第82話 やりきれない気持ち
外から帰ったら手洗いをきちんとしましょう('ω')ノ
「父は帰ってますか?」
「いえ、まだお戻りではありませんが……」
「緊急事態だと伝えてください。吉田の件だと伝えてもらえればわかると思います」
謙輔のその言葉に大慌てのお手伝いさん。
こんな時にだけど、お手伝いさんに対してちゃんと敬語を使っている謙輔に思わず感心してしまった。
以前までの謙輔だったら考えられないことだ。
「じゃあ済まないが、親父が来るまで俺達は居間で待機だ。本当ならすぐにでも乗り込みたいところだが、前科者相手にそれは危険すぎる。
お前達のこともそうだが、何より吉田やおばさんに危険が及ぶことは避けたい」
「うん……私もそう思う。ここは謙輔のお父さんにも力を借りよう」
前に瑠璃の父親と対峙した時、私は子供の力の無力さを思い知った。
あの時も、瑠璃のお姉さんが来てくれなかったら事態はどうなっていたかわからない。
暴走しがちな私だけど、相手が大人である以上、ここは素直に大人の力を借りるべきだと思う。
戻ってきたお手伝いさんの話によると、あと10分ほどで謙輔のお父さんがこちらへ到着するとのこと。
出されたお茶を少しだけ飲んで、気分を少しでも落ち着かせようとしたけれど、恵利佳のことが心配で心音がずっと高まったままだ。
────その時、突然由美の持つ携帯電話が鳴った。
「恵利佳の家からだ……出てみるね!
もしもし、恵利佳なの!? うん……。うん……えっ!? 玲美と替わるから、ちょっと待ってね」
そう言うと、由美は私に電話を渡した。
「もしもし? 恵利佳……?」
『心配掛けてごめんなさい。私は大丈夫……。
別に無理してるとかじゃなくて、本当に玲美達が心配するような事にはなって無いの』
「そうなの……? でも、恵利佳のお父さんがそこにいるんじゃ……?」
『うん……でも、虐待とかはされてない。それどころか、お父さんは私とお母さんに今までのことを謝りたいって……。でも……』
恵利佳は泣いているみたいだった。
それを聞いて、やっぱり本当は虐待を受けてるんじゃないかって心配になったけど、真相はそうじゃ無かった。
『お父さん……やっと見つけた仕事先で倒れて……。身寄りがないからうちに連絡が来たの……。
お母さんが病院に連れて行って、もう……末期で長く無いんだって……』
「えっ……!?」
恵利佳の家に訪れた時、おばさんは元気が無かった。
何か酷い目に遭ったんじゃないかって思ってたけど、今になって思えば暴力の痕とかは無かった気がする。
だから、恵利佳の言ってることは正しいんだと思う。
『お母さんがね、きっと玲美達が勘違いしちゃってると思うから電話してって……。
私……、苛められてたのもお父さんのせいだし、正直今でも憎いけど……それでも……。
なんで……こんなに胸が苦しくなるの……?』
こんな時、私は恵利佳にどう言ってあげればいいのかわからない。
私の家は恵利佳に比べ、恵まれすぎているんだと思う。
そんな私に気休めの言葉が見つかるはずも無かった。
やっぱり神様は残酷だ。
私達の想像していたこと真実はかけ離れていたけれど、恵利佳が苦しめられていることには違いなかったのだから。
本当なら、そんな犯罪者とっとと死んでしまえと言ってしまいたい。
ずっと恵利佳やおばさんを苦しめてきて、今度は勝手に死にかけて心配を掛けて────。
その時、顔は切り取られていたけれど、お父さんの横で笑っている幼い頃の恵利佳の写真が思い浮かんでしまった。
あの人は犯罪者だったかもしれないけど、恵利佳にとってはたった一人のお父さんなんだ。
「恵利佳……私達、もう一度恵利佳の家に行くけどいいかな?」
『……来てくれるの?』
「大丈夫。私達は何があってもずっと恵利佳の友達だから……」
『ありがとう……玲美……』
恵利佳との通話を終えて由美に携帯を返すと、ちょうど謙輔のお父さんが戻ってきたところだった。
私はさっき恵利佳から聞いたことをそのまま伝えた。
謙輔は、なんだか煮え切らないと言った表情をしていた。
由美は目に涙をいっぱい溜めていた。
私もたぶん、泣いていたんだと思う。
「それならば、やはり私も吉田さんの家へ顔を出さなくてはいかんな」
「じゃあ……悪いけど親父、すぐに車を出してもらえるか?」
「わかった」
こうして、私達は謙輔のお父さんの車で恵利佳の家へ向かうことになった。
***
恵利佳の家に着くと、おばさんが出迎えてくれた。
謙輔のお父さんが一緒にいることに驚いていたみたいだけど、奥に通されるとあの日見た男が苦しそうな表情で寝ているのが見えた。
「さっきは何も言えなくてごめんね……。玲美ちゃん達に変に心配を掛けてしまうんじゃないかと思って……」
「いえ……」
男は苦しそうに咳きこんでいた。
おばさんの話だと、男は肺の癌で、もう長くは無いのだと言う。
「こんな人……死んで当然なのに……」
恵利佳はそう言って、唇を噛んでいた。
「そこにいるのは……あの時のガキか……」
男は私を見てそう言った。
私はそれに何も言い返すことはしなかった。
「……馬鹿って言って悪かったな。俺には時間が無かったんだ……」
「……」
いろんな感情が入り混じって、男に返す言葉が見つからない。
本当は、お前のせいでどれだけ恵利佳やおばさんが苦しんだと思ってるんだとか罵ってやりたかった。
でも、目の前にいる衰弱しきった男を見ていたら、その言葉はのどから出てこない。
そして、男はまた苦しそうに咳きこんで布団に倒れ込んだ。
「奥さん、その後病院へは……?」
「この人、保険に入って無くて……。検査代までは出せましたけど、治療となると……」
「……いい。俺はお前達に一言詫びたかっただけだ……動けるようになったら出ていく……」
「治療費なら私が出そう」
謙輔のお父さんはそう言い、どこかへ電話を掛け始めた。
男はそんな謙輔のお父さんを黙って見ていた。
「なんであんたそこまで……?」
その後、受け入れ先の病院が見つかったという事で、謙輔のお父さんは男と恵利佳とおばさんを車乗せて出発した。
残された私達はここで解散することにした。
「恨みごとの一つでも言ってやりたかったんだが、あれじゃ言えねえな……」
「私が……あの時、恵利佳の家を教えてあげていたら……」
「お前のせいじゃねえよ。俺だってそうしてたさ」
私は結局最後まで男を恵利佳のお父さんと認識することを避けていた。
ただ、何とも言えない苦々しい気持ちだけが私の心の中に広がっていった。
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