第71話 止まった時計の針(5)
こいつも俺と……いや、僕と同じ転生者なのか……。
河村は、やがて俯き掛けていた顔を上げた。
「本当の私は、誰よりも我儘で独占欲の強い女……」
そう呟いた彼女は、そこから急きたてるように過去にあった出来事を話し始めた。
ただの優等生に見えた彼女にそんな闇があったことは驚いたが、話を聞いている限りどうやら僕が懸念していたような事は無さそうだ。
河村智沙は、過去転生者でも何でも無い。ただのこの時代に生きる少女。
家庭の環境も相まって、ちょっと行き過ぎてしまったというだけの話だ。
「……軽蔑したでしょ?」
「別に。ちょっと愛情表現が生き過ぎだったというだけの話じゃないか。そんなのは、君くらいの年齢の子供なら大小の差はあれど誰でも抱えているような問題だ」
「貴方は大人なのね……」
「単純に達観しているだけだよ。その、恵利佳って子の事は残念だけど、君はちゃんと自分で気付いて反省した。だからこうして今の自分があるんじゃないのか?」
「……違う」
河村智沙は、再び瞳を落とした。
「あのままだったら、私はその事に気付けずに恵利佳を追いつめて、きっと……」
「河村さん、大丈夫……?」
彼女は自らを抱き締めるように腕で抱え、その体はまるで震えているかのようだった。
「取り返しのつかないことをしてしまうところだった! 私は……私は……、そんな事、望んでなんかいなかったのに……!」
「落ち着いて、河村さん!」
その表情は、いつもの大人びた河村のものとは違い、年相応……いや、もっと幼い泣きじゃくる子供そのものだった。
彼女を正気にもどす為、俺は軽くその頬を叩いた。
「ごめん、でも……」
「私の方こそ……ごめんなさい……。もう大丈夫だから」
河村は何とか落ち着きを取り戻したようだ。
いつも冷静な彼女がこれほど取り乱すとは……そして、どうやらこれが彼女の抱えていた闇か。
だが、それを僕に話してどうしようというのか。
「恵利佳を救ったのは……。そして、私を救ってくれたのは、未来から過去へ転生して来たという一人の少女だった……」
「過去……転生?」
河村は黙って頷いた。
「そんな夢物語みたいな事を、君は本気で言ってるのか?」
「嘘じゃないわ。彼女は……日高さんは、私が引き起こしてしまった悲劇を覆す為に未来からやってきた転生者だった」
「日高……?」
日高……玲美?
あの子が、僕と同じ過去転生者だったのか?
馬鹿な……。
あれこそ年相応か、それ以下にしか見えなかったぞ……?
「日高さんは恵利佳を救い、そして、この私をも救ってくれた。悲惨な結果に終わる未来は彼女によって塗り替えられ、私はこうして今、ここに居られる……」
「それで、君は輪廻転生の本なんかを読んでいたのか?」
僕以外にも転生者が……この時代での友人を救ったという事は、僕と同じ時代からの転生者か。
もしかして、僕の知っている過去といくつも違うところがあるのは、その影響が出ているのか?
タイムパラドックス……もしかすると、未来が変えられてしまった事で渡辺達の方にも何か影響が出たのではないか……?
「石川君の事だけど……」
「え……? あいつが、どうかしたのか?」
「最近、明らかに様子がおかしいわ。以前の明るかった表情はほとんど見せなくなったし、どこか危うさも感じるの……」
原因は容易に想像がついた。
なにせ、あいつをけしかけたのはこの僕なのだから。
だが、どういう因果かこれにもその日高玲美が関わっているのが笑えないところではあるな。
「あいつも思春期だ。いろいろあるんだろう」
「私には……そんな簡単な問題じゃないと思う。だって、石川君……以前までの私と同じような感じがするもの……」
「経験者にはわかるってやつか?」
「このままじゃ、きっと石川君は……」
「考え過ぎだ。さっきも言っただろ? 誰だって、そういう危うさくらいは抱えているもんさ」
「お願い、宇月君……彼を……、石川君を救ってあげて!」
「……どうして俺が?」
「だって……貴方も転生者なんでしょ!?」
こいつ……。
何か確信があって、そんな事を言ってるのか?
僕が転生者だと……。
「俺が転生者だって? 何を根拠に? まさか、勉強ができるからとかそういう理由か?」
「これは私の勘だけど……どこか貴方は日高さんと同じ感じがするもの……」
「残念だけど、俺は転生者では無い。ただの背伸びしたいだけの中学生だ。誰かを救う力なんてものも持っていない」
「そう……ごめんなさい、変な事言って……」
一瞬ヒヤッとしたがなんて事は無い、ただの勘だったか。
全く、女の勘とやらは恐ろしいものがあるな……。
「でも、石川君は友達だし、彼に私のようにはなってほしくないの……お願い、宇月君も協力して」
「残念だけど、習い事が忙しくてね。今日もこれから道場に向かわなきゃいけないんだ」
「忙しいところをごめんなさい、でも……」
「それこそ、その日高さんとやらにお願いしてみたらどうだい?」
「宇月君……」
「冗談だよ。まあ、善処はしてみるさ」
それだけ言って、僕はその場を後にした。
それにしても、日高玲美……河村が嘘を言っているとは思えない……まさか、僕と同じ過去転生者が存在したなんて……。
彼女を渡辺への復讐に利用するのは避けた方が良さそうだ。
つまり、自分で撒いた種とはいえ、石川の暴走を止めざるを得なくなったわけか。
やる事がまたひとつ増えてしまったな……さて、どうしたものか。
◆◇◆◇
就寝前、僕は部屋の片隅でノートを開いていた。
これは、僕が過去の記憶に目覚めてからずっと書き留めていた復讐計画のノートだ。
まだ計画は進められていないが、復讐なんてものは計画を進めたらすぐに完結してしまうもの。
これが実行された時はあいつはこの世から消え、そして、この僕も────。
そういえば、いつの間にか心の中で考え事をする時の一人称が“僕”に戻ってしまっていたな。
どうやら“俺”はいつになく、弱気になってしまっていたようだ。
生まれ変わった“僕”は“俺”であって、もうあの頃の“僕”ではない。
“俺”は、“俺”として、この復讐計画を必ず実行する。
あいつがこの時代でどう変わっていようが、それだけは覆る事は無い。
今、俺は幸せだ。
容姿にも才能にも……そして……前世の頃と違って優しい父と母。
まるで前世の“僕”を嘲笑っているかのように今世の“俺”は全てが揃っている。
時々、前世の事など思い出さなければ俺は幸せだったんじゃないかと思う事もある。
そして、こんな復讐計画なんて止めて今を楽しく生きればいいじゃないかと思ったりする事も何度もあった。
石川や河村、クラスの連中とも楽しく青春を謳歌できたら、どれほど幸せだろうか。
────だが!
駄目なんだよ! それじゃ駄目なんだ!
どれだけ忘れようとしても、過去にされた屈辱が、この沸き起こる憎しみが!
俺の中に甦ってしまったからには、もうそれに呪縛されてしまって、そんなことが考えられなくなるんだ!
あの渡辺の……憎いあいつの顔が目に焼き付いてしまって……俺は俺じゃいられなくなるんだ!!
俺は、鍵付きの引き出しをあけると、そこから錠剤を取り出し口の中に放り込んだ。
これを飲めば、今夜も何とか疼きを抑えて眠る事ができる。
まだ、計画を実行するまでは、この俺は宇月一哉のままでなくてはならない。
前世の……中野友一に戻るのは、全てが遂行し終わった後だ。
前世での胸の痛みが、にわかに俺を締めつけていた。
時計の針が動き出すまで、あと少し……。
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