題は高まるだろう。元々、希少なものだからみんなが欲しいとなると値段が急騰するはずだ。だが、この少年がそれで得するとは思えない。
(貴族のお坊ちゃまの道楽ですかね)
そう思うことにした。それならば、これを利用して高値で売るに限る。
「では、取引しましょうよ」
「お、やる気でたね、ミコちゃん」
「ミコちゃんは止めてよね。馴れ馴れしい……」
「じゃあ、ミコト」
「呼び捨て?」
「いいじゃない。ボクのこともアンドレでいいから」
「貴族様を呼び捨てにできないわ。アンドレ様とでもお呼ぶことにするわ」
私がため口でこの公爵のお坊ちゃまを名前で呼んだら、間違いなく後でエンリエッタにお仕置きされるだろう。それでなくても、私の無礼な言葉遣いに先ほどからプルプルと体を震わせているのだから。
(しかし何だか、この少年のペース乗せられている。この流れを断ち切らねば……)
「では、このネックレス。20万ガルでどう?」
「に、にじゅうまんだって!」
素っ頓狂な声を上げたのはエンリエッタ。私の出した値段があまりにもふっかけたものであったからだ。これはいくら何でもふっかけ過ぎ。無礼な答えである。
「あれ、それだけでいいの?」
アンドレ少年は意外な反応をした。
「ミコト、ボクは伝説と言ったよ。20万じゃ、伝説にもならないよ」




