第19話 悠太郎の水泳教室(2)
練習をしていたら、いつの間にかお昼を過ぎていた。
私達は一度プールから上がり、とりあえず昼食を取る事にした。
「着替えたら、受付の前に居るからな」
「うん。じゃあ、また後でね」
悠太郎と別れ、更衣室に入ると、さっと着替えを済ませ、髪の毛もさっと乾かした。
結構早く準備できたと思っていたのに、受付の前には既に悠太郎が待っていた。
何でそんなに早いんだろうね。髪の毛の長さの差かな?
「思ったより早かったな」
「悠太郎ほどじゃないよ。ところで、お昼はどこで食べるの?」
「駅前に喫茶店があったから、そこにでも行くか」
「私達、中学生なのに大丈夫? 喫茶店って大人しか入っちゃいけないイメージあるんだけど」
「そうか? 俺は一人でも結構普通に使ってるぞ」
そうなんだ。悠太郎って大人なんだね。
私も喫茶店に行った事はあるけど、いつもお父さんと一緒だったから。
一人で入るなんて、考えた事も無かったよ。
「それじゃあ、歩いていくか」
「うん」
悠太郎は、そっと右手を出してきた。手を繋ごうって事かな?
私は少し緊張しながら、左手でその大きな手のひらを掴んだ。
***
表の通りに出ると、コンビニとか病院とか、建ち並び、小さな公園が見えた。
あんまりこの辺歩いたことなかったから、ちょっと新鮮な感じ。
「ほら、あそこだ」
悠太郎の指差す先には、ちょっと小さめだけど綺麗な外観の喫茶店があった。
「これなら、入りやすいだろ?」
「うん。悠太郎って、いろんな場所知ってるんだね」
そう言われたのが嬉しかったのか、悠太郎は得意そうな顔で喫茶店の扉を開けた。
先に私を入れてくれる辺り、こういうところもやっぱりイケメンなんだなと思う。
「いらっしゃーい!」
元気な声が店内に響いた。
ジュージュー音が聞こえ、美味しそうなにおいが漂って来る。
席に案内され、店員さんはおしぼりとお水を置いて行った。
そっと触れると、熱々のおしぼり。
このおしぼりって、どうやって中に入れてるんだろうね。
「何にする?」
「んー……じゃあ、私はこのナポリタンで」
「じゃあ、俺は焼きそばにするか」
悠太郎は手を上げ、店員さんを読んだ。
店員さんはサラサラっとメモをし、カウンターの奥へと消えて行った。
「息継ぎはマスターできそうだな」
「そう?」
「うん。だけど、まだ水を怖がってる感じはするから、午後からは俺の補助なしでやってみるか」
「えー、まだちょっと怖いよ」
「横には居てやるからさ、溺れそうになったら助けてやる」
溺れてからじゃ遅いんだけど……。
まずは、水の中の音に馴れなくちゃ。あとは、怖がらずに目を開く事。
あと、私にとって一番重要なのは、耳に水が入った場合の対処法だね。
「悠太郎、耳に水が入ったら出し方教えてね」
「ああ、大丈夫だ」
「音が聞こえにくくなるのが、私、怖いんだ……」
「何だったら、お前の耳に水が入っちゃったら、俺も耳に水を入れてくるよ」
「それはいいよ! 悠太郎まで耳に水入れる必要無いし、あれって狙って入れられるものなの!?」
「お待たせしましたー」
悠太郎と話していたら、スパゲティーが先にテーブルに置かれた。
黒い鉄板に玉子が敷かれ、その上にスパゲティーが配置されている。
ジュージューと目の前で音を立て、半熟で絡まった玉子が凄く美味しそう。
「先に食べていいよ。俺のも、もう少ししたら来るだろうし」
「ごめんね。じゃあ、お先にー」
フォークでクルクルとスパゲティーを巻くと、上手い具合に玉子も絡まってきた。
どんな味がするのかな……。
「美味しい!」
玉子と絡むだけで、ナポリタンがこんなに美味しくなるなんて!
これは大発見だ。家に帰ったらお母さんにも教えてあげよう。
「たしかに美味そうだ。俺もそっちにしたらよかったな」
「少し食べる?」
「いいのか?」
「うん。私にはちょっと多いと思うし」
そういえば、フォークはこれ一つしかない。
間接キスになっちゃうけど、悠太郎だし別にいいか。
「私のフォークしかないから、これ使っていいよ」
「そうか。なら、せっかくだし“あ~ん”ってやってくれ」
「なぬっ!?」
急に出された何台に、思わず“なぬっ”とか言っちゃったよ!
店内は私達だけじゃないし、これはちょっと恥ずかしい……。
とりあえず、フォークに巻こう!
ああ、玉子が上手く巻けなかった。
もう一回やり直し……。
「まだかー?」
「も、もうちょっと……できた! はい、じゃあ……あ、あ~んして」
悠太郎は大きく口を開けた。
いえ、目は瞑る必要は無いんですが。
悠太郎は、フォークを近付けると、パクッとスパゲティーを食べた。お前はヒナ鳥か。
「うん、美味いな!」
「でしょ?」
無事、悠太郎の要求を達成できた安堵感に浸ってチラッと横を見たら、焼きそばを持った店員さんが何とも言えない笑みを浮かべ、横に立っていた。
うん、なんていうか、今すっごく死にたい。
***
昼食を終えた私達は、再びプールに戻ってきた。
再入場はまたお金を払わなくちゃいけない。
私は練習の為に来てるからいいんだけど、悠太郎にはなんだか申し訳ない気がする。
「とりあえず、覚えるならやっぱりクロールだよな」
「あの泳ぎが一番簡単なの?」
「簡単なのは別にもあるよ。犬掻きとか……覚えたいか?」
「それは嫌かも……」
ただでさえ、暴走ポメラニアンとかわけわかんない通り名付けられてる私。
できれば、犬関連からは遠ざかりたい。
「そこの端につかまって、まずは息継ぎの練習だ。片手で水を掻いて、顔を横にあげて息継ぎの繰り返しな」
「一気に言われてもわかんないよ。どうやればいいの?」
「じゃあ、俺が見本見せるから、真似してみて」
悠太郎はプールの端をつかんで、器用に片手でクロールをし始めた。
なるほど、こうやって練習するのか。
「うん、わかった。やってみる」
「横で見てるから、がんばれ」
悠太郎の真似をして、端を片手でつかんだ。
この状態でクロールだね。よし、まずは目を開けてできるようにならないと……。
ブクブク……。
よし、大丈夫。やっぱり目は痛いけど、水の中でずっと開けっ放しにしてたらだんだんそんなに痛くなくなってきた。
手で掻いて、顔を横に上げて……あう!
「どうした、玲美?」
「耳に、水が入った……」
「もうか? しょうがない、俺も耳に水を……」
「いいから、出し方教えて!」
プールサイドに上がり、片足ジャンプでトントントン。
これで本当に水取れるの?
「取れないよー……」
「まさか、たった一回で入るなんてな……何度かジャンプ繰り返してみてくれ」
「うん……」
片足ジャンプでトントントン……。ん?
耳から何か温かいものが流れたような……?
音もはっきりと聞こえる。
「取れた! すごい、よく聞こえるよ!」
「良かったな。泳いでたら耳に水が入るなんて当然だ。こうやって出せば、怖いものでも何でもないよ」
「うん! 私、がんばる! がんばって耳から水を出すよ!」
「それは……なんか違わないか?」
プールに入り、練習再開。
最初だけ運が悪かったのか、それからは耳に水が入る事も無かった。
途中、小学生くらいの男の子がジーッと私の練習を見ていた。
そして、「ダサッ」とだけ言い残すと、スイスイと泳いで行ってしまった。
ぬぅ……絶対泳げるようになってやる!
***
「うん、息継ぎはもう良さそうだ。運動神経は元々悪くないから、覚えるのも流石に早いな。今度は俺が前に立って手を出していてやるから、そこに向かって手を置くように泳いでみようか」
「また難しい事を……」
ようは、クロールで水を掻く時に悠太郎の手に向かって腕を伸ばせってことらしい。
ここまで来たら、泳げるようになって帰らなくちゃ!
そして、小岩井と女帝達、さっき私を嘲笑っていた少年を見返してやる!
「じゃあ、よく見て手を伸ばせよ。息継ぎはさっきまでの練習の要領で」
「うん、わかった」
まずはバタ足。
体の力が抜けたお蔭か、沈んだりする事は無くなっていた。
悠太郎の手が見える。あそこに向かって水を掻くんだね。
「そうそう、その調子」
水の中に居るので、声がこもって聞こえるけど、これでいいみたい。
次は息継ぎだね。
────プハッ! うん、吸えた!
「進む速度も悪くないな。このまま行くぞ」
ちょっと鼻に入った気がするけど気にならない。
よーし、このまま……。
悠太郎の手を目がけて、腕を伸ばす。
そして、水を掻く。
泳げてる……、私、泳げてるよ!
「そろそろか……」
悠太郎は私の進行方向から離れ、いつの間にか私一人で泳げていた。
泳げた……ちゃんと泳げたよ!
このままゴール……じゃないけど、端っこまで行っちゃおう!
どんどん近付くプールの端。
これなら、念願の25メートルも夢じゃない。
……あれ? そういえば、どうやって起き上がったらいいの?
起き上がり方聞いてなかった……どうしよう!
そうだ、伏し浮きの起き上がり方だ!
えっと、手を後ろに掻くんだっけ?
手がプールの先端に触れた……ここで……!
「プハッ……!」
後ろを見ると、悠太郎が立っていた。
そっか……、ずっと付いてきてくれてたんだね。
「やったな、玲美!」
「ありがとう! 悠太郎コーチ!」
嬉しくて、また悠太郎に抱き付いてしまった。
「じゃ、じゃあ……平泳ぎも覚えて行くか?」
「あ、それはまた今度でいいです」
その後、私は覚えたてのクロールで泳ぎまくった。
この感覚、初めて自転車に乗れた時に似てるかも。
今まで大嫌いだった水泳の授業。
それも、今日までの話。
そう、私はお魚になったんだから。(なれてません)
明後日からの水泳の授業が楽しみだね。
私を散々バカにしてた奴ら、見てなさいよ。
お読みいただいて、ありがとうございました。




