104 緊急事態です!(空振り)
洞窟内部を流れる浅い川をバシャバシャ進みながら。
やがて岩場に足をかけたシャブリナさんが、ゆっくりとランタンを掲げて振り返った。
「ここから先は川幅が狭まっている。足場はあるが、相変わらずぬかるんでいる様だな」
「広さもありますし、シートを広げれば迷宮攻略用の資材をここに荷揚げする事ができますわね」
「休憩ポイントとしては申し分無いだろうが、アタック用のキャンプを設営するほどではないのがな……」
「まあそれは、おいおい深部まで調べてから決定いたしませんと」
ドイヒーさんの手を借りて岩場に僕は上陸した。
そうしていながらも、周辺警戒をしているシャブリナさんとドイヒーさんは意見交換をしていた。
ひとつの班が休憩する程度には広さがあり、確かに防水シートを広げれば資材の集積場所ぐらいにはなるだろうか。
嬉しいことに、しばらくシャブリナさんが調べた感じではモンスターの存在も確認できなかった。
「そのう。ここにビッツさんたちが残したチェックマークが書いてありますっ」
背負子を下してひと息ついている僕の隣で、上陸したティクンちゃんがしゃがみ込んで何かを見つけた様だった。
冒険者の中には普段使いの文字が読み書きできない人間もいる。
貧民街出身のビッツくんもそのひとりで、だから冒険者の間で使われていり記号を岩場に刻んでいたみたいだ。
「先行する三班のみなさんは、ちゃんと洞窟探索の斥候役をこなしている様ですわね」
「ビッツくんはスカウト職だから本領発揮だね。ええと、この記号は安全確認済み。それからこっちは昆虫系モンスターと、一部討伐済み、かな?」
「昆虫系モンスターというのはミルクワームのことだろう。恐らくわたしたちが遭遇したのとは別の個体群が、壁面にでも張り付いていたのだろうな……」
「フンフン」
辺りを見回した僕たちは、そこに戦闘の形跡を発見した。
ぬめりを帯びた洞窟の壁面に、幾つも刻まれた剣の傷跡の様なものがある。
それから。足元には白濁液をまき散らして死んだ芋虫の死体もいくつか転がっていた。
「ほう。ミルクワームの死体が散らばっているな」
「やはり遭遇していたのですわね。けれども魔法で焼却した様な痕跡は見当たりませんわ」
「数がそれほどいないところを見ると、上手く対処したのか……むっ、この芋虫にロープがかけられているな」
きっと誰かのアイデアで、縄のかけられたミルクワームを囮に使ったのかな?
散乱している死体は、そうしてうまくおびき出した後に一匹ずつ処理したという感じだろう。
「へえ、ビッツくんたちもうまく考えたもんだなぁ」
「だがビッツじゃないな」
「ビッツさんじゃありませんわね」
「コクコク」
本人がいないのをいい事に言われたい放題だけれども。
後で誰が考案した方法なのか聞いておこう。
やり方をみんなで共有しておいた方がいいからね!
「ひとまず地図情報を記載したら、前進を再開しますわよ」
「こっちはもう大丈夫だよ。とりあえず魔法文字でメモは取り終わったから、いつでも動けるよ」
「モンスターの気配も他には無さそうだな」
「まだ動いているミルクワームには、トドメをさしておきましたッ」
ダンジョンの内部にいるモンスターをいち早く発見したり、罠の様なものはないのか調べたり。
先行するビッツくんたちは、少しずつ先の様子を伺いながらゆっくりと安全を確保しながら前進しているはずだ。
バックアップする僕たちの班と、距離にすればそんなに離れていないはずだけれど。
それでもゆっくりしていたらその差は開いてしまう。
「ではシャブリナさん、先導をよろしくお願いいたしま――」
ドイヒーさんがてぃんくるぽんをひと撫でして、そう言いかけた時だった。
「んぎゃあああああああああああああっ」
洞窟ダンジョンの奥から、けたたましい悲鳴が僕らのところまで届いたのである。
一瞬にしてシャブリナさんが警戒態勢を取り、ドイヒーさんが黒くて大きくて禍々しい長い杖を構えた。
僕はと言うとティクンちゃんを庇う様に一歩前に出ながら、みんなと顔を見合わせた。
「……あのう、今のはビッツさんの声でしたッ」
「すぐにも悲鳴は収まりましたけれど、あれはただ事ではない悲鳴でしたわね」
「助けに行った方がいいのかな……?」
「だが敵に遭遇したにしては、その後に何も消えてこないぞ。バジリスクに不意を突かれたんじゃないだろうな……」
「と、とにかく行ってみますわよっ」
こうしちゃいられない!
あわてて荷物を背負いなおした僕らは、ぬかるむ地面に足を取られながらも全速力で駆けだした。
モンスターに遭遇したのなら、悲鳴の後に怒号のひとつでも聞こえてきそうなものだ。
それに剣のぶつかり合う音やモンスターの咆哮の様なものも僕らの耳には届かなかった。
まさか、一瞬にしてトカゲの王様と呼ばれるバジリスクの餌食になってしまったんだろうか。
ダンジョンアタックの直後にそんなまさかとは思うけれど、一方でよくない予感が僕らの脳裏をよぎったのも事実だった。
急いでても焦っちゃ駄目だ。焦っちゃ駄目だ!
もしそうなら、僕らは何の対策もなしにバジリスクの前に飛び出しちゃう事になる!
「待ってシャブリナさん。ストップ、ストップ」
「ど、どうしたセイジ、何かあったのか」
「そうですわよ。急ぎませんと、卒業検定どころか三班が全滅してしまうかも知れませんわッ」
「ビッツくんたちを助けに行く前に、補助魔法をみんなにかけてもらおう。もしバジリスクが相手なら、ひとたまりもないよ」
「む。確かにその通りだな、モジモジの防御系魔法だけにして、今は攻撃系の魔法付与は無しだ」
「コク、わかりましたッ」
ティクンちゃんもいつになく緊張感漂う声で、手早く支援魔法を僕らに付与してく。
その間に、いつでも戦闘の救援ができる様にとシャブリナさんが長剣を引き抜いた。
ドイヒーさんも足を取られてしまいそうな長い魔法使いのローブを、膝の辺りで縛ったりしている。
「よし。もしもモンスターが相手の時はドイヒーが先行して攻撃したところに、わたしが斬り込む」
「間に合う様であれば、わたくしが魔法で弾幕を張りますので、その間に三班のメンバーをみなさんで救出してくだしあましな」
「わかったよ。荷物はここに置いていこう」
「ああ、助かる事が最優先だからな」
今のうちにと短い打ち合わせを終わらせると、みんな武器を手に構えて臨戦態勢になる。
そうしてティクンちゃんの言葉が合図になって、僕らはまた全力で走り出したんだ。
「……補助魔法の付与が終わりましたッ」
「セイジとティクンは遅れて構わんからな」
「わたくしたちふたりででどうにもならない時は、おふたりが戻って教官たちに助けを求めて下さいな」
「でもっ」
「誰かが戻らないと、この状況を外のみなさんに報告できないではありませんかっ」
先を走るシャブリナさんとドイヒーさんから、そんな悲壮感が漂う言葉が飛び出して。
僕は心では納得できない気持と、いざという時は誰かがそうしなくちゃいけないという事に葛藤を覚えながら、洞窟の先にあった分岐路までたどり着いたんだ。
そこには呆然と立ちすくんでいる、五人の姿があった。
戦っているわけでもなく、もちろん何かの被害に巻き込まれて怪我をしたわけでもなく。
ある意味で、何かの魔法にかけられた様にビッツくんやデブリシャスさんたちは、洞窟の枝分かれした先をジッと睨みつけながら体が固まってしまった様だった。
「どうしたんですの、いったい何がありましたの?!」
「……す、すまねぇ。つい驚いちまって悲鳴を上げちゃったんだけどよ」
歯切れの悪い切り返しを、仲間たちに支えられて青白い顔をしたビッツくんが漏らした。
「貴様の悲鳴を聞いて、こちらはモンスターに襲われたのかと思ったぞ!」
「み、見ての通りさ、ノッポの姉ちゃん……」
枝分かれの洞窟の先に何があるんだろう。
僕たちは釣られる様に三班のみんなが見ている視線の先に眼を向けたんだ。
するとシャブリナさんは顔をしかめ、ドイヒーさんは無言で口元を抑えた。
ティクンちゃんは声にならない小さな悲鳴を漏らしながら、僕のポンチョの袖を握ったんだけれども。
「ふむ。白骨か……」
「し、シャブリナさん。冒険者の白骨死体かな?」
「もしかすると、冒険者団体連盟から調査に訪れた方が亡くなられたのではありませんのっ?!」
「ひっ、引き返した方がいいかもです。ビクンビクン」
「……どれ確認してみるか」
シャブリナさんは冷静にそんな言葉を漏らしてしゃがみ込んだ。
もしかするとブンボン騎士団の人間として、こういう事には慣れっこなのかもしれない。
などと少しだけそんな事を考えていたけれども、
「なるほど、よくできたつくりだな」
「ど、どういう事だよノッポの姉ちゃん?!」
「こいつは人体模型というやつだ。骨のつなぎ目がボルトで止められているから、動かす事ができるぞ!」
驚いたビッツくんに、シャブリナさんが白骨の腕を持ち上げて駆動させて見せるんだ。
確かに骨と骨のつなぎ目に金属のフックみたいなのが付いている。よく見たらしかも木彫りの骨だった……
どうやら教官たちが事前に運び込んで、僕らを脅すために設置していたものらしい。
ビックリしたなもう!




