102 ミルクシャワーです!
ダンジョン探索の基本はフォーメーションだ。
スカウト役のビッツくんが、滝壺の深い場所を割けて崖の壁面をゆっくりと移動するのを見送った。
後続の装備を固めた第三班のみんながそれに続き、恐る恐るぽっかりと口を開いた洞窟の中を観察している姿が泉の対岸から見えたんだ。
訓練学校でモンスターパレスや模擬ダンジョンに突入する時のセオリー通りだ。
「……おう、モンスターの気配はないぜ! よおし前進するっ」
「貴様たちが入って一〇〇数えたら、後に続くからな。分岐路を見つけた時は呼び笛をっ」
「了解だぜ! ヤバイのと遭遇しても笛を鳴らすから、助けておくれよ勇者さんよっ」
洞窟の入口でビッツ君が振り返る。
そのまま口に手を当てて大きな声で叫ぶと、シャブリナさんが片手をヒラヒラして送り出した。
ビッツくんを先頭にしてフォーメーションを維持しながら第三班のみんなが消えるのを見届けると、僕らも後を追って洞窟の入口に向かう。
はじめに洞窟探索へ入るのは、スジー村で現地調査に当たっていた第三班のみんなだ。
ダルマの塔で探索中遭難するという被害にあった彼らは、何としても卒業検定で自分たちの実力を発揮したいと雪辱を果たそうと燃えていたんだ。
「その気概は買ってやれるが、それで浮足立っていたのでは意味が無いからな……」
「無理をすればポカにつながる可能性もありますわ。凡ミスも、積み重なれば厄介な事になりかねませんの」
「そして焦りはミスに繋がるからな」
「けれど、卒業検定の成績は就職活動に影響があるんだったよね? 挽回しようってビッツくんたちが意気込むのも僕はわかるよ……」
「まったく! だから悪ガキの班をしりぬぐいする必要があるんだッ」
僕がそんな言葉を漏らすと、忌々しいという口ぶりとは反対に苦笑を浮かべながらシャブリナさんが吐息を漏らす。
同じ訓練学校で苦楽を共にしてきた仲間だからね。
冒険者は家族で、冒険者は兄弟なんだ。
だから第二陣としてビッツくんやデブリシャスさんの班を追いかけるのは、勇者役のシャブリナさんを要する僕らの班という事になった。
何だかんだと言って、それを買って出たのはシャブリナさんだからね。
彼女はとても頼りになるし、将来はきっといい女勇者になるじゃないかな?
「どどっどうしたセイジ。わたしの顔に何かついているのかっ?!」
「ううん。シャブリナさんが頼れる相棒で、僕は幸せだなあっって思っただけだよ」
「しょ、しょうか? しょうだな、当然だ!」
他の班からも後詰の役回りを僕らが受け持つことは異存がないみたいで、そこはすんなり決まった。
三交代でダンンジョン攻略に当たる冒険者ギルドの通例に倣って、残りのみんなはベースキャンプで体を休ませているところだ。
「ひいふうみい……しいごおろく……そのう、そろそろ時間ですッ」
そうして指を降りながら数を数えていたティクンちゃんが、僕らの顔を見比べながら口を開く。
「よしでは突入する。みんないいか?」
「うん。マッピングしながら三班を追いかけるから、ドイヒーさんは僕の側で護衛にあたってくれるかな」
「よろしくってよ。明かりの事なら、わたくしの忠実な使い魔てぃんくるぽんにお任せあれ、おーっほっほっほ! ……あいたっ」
何をしている、さっさと行くぞ!
そんな声が先を行くシャブリナさんから聞こえてくると、あわてて僕らはそれを追いかけた。
崖の横から滝の裏側に入り込めば、水浸しになる事はない。
ランタンを片手に持ったシャブリナさんがまず洞窟の入口に立って警戒し、その横を地図を持った僕とドイヒーさんが通り過ぎた。
最後にティクンちゃんが、シスター服のスカートを持ち上げながらシャバシャバの水たまりを移動しながら洞窟の中まで侵入だ。
「足元が思った以上に抜かるんでいる。かかとから足を降ろすと滑る可能性があるぞ」
「せめて濡れていない場所に移動するまでは、モンスターに遭遇したくはありませんわね。特にサラマンダーは厄介ですわよ」
「まだモンスターと遭遇した気配は、三班から感じられないよね」
「ひゃん、歩く度にお靴の中がズボズボと激しい音を立ててるのっ。セイジくんどうしましょう?!」
滝壺は思った以上に深いのか黒々とした色合いをしていた。
けれどそれ以外のところは膝まで浸かる程度で、どうにか冒険者道具を濡らさずに済むみたいだね。
シャブリナさんはこう事に馴れているのか、下半身が水浸しになってもまるで平気な顔だ。
僕はもうそういうもんだと諦めていたし、ドイヒーさんはてぃんくるぽんを掌に載せて周囲を警戒するのに精一杯だ。
ティクンちゃんだけは荒事が苦手なだけに、おっかなビックリとシャブリナさんの手を借りながらようやく洞窟の岸に辿り着いた。
「よし、陣形を組み直すか。わたしが先頭に出るので、貴様は引き続きセイジの護衛を」
「お任せ下さいましなっ。てぃんくるぽん、いよいよあなたの出番ですわよ」
「?」
指示を飛ばすシャブリナさんに、ドイヒーさんが大きく首肯する。
そうして掌でぼんやり七色に輝いているなめくじに向かって、何か囁きかけている。
出番と言うのは、まさかてぃんくるぽんに戦闘参加させるのかな?
「セイジはマッピングと周辺警戒に集中してくれていい。ここは自然洞窟のはずだから仕掛罠や落とし穴の類はないと思うが、念のためだ」
「うん、わかったよ」
「ティクンは最後尾を警戒だ。天井と壁面は特に要注意だからな、気付かれない内にどこかからモンスターが這い出してきて、背後を取られる様な事になれば叶わんからな」
「コクコク……」
荷物持ちの僕が背負子を担いでいるのは当然として、みんなも何かしら前線キャンプを設営するための道具を背負っている。
ドイヒーさんはその黒くて大きくて禍々しい長い杖の先端にドサ袋を括り付けていたし、シャブリナさんも片担ぎに荷物を、ティクンちゃんも寝袋の類を持参だ。
先行するビッツくんたちが斥候役を務めるから、そのぶん僕らが荷物を少し多めに負担している。
もし戦闘になったとしても。
岩場に張り付いている小さなモンスターを除けば、先を行く三班のみんなを援護する形になる可能性が大だ。
それでも。
僕らだけで、訓練生だけでダンジョン攻略に挑んでいる事は、言葉にできない緊張感があった。
それは充実感と引き換えに手に入れた緊張感だっ。
ぺちゃり、ぺちゃりと何かが天井から滴る。
その雫は地面で弾けたり、僕の肩に落ちたりしてくるんだ。
湿気の多い洞窟の中だからか、天井から地下水が染み出しているのかな……?
「フンっ!」
「?!」
見れば手早く短剣を引き抜いたシャブリナさんが、流れる様な動作で壁にそれを突き立てた。
そのままゴリっとひと捻りを入れた後、短剣を引き抜いて僕らに見せてくれる。
大きな芋虫だ。
人間の二の腕サイズもある不気味な形状をして、今もモゾモゾと動き続けている。
「ふむ。ミルクワームか。こいつもれっきとしたモンスターには違いないが、文字通り雑魚だな」
「ミルクワーム?」
「見た目が白乳色をしていて、乳液状の粘膜と体液を巻き散らすからそう言われている。たいした敵ではないのだが、数が多いとやっかいだな……」
短剣を振ってミルクワームを地面に叩き付けた後、容赦なくブーツで芋虫の頭を踏みつぶしてしまった。
ブシャアと盛大に白濁液を巻き散らして、その飛沫が僕の顔にまで飛んできたから最低だ。
あわてて手ぬぐいを出して拭ったけれども、これがまた生臭い。
どうしてモンスターは白濁液を含んでいるものが多いんだろうね……
「……最悪ですわね。てぃんくるぽんは間違ってもあれを食べてはいけませんよ?」
「ミルクワームは擬態が得意でな。素の状態では白乳色をしているが、普段は周辺の景色に溶け込む様にできているそうだ」
「き、気持ち悪いモンスターですっ」
「そうして、仲間が天敵に襲われると危険信号のフェロモンを出すというが……」
おそるおそる洞窟の壁面を見やれば、天井にびっしりと何かの模様がうごめいているのが見えたんだ。
ものすごい数のミルクワームだ!
僕はあまりの気持ち悪さにたまらず卒倒しそうになるけれど、それより先にティクンちゃんが背筋をビクンビクンと戦慄させた!
「ひんっ気持ち悪いですッ」
「こ、これはもしかしてミルクワームの集団ではありませんの?!」
「数がいると、やっかいなんだっけ……?」
「そ、そうだ。動きは遅いし個々の攻撃力もたいしたものではない。が、危険信号のフェロモンをかぎ取ると、集団で襲い掛かって来るとやっかいだと言われて……うわああ、来たぞ! 各員回避だ?!」
最後までシャブリナさんが説明するよりも早く、みっちりと天井部分に張り付いているミルクワームが白濁液を垂らしながらも落下してきたんだ!
ミルクシャワーだ。
変な白濁液を巻き散らしながら、まるでシャワーの様に襲い掛かって来る?!
「だから天井はしっかり注意を払っておかないといけなかったんだっ!!」
「そんな事よりどうしますの、この芋虫を?! 張り付いて離れないではありませんか?!」
「ひいっ。やめて来ないで、そこは駄目ですうっ」
阿鼻叫喚の叫びの中で、ドイヒーさんが不思議な魔法を口走るのを目撃した。
駄目だよ、狭い空間で紅蓮魔法を遣ったら大変な事にっなるって!
最初の最初、モンスターパレスで経験した事じゃないか?!
「いにしえの魔法使いは言いました。呼び出された殺戮者に真の力を与えるのはわたくし。フィジカル・マジカル・ソウルメイト!」
違う。
今回は大火力の紅蓮魔法を使うんじゃない?!
金切声の様に魔法を叫んだドイヒーさんに呼応して、掌のてぃんくるぽんがびょーんと飛び上がった。
そうして、こう続けたんだ。
「てぃんくるぽん、今こそわたくしを助けるのです!」




