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別館の夜

夜になった。

 豆蔵を森の中に潜ませ、館へ近づくものを警戒させている。私はというと、やることもないのでベッドで毛布を被って寝ている。先ほどから、お腹がグウグウ鳴っている。


(ああ~お腹がすいたわ~。よくよく考えれば、豆蔵に食料調達させればよかったわ)

 私がここにいるのは罰なのであるが、反省する気は少しもない。豆蔵に頼んだとしても腰に付けた小袋から豆を出すだけだろう


(ああ、いくらお腹が減っても豆はないわ)


 お腹が減っても豆をポリポリする気にはなれないところを見ると、まだ空腹に負けないプライドが小さな私にもあるのだろう。さすがに3日もご飯抜きだとそういうわけにはいかないだろうが。


 コンコン……。玄関の扉を叩く音がする。静寂の中に乾いた木の音が館に鳴り響く。私は部屋の明かりを消した。そして手探りで部屋から廊下に出る。私の部屋は2階である。軟禁されているのだから、部屋から出られないはずだが豆蔵に鍵を開けさせたので、廊下に出られる。

 キー……キー……と私が歩くたびに床がきしむ。

(何か聞こえる……)

 玄関の扉の外で声がかすかに聞こえる。誰かが私を訪ねてきたようだ。私を害するようなものなら、森に潜んでいる豆蔵が何とかするはずだ。


(豆蔵が通したとなると……もしかしたら……)

私は階段を下りて玄関ホールに出た。分厚い樫の大扉の閂を外し、ゆっくりと扉を開ける。

「ミコちゃん、ミコちゃん、わたすずら……」

 

懐かしい声の持ち主は、私がよく知る女の子であった。今朝、メルセデスのところへ行ったジータである。夜になり、プティとしての役割や勉強が終わったということで、私に会いにそっと部屋を抜け出てこの別館へやって来たようだ。


(ジータ……あんたって子は……)


 桜蘭亭の敷地内とはいえ、暗い森の中を一人で私に会いに来るのは勇気がいる。それほど、私に会いたいなんていじらしい。私の胸がじ~んと熱くなった。


「ジータ、暗い道をよく来たね」

 私は扉を大きく開けてジータを招き入れた。

「ああ~ミコちゃん~、こわかったずら~」

 ジータが私に抱き着いてきた。ぽにゅんとした軟らかさが心地いい。

「わたす、ミコちゃんに会いたくて夢中で来たずら……白い人がいっぱいいたけど……」

「白い人……ジータがいつも見たとか言ってる?」

「あ、そうだ!」


(おい、話を聞けよ、親友!)

「ん~……」


 ジータは思い出したように両手をパチンと合わせた。相変わらず、頭の回転が遅い子だ。まるで昔のパソコンのような反応の遅さだ。


「メルセデス姉様に『ずら』はダメだと厳しく注意されたずら……じゃなくて、注意されたちゃ……」

 私は思わず笑ってしまった。今朝から田舎者の言葉遣いを散々指導されたのだろう。

「ふ~ん。そらそうだね。この都で一番の桜蘭亭で『ずら』なんてしゃべるロイヤルレディがいたら、笑いものだよ。ここは洗練された女がいる場所だから。でも、その語尾の『ちゃ』も変だよ」


「メルセデス姉さまに『ずら』は止めなさいと言われたちゃ。でも、なかなか、直らないので『ずら』を『ちゃ』に置き換えるよう言われたっちゃ。あと『わたす』は『うち』に変えなさいと言われたっちゃ」


(なるほど……置き換えることで『ずら』矯正をするということね。メルセデスの奴、味な真似をするじゃない……)


 生意気で高慢な女であるが、教育の仕方は心得ているようだ。ジータのような頭のとろい子には、単純にこれをこれに変えなさいくらいじゃないと身に付かない。

 それに語尾に『ちゃ』を付ける喋りは、ショパン王国旧都のキョウで女性が話している言葉だ。方言であるが格調が高いものだ。田舎者と思われるよりも都合がいい。


「でも、うち、ミコちゃんと話すと安心して『ずら』を付けてしまうずら」

「ダメだよ、ジータ。いつも気を張らないと」 

ポンと私はジータの額にデコピンした。もちろん、戯れで軽くである。ジータは嬉しそうに額を抑えて笑った。私は2階にある自分の部屋にジータを案内した。


「わあ……素敵な部屋ずら……じゃなかった、素敵な部屋だっちゃ……」

 部屋に入るなりにジータは目を輝かせた。確かに部屋の調度品は古めかしいが悪くない。別館であってもちゃんと手入れもしてあるし、部屋の掃除も定期的に行っているようだ。


「素敵と言われてもね。こんな寂しいところに3日間も閉じ込められる罰だからね」

「ミコちゃんはすごい……ちゃ。大部屋出身のお姉さんたちは、ミコちゃんのことを勇気があるって褒めていたちゃ。ロイヤルレディ付きの女の子たちのいじめは、昔からあったそうだっちゃ……」


「ふん。どこの世界も似たようなもんね。大抵、いじめをするのは表向きはいい子ちゃんでも、性根の腐った奴が多いからね」

「あ、そうだっちゃ!」

ジータは、何か思い出したように肩にかけたカバンを取り出した。中には布に包まれたパンにチーズ、ハム、そしてクッキーなどのお菓子が詰まっていた。

「ミコちゃんがお腹を空かせていると思って持ってきた……ちゃ」

「わあ、ジータ、ナイスだね。今晩はご飯抜きで寝ようと思ったけれど、これを見たら急にお腹がすいた自分を思い出したよ」


 私は部屋の明かりを付けて、ジータの持ってきた食べ物を食べる。ジータは私のためにこっそりと調理場へ行き、これらのものを手に入れてきたのだ。


お菓子はメルセデスのサロンに普通に置いてあるそうだ。メルセデスに仕える妹たちは好きなだけ食べていいらしい。大部屋とは待遇が全然違う。


「お菓子は美味しいちゃ。でも、メルセデス姉さまに好きなように食べてはいけないと叱られたっちゃ。レディになるものは、常に自分に厳しくだちゃ」


「ふ~ん」

 ジータの話を聞きながら、私はパンとチーズを頬張る。この桜蘭亭は高級妓楼だけあって、置いてある食べ物もかなり品質がいい。パンは焼き立てで香ばしくて中はふんわり。チーズは香りがよい1級品。ハムも新鮮で美味しい。


(こんな食べ物を毎日、豚のように食べていては、体形が崩れるわ。それはすなわち、ここでは死を意味する……自分に厳しくしないと生きていけない世界だわ)


 そういう自分に対する厳しさが、男客をもてなすための心につながるのだと思う。メルセデスはそれをジータに教え始めたのであろう。

(あの女、むかつくけど、教えていることは正しいわ)


 私は食べ終わるのを嬉しそうに見ていたジータだったが、やがて眠気に負けて、すーすーと寝息を立てて寝てしまっていた。

(あ~あ。この子、いったい何しに来たのかしら?)

 私に会いたい一心で寝床から抜け出して、暗い夜道を駆けてやってきたのであるが、そこはやはり8歳の女の子。夜も9時を過ぎれば眠くなる。私が寝るはずだったベッドにもぐりこんで気持ちよさそうに寝ている。


 私もうとうととして浅い眠りにつく。玄関にある大きな柱時計がボーンボーンとなる。2回なったから夜中の2時だ。いわゆる丑三つ時という奴だ。


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