その3
9
「それでは今から、フィールドツアーを始めまーす! 参加する方はゴーグル着用だけで結構ですので、こちらへ集まってくださーい!」
着替えを終えた彬たちふじ分遣隊の一行は、拡声器を片手にしたスタッフの呼びかけに従ってフィールド入口へと集まった。
フィールドツアーとは要するに、ゲームの前にフィールドの下見を行うことである。
初めてそのフィールドを利用する人は地形や構造を憶えたり、何度も利用している地元のプレイヤーはその日のフィールドのコンディションを確かめたりしながら、ゲーム中の動き方や戦い方を考える時間だ。
スタッフがフィールド各所に設置されている障害物やギミックなどを説明しているのに耳を傾けながら、辰巳と亮真はしきりに辺りを観察している。辰巳はゲーム中の作戦方針について練っているのだろうし、亮真は狙撃しやすい位置を探しているのだろう。
特にそういったことを考えない剛明は、早くも仲良くなったらしい他の参加者たちと雑談していた。充希はいつも通り、ひたすら辰巳の後ろにくっついているだけである。
まだまだ初心者の彬は、とりあえずフィールドの全体像を捉えようと努めた。
ここ、トップ・フォレストのフィールドは南北に長い長方形をしていた。
ネットとベニヤ板の壁で囲まれたフィールドは南北に約三百メートル、東西二百メートルの広さがある。
特徴としては、北側のほうがやや高台になっていて、南から攻めるには斜面を駆けあがらないといけない。
主陣地は南北に置かれている。
それぞれの主陣地は周囲に塹壕が掘られていて、中央部分には土嚢が円形に積まれていた。また、南北どちらの主陣地にも塹壕の外側に二階建てのやぐらが併設されている。主陣地のフラッグを奪取するためには、このやぐらの制圧が不可欠になるだろう。
南北の主陣地を結ぶルートは三つある。
まずはフィールド中央にある林の中を突っ切る道。木々以外にも衝立やドラム缶などの障害物が多く設置されているため隠れ場所には困らないが、その分、戦闘が膠着しやすそうだ。
次にフィールド西側の道。幅広く傾斜が緩やかで、横転した廃車や板を張り合わせて小屋を模した障害物などが大型の遮蔽物が多く設置されている。
対する東側の道は細く、傾斜がきつい。道の両側は木々で挟まれており、摘まれたタイヤやドラム缶といった遮蔽物の他に、大きな岩がごろごろと転がっていた。
中央の林内や東西の道にもフラッグ地点が設置されており、主陣地だけでなく全体を使ったゲームも可能。南北の高低差をうまく利用した戦い方が求められる。
スタッフの説明を聞きながら歩いたトップ・フォレストは、ざっとこんな感じのフィールドだった。
10
「やあ、お久しぶりですね、音無さん!」
フィールドツアーが終わり、セイフティに戻ってきたふじ分遣隊の一行にJAFというチームの一人が近づいてきて、辰巳に声を掛けた。
年頃は辰巳とそう変わらない。三十代半ばといったところか。他のメンバーと同じく、オリーブドラブの迷彩服を着ており、何やら肩と胸元にたくさんのワッペンをつけている。
彼の背後には壮年のJAF隊員(チームメイトのことをそう呼ぶと、先ほど彬は教えられた)が付き従っていた。
「ああ、岸部さん。ご無沙汰してます。いつ以来かな?」
挨拶を交わしつつ、辰巳は岸部と呼んだ彼と握手を交わした。
「やあ、佐々木君も渡邊君も久しぶり。前回は確か……オーバーロードのデスマーチに参加した時ですから。かれこれ二年ぶりになりますか」
「あの地獄の定例会から、もうそんなに経つんですね……」
剛明と亮真にも挨拶をしてから、記憶を掘り返すようにいった岸辺の言葉に辰巳は顔を曇らせる。
辰巳たちふじ分遣隊が活動の拠点として利用しているミリタリーショップ“オーバーロード”では時折、かなり斬新というか、革新的なルールの定例会を開催することがある。
昼夜問わず戦い続ける二十四時間耐久戦や、一度でもヒットすればもうその日のゲームには参加できない鬼畜ルールなど。だからこそ、一部のガチサバゲーマーたちから絶大な人気を誇っているわけだが、岸辺がいま口にしたデスマーチはその最たるもので、オーバーロードの歴史に残るほどの過酷さだった。
参加者は全員、店のある山の麓の駐車場へ車を止め、約十数キロの坂道を重い装備の入った荷物を抱えて登り、フィールドまでたどり着くことがゲーム参加の条件というサバゲーがしたいんだか、何がしたいんだか分からないルールの下で行われたのがそれだ。
当然、辿り着いた時点で全員が疲労困憊。
一度目のゲームが終わった頃にはほとんどの参加者が休憩に入り、セイフティが死屍累々になっている中。意思と気力だけでその日予定されていた全ゲームを戦い抜いた漢たちがいたのだが、それはまた別のお話である。
ともかく、結果として企画した方も参加した方も、全員が後悔するだけで終わったという前代未聞の定例会だった。
「今日みたいに暑い日だったね……あの日のことを思い出す度に、僕はどうして今日という日を生きて迎えられたのか不思議に思うよ」
「いや、あれはもうサバゲーじゃないだろ」
「その。自分の意思で参加した以上、店のことをあまり悪い事は言いたくないのですが……」
「まあ、あれに関しては流石におやっさんも懲りていたから」
「何があったんですか、あれ?」
何やらどんよりした空気を纏う四人を見て、彬は充希に訊いた。
「うーん、ごめん。その頃はまだ私も参加してなかったから、何があったのかは知らないのよね。三人とも、それについては話したがらないし」
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「ま、まあ、それはそれ。今日は今日です。せっかくまた同じ戦場に立てるのですから、嫌なことは忘れて楽しみましょう」
気を取り直すように咳払いをしてからそう言った岸辺に、辰巳たちも頷いた。
「そうですね。……おや、大尉になられたんですか」
「ええ、まあ。やっとこ大尉というわけで」
岸辺が胸元に付けているワッペンを見た辰巳がそう訊くと、彼は照れくさそうに笑った。
「なるほど。ということは、今日の指揮は岸辺大尉が執るわけですか。敵同士になったら、気が抜けないな。これは」
「いやいや。音無さんに比べたら……聞きましたよ? うちの大将は貴方なら最初から少佐で採用するっていったらしいじゃないですか」
「有難いんですけど、僕にもチームがありますからね」
「まあ、楽しみ方は人それぞれですからね」
と、二人の会話が止まったところで、岸辺の背後に控えていた壮年のJAF隊員がそっと彼に耳打ちした。
「大尉、そろそろ。状況開始前に、部隊を二つに再編しなければ」
「お、そうだな。萩野曹長。貴様、先に戻って部隊の連中に装具点検をするよう言っておいてくれ」
「はっ」
岸辺からの指示に、その隊員は背筋を伸ばすとカツンと踵を鳴らしながら敬礼をして、他のメンバーたちの下へ駆けてゆく。
「それでは、音無さん。またあとで」
「はい。お互い楽しみましょう」
「敵になっても味方になっても、ふじ分遣隊とまた同じ戦場で戦えるのは名誉なことです」
そう言って、岸部もチームの下へ戻っていった。
「何だったんですか、あれ。大尉とか、曹長とか」
岸辺たちがいなくなったところで、彬は隣にいる亮真へ疑問をぶつけた。
「言ったろう? 彼らは本格的な軍隊ごっこをしたい人たちが集まっているのさ。だから、メンバーには階級があるんだ。大尉とか、少佐とか。ゲームの参加頻度とか、どれだけ活躍したかで昇進するらしいけど。メンバーじゃないから、細かい基準は分からないなぁ」
「へえ」
亮真の説明にとりあえず頷いた彬だったが、軍隊の仕組みなど良く分からない。
そんな彬に、亮真がこそっと教えた。
「ただし、ゲーム中は本物の軍隊張りに統制の取れた動きをするから、結構手強いよ」
「なるほど」
軍隊のことなど良く分からない彬だが、統制の取れたチームがどれほど強いのかは身をもって知っている。
「油断できない、ってことですね」
「うん、まあ、そういうこと」
表情を引き締めた彬を見て、亮真はちょっと困ったような顔で苦笑していた。
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「それでは、ゲーム開始五分前になりまーす! それぞれのチームの拠点に集まってくださーい! 初戦はレッドチームが北側、ブルーチームが南側になりまーす!」
「よし、行こうか」
スタッフのアナウンスに、辰巳が立ち上がった。ゴーグルをつけ、口元をマスクで覆うと、トレードマークの口髭が隠れた代わりに、ブーニーハットを頭に乗せる。
今日の装備はマルチカム迷彩で合わせた戦闘服とHハーネスに、CQB仕様にカスタムされたガスブローバックのM4だ。右の太ももに括りつけられているレッグホルスターにはもちろん、愛銃のコルト・ガバメントが収まっている。
先ほどスタッフから配られた青い腕章を二の腕に巻き付ける辰巳に続いて、他の面々も装備を身に着けていく。
「充希さん、暑くないですか。それ」
充希の恰好を見て、彬は思わずそう訊いてしまった。
ゴーグルと耳まで覆うことのできる形のマスクは当然として、さらに首まで迷彩柄のシュマグを巻きつけている。前回のゲームでは辰巳と彬も同じようにシュマグを巻いていたが、暑すぎたため今回は付けていない。
手に嵌めるグローブも指先まで覆う厚手のものだった。
徹底的に肌を晒さない装備だが、少々、厚着過ぎる。
予報では、本日は三十度を超えるというし、熱中症にかかってしまわないだろうか。
そう心配する彬に、充希は辰巳をちらりと見てから小さな声で答えた。
「うーん、確かに暑いけど。万一にも怪我するわけにはいかないじゃない? 痕でも残ったらもう連れてきてもらえないかもだし」
「ああ、それは……」
確かにと彬は思った。ゲーム中でこそ、辰巳は人が変わったように乱暴な言葉遣いをするが、本当に根っから性格が変わってしまうというわけでもないだろう。
彼は基本的に優しくて、心配性なのだ。
充希が初めてサバゲーに参加する時など散々渋っていたと聞くし。この重装備も、彼女なりに辰巳を気遣ったものなのだろう。
「それに、午後になって本格的に暑くなってきたら休憩するから、そんな心配しなくて大丈夫よ」
付け加えるように言って、充希はゴーグルの奥から彬にウィンクした。
彼女とて本音では、できることなら一日中、辰巳の戦う姿を誰よりも近くで見ていたいと思っているが、そのせいで彼に余計な心配をかけるのは本意ではない。
「あとね、ジュニア」
まあ、それならと納得した彬に、充希はコールサインで呼びかけた。
「今はドロシーって呼んで。隊長が帽子被ったから」
「あの帽子がスイッチだったんですか」
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「ジュニア、新品の初速はちゃんと測ってきたか?」
フィールドに入って陣地へ向かう途中、髑髏マークの描かれたバラクラバを被った剛明ことコールサイン“ベアー”が彬に声を掛けた。
「はい。ばっちりです」
頷いた彬は今日も辰巳たちから借りている電動のM4を下ろすと、太もものレッグホルスターから昨日届いたばかりのガスガンを引き抜いてみせた。グリップのところにチェック済と書いてあるシールが貼ってある。これが張ってないエアガンはフィールド内に持ち込めない規定になっていた。
「おお、M9か」
彬の新装備を見た剛明が面白がるような声を出した。
「隊長がM1991A1。で、ジュニアがM9か。どう思います、隊長?」
その隣から、コールサイン“ホーク”こと亮真もからかうように口を挟む。
「どちらも良い銃だ」
話を振られた辰巳は、言葉少なにそう返した。
余談ではあるが、彼の愛銃であるM」1911A1“コルト・ガバメント”は長らく米軍制式採用の拳銃であった。その座を奪った後継こそが、彬の持つU.S.M9“ベレッタ。モデル92”の米軍仕様だったりする。
もっとも、彬にそういった意図は全くなく、ただ単に選択肢の中で一番形状の気に入った銃を選んだというだけだったのだが。
「ま、今日みたいな野外フィールドじゃ、あんまりハンドガンの出番はないんだけどな」
大きな愛銃を担ぎ上げながら、剛明が言う。
「あら、隊長はよく使ってるわよ?」
反論したのは充希だ。
やはり今日も参加者唯一の女性だった彼女が抱えているのは前回に引き続き、辰巳の私物であるMP5だった。小型で軽量な分、同じ電動ガンでも彬が借りているM4より扱いやすいから気に入っているというが。たぶん、本当の理由は別である。
普段は照準器などアイアンサイトで十分だと言っている辰巳だが、そこまでの腕が無い充希のためなのか。今日はダットサイトが乗せられている。
そういう気遣いを無自覚にしてしまうのが、音無辰巳というナイスミドルだった。
「いや、それは隊長だからできるんだよ」
もじゃもじゃの迷彩服、ギリースーツに身を包んだ亮真の突っ込みに、それはそうだろうなと彬も納得してしまう。
先ほど、彬は辰巳と一緒に初速を計測しに行った際、併設されていたシューティングレンジで少し試し打ちをしてきたのだが。扱い方の練習をしている彬の横で、辰巳は飛んでもない速さと正確さで用意されていたターゲットを撃ち抜いていた。
あまりの射撃精度に、たまたま居合わせていたスタッフが唖然としていたほどだ。
本当にプロじゃないんですかと何度も聞かれていたが、その度に辰巳はただ一言。
「ガキの頃から振り回しているからな」
と、答えていた。
「ま、経験値じゃ僕らもまだまだってことさ」
そんな話を聞いた亮真が、励ますように彬の肩を叩く。
「当然ね」
年季が違うわ、と。その横で充希が深く頷いていた。