しこり
ようやく隼人のマンションにたどり着いた。空は真っ暗で午後九時を過ぎていた。
車を降りる前に秀一にお礼を言う。
「送っていただいて、ありがとうございました。あの、こんなに遅くなって、仕事の方、大丈夫ですか?」
心配に思うと、秀一は微笑んだ。
「平気だ。影響はまったくない」
それを聞いて安堵した。
「それより陸くんこそ大丈夫? 隼人にいやみを言われたら言ってね」
「は、はい…」
挨拶をして車を降りる。車が発進するのを見届けると、陸はその場で立っていた。
思わず、ため息が漏れる。
隼人に何て言い訳をしよう。
少し考えてから歩き出した。
隼人のマンションに着いて玄関のドアを開けると、むっつりした隼人の顏があった。
「遅かったな」
「ごめん。渋滞に巻き込まれて…」
「車で来たのか?」
隼人が怪訝な顔をする。
「ち、違うよっ。電車が渋滞に巻き込まれて、数時間、止まっていたんだよ」
嘘をついてしまった。
電車が渋滞? と、隼人は何度も首を傾げたが、強く聞いてこなかった。
「まあいい。俺を待たせるな」
横柄な言い方をしてから陸の腕をつかんだ。
「ど、どこに行くんだよ」
「風呂場だ」
「え?」
「あ、隼人」
陸は、ここに来た目的を果たさなければと思ったが、隼人の背中を見ると言えなくなった。
「何だ?」
「…何でもない」
「早く脱げよ」
「うん……」
言われた通り、洋服を脱ぐ。バスルームに入ろうとすると、背中の方から声をかけられた。
「俺が洗ってやろうか?」
「いいよ」
陸は、小さく息を吐いて断った。すると、隼人がムッとする。
「反抗的だな」
服のまま、浴室に入ってくる。陸はびっくりした。
「ちょっとっ」
いきなり、熱いシャワーをかけられた。
「やめろよっ」
抵抗するのに、隼人はかまわず陸の頭を洗いだした。
――やめろって言ったのに。
その時、陸は、秋吉の話を思い出した。
――これじゃまるでペットだ。
猫みたいに強引に体を洗われる。
陸は、歯を食いしばった。
逆らえない。相手は隼人だから、何をされても結局、許してしまう。
「ゆっくりお湯につかってから出ろよ」
隼人は、ふいっと出て行った。
陸は、気分が落ち込みながらも、お湯の中で疲れた体を癒した。
それから、風呂を出て洋服を着なおすと、そのままソファにつれて行かれる。そこで、陸の髪を優しく拭いてくれた。
「気持ちいいか?」
怒っていないのかな。優しい声だった。
「うん……」
あまりの気持ちよさに目を閉じた。
「陸」
隼人が背後から抱きしめてきた。相手を受け止めようと背中に腕をまわすと、隼人の不機嫌な声がした。
「何か、臭う…」
「え?」
うっとりとしていた陸はびくっとした。
「タバコ臭い」
「は、鼻がいいんだね」
「どこに寄って来たんだ?」
隼人が怪訝な顔をする。
「ちょっと、友達に呼び出されて、さ」
「ふうん…」
言い訳が苦しい。
しかし、隼人はそれ以上追及しなかった。そして、髪を乾かすなり、ベッドへ向かう。すぐに押し倒された。
「陸」
名前を呼ばれ、心臓が跳ねた。
「う、うん」
「お前が来るのずっと待ってた」
隼人の声が甘い。
陸は、思わず胸に顔を埋めるように抱きしめた。
こんなにドキドキしたのは久しぶりだった。
初めての時も、口から心臓が飛び出してきそうなほど緊張した。離れがたくて、ただ抱き合っていた。
あの頃、すべてが楽しかった。
まさか、あの時とような新鮮な気持ちになるなんて。
隼人の胸も心なしかドキドキしているのを感じた。
それから、隼人はしばらくそのままの体勢で動かなかった。
「どうしたの?」
不思議に思って、聞くと隼人がしみじみと言った。
「変わったな、と思って」
「え?」
最初は何を言われたのか分からなかった。
「初めて会った時はまだ高校生だったのに、大学生だもんな。早いな」
どういう意味だろう。
でも、聞けない。
聞いたら、何かが壊れてしまう気がして、勇気を出せないでいる。
「就職とか、考えているのか?」
「ま、まだ…あんまり…」
「そっか、まだ、早いか」
隼人があっさりと言って、陸の額を撫でた。
「今は関係ないな」
関係ないという言葉がぐさりと突き刺さった。
いつか、こんな風にあっさりと言われてしまうんだろうか。
もう、関係ないよって―――。
やばい…泣きそう。
陸は口を真横にするとくるっと背中を向けた。
隼人がむくれた陸の背中を優しく撫でた。
「なんだよ、拗ねたのか?」
「拗ねてない」
隼人が背中にキスをしてくる。やわらかい唇が鎖骨を吸う。
「今が楽しけりゃいいだろ?」
諭すように言い、背後から抱きしめられた。
びくっと陸の体が強ばった。
陸は、どうしても隼人に言いたい事があった。
まだ、一度も言ったことがない言葉。
俺は、隼人が好きだ!
でも、言えない。そんな関係、重すぎると言われたら最後だ。
喉にしこりが残ったような気分のままその夜を過ごし、隼人はあまり気にした様子もなくて、陸を抱きしめたまま眠った。
隼人の吐息が背中に当たっていた。