別館(アネックス)
別館は桜蘭亭の敷地内に昔からある建物。昔は『契りの館』と呼ばれて、ここで客をもてなしていたと言われる。今の本館ができてからは繁忙期に使われる場所であったが、今は使われていない。
使われていないになら取り壊せばよいのだが、建物の歴史が古く、文化的な価値が高いとされて国から取り壊しの許可が得られないため残していると言われている。
今は逃げ出したり、反抗的な態度をとったりした女を幽閉して仕置きをする場所として使われていた。
誰もいないこの館で1人だけで過ごすことは、とても怖いことであるが、それだけではない。この館は夜になると魔物が出ると言われて、桜蘭亭に暮らす者にとっては恐怖の場所なのだ。
(ふん……。魔物なんて出るわけがない)
メルセデスに散々に脅かされたが、私は別に怖くない。魔物なんかが出るなんて思っていないし、脅しには屈しないという強い気持ちがあるからだ。
もちろん、現代日本でないこのファンタジーな世界だ。人間以外の生物が住んでいるからには、何かの人間以外の生物が住んでいる可能性も否定できないが、魔力無限大の能力をもっている私には恐れる理由はない。
エンリエッタもコーデリアもこの曰く付きの別館の部屋に送られるというのに平然としている私のことを見て、不思議に思ったに違いない。人が誰もいない森の中の別館に一人取り残されれれば、8歳の少女なら怖くて泣き叫ぶのが普通だからだ。
「泣いて謝るのなら許してあげてもよくてよ」
コーデリアは私が気丈にも我慢していると思ったのであろう。そんな誘惑をしてきたが、私はそんな手には乗らない。
(そもそも、この館で3日間一人で暮らすなんて、最高じゃない。仕事はしなくてもいい。暇だから本でも読んでのんびりと過ごすか……)
なんてのんきなことを考えている私。女将であるエンリエッタも私のことをずいぶん変わった女の子だと身に染みたことだろう。
「いいかい、3日後迎えに来る。それまでここでおとなしく反省していなさい」
そう言って私を置いて本館へと戻った。本館から500mほど離れた小さな木々の中に別館はある。調度品やら壁紙やら絨毯などは昔と変わらず設置してあり、それが随分と古風だから、見ようによっては少々怖いかもしれない。
2人が帰ったので私は部屋のベッドにダイビングした。夕飯は罰として抜きだが、明日からは食べ物も水も用意される。鍵のかけられた部屋に幽閉されているとはいえ、シャワーもトイレも完備されているから、ここでゴロゴロするのは悪くはない。
「豆蔵、そこにいるんでしょ。出てらっしゃい」
一人になったので、私は天井に向かってそう呼びかけた。すると天井の板が外され、黒い服を着た男が下りてきた。私の前にひれ伏す。
「ミコト様、豆蔵ハココニ……」
「豆蔵、あなた、今までどこに行っていたの?」
「ハイ。町ノ様子ヲ探ッテオリマシタデゴザル。ソレニシテモ、ミコト様。コンナ高級妓楼デ働クトハ、ドウイウ理由デゴザルカ?」
そう豆蔵は首をかしげている。彼には私はこの世界を救うためにやってきた神の使いだと話してあるから、今の私の境遇が理解できないのであろう。
「あなたは本当に馬鹿よね?」
「ハア……馬鹿デゴザルカ。我ハコレデモ、コノ国ノエリートスパイヲ自負シテオリマシタデゴザルガ」
「まあ、馬鹿ね。勇者がこんなところにいるなんて誰も思わないでしょう。それはこの国を滅ぼそうとする魔王も同じ」
「ナルホド……ソウイウコトデスカ。我ハミコト様ノ思慮ブカサニ感動スルデゴザル」
私はここまで話してコホンと1つ咳をした。
「あなたはそのうち、ここの従業員として潜り込んでもらう予定だけど、まずは別館について情報を集めてきてちょうだい。ここは夜になると魔物が出るって話ですけど、真相を知っておきたいの」
「ハイ、ワカリマシタ……マズハ、噂話ヲ集メテマイリマス」
「夕方までにお願いね……」
私は豆蔵にそう命ずるとベッドに入ってひと眠りすることにした。そういえば、メルセデスの奴に魅了の魔法をかけるチャンスだったと後悔したが、まあ、ここを出てからでもそれはできるだろうと思った。
「ふあああああっ~。それじゃよろしく」
スピースピーと私は昼寝をする。3時間ほど寝たであろうか。
「ミコト様……」
「ふい~っ。よく寝たわ。もう夕方ですか?」
「アト30分ホドデ日ガ暮レマス……」
そういうと豆蔵は部屋の明かりに火を灯す。幻想的な明かりが部屋の光景を揺らす。窓の外を見ると、本館も光に灯されている。こちらは随分と華やかだ。この時間から、本格的な営業をするからだ。
「それでこの別館について何か分かったの?」
「ハイ、ミコト様……。コノ館ハ遊女タチノ間デハ、恐怖ノ館ト呼バレテイルデゴザル」
「恐怖の館?」
「ミコト様ノヨウニ、懲罰デコノ館ニ幽閉サレタ遊女ガ、夜中ニ不気味ナ女ノ歌声ヤラ、獣のノ咆哮ヲ聞イタソウデゴザル」
「不気味な歌声に咆哮ですって?」
「ソレダケデハナイデゴザル。アル遊女ハ、大キナ影ヲ見タト……」
「大きな影?」
「ソレハネズミニヨウナ鋭イ前歯ヲモチ、足ハ山羊ノ蹄ノヨイウダッタト……サラニ、人形ガ勝手ニアルクトカ、魔犬ガ俳諧シテイルトイウコトガアッタソウデゴザル。ヨッテ、悪霊ガコノ館ニハ住ンデイルトノ噂ガ、絶エナイデゴザルヨ」
「はい、そこまで。豆蔵に聞きましょう。そんな魔物がこの館にいると思う?」
「ハア……サスガニコノ都ノ中デ魔物ガイルトハ、我モ思イマセンデゴザルヨ……」
「普通に考えればそうでしょう。きっと、何か見間違えただけでしょう」
私はそう一蹴した。豆蔵が集めてきた情報は、単なるうわさ話に過ぎない。噂話は大抵、尾ひれがついて大きくなるものだ。だが、ここは異世界。悪魔や幽霊がいてもおかしくはない。それでも私はこの噂話が本当とは思えなかった。
「豆蔵、よーく考えなさい」
「ハア……?」
「この別館がそんな噂を立てられているのに、女将のエンリエッタも亭主のオーボエも取り壊さないのは変よね。例え、オーナーが別にいたとしても」
桜蘭亭を経営しているのは亭主のオーボエと女将のエンリエッタだが、オーナーは複数の出資者たちだ。それでも実際に経営しているエンリエッタが、そんな不気味な噂のある別館をそのままにしておくはずがない。
「ちょっと考えれば分かることよ」
「ソウ言ワレレバ、ソウカモシレマセン」
「私はこの施設には何か秘密があると思うのよね」
「……コノ館ヲ徹底的ニ調ベルデゴザル……」
「いえ、今は調べる必要はないわ。私の予想では今晩何か起こると思うのよね。豆蔵、館の戸締りをお願い。猫の子一匹入れないようにね」
「承知シタデゴザル……」
私はそう豆蔵に命令をした。館の外から簡単に侵入できないようにする。鍵を使わなければ、扉を壊すしかないだろう。鍵がいらない幽霊の類でない限り、簡単には入れないは
ずだ。
(これでカギを持っている桜蘭亭関係者以外は、この館へは入れないはず……)
ここまで準備して、夜になるのを待った。今日は懲罰で夜ご飯抜きだから、お腹が減るが1食抜きくらい我慢をするしかないだろう。




