オーディション
朝、ふっと目が覚めた。
当然、隣にいた男はいない。
「ふう…」
いつも、黙って先に出かけてしまっている。
のそのそとベッドから這い出ると、突然、自分のカバンから携帯電話が鳴りだした。
「わわわっ」
慌ててカバンを取ると、中身が散乱した。携帯電話を拾い上げて見ると、留守電とラインが入っていた。
慌てて留守電を聞くと、志垣からの伝言でオーディションの会場と日時についての確認が入っていた。陸はそれを聞きながら青ざめた。
オーディションは今日の昼過ぎになっていた。
時計を見ると、すでに午前十時過ぎだ。
すぐに行かなきゃと思い、散らばったカバンの中身をしまってから、床に脱ぎ捨ててあった洋服を着込んだ。
服装はこのままで大丈夫だ。オーディションに遅刻したら、志垣に迷惑がかかるどころか、事務所にまで影響が及ぶ。
陸は書類に目を通す事すら忘れていた自分を叱咤した。
「くそっ」
大急ぎでマンションを出て通りに出ると、空席のタクシーを止めて、行き先を告げる。
何とか間に合い、転がるようにオーディション会場に飛び込んだ。番号札をもらい、心からほっとした。トイレに行って身だしなみを整える。
携帯電話の電源を切ってから、イスに座った。
夕べ、遅くまで起きていたから眠い。ベッドに戻りたい衝動にかられたが、何とか順番が来るまで持ちこたえなければならない。
呼ばれるまでが永遠に続くかと思えた。
ところが、今度はもっとまずいことに、ものすごく緊張してきた。
眠気やだるさよりも、これから人前でオーディションを受けなくてはならないという、極度の緊張が襲ってきた。
大きく深呼吸した時、番号を呼ばれた。陸は立ち上がり、ぐっと握りこぶしを握った。
こうなったら、全力で尽くす。
ノックしてドアを開けお辞儀をして、静かに扉を閉める。中に入り、真ん中に置かれたイスのそばに寄った。
「番号と名前を言ってからイスに座ってください」
陸は、深々とお辞儀をして顔を上げた時、あっと息を呑んだ。
「……っ!」
声にならない悲鳴が喉の奥で叫んでいた。
隼人っ! 嘘っ、何でこんなところにっ。
陸はパニックに陥りながら、今回のオーディションの内容をよく見もせずに来た事を激しく後悔した。
「どうしました? 名前は?」
審査員の男が眉をひそめる。陸は動揺しながら、自分でもわけが分からずに番号と名前を告げた。
「座って」
言われるまで立ち尽くしたままだった。
イスに座ったが、頭の中は真っ白だった。
ちょうど目の前に隼人が座っていた。ものすごい目で睨みつけている。
恐怖で顔が引きつった。怖い。
全身の震えが止まらない。
そのうちにいくつかの質問が始まった。
陸はしどろもどろで、短い返事ばかり繰り返していた。
何をしゃべっているのかすら分かっていない。その時、はあっと大きなため息をついた男がいた。プロデューサーの隣に座るカメラマンだった。
「君は何の目的でここに来ているの?」
「え?」
陸は顔を上げた。彼は不機嫌そうだった。
「君は本当にこの仕事がやりたいのか? ただ見てくれがいいだけで、それだけで選ばれると思ったら大間違いだよ」
「あ……」
声が出なかった。
冷たい水を背後からぶっかけられたみたいな気がした。カメラマンは黙り込んだ陸にいっそういらいらしたようで、きつい口調で言った。
「夢を語れなんて言ってるんじゃない。どうして君がここにいるのか。オレに教えてほしい」
「僕は……」
答えられなかった。誕生日プレゼントを買うお金がほしかったなんて、口が裂けても言えない。
黙ったまま唇を震わせると、カメラマンはバカにしたように言った。
「ただ、何となくと思ってここにいるのなら帰ってくれ。君はオレの事もすっかり忘れているのだろう。あの頃より、ずっといい顔をしているのに、今の君は何の魅力も感じないね」
「え?」
弾かれたように顔を上げて相手を見つめた。
あの頃? このカメラマンと面識があったのか? どこ? どこで会った?
記憶を探ろうとしたが、思い出せなかった。もう誰も質問をしなかった。出て行けとも言われず、陸は静かにお辞儀をして部屋を出た。
こんな悲しいオーディションは、生まれて初めての経験だった。