その9
38
「おおう! お疲れさん! 全員無事だったか!」
セイフティに戻ってきたふじ分遣隊一行を見つけて、剛明が両手を広げながら出迎えた。
満面の笑みを湛えたその顔には既にゾンビ行為をされて撃たれたことに対する影など微塵も残っていない。
「で、どうだった?」
「もちろん、上手くやったさ」
それでもやっぱり結果は気になるのか。少し声を落として訊いた剛明に、亮真がオートマグを返しながら答えた。
「サンキュな、相棒」
「別に。僕はああいう手合いが一番嫌いなだけさ」
オートマグを受け取りながらにかっと笑った剛明から、亮真が照れくさそうに顔を逸らす。
「それに、止めを刺したのはジュニアだったしね」
「あれは、そんなつもりじゃなかったんですけど……それよりも充希さんの方が」
「ああ、うん。あれはキツイね。ちょっと可哀そうだった」
「なんだ? 充希ちゃんがなにかしたのか?」
きょとんとした顔で尋ねる剛明に、いや別にと言葉を濁す二人だった。
「ま、なんにしても」
剛明ががばっと両手を広げて、彬と亮真の肩に腕を回した。
「なんにしても、ありがとよ。二人とも」
「いえ、そんな」
「ああ、もう。暑苦しいって……って。タカ、君、カレー食べたろ? 昼休憩にはまだ早いよ?」
「ちょっと小腹が減ったんだよ」
「せっかくマスターと充希ちゃんがお弁当作って来てくれてるのに」
「昼飯までまだ何回かゲームするだろ? 大丈夫、大丈夫」
「今度のゲームはまた陣地を入れ替えて、カウント戦らしいですよ……って、あれ? そういえば、隊長と充希さんは?」
ようやく剛明の腕から解放されたところで、彬は二人の姿が無いことに気付いた。
辰巳はさっきの岸辺のように、他の参加者から話しかけられているのだろうかと周りを見渡すが見つからない。
丸太机にふと目をやると、辰巳のブーニーハットと装備が残されていた。
「マスターは煙草休憩じゃない?」
きょろきょろとしている彬に、亮真が思いがけない言葉を口にする。
「え、マスターって煙草吸うんですか?」
「普段は吸わないらしいけど、サバゲーの時だけね」
彬が驚いたように聞き返すと、亮真は肩を竦めながらそう教えてくれた。
「へえ……」
辰巳の意外な一面を知った彬は、丸太机の上に残されているブーニーハットへ目を落とした。大人の世界はまだまだ奥が深いようだった。
「……あれ? でもじゃあ、なんで充希さんまでいないんですか?」
「あのさ、彬君。理由を聞く意味あるかい、それ?」
まさか、と思いながら訊いた彬に亮真がシラけた半眼を向けた。
39
「おや、二人とももう帰るのかい?」
セイフティからトップ・フォレストの店内へ入った辰巳は、そこで荷物を纏めている白シャツとパーカーを見つけて声を掛けた。
「さっきは少しやり過ぎたと思ってね。謝りに来たんだけど」
一瞬、誰だろうという目を辰巳に向けた二人だが、そう言って頭を下げた彼にバツの悪そうな顔を浮かべる。
「別に。詰まんねぇから帰るだけだよ」
答えたのは白シャツだった。
「そうかな? こんなに面白い遊び、そうそうないと僕は思うんだけど」
言いつつ、辰巳は店内をそれとなく見渡した。
スタッフは次のゲームの準備に忙しいらしく、静まり返った店内には辰巳とこの二人以外誰もいない。
少々、不用心な気もするが今は都合が良い。
そう思った辰巳は二人に向き直った。
「さっきのことは僕らだけの秘密にしておこうと言いに来たんだけど。帰るのなら、まあ、その必要はなかったかな」
少し抑えめの声でそう言った辰巳に、しかし二人は黙ったまま答えない。
乱暴な手つきでボストンバッグの中に装備を放り込んでいる。
「……ヒットは自己申告制。確かに馬鹿らしいルールだと思うかもしれない」
そんな、聞いているのかいないのかも分からない二人に、辰巳は独白のように口を開いた。
「でもね。サバゲーはみんながそのルールを守らないと、ゲームとして成立しないんだ。逆にいえば、弾が当たれば必ずヒットコールをしてくれるだろうという信頼があるからこそ成り立つゲームだともいえる」
そこで一度言葉を切ると、彼は静かに二人を見つめた。
「考えてみれば、これはすごいことだと思わないかい? 今日、たまたまここに集まっただけの、見ず知らずの他人を無条件で信頼できるなんて。それがサバゲーの素敵なところだと僕は思う。たった一度、一緒にゲームをしただけで信頼しあえる仲間になれるんだから。だからこそ、ゲームに参加する以上は、その仲間の信頼を裏切ってはいけない。それがレギュレーションには明記されていない、僕らサバゲーマーの交戦規定なんだ」
確かにゲーム中は勝敗をかけて争うし、時には熱くなりすぎることだってある。
「特に僕は、オンオフの切り替えが激しい方だからね」
恥ずかしそうにそう笑った辰巳に、確かに、誰だこのおじさん。本当にさっきの人と同一人物かと思わずにはいられない二人だが、流石に口には出さなかった。
「けれど、サバゲーは決して互いを傷つけあうことを目的にした遊びじゃない」
そんな二人に、真顔に戻った辰巳が言った。
確かにエアガンで撃ちあう以上、完全に安全だとは言い切れない。一つ間違えば、怪我や失明の危険だってある危険な遊びだ。
ゲームに参加する以上、プレイヤーたちだってそれなりの覚悟と了解はしているだろう。
しかし、それでもなお。サバゲーは戦争ごっこであって、戦争ではない。
それを象徴するものこそが、ヒットは自己申告制というルールなのだと辰巳は考える。
それは必要以上に相手を傷つけないためのものであると同時に、必要以上に自身が傷つかないためのルールなのだ。
相手を傷つけない配慮をするのと同じくらい、自らの安全を守ることはサバゲーに参加する者の義務だともいえる。
今日、彼ら二人はそれを怠った。だから辰巳は怒った。
それは仲間に対する最悪の裏切りだから。
「さっきも言ったように、今日、君たちがしたことは僕らだけの秘密にしておく。店にも他の参加者たちにも黙っておく。けれど、決して君たちのためというわけじゃない。楽しんでいるみんなの邪魔をしたくないだけだ。でも」
そこで、ふいに辰巳はにこりと微笑んだ。
「もしも、いつか。君たちがこの信頼関係の大切さを理解できたのなら。また一緒にゲームをしよう。その時、僕は君たちを歓迎するよ」
二人は辰巳の話を最後まで黙って聞いていた。
帰り支度はとっくに終わっているようだった。
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そんなやり取りを、密かに見ている者がいた。
店の中に置かれた大きなガンラックの影にしゃがみんで、辰巳と二人組のやり取りを盗み聞きしていたのは充希である。
ゲーム終了後、ひっそりと何処かに向かう辰巳に気が付いて後をつけてきたのだ。
バレないようにこっそりついてきた理由は、煙草を吸いに行くのだろうと思ったからだった。
辰巳はサバゲーの時だけ煙草を吸う。戦闘服姿で紫煙を燻らせる彼はとても格好いいと充希は思うのだが、自分が近づくとすぐに火を消してしまう。
だからいつも、こっそりと後を追って遠巻きに煙草を吸う辰巳の姿を心の中のアルバムに収めているのだが。
今回は期せずして、それ以上の場面に遭遇することができてしまった。
「……隊長、素敵」
充希は甘く疼く胸の前で両手を組み合わせて、はあ、と一つ。切ない吐息を漏らした。
辰巳は結構細かいことを気にして抱え込むタイプだから、先ほどの二人のことで気を病んだりしていないかと心配していたのだが、そんなのは杞憂だったらしい。
決して押しつけがましくない言葉で二人を優しく諭す辰巳に、充希は真の漢の在り方を見出していた。
となれば、いつまでもこんなところで身悶えてはいられない。
辰巳と、そしてあの二人のためにも。ここは誰にも見つからずにセイフティへ戻らねばと思った。
男は情けない姿を見せるのも、見させるのも嫌う。
ならば、それに気づきながらも知らぬふりをするのが良い女というものだ。
充希は遮蔽物から遮蔽物へと移動するときのように身を屈めたまま、足音を消してセイフティへと向かった。ほとんど四つん這いのような体勢でようやく出口まで辿り着いた時、ちょうど入れ替わるように戻ってきた店長の岩佐に不思議そうな顔をされてしまったが。
それはどうか、心の中のチョコレート箱にでもしまっておいて欲しいと思う充希だった。
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「あれ? お二人とも、もうお帰りですか?」
店内に戻ってきた岩佐は、ボストンバッグを担いだ二人を見ると驚いたようにそう訊いた。
「ええ、まあ、その。突然、大学から呼び出しくらっちゃって」
流石に本当のことを言うわけにはいかないので、白シャツが適当な嘘で彼に応じる。
それを見た辰巳は何事もなかったかのような顔で、煙草を吸うために外へ出て行った。
「そうですか……残念ですねぇ、お二人ともまだ一ゲームしか参加してないでしょう?」
本当に残念そうに眉尻を下げる岩佐だが、すぐにそうだと手を打ち合わせるとカウンターへ入っていく。
「でしたら、今回の参加費はお返ししますよ」
「え、いや、そんな……悪いっすよ」
「いえいえ、お気になさらず。その代わり、ぜひまた来てください。今度は一日遊べると良いですね」
そう言ってレジから取り出した二人分の参加費を差し出してくれる岩佐の笑顔に、二人は酷く惨めな気分になった。
金を受け取りながら、自分たちは何をしているのだろうと思った。
前回、別のフィールドで同様の行為を行った時は指摘してきたプレイヤーに暴言を吐いたため、店のオーナーが出てきて店から追い出された。
出禁を食らった二人は帰ってから散々、その店のことを罵ったものだ。
なにが、きちんとゴーグルを着けろ、ちゃんと狙って撃て、だ。
撃たれたらヒットと言って退場しろだと。そんなの詰まらないじゃないか。
あの店にいた奴ら全員、腰抜けばかりだ。
馴染みの居酒屋で安い酒を呷りながら、そんな風に言い合って、彼らは自分たちを正当化した。
だが、今回は。
決して彼らのためではないが、自分たちのしたことを誰にも言わないと約束してくれた髭のおじさん。それどころか、ルールが守れるようになったらまた遊ぼうとまで言われてしまった。
そして、親切な対応をしてくれた店長。
前回とは何もかも違う。
これで、帰ってからまた酒を飲みながら彼らのことまで罵るのか。
そうしてしまえば、本当に自分たちは誰かの信頼に値しない人間になってしまうような気がした。
帰りの車の中。終始無言だった二人の脳内では、ゲーム中に髭のおじさんと一緒にいた女性プレイヤーから言われた一言がリフレインしていた。
そういうのは、ガキっぽいっていうのよ(もしかして童貞?)。
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「あ、お帰りなさい、隊長。もうすぐ次のゲーム始まっちゃいますよ?」
辰巳がセイフティに戻ってきたのを見つけて、彬がそう声を掛けた。
「ああ、すまん。遅くなった」
ブーニーハットを被って完全にスイッチが切り替わった辰巳が答えると、そこへマガジンが差し出される。
「はい。弾薬、補充しておきましたよ、隊長。三十発ずつです」
「ありがとう、ドロシー。それで、全員、ちょっと集まってくれないか?」
ニコニコしている充希からマガジンを受け取りつつ、剛明と亮真を呼び寄せた辰巳が声を潜めて先ほどの二人について事情を説明した。
「初めに言った通り、この事は俺たちだけの秘密にしておく。幸い、スタッフに見つかることもなかったしな。良いか、みんな?」
確認するように尋ねた彼に、彬たちは頷きを返した。
「終わったことを蒸し返しても、仕方ねえしな」
そう言ったのは撃たれた本人である剛明だ。
バラクラバの下にある顔の頬と額には赤い点が残っているが、これくらいのこと気にしていたらサバゲーなんてできないと笑い飛ばしていた。
「そうだ。それに……」
剛明の言葉に辰巳が頷いたところで、集合のアナウンスが掛かる。
「それに、なんですか?」
アナウンスを聞いて、フィールドへ向かって歩き出した辰巳に彬は尋ねた。それに彼は横顔だけ振り向かせると、わずかに微笑んでいる口元をマスクで隠しながら答えた。
「若者には常に、更生のチャンスがあるべきだ」
「うわっ、嫌だなぁ、その言葉。胸に突き刺さるよ」
「まだ若いだろ、ホークは」
「そうそう。隊長みたいになるにはまだまだ、相当努力しないとね」
「ん? やけに機嫌良いじゃねぇか、どうしたドロシー」
「べっつにー」
「突き刺さるといえば、さっきの充希ちゃんの一言はえぐかったねぇ」
「あ、あれは思わず……わ、忘れてくださいっ、隊長っ」
「ん、ああ……」
「そういえば、さっき隊長はどこ行ってたんですか?」
「煙草だ」
「本当に吸うんですね、煙草……」
「まあ、嗜みだ」
「あれ? じゃあ充希さんは? 一緒じゃなかったんですか?」
「ジュニア、あのね。女性にそんなこと訊く?」
「すみませんでした。殺さないでください」
そんなやり取りをしながら、ふじ分遣隊は新たな戦いへと赴いた。
43
翌々日の月曜日。
「おっす」
パーカーは通っている大学の食堂で友人の姿を見つけて、声を掛けた。
「おう」
言葉に少なに応じた友人は、今日は白一色ではなく“U.S.ARMY”とロゴの入ったTシャツを着ている。パーカーは弄っているスマホの画面を何やら難しそうな顔で睨んでいる彼の向かいに座り、持ってきたカツカレーをテーブルに置いた。
しばらく、無言の時が過ぎる。
結局、一昨日は帰ってくるなり解散となったため、お互いどう話し始めたらいいのか分からない。
「なぁ、これ」
少しして、カツカレーにも手をつけずにいるパーカーへ、白シャツが何か言いにくそうな顔をしながらスマホを差し出した。お互いの間において、その画面をのぞき込む。
映っていたのはトップ・フォレストのホームページだった。
ちょうど、最新トピックスのところに先日行われた定例会の記事が上がっている。
『本日の定例会は当店始まって以来の大入り! 何と百二十名以上の方が参加してくださいました!』と題された記事をタップすれば、短い挨拶文に続いてゲーム中の参加者たちの写真がスタッフのコメント付きで並んでいる。
『やぐらへ突入するSWAT隊員! この後、見事に制圧していました』
『大迫力のグレネードランチャー!』
『フラッグを守るJAFの恐るべきコンビネーション』
『指揮官先行! またまた全滅、角田小隊!!』
などなど。色々な写真がある中で、次の一枚に映っていたのはあの髭のおじさんだった。
写真の下には『伝説のチーム、ふじ分遣隊、大活躍!』とのコメントが添えられている。
白シャツはその写真のところで一度、手を止めた。それから再び下へ画面をスワイプしていくと、最後にその日参加したプレイヤー全員の集合写真が現れた。
全員が同じ迷彩服を着こみ、きっちりと整列しているJAF隊員。各々の愛銃を強調するようなポーズをとっている野良プレイヤーたち。端の方ではPMC装備の若い男と、全身黒づくめの戦闘服を着た初老の男性が仲良く肩を組んで笑っている。ふじ分遣隊のメンバーは最前列にしゃがみこんで映っていた。
良い歳をした大人ばかりのなのに、まるで子供のように無邪気な笑みを浮かべて。彼らが笑い合っている声すら聞こえてきそうな一枚だった。
ページの最後に店長からまとめの一言が書き込まれていた。
『ご参加していただいた皆様のおかげで、一日を通して非常に熱く、楽しいゲームとなりました。ありがとうございます。急用のために途中でお帰りになられた方がいたことが若干の心残りですが、この次は是非、最後まで楽しんでいただきたいと思います』
「……あのさ」
その一文を読み終えたところで、白シャツがぽつりと言った。
「金、返されちゃったよな」
「そうだな」
未だ手も付けていないカツカレーを前に、パーカーは椅子の背に深くもたれかかりながら応じた。
お互い、何が言いたいのかは薄々分かっている。
けれど、その続きが上手く口にできない。
しばし、黙り込んだ二人だが、先に口を開いたのはパーカーだった。
「今度、金返しに行こうぜ」
彼とて、それが言い訳なのは分かっているのだろう。
でも、素直になりきれない彼らにはそんな言い訳が必要なのだった。
「そうだな、今度は一日、ちゃんとやろう」
ようやくカツカレーにスプーンを伸ばしたパーカーを見て、白シャツはほっとしたように笑み崩れた。
「良かったよ、車持ってるのお前だけだからさ」
「でも、今度行くなら装備もちゃんと揃えたいな」
「金かかるぞ……バイト増やすか」
「あのおっさんが被ってた帽子、かっこよかったよな」
「そうそう。ちょっと調べてみたんだけどさ、たぶん、SASをモデルにしてるんだと思う。でも真似するなら、ハンドガンだけじゃ恰好つかないよな」
午後の講義が始まるまでのひと時。二人は食堂で、そんな会話を続けたのだった。