マンハッタン
「仕事する気あるの?」
ルイの言葉が突き刺さった。
「はい……」
陸は硬い表情で返事をした。それを見て、ルイは小さく息をついた。
×××××
少しだけ話を戻そう。さかのぼること数時間前。朝比奈陸は、渡瀬隼人のマンションでテレビを見ていた。すると、芸能プロダクションのマネージャーである志垣ルイから連絡が入り、今すぐ会いたいと呼び出された。嫌な予感がして出かける気にはならなかったが、どうしてもというのでしぶしぶ街に出てきた。ルイと東口で落ち合う。
「行きましょう」
会うなり彼女は飲み屋街の方へ歩き出した。陸は急いで後を追った。
「少し飲む? おいしいカクテルを作ってくれる店があるのよ」
「あ、はい…」
頷いた陸に、彼女は手入れの行き届いた髪の毛をかき上げてにこりと笑った。ルイは元モデルで顔の作りは質素だが、化粧栄えする顔立ちだった。スタイルは抜群で、身長は175センチもある。陸の身長は180センチ弱だが、彼女はハイヒールを履いているので目線が同じか、時々見下ろされている気がした。 年は四十歳を過ぎているが、落ち着いた洋服と完璧な化粧のおかげで三十代に見られた。歩くたびに甘い香水が匂う。行き交う人々が彼女を見ていた。陸はポケットに手を突っ込み、背中を丸めてルイの後を追った。
よく来る店なのか店主と楽しげにしている。相手の顔がぼんやりと見えるくらいの店内で、年老いたバーテンダーが一人と、同年代の店主が二人で切り盛りしているようだった。のんびりとした雰囲気の店で、客は優雅にお酒を楽しんでいるようだった。
「私はマンハッタンを。陸は何がいい?」
「ルイさんに任せます」
「ダメよ」
ルイは形のよい眉をひそめて、すぐに反発した。
「せっかくだからあなたにあったカクテルを作ってもらいなさい」
「はい」
陸は素直に頷いた。白髪の入り混じったバーテンダーがニコニコしながら二人のやり取りを見つめている。陸はライチとグレープフルーツのお酒を頼んだ。
「お酒は強いですか?」
「あんまり強くないです」
「じゃあ、度数の少ないリキュールにしましょう」
バーテンダーはルイの注文も聞いてから、ずらりと並ぶ壮観な眺めのボトルの列に手を伸ばした。眺めていると、お絞りで手を拭いていたルイが重々しく口を開いた。
「オーディションに落ちたわ」
「そうですか…」
何となくそんな気がしていた。陸は、どんな顔をしていいのか分からずにいると、コトンと音がして目の前に、夕日色のカクテルが置かれた。
「綺麗な色ね」
ルイが目を細めて言う。マンハッタンは光具合によって金色に見える夕日をイメージしたカクテルだ。ルイはそれを眺めながら、
「二十回連続ね。予想外だったわ」
と呟いた。
そんなに落ちたのか。改めて聞かされると気が滅入った。
「やめられないのよね」
「え?」
ルイがカクテルグラスを口に持っていく、ひとくち飲んで味わうように飲んだ。
「おいしい」
カクテルをカウンターに置く。
「お酒も同じ。どんな味がするのか試したくてうずうずするの。合わない味もあるし、忘れられない味もある。けれど、二度と味わえないおいしさもある。それを探すのもやめられないのよ」
抽象的過ぎてよく分からないが、彼女なりに気を遣ってくれているのだろう。陸もひとくち口に含んだ。少しアルコールの効いたライチリキュールの香りとグレープフルーツの酸味が加わって、そのおいしさに目を見開いた。
「おいしい…!」
「飲んでみなきゃ、分からないでしょ」
志垣はほほ笑んだ。
「自信を持ちなさい。せっかくあなたがやる気を出したって言ってくれたんだもの。私は全力でバックアップするからあきらめないで」
「はい」
「これ、今度のオーディションの書類よ。目を通しておいて」
手渡された書類をもらったが、陸は中身をみようとは思わなかった。ルイは何か言おうとして口を閉じた。