第24話 暴走ポメラニアン、走る
村瀬先輩達なら、もしかして瑠璃の事……そう思った私は、同時に南先生が言っていた言葉を思い出した。
……聞けない。聞いて、もし誰もその事を知らなかったら、無駄に騒ぎを広げるだけだ。
「どうした? お前がここに来たって事は、瑠璃に何か用事でもあるのか?」
そう、まさしく瑠璃の事なんだけど……どうしたらいいんだろう。
あれは間違いなく、暴力の痕だと思う。
村瀬先輩達が、瑠璃に暴力を……ううん、そんな事あり得ない。
だったら何で、瑠璃は毎日のようにここに来てるの?っていう事になってしまう。
「あいつなら、まだここには来ていないみたいだな。待っていたらそのうち来るんじゃないか?」
「それが……今日は瑠璃、早退しちゃったから……」
「早退?」
私は、村瀬先輩に今日あった事を話した。
もちろん、痣の事までは言わない。話したのは熱中症で倒れたという事だけ。
「体育で熱中症か……。そういえば、あいつ小学生の頃から、やたらと長袖ばかり着ていたな。俺も寒がりなだけだと聞いていたが……」
小学生の頃から、瑠璃はここに来てたんだ。
その頃から、長袖を?
という事は、その頃から、あんな痣ができるほどの暴力を?
小学生同士で、そこまでの暴力はあり得ないよね……たぶん。
じゃあ、これは虐めでは……ない?
「先輩、ちょっと話したい事があります」
「ん? ああ、別に構わないが……」
「ちょっと場所を変えましょう」
「ここじゃまずいのか? じゃあ、ちょっと向こうの方に行くか」
「お? 村瀬さん、告白されるんスか?」
違うよバカ!
私は、村瀬先輩の後を付いて行った。
村瀬先輩は、サイクリングコースを進んでいき、橋から離れた事を確認すると、そこに腰を下ろした。
「お前も座れ。これだけ離れれば、俺もお前も気兼ねなく話す事ができるだろう」
「……私がこれから話す事は瑠璃の事です」
「そうじゃ無いかと思ったよ」
「みんなに……ううん、瑠璃本人にも言わないって約束できますか?」
「……わかった、約束しよう」
私はひとまず頭の中を整理する事にした。
ここに来るまで、瑠璃の体の痣は苛めによるものだとばかり思っていた。
でも、村瀬先輩の話を聞いて、苛めじゃない別の可能性が見えてきてしまった。
「瑠璃の体に……たくさんの痣を見ました」
「痣……?」
「私、最初はもしかして、瑠璃は苛めに遭ってるんじゃないかって、考えていました」
「そんな話は聞いていないが……。もちろん、俺達の中にも瑠璃を苛めている奴なんていない」
村瀬先輩は、そう言った後、何か考えるように黙り込んだ。
そして、思い立ったように顔を上げ、一言呟いた。
「……虐待か?」
別の可能性。
村瀬先輩が呟いたのも、それだった。
「先輩、瑠璃は小学生の頃からここへ来てるんですよね?」
「ああ。あいつ小学生のくせに、当時からいつも遅くまでここに居てな。まるで、家に帰りたくないかのような事をよく口走っていた」
「家に帰りたくないって……。もう、その時点で家に何かあるって言ってるようなもんじゃないですか」
「今にして思うと……な。いつも長袖を着ていたのも、その頃から痣を隠していたと考えれば……」
瑠璃は、ずっと暴力を受けていた……一体誰に?
そんなの……、家に帰りたくないのなら“家族の誰か”に決まってるじゃないか。
決めつけたくは無いけど……。だけど……。
「先輩、瑠璃の家の場所ってわかりますか?」
「いや、それが……あいつ、一度も誰かを家に呼んだ事がないんだ。住所なら、学級名簿に載ってないか?」
「家に帰ればあります。でも、私、住所を見ても方向音痴だから……」
「住所がわかれば、ある程度の場所はわかる。一度見て来てもらっていいか?」
「わかりました。住所をメモしたらここに戻ってきますから」
「ああ、頼んだ」
瑠璃はここには居なかった。
それなら、家に帰っている可能性がある。
でも、瑠璃の痣が本当に虐待によるものだったとしたら、まっすぐ家に帰っているだろうか?
頭の中が、なんだか混乱してきた……。
考えられるケースの中で、虐待は最悪のパターンだ。
家を訪ねて、虐待じゃ無い事を確認できれば、まだ安心できる。
苛めだったら学校側だって動けるし、私達でもできる事はあるのだから。
瑠璃の痣が、虐待によるものではない事を確認したい。
小雨に変わった雨を受けながら、私は傘も差さず走って行った。
***
学級名簿……学級名簿……。
あれ? どこに置いたっけ?
「お母さん、学級名簿、どこに行ったか知らない?」
「電話の近くに置いてなかった? 校外学習の時、雨だったら連絡網が回ってくるからって、自分でそこに置いてたんじゃない」
「電話の近く? あ、あった!」
さすがお母さん、娘の癖をよくわかってらっしゃる。
瑠璃の住所は……ここか。
見ただけじゃ、どこかわかんない。メモして、と……。
よし、これを村瀬先輩に見てもらおう。
「じゃあ、ちょっと出掛けてくるね」
「制服のまま? 着替えてから行きなさい」
「そんな時間無いよ!」
カバンは置いて、再び猛ダッシュ。
大急ぎで、また河川敷に向かう。
瑠璃の家に行って、虐待じゃ無い事と瑠璃の無事が確認できたら、一度話し合おう。
苛めだったとしても、あんなに赤黒い痣ができるほどの暴力を受けているんだったら、それはそれで大問題だ。
凄く気持ちが焦る。
虐待である事をを否定したいのに、どこかで肯定しかけている自分がいる。
“ちょっと家出る時揉めちゃって……”
校外学習の時に瑠璃が言った言葉。
私だって、朝たまにお母さんと言い合ったりする事もあるし、別に、どこの家庭でもそういう事はあると思う。
でも、なんでだろう……。今になって、その言葉が妙に引っ掛かる。
いろいろ考えながら走っていたら、もう河川敷が見えてきた。
村瀬先輩は、橋のたもとに立っていた。
「お前、この雨の中走ってきたのか?」
「せ、先輩……これ、瑠璃の住所です……。はぁ、はぁ……」
「……場所を確認するから、ちょっと座ってろ」
気付いたら、小雨だった雨は激しい雨に変わっていた。
村瀬先輩は、私から住所のメモを受け取ると、携帯電話を出して何か調べ始めた。
「──場所はわかった。学校の東の方に山みたいになってる場所あるだろ? あの手前だ」
「こっちとは正反対の方向じゃないですか。瑠璃はあんな所から、この河川敷まで来ていたんですか?」
「そうみたいだな……」
雨は激しく降り続く。
家に傘を置いてきてしまった私は、しばらく橋の下で雨宿りをせざるを得なかった。
雨が止み始めた頃、空はもう暗くなり始めていた。
「今日は瑠璃の家に行くのは無理だな。明日、あいつが学校へ来れば、きっとここに寄るはずだ。その時、話を聞けたら聞いておくよ」
「お願いします、先輩……」
「せっかく住所メモって来てもらったのに、無駄になっちまったな。すまん」
「いえ、大体の場所もわかったし助かりました。それに……」
私の肩には、村瀬先輩の制服の上着が掛けられていた。
雨で濡れると、夏服って結構透けちゃうんだ。気を付けなきゃ。
まだ、見られて困るほどのものでもないけどさ。
「これも、ありがとうございます。もう乾いたんで大丈夫です」
「ここには野郎達もいるからな。一応気を付けな」
「初めて会った時は、怖さを教えてやるみたいな事言ってませんでしたっけ?」
「あんなのは冗談に決まってるだろ。殴ったりするわけにもいかないし、ちょっとお仕置きしてやろうと思っただけだよ。誰が瑠璃とおない歳のガキなんかに手ぇ出すかよ……」
村瀬先輩に上着を返して、私は立ち上がった。
「それにしても、変わってるな、お前」
「何がですか?」
「あいつと知り合って、まだ二ヶ月とちょっとだろ? なのに、こんなにも、あいつの事心配して走り回っちまって……。さすがは暴走ポメラニアンだ」
「期間なんか関係ないですよ。私と瑠璃はもう友達なんだから。友達が困っていたら、心配するのは当たり前です。あと、その変な呼び名、やめてください」
「結構いい通り名だと思うぜ? 一見小動物みたいな感じなのに、何かに対して走り出したら止まらないみたいな。まあ、でも……そうか。そんな感じで、あの渡辺も落としちまったんだろうな」
「謙輔は、最初の頃は私にとって倒すべき敵だったんですよ」
「変な奴……。まあ、でも、良い奴だ。瑠璃の事、よろしく頼むな」
「言われなくても」
……
…………
………………
家に帰った私は、散々お母さんに怒られた。
心配掛けた私が悪いね。ごめんね、お母さん。
その晩、私は、瑠璃の事が気になってなかなか寝付けなかった。
翌朝。
雨の中を走り回ったせいか、私は久し振りに風邪をひいてしまった。
喉がめっちゃ痛い……風邪なんてひいてる暇は無いのに。
瑠璃、今日はちゃんと学校に来てるかな……。
村瀬先輩にも、瑠璃の様子を聞かないと……。
もしも、本当に虐待だったらどうしよう……。
体温計の音が響く中、私はそんな事ばかり考えていた。
お読みいただいて、ありがとうございました。




