70 てぃんくるぽんは役に立ちます!
蚕棚の様な三段ベッドが並んだ薄暗い室内で、僕らは目覚めを迎える。
ろうそくの灯りを頼りにジャガイモの皮を剥いていると、班の仲間たちの寝息が聞こえてきた。
歯ぎしりをしているのはドイヒーさんだろうか。
何日も陽の光を浴びず、迷宮内で生活を送っていると、次第に時間の感覚がわからなくなってくる。
新鮮なパンも食べれないし、ストレスもきっと溜まっているのかな。
いつもなら誰よりも早く起床するシャブリナさんだって、今は毛布にくるまって何か寝言を呟いているしね。
「……むにゃ、セイジ。……セイジのおちんぎんを、たっぷりわたしの口座に注いでくれッ。……スヤァ」
いったいどんな夢を見ているのかな?
僕は剥きおわったジャガイモを刻んで金属食器に放り込み、残った皮を捨てた。
ガタつく木の簡易テーブルをチラリと見やると、時間経過とともに不思議な色に変化する魔法の砂時計が飛び込んで来た。
もうまもなく班のみんなを起こす時間だ。
最後の一粒が落ちれば、四半日が経過した事を教えてくれて、僕らは四直勤務の交代に当たる。
迷宮内でパーティーの支援を担当するのも、ポーターである僕の役目だ。
「おはよう。みんなそろそろ起きて、起床時間だよっ!」
僕はみんなに声をかけ終わると、簡易コンロの上でクツクツ沸騰する小鍋を確認した。
煮立った小鍋の中には、透き通った色の玉ねぎが踊っている。
僕は縛った鳥の骨の紐を引っ張り出しながら、剥き終わったジャガイモを放り込んで蓋をした。
するとモソモソと体を起こしたシャブリナさんが、僕の方に視線を送って来るじゃないか。
「んんっ、おはようセイジ。今朝はおちんぎんに一杯セイジを注がれる夢を見たぞ、とてもいい感じに気だるい。幸せ一杯の気分だ」
「……わけがわからないよ。それに今は夕方だけどね」
ネグリジェ姿で蚕棚から出てきたシャブリナさんは、僕の差し出したおしぼりを受け取って丁寧に顔を拭いていた。
迷宮内じゃ真水も貴重品なので、こうして顔を洗うのも無駄遣いしない様におしぼりを使うんだ。
そのまま簡易テーブルの上に置かれた金属マグカップを手に取り、象牙の歯ブラシで歯を磨きはじめる。
象牙の歯ブラシはとても便利だ。
ブンボン騎士団のメンバーに支給される品物らしくて、丈夫で長持ち。
毛先が駄目になれば交換するタイプで、使われているのはクジラのヒゲなんだって。
「ふわぁ。ひんっ……あうっ!」
ゴチン!
背後から頭をぶつける音がして僕はあわてて振り返った。
見ると蚕棚の中段で丸まっていたティクンちゃんが飛び起きて、その勢いのまま三段ベッドの天井に頭をぶつけたらしい。
小さな悲鳴の正体はそれで、おでこを抑えながら転がる様に蚕棚から降りてくる姿が見えた。
「お、おはようございますッ」
「……頭は大丈夫か?」
「おつむは平気ですっ。でも今のに驚いてちょっとお湿りしちゃったかもッ」
モジモジしながらネグリジェの裾をギュっと握った毛の生えた少女である。
いそいそと服を脱ぎながらおパンツの交換をはじめたので、僕はたまらず視線を外した。
班の居住区格は薄い板で仕切られているだけ。
けれどうちの班の少女たちはこの空間にいる限り、あまり裸を見られても恥ずかしがらないから困ったものだよっ。
「貴様は元々、おつむが少々足りないぐらいだから、ブツけた衝撃で賢くなったかもしれんな。アッハッハ」
「そんな酷いですッ。シャブリナさんにお漏らしの呪いをかけてあげるの!」
「やってみろモジモジ少女。わたしの盾にはじき返されて、貴様は三倍お漏らしをするハメになるぞ!!」
味方相手にヘイトスキルを発動させるのはやめてよねシャブリナさんっ。
あられもない姿の年頃少女たちが、姦しく寝起きから騒いでいるのはちょっと見ていて幸せだよね。
けど僕はいい年のおじさんだから凝視したら変態だと思われる。
それに、いつまでも起きてこないドイヒーさんの事を気にかけるのも、荷物持ちとしてちゃんとした役割だ。
「ドイヒーさん、おはようドイヒーさん。……そろそろ起床時間だけれど、大丈夫?」
蚕棚の最上段に手をかけてよじ登り、ドイヒーさんの様子を伺うと。
奇麗な寝相で、両手を組んで仰向けに寝ているドイヒーさんの姿が見えた。
寝相はいいのだけれど、むずかしい顔をして眼を閉じた彼女は、時々ギリギリと歯ぎしりをやっている。
悪い夢でも見ているのかな……
「……ふわぁ、あらセイジさん。ごきげんよう」
「だいぶうなされていたみたいだけど、そろそろご飯だよ」
「少々お待ちになって下さらないかしら。まだ体を巡る血と魔力が動き出しておりませんの」
首だけをこちらに向けてドイヒーさんが疲れた顔でそう言った。
寝ても疲れがとれない事はよくある。
何日も迷宮暮らしをしている時は特にそうだから、ドイヒーさんも疲れがたまり始めているのかも知れない。
「さあてぃんくるぽん、出ておいでなさいまし」
「わっ、どこにいるかと思ったら。そんな場所に……?!」
「ダンジョン内の夜は冷えますものね。お風邪を引かれたら困るので、懐の中に入れておいたのですわ」
どうやら、てぃんくるぽんはドイヒーさんのまるで丸パンみたいな綺麗な形のお胸の谷間で休憩していたらしい。
う、羨ましいなとちょっぴり思いながらも、ムニムニに手を差し出すとそいつが僕の肩に飛び乗って来た。
「やあてぃんくるぽん」
「もごもご」
「きみの朝ごはんも用意してあるよ。鶏の骨がらは好きかな?」
「むにむに」
「そうかい。モンスターの方が美味しいかもしれないけど、骨がらは栄養があるから好き嫌いしないで食べようね」
「うごうご」
三段ベッドを降りた僕は、先ほど鍋で出汁取り用にしていた骨を、てぃんくるぽんのエサにした。
あまり食べようとしないところを見ると、もしかしてドイヒーさん胸の内で、ドイヒーさんの魔力をちゅうちゅう吸っていたのかも知れない……
だからドイヒーさんが寝ても疲れているって事は、無いよね?
「今日は新しいレイドボスの発見された側道周辺の攻略があるそうだから、訓練生の魔法使いを集合させるらしいよ」
「そうでしたわね。まったく、うちの班でレイドボスを担当させてくだされば話が早いのに。いちいち他所の班の方と協力してやる意味がわかりませんわっ」
ようやく体を起こしたドイヒーさんは、難儀そうに蚕棚の最上段から降りてきた。
いつもより心なしか金髪縦ロールの巻きが弱々しい。
三段ベッドの一番上は寝ている時にトイレにいくのも一苦労なので不人気だ。
騎士団での共同生活が長いシャブリナさんなんかは、誰よりも早く一番下の段を確保して「セイジ一緒に寝よう!」なんて言ったぐらいだからね。
「魔力耐性の低いレイドボスという事だから貴様が呼ばれたんだろうな。残念ながら硬質な敵を相手にするには、剣や鈍器は不利というものだ」
「わかりましたわ。このアーナフランソワーズドイヒーさまが四班を代表して、きっちりレイドボスとやらを討伐してみせましょう。おーっほっほっほっほ!」
「さあ、ご主人さまのところにお帰り」
「びよーん」
骨がらに興味を示さなかったてぃんくるぽんは、ドイヒーさんのところに戻ろうと飛びついた。
すると着地先に失敗して、ドイヒーさんのおでこにベチャリと着地するのである。
「あいたっ。……オホホご免あそばせ。てぃんくるぽんは、やんちゃなさかりですわねえ。余りおいたが過ぎると怪我をなさいますわよ?」
彼女はズレた魔法のトンガリ帽をかぶり直しながらローブの皺を伸ばして、繕い笑いを浮かべた。
ちなみに常在戦場を心がけているのか、ドイヒーさんは迷宮に潜っている時はいつもローブ姿で寝ている。
聞いてみればいつも朝が早かったパン屋さんの頃の習慣が残っているらしいね。
「すぐにも朝の支度に移れる様に、寝る前に次の日の朝の格好をして寝ておりましたのよ。そうして朝ごはんを食べ終われば別の服に着替えますの。お店で出来たてのパンを売る時は、フリルのついたエプロンですわ!」
自慢の縦ロールヘアをセットするのにむかしは時間がかかたから、それも生活の知恵だったんだね。
さてみんなの支度が整ったところで朝食の時間だ。
増殖ダンジョンに区分されるダルマの塔は色々と不思議なところがある。
どこの迷宮でも階段エリアのエントランス周辺は完全に安全が確保できるセーフティーゾーンになっている。
けれどここダルマの塔の一部には、完全に安全の確保ができる拠点用の部屋が存在したんだ。
それが今僕らが居る第十六階層の前進キャンプにつかっているこの場所。
班毎にパーテーションで区切られたささやかな部屋というわけで、昼夜四直の交代制で本格的調査がまだ行われていない部屋をひとつひとつ調査攻略してまわるんだ。
「発見されたレイドボスは、確かゴーレムの類だったな?」
「ビッツさんの班がギミック箇所を見つけて、それを解除した事で奥の部屋に登場したそうですわ。これまでのメイン攻略ルートを優先していたので発見されなかったとか」
「もぐもぐ。とても厄介ですねッ」
セイジくんおかわりをください!
などとティクンちゃんは元気にスープ用のマグカップを僕に差し出してくれたので、お鍋の残りを全部入れてあげた。
「……そうだな。物理攻撃が通用しにくいとなると、わたしの様な戦士系はあまり役に立たない。魔法使いで高火力を発揮して圧倒するか、持久戦に持ち込んで削る事になるはずだが」
「まあ階層が低い位置という事もあるから、心配はいりませんわよ。レイドボスがどうにもならないという事であれば、教官たちや《黄昏の筋肉》の主力パーティーが担当する事になりますもの」
それに、と腕組みをして思案に暮れていたシャブリナさんに向かって、ドイヒーさんが自信満々の顔で言った。
「今のわたくしには、てぃんくるぽんがおりますわ!」
「その役立たずのナメクジがどうかしたのか」
「違いますわ、スライムドラゴンですのよ!! てぃんくるぽんに、わたくしの魔力の一部を充填させておりますので、いざという時にはそこから魔力を供給すれば、高威力の魔法を連発する事ができるんですのよっ」
へえ、てぃんくるぽん。
光に当たると七色にきらめくナメクジかな? とか思っていたけれど。
実は使い魔としてちゃんと役に立つ特技を持っていたんだね。
「だからドイヒーさんは寝ていてもずっと疲れた顔をしていたんだね」
「いつ何どき、何が起こるかわかりませんものね。切り札として魔力を溜め込んでおく事ができるこの子に、魔力供給を続けていたのですわっ。おーっほっほっほ!」
言われてみれば、心なしかムニムニは以前よりも艶っぽさを増している気がする。
「肥えたナメクジの出番がない事を期待しつつ、まあいざという時に役に立つのなら安心だな」
「きいいいっ悔しい。スライムドラゴンだと言っているでしょう?! 肥えたナメクジではありませんのよっ」
はははどう見てもナメクジだろう。
シャブリナさんは高笑いをしてドイヒーさんからヘイトを集めながら、僕の作ったスープの具材をスプーンでかき込んだ。
「ごちそうさま、セイジ汁は美味しいな。最後の一滴まで飲み干した。ちゅぷ、ん?」
流し眼を送り、指をしゃぶりながら意味深にそんな事を言う残念な騎士見習いさんである。
僕はおちんぎんに似た何かが我慢の一滴を垂らしそうになるのを感じたっ。




