第36話 檻からの脱出(2)
瑠璃の体は、以前に見た時よりも酷い状態になっていた。
その体は元より、顔も一部の肌が赤黒く変色していて、正直見ていられなかった。
この男が、瑠璃をこんなになるまで苦しめたんだ。
辛かったよね……痛かったよね、瑠璃……。
「……ったく! せっかく今まで上手く隠してきたのによ……仕方ねえな」
瑠璃の義理の父、兼久は鋭い眼光で私達を睨んできた。
もともと醜悪な顔付が、さらに歪んでいく。
「何が風邪だ……女の子の顔をこんなにしやがって! 瑠璃があんたに何したってんだよ!」
「随分口の悪い嬢ちゃんだな……別に、こいつが俺に対して何かしたって事はねえよ。たまたま俺の近くにこいつが居たってだけの話だ」
いつも勝気だったはずの瑠璃が、私の腕の中でこんなに震えている……。
たまたま近くに居たってだけ?
お前が勝手に瑠璃の居場所に入ってきただけだろうが!
「おっさん、あんた瑠璃をこんなにして……、児相どころじゃない。逮捕だって免れんぞ」
「まあなぁ……俺だってそこまで馬鹿じゃねえ。もう覚悟はできている」
そういうと、兼久は私達ににじり寄ってきた。
そして、拳を構える────。
「日高! 瑠璃を連れて逃げ」
大きな炸裂音。
村瀬先輩が、兼久に殴られて吹っ飛んだ。
「村瀬先輩!」
「痛ってぇ……」
「今更、ガキどもの二人どうにかしたって、大して変わんねえだろぉ!」
倒れた村瀬先輩に、兼久は思いっきり蹴りを入れた。
大きく咳を込む村瀬先輩。
その目はずっと、私達に逃げろと言っている。
「瑠璃……逃げるよ!」
「……」
瑠璃からの返事は無い。
震えて、ただただ両手で頭を抱えている。
どうすればいいの……瑠璃を連れて行かなきゃいけないのに、これじゃあ私も動けない……。
「さあて……ここで優しいおじさんが、お前達に提案をしてやろう」
兼久は厭らしい笑みを浮かべて言った。
「ここで見た事は黙っていろ。そうすれば、お前らにこれ以上何かする事も無いし、瑠璃だってそのうち学校に行かせてやる」
雨の音が大きくなった。
土砂降りの大雨だ。
道路を歩いている人なんてどこにもいない。
こうしているうちに、目撃者が警察にでも通報してくれれば私達の勝ちだったのに……。
村瀬先輩は、歯を食いしばって立ち上がった。
「それで……瑠璃が本当に解放されると思ってるのか……?」
村瀬先輩は、そう言うと私の方を見た。
解放……瑠璃を縛り付けてきたこの兼久と言う名の檻は、ただ存在するだけで瑠璃の恐怖心を呼び醒ましてしまうだろう。
この男を、瑠璃のそばから排除しなければ、瑠璃は自由になんてなれない。
「一度植え付けられた恐怖心は、あんたが瑠璃のそばにいる限り消えないんだ!」
「黙って聞いてりゃ、さっきからうるせえな! このメスガキ!」
兼久の拳が、私のお腹に刺さった。
お腹の奥から痺れるような痛みが全身に広がった。
うずくまる私を見て、瑠璃が泣きながら這いずるように手を伸ばした。
「おめえ……、自分が女だから殴られねえとでも思っていたのか?」
村瀬先輩にしたように、私も蹴り飛ばす気なんだろうか。
動きたいけど……お腹の痛みが引かない。
村瀬先輩が必死に止めようとするけど、兼久の力の方が強く、村瀬先輩はまた蹴り飛ばされてしまった。
いつの間にかそばに来ていた瑠璃が、私の前で震えながら両手を広げていた。
「ん? なんだ、瑠璃……お前がそいつの代わりに殴られてやるのか? あ?」
「瑠……璃……、やめ……て!」
瑠璃は頭をブンブンと振る。
「どいつもこいつも……友情ごっこか?」
兼久は瑠璃の腕を掴んだ。
「くだらねえガキの友情ごっこなんかに、これ以上付き合ってられるか。瑠璃、家の中に戻るぞ」
瑠璃は抵抗をしようとするも、やっぱり相手は大人だ。
子供の力では敵いっこ無い。
「早くしねえか!」
「……!?」
突然の兼久の大きな声に、瑠璃は硬直して動けなくなった。
このままじゃ、瑠璃はまたあの檻の中に連れ去られてしまう……動け……私の体……動いて!
私はなんとか立ち上がり、瑠璃のそばまで歩いて行った。
そして、兼久の腕を掴む。
「せっかく勘弁してやろうと思ったのに……まだ殴られ足りねえのか? 嬢ちゃんよお」
「瑠璃の手を……その薄汚い手を放せ!!」
「このガキ……!!」
私は殴られる覚悟を決めた。
その瞬間、脳内に何か電撃が走ったような感覚が襲った。
兼久を掴む腕に、信じられないほど力が籠る。
「ギィ……痛え!? 放せ! 放せ、このガキ!」
兼久は私の腕を叩いてどけようとする。
でも、私はこの手を放す気は無い。
「これ以上、瑠璃に何かしてみろ……! 次は男に生まれ変わって、お前を絶対にぶん殴りに来るぞ!!」
前世の私は、恵利佳を救えなかった事を後悔し、そして私に生まれ変わった。
もし、この場で瑠璃を救えなかったら、きっと今世でも私は後悔するだろう。
「くそっ、このガキが……何をわけのわからん事を言っていやがる! いい加減にしやがれ!!」
「いい加減にするのはお前の方だ」
私に殴りかかってきた兼久の腕をすんでのところで止めたのは、悠太郎だった。
そして、悠太郎は思いっきり兼久を蹴り飛ばした。
「玲美! 大丈夫か!?」
「悠太郎……どうしてここに……」
「お前の家に寄ったら、まだ帰ってないって聞いて……もしかしてと思って、ここまで来てみたんだ。あいつに殴られたのか?」
「一発だけ……」
「ほう……」
あ……悠太郎さん、めっちゃ怒ってらっしゃる……。
そして、つかつかと地面に転がる兼久の下へと歩いて行く悠太郎。
「玲美に何してくれてんの、おっさん……」
「あがが……くそっ……!」
「悠太郎、やめて! そんな奴殴る価値も無いよ!」
「だけど……こいつは玲美を……」
「日高さんの言う通り、気持ちはわかるけど殴る必要は無いわ。もう、そいつは終わりなのだから……」
声のした方を向くと、そこには美紀さんがいた。
そして、美紀さんは瑠璃の下へと駆け寄って行った。
「ごめんね、瑠璃……私に勇気が無かったばかりに……あなたを苦しめてしまった」
「……お姉ちゃん」
瑠璃はか細い声で美紀さんに言った。
震える瑠璃の肩に、美紀さんは腕をまわした。
「私にも覚悟ができたの。駄目なお姉ちゃんでごめんね……瑠璃……、あなたは幸せを取り戻して」
遠くから聞こえるサイレンの音。
それは、だんだんとこの家に近付いてきていた。
「お義父さん……間もなくあなたは警察に逮捕されるわ。あの事を、警察に話したの」
「美紀……おめえ……そんな事をすれば、お前だってこの後、警察にいろいろと聞かれるんだぞ!」
「覚悟はできたと言ったでしょ」
「お前の母だって……恵子だって、捕まるんだぞ!」
「お母さんも同罪だわ……。あなた達が居る限り、瑠璃に幸せは訪れないのだから」
パトカーのサイレンが止まり、警察官が数人やってきた。
「美紀さん……あの事って、まさか……」
「そんな目をしないで、日高さん」
警察に連れて行かれる兼久。
そして、家の中からは瑠璃の義理の母の恵子さんが出てきた。
目の下はクマだらけ、異様にやつれたその姿。
恵子さんは、パトカーに乗り込む前に美紀さんと瑠璃を見た。
二人が抵抗しようとしない為、警察官は特に騒ぎ立てる事も無く、淡々と仕事を済ませて行く。
窓越しに見える恵子さんのその表情は、どこか安堵しているかのようにも見えた。
「さて、私達も行かなくちゃ」
美紀さんはそう言い、瑠璃と一緒にパトカーへと向かって行った。
二人は、兼久と恵子さんとは別のパトカーに乗せられた。
***
その後、私達も警察署で事情を聞かれた。
担当してくれた警察官の人は、なんと河村さんの時にお世話になった人だった。
世間って狭いね。
うん、それで……迎えに来たお母さんにめっちゃ怒られたんだけど……。
お腹には痣ができていた。
触るとズキズキと痛い……。瑠璃は、こんな痛いのをずっと耐えていたんだね。
あの時、悠太郎が来てくれなかったら、あいつにもっと殴られていたのかな。
そう思うとゾッとする……。
「結局、小柳の件さ……俺達にできた事は、あまり無かったな」
「そうだね……」
警察署を出た時には、雨はもう上がっていた。
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