第67話 涙味のキス
家に帰った私は、居間で夕方の番組を見ていた。
『美味しい! このお店のカレー、コクが凄いですね!』
『創業当初からの伝統を守っていますから』
『美味しさの秘訣は何ですか!?』
『作って二日経ったカレーを出すことです』
「へー……今夜はカレーにしようかしら。ねえ、玲美」
「え……? うん……」
「元気無いわねぇ」
お母さんはいそいそとキッチンに向かっていった。
私も料理するの手伝わなきゃ。こうやってボーっとテレビ見てても仕方ないもんね。
「お母さん、私も手伝うよ」
「じゃあ、ジャガイモ剥いてちょうだい」
ジャガイモを水に浸け、泥を落とす。
それにしても、悠太郎といたあの人……誰なんだろう。
綺麗な人だったし、私なんかよりもよっぽど……。
「今日は悠太郎君の自転車無かったね」
「……部活で忙しいんでしょ?」
明日は悠太郎と話さなきゃ……何でもいいから、とにかく話そう。
そんなことを考えながら皮を剥いていたら、突然指先に痛みが走った。
「いったぁ……」
「あら大丈夫? 深くは無さそうだけど、ちゃんと消毒してきなさい。あとはお母さんやっとくから」
「でも、まだジャガイモたくさん残ってるし……」
「いいから。あんた何か考え込んでるみたいだし、これ以上手伝ってもらっても怪我を増やすだけだわ」
「ごめんね、お母さん……」
手を洗って消毒をし、絆創膏を人差し指に巻いた。
じわじわと脈打つように血が滲んでいく。
私は血を見るのが苦手だ。
小学生の頃、遠足で深く足を切った時に見た光景が今でも目に焼き付いているから。
『おぶってくぞ』
あの日に見た、小さくても広い背中を、私はきっとずっと覚えてるんだろうな……。
***
翌日、教室を見てもまだ悠太郎は来ていないみたいだった。
今日も朝練だったのかな?
自転車は家には無かったし、まだ哲ちゃんのことで勘違いして怒ってるのかもしれない。
何から話そう……どう謝ったらいいんだろう……。
「玲美、がんばって!」
「うん……」
由美の励ましを受けて、私はずっと悠太郎が入ってくるはずの教室のドアを見ていた。
大きめの人が来たと思ったら、それがただの山男だったのを見て、私はため息をついた。
「こういう時は、手のひらに人って言う字を書いて飲むといいらしいぞ」
瑠璃のアドバイスは、どこかずれていた。
「日高さん、あの話聞いた?」
石野さんが、私達のところへやってきた。
あの話って何だろう?
「伊藤様が、二年生の加藤先輩と一緒に歩いてるのを見たって」
「加藤先輩……?」
もしかして、昨日、悠太郎と一緒に居た人?
加藤先輩って言うんだ、あの人……。
「同じバレー部だし、伊藤様って部活で忙しいでしょ? だから、日高さんと付き合ってるとか言いつつ裏ではその先輩と……」
「お黙りなさい!」
「ヒィッ!?」
由美は石野さんに向かって吠えた。
石野さんは、そんな由美の変貌にすっかり怯えて小動物のような瞳をしている。
「あの、だからワタクシ、伊藤様に限ってそんなわけは無いと思うんだけど、日高さん達の様子を見ていたらその噂も本当なんじゃないかって……」
「いろいろあったのは事実だけど、悠太郎君がそんな浮気みたいな事するわけないでしょう。ああ見えて、恋愛下手で不器用な子なのよ」
「そうなの? ワタクシはてっきり……」
そうこうしているうちに再びドアが開いた。
今度こそ、入ってきたのは悠太郎だった。
「玲美、来たよ」
「うん……」
「がんばれ、玲美」
「何だかわからないけどがんばってね、日高さん」
悠太郎は近くの男子達に軽く挨拶をして席に座った。
私は勇気を出して、悠太郎の方に向かう。
「悠太郎……おはよう……」
「ああ……おはよう……」
挨拶を交わした後、少しの沈黙。
女子達が高山君と騒いでる声だけが、教室内にやたらと響いてくる。
「あのさ、悠太郎……お昼休み、時間ある?」
「ああ……そうだな。もうすぐ先生来るもんな」
「じゃあ、お昼休みね」
「わかった」
それだけ話して、私は席に戻った。
由美から何を話したのか聞かれたけど、まだ全然何も話せていない。
お昼休みまで、長い時間になりそう……。
***
思った通り、お昼休みまでは今までにないくらい長く感じた。
悠太郎の事ばかり考えて、いつも以上に授業内容は頭に入って来なかった。
テストの結果が悪かったら悠太郎のせいだ、もう……。
給食が終わったあと、悠太郎が教室の入口の方に立っていた。
私の方を見て合図している。ついて来いって事なのかな?
とりあえず、なんだか気持ちが落ち着かないけど行こう。
悠太郎が、その加藤先輩って人を好きになって、私と別れたいって言うんなら、それでも仕方ないか……私と居るより似合ってたもんね。
もしそうなったら、私はいったい悠太郎の前でどんな顔をしたらいいんだろう……。
悠太郎の後を付いていくと、人気が少ない校舎裏の方に出た。
うん……この方がいろいろと話しやすいよね。
まずは悠太郎に謝らなきゃ……何を謝るんだっけ……謝る前に、誤解してる事を話して……。
「……あのさ」
先に口を開いたのは悠太郎だった。
「悪かった……無視するみたいな感じになっちゃって……ホント、ごめん」
「わ、私の方こそ……あの時、ちゃんと悠太郎に説明するべきだったし……ごめんなさい……」
二人して、申し訳なさそうに謝った。
ペコペコし続ける二人の姿は、傍目に見たら滑稽なんだろうなぁと思いつつ。
「俺さ、あいつ……玲美の幼馴染が俺が知らない時に来てたのを見て、ショックだったんだ……。玲美に限って、そんな事するわけないって思っていても、嫉妬しちゃって……」
「やっぱりそうだったんだ……。哲ちゃんが幼稚園の頃以来うちに来たのは、あの時が初めてだよ」
「そうか……そうだよな。わかっていたんだけど、たぶん……そう考えてる自分が嫌で、顔をまともに合わせられなかった……ごめん」
「でも……怒らない……?」
「えっ……何かあったのか? やっぱり、あいつと……」
「違う! けど……私、うっかり哲ちゃんを部屋に上げちゃって……腕掴まれた……」
悠太郎の表情が変わっていく。
怒ってるような、悲しんでるような……。
「ちょうどお母さんが外に出てた時でさ、私の部屋に行きたいっていうから……」
「それで……あいつ他には何かしてきたのか?」
「お母さんが帰ってきたから、それ以上は特に……向こうはそんなつもりじゃなかったかもしれないけど、ただの幼馴染だし……」
「馬鹿! そういうつもりに決まってるだろ!」
「ご、ごめん……ごめん……なさい……」
「う……ごめん……泣くな……」
「ごめんなさい……悠太郎、ごめんなさい……」
「ごめん……俺も、ごめん……」
悠太郎は私を抱き締めて、宥めるように頭を撫でた。
それが余計に、私の涙を止まらなくさせた。
気のせいか、悠太郎の声も涙声っぽく聞こえた。
「もう……あいつを部屋に上げるな」
「うん……ごめんなさい……」
「俺もごめん……」
落ち着いてきたところで、悠太郎にはまだ聞かなくちゃいけないことを思い出した。
「悠太郎……。昨日、私、見たんだ……」
「ん?」
「コンビニの前で……悠太郎が加藤先輩って人と一緒に居るところ……」
「なんつうタイミングで……そういえば、お前の家の近くだったもんな……」
「悠太郎が……私と別れてその人と付き合うって言うなら、私……」
「待て待て! そんな事するわけないだろ! あれは、仕方無かったんだ……いや、俺もきっぱり断ればよかったんだけどな……」
「どういうこと?」
「あの人が、玲美との事で思い悩んでる俺を見て、元気付けようとしてコンビニでソフトクリーム奢ってくれたんだよ。俺が断る前に先に向かっちゃって……タイミングが悪く断れなかったんだ」
「そうだったの……。でも、二人とも凄く似合ってたし……」
「俺は、別にあの人のこと好きでも何でもないよ。でも、それで放置して帰ったら、同じ部活だしどう言われるかわかったもんじゃないだろ?」
「たしかに、それは……困るね」
「そうなんだよ……でも、断るべきだったよな……どう言われてもいいから、まっすぐ帰るべきだった。それにしても、よく加藤先輩の事知ってたな」
「石野さんが、噂で聞いたんだって。昨日のことなのに伝わるの早いね」
「ちょっと寒気がして来たぞ……」
悠太郎は、小学校の頃ファンクラブがあったくらいだもんね。
今でも女子達の間でもこうやっていつも注目されてる存在だし、そんな人が私の彼氏で本当にいいのかな……。
「……どうした?」
「私なんかで本当にいのかなぁって……」
「良いに決まってるだろ! ところで……仲直りって事でいいのかな?」
「うん……悠太郎が良ければ」
「じゃあ……仲直りのキスしようか」
「ここで……!? マジっスか……」
「マジっス……」
悠太郎の私を抱き締める力が強くなった。
見上げると、たしかにイケメンと言われる顔がそこにあった。
えっと、目を瞑るんだっけ……悠太郎の鼻が当たる……。
………………
…………
……
教室に戻ると、由美達がなんだかニヤニヤしてこっちを見てきた。
うん……絶対見てたよね、あんたら。
今夜は寝る前にベッドの上でゴロゴロ転がっちゃうこと確定。
お読みいただいて、ありがとうございました。




