第63話 幼馴染、襲来
夏の暑さもすっかり衰え始め、セミの鳴き声もやみ、季節は秋になろうとしていた。
「というわけで、今日のホームルームは運動会についてだ」
美野先生はそう言うと、あとは山本君と川田さんに任せたという感じでパイプ椅子に座った。
「じゃあ、みんな、どの協議に出るかを決めていこうか。一人二競技は出てもらうから、出たい競技があったら言ってくれ。川田さん、書く方は任せたよ」
二競技ねえ……なるべく楽したいんだけど、もうリレーとか責任が重そうなのは嫌だし。
みんなどれに出ようかとザワザワし始めた中、最初に手をあげたのはあの男だった。
「俺、パン食い競争に出たい!」
山男は、ジャムパンにはうるさいらしい。
だが残念、競技に使われるのはクリームパンだ。
その時、隣のクラスから懐かしい“キングコール”が聞こえてきた。
ああ、謙輔がまたなんか馬鹿な事やってるんだな。
「他には? みんな、時間が無いんだ。どんどん決めていってくれ」
ざわつきながらも、みんなどれにするかどんどん決まっていく。
私もとりあえず一つは確保した。由美と一緒に二人三脚。
四六時中足を繋いでおくなんて馬鹿なことはしないけど、私と由美は親友なんだしきっと大丈夫。
さて、あと一つか……あ、悠太郎は今回もリレーと騎馬戦出るのね。
「僕も騎馬戦に出るよ」
高山君だった。
この人、華奢な感じに見えるのになぜそんな協議に?
高山君のファンの方々が大はしゃぎしてる。
ただのクラスメイトなのに、よくこんなに盛り上がるなぁ。
結局、私は残り一つをパン食い競争に決めて終わった。
悠太郎は何で? って顔してたけど、さすがにもうリレーは出ないよ。
私より早い人だって他にいるし、別に運動をしてるわけじゃないのに私が出てもね。
それに、最近やたらと体の節々があちこち痛いんだよね。
こんな状態で走っても、たぶん役に立たないと思うよ。
「……俺も騎馬戦に出る」
宮下君が手をあげた。
高山君とよく衝突してたのに、同じ競技に出て大丈夫なのかな?
ま、私には関係ないか。
***
学校が終わり、家に帰った私はリビングでテレビを見ていた。
「玲美、お母さんちょっと足りないもの買いに行ってくるからお留守番お願いね」
「はーい」
キッチンを見るとジャガイモがいくつか水に漬けてある。
牛肉を解かしているみたいだし、たぶん今日は肉ジャガかな?
ジャガイモの皮剥いておけば、お母さんも楽だよね。
水でさっとジャガイモを洗って包丁で皮を剥き始めたとき、家のチャイムが鳴った。
こんな時間に誰だろう? 悠太郎じゃないだろうし、セールスかな?
玄関に向かうと、そこに居たのは意外な人物だった。
「哲ちゃん……?」
「久しぶり、玲美ちゃん」
なんで哲ちゃんがうちに?
「懐かしいな……あの頃のままだ」
「哲ちゃん、今日はどうしたの?」
「幼馴染に会いたくなっただけだよ。あの時も、そんなに話せなかっただろ?」
「校外学習の時?」
「恭ちゃんの家にはもう行ったから、玲美ちゃんの家にも行かないと不公平だと思って。おばさんは?」
「さっき買い物に行ったよ。近所だからすぐ帰ってくると思うけど……」
立ち話もなんだから、哲ちゃんには家の中に入ってもらうことにした。
お母さんが帰ってくるまでリビングで待っていてもらって、私はとりあえず、ジャガイモの皮をさっさと剥いちゃおう。
「へー、玲美ちゃんって料理もできるようになったんだ」
いつの間にか哲ちゃんが後ろに立っていた。
「簡単なものならね。できるって言ってもお母さんの手伝い程度だよ」
「僕も手伝おうか?」
「いいよ、これは私の仕事だから。哲ちゃんはテレビでも見てなよ」
そう言っても、哲ちゃんはリビングに戻ろうとせず、私がジャガイモを剥くのをずっと後ろで見ていた。
こんなの見てたって面白くもなんともないでしょうにとは思ったけど、哲ちゃんはなぜか上機嫌みたいだった。
料理が好きなのかな? さっきも手伝うって言ってたくらいだもんね。
「よし、これで全部だ。あとはお母さんにやってもらおっと」
「ちゃんと芽も取ってある。玲美ちゃん包丁使うの上手いんだね」
「お母さんはもっと上手いよ」
リビングに戻り、適当な番組を見て時間を潰す。
哲ちゃんはあまり話しかけてくることは無く、私が適当に昔の話をすると、それに相槌を打つ程度。
「こうして来るのも久しぶりなんだし、玲美ちゃんの部屋に行ってみたいなぁ」
「私の部屋? 行っても何もないよ。テレビもこことお父さんの部屋くらいにしか無いし」
「それでもいいよ。ねえ……駄目かな?」
駄目じゃないけど、私の部屋なんか行っても本当に何もないのに。
「いいけど……」
「やった。ありがとう、玲美ちゃん」
「どういたしまして? お礼言われるのもなんか違う気がするんだけど」
哲ちゃんを部屋に案内し、私は何か飲み物を用意しようとリビングに戻った。
なんだろう……幼い頃はあんなに哲ちゃんと遊ぶのが楽しくて仕方が無かったのに、今はそれよりも、早くお母さん帰ってこないかなぁなんて考えたりしている。
「はい、哲ちゃん。オレンジジュースでいい?」
「ありがとう。いただくよ」
「ううん。もっと早く出すべきだったね。ごめんね」
そして流れる沈黙。なんだか気まずいなぁ……。
「哲ちゃんはさ」
「ん?」
「気になってたんだけど、今どこに住んでるの?」
「ああ、今は同じ市内だよ。ちょっとここからは離れてるけど、親父がこっちのほうに転勤が決まって五年生の頃に戻ってこられたんだ」
「そう……同じ中学校だったら良かったのにね」
「ほんと、僕もそう思うよ。そうしたら玲美ちゃんや恭ちゃんとまた一緒に居られたんだ」
「小岩井も喜んだと思うよ」
やっぱり私達は幼馴染同士。
昔のことになると、途端に話が弾んだ。
「恭ちゃんが、カマキリに食われかけたときは笑ったなぁ」
「あれ、私には地味にトラウマだよ」
いつも、三人一緒だった。
山で遊んだり、川で遊んだり。家族ぐるみで海にも行ったことあったっけ。
いつまでも、そうやって三人で一緒に居られたらいいなぁなんて、あの時は思っていたっけ。
「そっちで良い友達できた?」
「仲が良い友達は二人いるよ。ちーちゃんとかっちゃん」
「相変わらず、そういう呼び方なんだ」
「二人ともやめてって言うんだけど、これは僕の性分だからね」
そう言って笑う哲ちゃん。
その笑顔は、幼い頃に見たあのときのままだった。
「そろそろリビングに行こうか。ほんと、この部屋何もないし」
立ち上がって部屋を出ようとしたとき、哲ちゃんの大きな手が私の手を掴んだ。
「待って、玲美ちゃん。もうちょっとだけ……」
「哲ちゃん……?」
「玲美ー、ただいまー。荷物運ぶの手伝って」
「お母さん!」
玄関の方からお母さんが呼ぶ声が聞こえ、哲ちゃんは私の手を離した。
***
「懐かしいね、哲司君。お父さんは元気?」
「はい、相変わらずですよ」
お母さんと哲ちゃんは、楽しげに話していた。
私はその光景を、なんだか落ち着かない気分で見ていた。
「哲司君、なんならうちでご飯食べてく? おうちには電話しといてあげるから」
「いえ、そろそろ帰ろうかと思っていましたので」
哲ちゃんが帰ると聞いて、私はなんだかホッとした。
お母さんと私が哲ちゃんを送りに玄関に出ると、悠太郎もちょうどうちに自転車を取りに来たところだった。
「あら悠太郎君、お帰り」
「悠太郎……」
「ただいまっス。あれ? お前は……」
「久しぶりだね、悠ちゃん」
哲ちゃんは悠太郎にニコリと微笑みかけた。
「たしか、玲美の幼馴染の……」
「ちょうどこっちに来る用事があったから、立ち寄ったんだ。今日はもう帰るよ」
哲ちゃんは手を振りながら帰って行った。
悠太郎は何も言わず、哲ちゃんの後姿をじっと見ていた。
「玲美……」
「ん?」
「いや……何でもない」
そう言った悠太郎の表情は、どこか厳しい表情だった。
お読みいただいて、ありがとうございました。




