第28話 願い
結局、あの熱は何だったんだろう。
やっぱり、熱中症で倒れたせいだったのか?
まあ、熱も引いたし今はどこもおかしくないからいいか。
最近は、学校に居る間が唯一の安らぎだな。
給食も食べられるし、授業だって別に嫌いじゃない。
こんな事言ってたら、不良失格だろうか。
「ねえ、聞いた? 日高さんが風邪ひいた理由」
「うん、聞いた聞いた。何でも、雨の中を走ってたんでしょ?」
玲美の話……雨の中を走った?
雨って言ったら、河川敷に来たあの日か? あの時、あいつたしか傘差して無かったか?
「御幸がさ、見たんだって。あの溜まり場で、不良達に囲まれてる日高さんを」
「それで、襲われそうになって雨の中走って逃げたとか……怖いねー」
「うんうん、やっぱり不良は怖いわー」
不良達って、村瀬さん達の事か?
あの人達が、玲美にそんな酷い事するわけないだろ。
「このクラスにも不良っぽい人いるでしょ?」
「小柳さんねー。そういえば、日高さん、最近小柳さんと仲良い感じじゃない?」
「上手く取り入ろうとしてるんじゃね?」
「それ、ありえるかもー。じゃあ、あいつも不良なんじゃないのー?」
「あいつ、伊藤君と付き合ってるからって調子に乗ってるよねー」
こいつら……。黙って聞いてれば好き勝手な事言いやがって。
あたしの事はともかく、玲美の事まで変な噂立てやがって……。
ちょっと黙らせてやろうと、席を立とうとした時だった。
「やめなさいよ」
ん……?
「居ない子の悪口みたいな事、言うもんじゃないでしょ」
「あら、二宮さん、急に出て来て何なの?」
「別に、あたし達がどんな話してようと勝手じゃない」
あれは、たしか……二宮悠希、だっけ?
普段あまり目立たないような、どっちかというと物静かな感じの女だ。
「そういうの、聞いてて不快なの」
「あんたに話してるわけじゃないでしょうが」
「そうだよ。勝手に入って来ないでよね」
一転して、二宮をまくし立てる噂好き女子達。
あいつがどんなつもりで言ったかは知らないけど、玲美を庇ってくれたのには違いないな。
このまま、あたしも黙ってるわけにはいかない。
「日高さんはたしかに馬鹿だけど……あなた達の言うような人じゃないわ」
今度は石野? あたしが動こうとしたら、次から次に出てくるな。
「女帝(笑)様? 別に、ただ話してるくらいいいでしょ?」
「そういう下衆な噂話は、誰もいないようなところでしてくださる?」
「うっさい、女帝(笑)!」
「石野さんを馬鹿にすると、許さないよ!」
噂好き女子軍団と、女帝&二宮連合軍の戦いに発展してしまった。
いがみ合う女子達……どうしようか。出るタイミング完全に逃しちゃった感じなんだが……。
「何してんだ、お前ら」
「伊藤様!?」
「伊藤君!?」
玲美の名前が聞こえたからか、今度は伊藤が出てきた。
「玲美は別に不良でも何でもないし、風邪ひいたのだってあいつが雨の中はしゃぎまわってただけの話だ。それに、小柳だって同じ班だったが、別に悪い奴じゃねえよ」
「……はい!」
「あたし達が悪かったです!」
「イケメンに屈します!」
ゲンキンな奴ら……。
これがイケメンパワーってやつか。彼女がいても関係無しだな。
イケメンに屈するって何なんだ。
あと石野、お前いつの間にか伊藤に“様”付けになってるぞ。
「伊藤様……、止めに入っていただいてありがとうございました」
「伊藤君、ありがとう」
「いや、お前らも玲美を庇ってくれてありがとな」
「伊藤様、お礼なら私とデートに!」
飛び付こうとする石野のを無視して、席に戻って行く伊藤。
あ、そうだ。忘れるところだった。
「伊藤、あのさ……」
「ん? なんだ小柳」
「あたしが倒れた時、世話になっちまったらしいな……サンキュな!」
「気にするな、困った時はお互い様だ。もう大丈夫なのか?」
「ああ、一晩寝たらスッキリだ」
「風邪じゃ無かったんだな……」
話しながら、なんだか訝しげな顔であたしを見てくる伊藤。
あたしの顔、なんか付いてる?
「さっきもありがとな。あたしもいい加減、言ってやろうと思っていたんだけどさ」
「あんな奴らの言う事、気にするなよ。そういえば、お前、ずっとジャージ着てるよな……寒いか?」
「へへっ、あたしは不良だからさ。そうだ、それより玲美の風邪はどうなんだ?」
「だいぶ熱は下がったみたいだけど、まだ咳はしてた」
「そっか……。じゃあ、まだ来れそうには無いのか?」
「玲美のお母さんが、念の為今日もう一度病院に連れて行くって。あいつ、嫌がってたけど……」
そう言って、ふうっとため息をつく伊藤。
「おはよう、悠太郎君! ねえ、玲美の様子どうだった?」
伊藤は、さっきあたしに話したように明川に話し始めた。
それにしても、雨の日にはしゃぎ回るって……。
────そこで、あたしはふと気付いた。
雨の日……やっぱりあの日だ。
一体何があったのかは知らないけど、もしかして、あたしに何か関係ある事なんじゃないのか?
痣の事は、たぶん玲美には見られていたと思う。
じゃあ、そうすると……昨日の村瀬さんのあの態度は────。
***
絶対この棒、アイスの棒だよ。
はずれの棒をリサイクルしてるんだ、きっと。
「うーん……喉はまだ赤いけど、だいぶ良くなったね」
「じゃあ、もう学校に行っても良いの!? ケホッ」
「激しい運動とかしなければ大丈夫でしょ」
「やった! ありがとう、先生!」
「でも先生、この子、まだ咳が……」
「ああ、大丈夫ですよお母さん。今回は肺炎の心配は無さそうです」
「そうですか……。なら良いけど……」
「ありがとうございました! さ、帰ろうお母さん! コホッ」
「調子に乗らないの、全くもう……それじゃあ、ありがとうございました」
「お大事にー」
やった、明日からまた学校に行ける。
もう教育テレビも見飽きたし、退屈で退屈で仕方なかったんだよ。
「体育は、まだやっちゃ駄目よ」
「わかってるよー」
退屈だったのもそうだけど……あれから、ずっと瑠璃の事が気になってたし、これでやっといろいろ確かめられる。
「玲美……、お母さんをあまり心配させないでね」
「うん、ごめんね。お母さん」
日曜日なら、瑠璃も流石に家に居るかな? 悠太郎と一緒に行ってこよう。
そして、苛めだってわかったら、私が何があっても助けてあげるんだ。
恵利佳の時のように────。
***
村瀬さんは、あれから私に何かを聞いてくるような事は無かった。
いつも通りに、河川敷の溜まり場で時間を潰す。
「瑠璃、ちょっといいか?」
帰り際、村瀬さんがあたしを呼んだ。
「何スか? 村瀬さん」
「これ、俺の携帯番号」
「え……?」
手渡された紙を受け取る。
そこには、村瀬さんのものと思われる携帯の番号が書いてあった。
この人、携帯持ってたんだ。
「いつでもいい。夜中でも、朝でも。何か、困った事があったらかけてこい」
「村瀬さん……」
あたしは、その紙を受け取りポケットへしまうと、河川敷を後にした。
この番号は、きっと使う事は無いだろう。
でも、あたしにとっては勇気のお守りだ。
ポケットの中の紙を握ると、不思議な安心感が沸いてきた。
家の前に着いた。
電気が付いてる……帰らなきゃいけないんだけど、この瞬間だけはいつも動悸が早くなる。
「ただいま……帰りました……」
返事は無かった。
テレビの音が大きく響く。兼久は、ビールを飲みながらナイター中継を見ていた。
恵子さんは居ない……部屋に居るのか?
今のうちにおにぎりでも作って食べよう。
あたしが朝、こっそり炊いておいたご飯。
よし、まだ残ってる。
「おう、瑠璃ぃ」
兼久の呼ぶ声がした。
「お前もこっち来て一緒に飲もうや」
「わ、私はいいです……」
冗談じゃない……酒なんか飲みたくないよ。
「口応えしてんじゃねえ!」
ガシャーンとビール瓶の割れる音が聞こえた。
あの部屋には、父さんと母さんの位牌があるんだ……まさか……。
「あ……」
畳の上に散らばった瓶の破片の上に、転がった位牌を見つけた。
良かった……無事だ。
「んー? ……おめえ、まーだ、そんなもん大事にしてんのか?」
「あたしの……父さんと、母さんですから……」
「おめえの親父はこの俺だろうが!」
……!?
目の前が真っ白になった。
殴られた……?
口と鼻の奥から鉄の味がする……。何か喉に引っ掛かった気がしてむせると、折れた歯が飛び出してきた。
「いつまでも辛気臭く、そんなもん大事にしてんじゃねえ!!」
お腹を蹴られた。
それから、兼久はあたしを殴ったり蹴ったり……体の芯が震えるような痛みで、もう、動く事もできない……。
顔も何度も殴られてしまった。
やめろ……顔は隠せないじゃないか!
やめて……!
「あんた……何やってんの!?」
あたしがうずくまって耐えていると、恵子さんが部屋に入ってきた。
「こいつがよ……そんな位牌なんかを父さん母さんだって……」
「だからって……、顔まで腫らしちゃったら、もう学校にも行かせられないじゃないか! 早く冷やさないと……!」
「あ……あたしの……あたしの……! 父さんと……母さんは……、あんた達なんかじゃ無い……!」
「……まだ言うかぁ!!」
そこで、あたしの意識は途絶えた。
………………
…………
……
気が付くと、あたしは部屋に寝かされていた。
体のあちこちが痛いし、口の中も痛い。
起こそうとすると、激痛が走った。
さすがにまずいと思ったのか、恵子さんだろうか……腕や足に治療の痕が見られた。
顔には氷嚢があてがわれている。
ついに逆らってしまった……これまでずっと耐えてきたのに。
馬鹿な事しちゃったな。
恵子さんからは、しばらく学校に行くなと言われた。
あたしは顔の傷が癒えるまで、この地獄と化した家で過ごさなきゃいけないのか……。
体中の痣も、また増えてしまった。
こんなの……いつになったら消えるんだよ!
枕元には、父さんと母さんの位牌があった。
父さん……母さん……。
痛む体を動かし、それを自分の下へと手繰り寄せた。
やっぱり、あたし……、もう駄目だ……。
あたしもそっちに行きたい……。
あたしは、位牌を抱き締めて、心の底からそう願った。
お読みいただいて、ありがとうございました。
(笑)ってどうやって発音するんでしょうね。




