28 よろしく勇者シコールスキイさん!
僕たちにとっての本当の迷宮暮らしがはじまった。
四六時中をこの薄暗い空気の淀んだ通路と小部屋の中で生活するのだ。
「各階層のキャンプは、だいたい階層の入口のセーフティーゾーンに設置されるんだ」
「つまりここがそのセーフティーゾーンという事だな勇者どの?」
背負子の荷物を降ろして、僕が寝袋や毛布を整理していると。
隣でシャブリナさんと勇者さんが事前確認をやっていた。
「そういう事になるかな、安全に休める場所と食事ができる空間だと思ってくれたらいい。トイレは、そこにある糞壺の中にしてもらうぐらいしかできないので我慢してね。あと食事は絶望的に不味いから」
「わたしはこれでもブンボン騎士団に所属する騎士見習いだから、その所は問題ない。セイジは元がホームレスだし、ティクンは糞壺など不必要だ垂れ流しだからな。アッハッハ!」
「ひゃうん、おトイレがあるならそこでしたいですぅ」
バシバシとシャブリナさんに肩を叩かれて、ティクンちゃんはビクンビクンと体をしならせていた。
酷い言われようだった。
最初のうちは触れられるだけでお股を湿らせていたティクンちゃんだ。
けれども班のメンバーが触れるのには耐性が付いたのか、今は辛うじてお股をキュっと我慢できているみたい。
「地面が湿っているのがいただけませんわね。寝袋に収まるとしても、水気に触れて体を冷やすと体力を奪われてしまいますわよ」
「どうしようか。濡れていない地面は場所が限られているし、全員が横になるスペースが確保できないんじゃないかな」
「そうですわねぇ。階層入口付近の小部屋に、安全が確保できる場所があればよろしいのですけれども……」
毛布と寝袋のセットを受け取りながら、僕のお手伝いをしていたドイヒーさんが悩ましげなポーズを取る。
するとそんな僕たちに警告の言葉を勇者さんが投げかけてくれた。
「そいつはやめておくことだ少年たち。安全を確保できた部屋でも何か罠の見落としがあるかもしれない」
「そ、そういうものなんですか?」
「ああそうだぜ。ベテランの言葉は聞いておくもんだ。休憩は交代で取るものだし、全員がまとめてこの入口付近に固まる事はめったにないからな」
聞けば各階層にあるキャンプというのは、必ず階層入口に設けられるのが不文律なんだとか。
ダンジョンのあちこちに仕掛けられているという罠やギミックを解除するためには、魔法文字の解読作業が必要だ。
新しく発見されたダンジョンの場合は、ダンジョンの攻略マップそのものが同時並行で作成される。
だから細かな部屋のギミックや解読も全ては把握できないし、それらはダンジョン踏破後の後続にゆだねられることになる。
「部屋の入口に注意書きがあったりするだろう、魔法文字の? 解読できる人間の数が足りないから、いったん筆写したモノをアジトに持ち帰って、賢者どもがそれを調べ尽くすまでは危険が一杯というわけだ」
「あ、それなんですけど。リアルタイムでプレートの内容がわかっちゃう場合はどうなんですか?」
「なん、だと……」
驚いた顔をする銀髪青年の勇者さんだ。
僕にとっては何気なくできてしまう事だけれども、それが信じられないみたいだね。
「おーっほっほっほ! わたくしどものセイジさんは、辞典なしに文字を解読する事ができますのよ? それだけでなく、自在に文字を書く事もできるんですの。何といっても賢者の卵は伊達じゃないですわ!」
まるで自分の事の様にドイヒーさんが勝ち誇ってそう言った。
隣にいる僕の方が恐縮してしまう。
「……す、すごいね少年。名前は何というのかな?」
「セイジです。これでも三十路は超えてるおじさんなんですよ」
「若い! 僕より断然年上なのに若い」
「わたくしどものセイジさんの妄言は無視するとよいですわっ」
妄言じゃないよ!
文句をひとつ言ってやろうと思ったけれど、それより先に背後からヌっと人影が近づいて、
「わたくしどもじゃない、わたしのセイジだ。いつから貴様のセイジになったと言うのだ?!」
「同じ訓練学校の仲間なんだからわたくしどもの、で問題ないはずですわ。そもそもシャブリナさん、あなたはセイジさんの何だっていうんですの?!」
「保護者だ、わたしはセイジの保護者だからなっ」
「おーっほっほっほ! 手を握った事もありませんのに恋人気取りですの? おへそでお紅茶が湧きますのよッ」
「しょ、しょんなことはない、わたしはセイジと将来を約束した仲だ!」
呆れたいつもの口論がシャブリナさんとドイヒーさんの間ではじまってしまった。
僕は相手にするのも馬鹿らしいので、右往左往していたティクンちゃんに「はい、これティクンちゃんの分だからね」と毛布と寝袋を差し出した。
そこで銀髪青年の勇者さんが苦笑を浮かべて話しかけてくれる。
「きみのところも色々と大変みたいだね、セイジくん。いや、セイジさんの方がいいかな?」
「年齢の事は気にしないでくださいっ。見ての通り小っちゃいおっさんだから……」
「自己紹介がまだだった、俺はシコールスキイだ。親しい仲間はシコルとかシコリィと呼んでくれている。きみも気楽にそう呼んでくれたらいい」
勇者シコールスキイさんと僕は固い握手をした。
憧れの冒険者暮らしの中で、第一線で活躍する勇者さまだ。確かにイケメンで、その、鼻毛さえなければ街の若い女の子も振り返るかもしれない。
僕の力で勇者パーティーのみんなと最高の栄誉を分かち合いたいねっ!
こうしてはじまった僕らの最深部突破作戦。
先頭を勇者シコルさんが率いるパーティーが突破を図り、即座にシャブリナさんやドイヒーさんに守られた僕らが追従する。
「無限にモンスターの湧く仕掛けの罠がある部屋だ! 壁面の右側に石板がある。そこに何か書いてあるはずだッ」
「いくぞセイジ、わたしが守っている間に内容をメモしつつギミックを解除してくれ!」
「了解だよ。ティクンちゃん筆記道具を!!」
「コクコクッ」
小部屋ひとつの攻略にかかる時間は砂時計が落ちきるまで。
一刻の時を刻むうちにやりきる事ができるのは、どれだけ勇者パーティーが強力なのかというのがわかる。
「ドイヒーは援護射撃の準備をしてくれ、モンスターの種類がわからんからな。いざという時は痩せ魔法使いの指示に従ってくれると助かる」
「お任せくださいましな! この光と闇の魔法を統べるアーナフランソワーズドイヒーさまの真骨頂をお見せいたしますわっ。おーっほっほっほっほ!!」
「魔法大爆発はやめてよねドイヒーさん?!」
セーフティーゾーンの置かれた階層キャンプ付近を一気に掃討してしまうと、勇者パーティーとともに最前線で戦っていた仲間とすれ違った。
こっちには下位文字なら解読できる荷物持ちさんが参加しているらしく、メインルートの安全を阻害する部屋をしらみつぶしにしていたみたいだ。
やっぱり荷物持ちは縁の下の力持ち、ポーターというジョブも捨てたもんじゃないと僕は確信した。
「どうだ勇者。インギンさんは諦める覚悟ができたのか」
「いいやギルマスは全戦力を第五階層に集めると宣言したよ。俺も勇者だ、やると決めた以上はボスの顔を拝むまでは倒れられないぜッ」
「マジかよ。解読できる賢者も数が足りないのに……」
「その点は安心だ。俺たちにはセイジさんがいるからねっ」
「女子供の援軍パーティーか」
「それとこれ、ギルマスからの差し入れな。飲めばポンと疲労が回復する特別なポーションらしいぞ!」
インギンさんは最深部の第五階層を一気に突破させるために、古城の地上階にあるベースキャンプから、今が踏ん張りどころとばかり、援軍をかき集めに走っている。
僕たちが最深部に到着してどれだけの時間が経過したか、だんだんわからなくなってきたけれど。
それでも、疲労がマシに感じられるのは、この特別なポーションのおかげだった。
「このポーション、ヤバいやつじゃないよね?」
「大丈夫だ。わたしがまず毒見をしてやるから、それで安全なら貴様に口移しで飲ませてやってもいいぞ。しょれがいい! セイジこっちに来なさい!!」
「ちょ、何で口移し? しかも何で押し倒してくるの?!」
「口移しなら万が一遅発性の中毒症状が発生しても、すぐに吸い出してやる事ができるぞ。なあに、怖いのは最初だけだ。わたしもはじめてだから、一緒に初チッスを捨てようじゃないか」
そんな場違いな発言をしながらポーションを手に近寄ってくるシャブリナさん。
目的が変わってるよ!
特別なお高いポーションは疲れている時に飲むんでしょ、僕はまだ必要ないから誰かシャブリナさんを止めて。
胸が、僕の顔に胸が迫る。唇ですらない!
「何をやっておりますのシャブリナさん、次の部屋に向かいますわよ。モンスターが出たそうですから!」
「むっ。残念ながら続きはまた後で、ふたりきりのときになっ」
た、助かった。
ウィンクをひとつ飛ばしてみせた美人顔が台無しなシャブリナさんは、心底残念そうに押し倒した僕を立ち上がらせてくれたけれども……
「ぽ、ポーションを飲むときは、そのう。わたしが口移しでッ。いざという時は毒消し魔法が使えるからぁ……」
シャブリナさんの毒に当てられたのか、ティクンちゃんまでおかしくなっていた。




