第27話 大切な場所
ここは、保健室……? そうか、あたし……。
「小柳さん、目が覚めたのね」
「先生……」
有松先生は、あたしの額に手を当てた。
「少しは良くなったかもしれないけど、やっぱりきちんと病院へ行くべきだわ」
「でも……」
「……痣を見られてしまうから……ご両親も、連れて行ってはくれないのね」
先生にはもう、全部わかっているんだ……。
「……まさか、家に連絡は!?」
「してないわ。あなたが、あまりにも必死で言うから……」
良かった……。あたしは思わずホッと息を吐いた。
こんな事で電話されたら、また────。
「……いつからなの?」
「え?」
「今ここには、私しかいない。遠慮せず話して頂戴」
「でも……あたし……」
あたしは、先生の顔をまともに見れなかった。
話して解決する事でも無いし、それに……話してしまったら……。
保健室のカーテンから射し込む日差しが、妙に眩しく感じた。
***
「え!? 瑠璃、倒れたの!? ゲホゲホッ……」
「ああ。ずっと机に伏していると思ったら凄い熱でさ。お前と同じ風邪なんじゃないか?」
「そうなんだ……。でも、私の風邪じゃないよね。同時にひいたみたいなものだし」
「今流行ってるんじゃないのか? 俺も、今日は帰ったらうがいと手洗いだ」
瑠璃、学校には来てたんだ。
熱中症で倒れたのも心配だったけど、弱ってるところに風邪も貰っちゃったのかな。
「でも、お前みたいに咳はして無かったな……。とすると、風邪じゃないのかも」
「変な病気だったりしないよね!? 心配なんだけど」
「どうだろうな……とりあえず、有松先生が保健室に連れてったから大丈夫だろ」
「有松先生って誰だっけ……?」
「保健室の先生だよ」
あの先生、有松先生って言うんだ。
悠太郎ったら、よく先生の名前とか覚えてるなぁ。
私、まだ覚えてない先生の名前いっぱいだよ。社会の先生とか。なんて名前だっけ、あれ。
「ところで悠太郎、せっかく部活休んでまで来てもらったのにこんな事言うのもなんだけど、私と居たら風邪うつっちゃうよ?」
「ちゃんと、うがいと手洗いするから大丈夫だ」
「そう……? ありがとう」
「髪の毛ボサボサだぞ」
「休んだんだから、しょうがないじゃん」
そう言いながらも、手櫛で髪型を整える私。
だって、まさか悠太郎がこんなに早い時間に来るとは思ってなかったからさ……。
「そうだ、悠太郎にお願いがあるの!」
「ん? なんだ?」
「私の風邪が治ったらでいいから、付いてきてほしい場所があるんだけど……」
「付いてきてほしい? 連れてってほしいとかじゃなくて?」
「うん、あのね……」
────────
────
──
***
熱も下がって動けるようになったあたしは、保健室を出た。
結局、有松先生には何も話せなかった。
話してしまったら、あたしがこれまで頑張ってきた事が無駄になってしまう気がしたから。
これ以上事を大きくしたくも無いし、なんだかんだ言って、あたしはあそこの家を出るわけにはいかない。
あの家には、あたしの思い出、それに父さんと母さんの位牌だってあるんだ……。
これから、どこへ行こう。
村瀬先輩達、今日も河川敷に居るかな……。
早く家に帰っても、嫌な時間が長くなるだけだ。時間を潰してから帰ろう。
あそこは、あたしと父さんの家なのに……、何であたしが、こんな思いをしなくちゃいけないんだろう……。
辛い……辛いよ、本当はあたしだって辛い。
泣きたい。泣いて、全部話してしまいたい。
それで全部解決するなら……、どれだけ幸せなんだろう……。
あの人達の事を告発して、あたしを待っているのは何だ?
良くて親戚をたらい回し、悪くてどこかの施設に預けられるだけだ。
他にも何か解決方法があるかもしれないけど、子供のあたしにはわからない。
別に、それが耐えられないわけじゃない。
そうする事で暴力から解放されるなら……でも……。
そうなったら、転校が避けられないじゃないか。
せっかく、仲のいい先輩や、友達ができたんだ。
あたしは────ここを離れたくない。
いつもの河川敷。
遅くなっちゃったからか、そこには誰も見当たらなかった。
一人か……。でも、いいか。
少しだけ、ここで時間を潰させてください。
あたしの、もう一つの大切な場所……。
***
この土手だ。
ここで、あたしは村瀬さんと出会ったんだ。
懐かしいな……。
あのサイクリングコースの先に見える土手。
あそこで、玲美や明川と一緒に白いタンポポを探したんだ。
それが切っ掛けで、明川とも仲良くなれたんだったな。
あいつの名前、由美って言ったっけ……。あいつもいい奴だよな。
玲美とはずっと親友だって言ってた。
親友か……あたしも、そんな風に呼べる友達ができたらいいな。
玲美は友達になってくれたけど、親友なんてなかなか言えない。
まだ出会って二ヵ月くらいだし、そんなに深い仲になれたわけじゃないから……。
もし、あたしがあいつの事を親友だって言ったら、あいつはどう思うんだろう?
嫌がるかな……、それとも……?
あいつ、風邪で休んでるって聞いたけど心配だな……。
元気な奴だとばかり思ってたのに、馬鹿でも風邪はひくんだな。
友達って、こういう時、お見舞いに行くもんだっけ?
あたしなんかが行ったら、迷惑だろうけど……。
川を挟んだマンションの電気が点き始めた。
街灯も次々に灯る。
そろそろ帰らなきゃ……風邪じゃ無かったとはいえ、また熱出したらめんどくさい事になるもんな。
でも……帰りたくない。 ……怖い……。
その時、あたしの肩にバサッと何かがかかった。
「なーにしてんだ? こんな時間まで」
振り向くと、そこにはあたしが会いたかった人の顔があった。
「村瀬……さん……」
「冷え性なんだろ? 夏とはいえ夜は冷えるし、ジャージだけじゃ寒いだろうと思ってな」
「さすがにそこまでは寒くないっスけど……上着、ありがとうございます。でも、何で学ランを?」
「俺は不良だからな。学ランは常に持ってる」
村瀬さんは、持っていたスポーツドリンクをあたしに手渡すと隣に座った。
「懐かしいよな。ここで、お前と出会ったんだ」
「そう……っスね……」
「あの時のお前、今にも泣きだしそうな顔してたよな」
「村瀬さんは、ジュースをいっぱい抱えていましたよね」
「優秀なパシリだったんだ」
「なんスか、それ」
村瀬さんがくれたドリンクを開けた。
疲れた心と体に浸みいるような感じがした。
「なあ、瑠璃」
「なんです?」
「お前、あの時と同じ顔をしてるな」
「……え?」
「何があった……? 話してくれ、全部」
村瀬さんは、今まで見た事も無いような真剣な顔で、あたしの事を見つめてきた。
この人は……。
「……そろそろ帰るっス」
「瑠璃……俺は学ランを着てても、こうしていつでも脱ぐ事ができる。でも、お前は……」
「ドリンク、ありがとうございました」
「今は言いたくなくても……、言いたくなったらいつでも俺のところに来い」
「はい……。心配掛けてすみません」
あたしは村瀬さんに上着を返して、河川敷を離れた。
頑張ろう……こうして、あたしなんかを気遣ってくれる人達の為にも────。
***
翌日、学校へ行くと副委員長の川田があたしに声を掛けてきた。
話を聞くと、こいつも倒れたあたしを気遣ってくれていたらしい。
迷惑掛けちゃったみたいだな。
伊藤も先生を呼びに行ってくれたらしいし、あの玲美の彼氏を務めるだけあって、あいつも良い奴なんだな……あとで礼を言っとくか。
後ろの方を振り返る。
誰も座っていない、その席。
玲美のやつ、まだ風邪が治らないのか……。
お読みいただいて、ありがとうございます。




